2021年10月1日、鹿島アントラーズはクラブ創設30周年を迎える。「0.0001%の奇跡」としてJリーグ加盟を果たし、常に勝利のために歩み続け、これまで国内最多20の主要タイトルを勝ち取ってきた。
今回は、昨シーズン限りで現役を引退した内田篤人氏と鹿島でテクニカルアドバイザー(TA)を務める小笠原満男が出会った当時のあの頃、そして内田がドイツから帰って来てからの変化について、『月刊アントラーズフリークス別冊内田篤人』で対談が実現。その模様を再構成し、未公開分と合わせて特別に掲載する。全2回の前編(#2後編はこちら)。
2006年、内田篤人は鹿島アントラーズに加入した。そのとき見たのが眼光鋭い、背番号8の姿だった。初めてチームメイトとなり、ともにプレーするなかで感じたこと。そして、その背中を追いかけて走った日々……。
初めて参加した練習中に強くて速いボールで試されたルーキーが、ドイツでの経験を経て、3倍のスピードのボールを返せるようになって帰って来た。その成長の過程における、アントラーズであった感情の移ろいや様々な出来事。アントラーズスピリット継承の一端を、ここに紐解く。
◇◇◇
――初めて会ったときの印象は覚えていますか?
内田 俺はめちゃめちゃ覚えています。めちゃめちゃ怖かった……目つきが。
小笠原 (笑)。取材だぞ、ちゃんと考えて言えよ!
内田 満男さんが遅れて練習に入ってきたのかなあ……代表かなんかで。俺はそのときにスタメン組のサイドバックにポツンと入っていたんです。紅白戦が始まる前とか、全然こっちを見てくれない。そうしたら、始まる直前くらいにチラッと見られたんです。「コワッ!!」。それが第一印象です(笑)。
小笠原 最初って、練習参加かなんかで来た?
内田 練習で来ました! そのとき、覚えています?
小笠原 “ヒョロヒョロのやつが来たなぁ”と思ったのは覚えているよ。「こいつに何ができるんだろう」と思った記憶があるかな。
内田 そもそも高校生に対して、「こいつに何ができるんだろう」っていう目で見ちゃダメですよね(笑)。
小笠原 そんな変な意味ではないよ(笑)。何か武器がないとアントラーズに練習参加なんて来られないから。良さはどこにあるのか、どういうキャラクターなのか、そういうのを見ていたかな。
内田 サイドに振って、クロスをあげる練習があって。そのときに(脇腹の横を指して)ここらへんにめちゃくちゃ強くて速いボールが満男さんから来て。
――最初のインパクトが強烈ですね(笑)。
内田 小笠原満男のインパクトが強くない、わけないでしょう! 高校生に蹴るボールではないね、あれは。
小笠原 (笑)
内田 隣でみんながニヤニヤしていて。「ここ、怖っ」て思ったのを覚えています。
小笠原 まあ、それは内田だからだけでなく、いつもそういうボールは出していたよ。
内田 普通さ、高校生の1日目って優しくしてあげてもいいよね(ボソボソ)。
小笠原 逆だよ! プロではこんなにすごいボールを止めなければいけないんだって分からせないと。そういうレベルの高いところでやりたいと思えるかどうか。
内田 サムライだわ!
小笠原 (笑)
内田 怖いよ~。俺とか優しいから、そういう考えにはいたらないけど。小笠原という人はそういう考えなんですよ……。
小笠原 優しくされて入ってくるやつなんて、それまでの覚悟だよ。厳しさを感じて、「ここでやりたい!」っていうやつじゃないと、アントラーズでは通用しないと思うからね。
内田 怖っ!!!(笑)
小笠原 強いボールが来て、怖いと思うならこのチームには来ないほうがいい。
内田 ……そういう激励のパスを受け、僕はアントラーズの門を叩いたんです。
――出会いを経て、ともにプレーすることになりますが、小笠原TAは内田選手のプレーを見ての印象はどうでしたか?
小笠原 “たいしたことねぇなぁ”と思った。まあ、数々の歴代の選手たちを見てきたからさ(笑)。何か“これ”という光るものがあって、すごいプレーをした印象はない。かといって、下手だったわけではないけれど、そこまでインパクトがある印象ではなかったね。正直、申し訳ないけど(笑)。
内田 高卒に求めすぎでしょ(ボソッ)。
小笠原 まあ、みんな最初はそんなもんだけどね。でも、慎三(興梠慎三、現浦和)とかは一発のスピード、大迫(勇也、現ブレーメン)だったらポストプレーがあったからさ。それぞれ、こんなことができるんだというのがあったけど、何かこれがすごいなっていうものは感じなかったかな。内田からは残念ながら……(笑)。
内田 そうなんですよ……ゴールデンエイジがいて、周りのみんながすごかったから。練習参加で他のクラブもいくつか見たけれど、レベルが全然違った。当時は「みんな、うまいなあ」って思っていました。でも、僕自身はパス回しとか下手だったけど、うまい選手のところに入っていこうと思っていました。本さん(本山雅志)とか野沢(拓也)さんがパス回しをしているところに邪魔して入っていって。ロングキックでは青木(剛)さんと組んだり。
図々しくて邪魔だったかなと思うけど、とにかくうまい人と一緒にやるようにしていました。正直、嫌ですよ、緊張するし。どう思われているのか分からないけれど、同世代と組むよりはうまい人と組もうと思っていたかな。
――失敗の怖さよりも、上のレベルを体感したいと意識していたんですね。
内田 せっかくアントラーズに入ったわけだし、テレビで見ていた人と一緒にボールを蹴れるなんて、ちょー幸せなこと。それがアントラーズに来た意味でもありました。めちゃめちゃ遊ばれていましたけどね(笑)。ボール回しでは、俺と(田代)有三さんしか中に入らないんだもん。
小笠原 下手なやつは中にいるよね(笑)。ボール回しで基礎技術はだいたい分かる。でも篤人も言っていたけれど、上から吸収しようという姿勢はすごく感じたね。ピッチ内でもそうだけど、ピッチ外でもよく有三とか本とか(中田)浩二と一緒にいたり。いいことも悪いことも、上と一緒にいて、観察して学び吸収しようとしていたイメージがある。同級生や近い年代といたほうが楽なんだろうけど、いろんなものを見たり吸収したりという意識を持っている人間なんだなと思っていたかな。
内田 いろんなものを吸収するというよりも、とにかくみんなについていかないとまずいと思っていました。試合に出させてもらっていたし、こういう人たちのレベルに早く追いつかないといけないんだと思っていました。まず、自分はその場所にいないといけないと思っていたんです。
――ピッチ内外含めていろんな場面で必死だったんですね。
内田 そうそう。先輩たちも嫌な顔をしないし、「おいで」って言ってくれて、“来るもの拒まず”だったから。みんな優しかったんですよ……小笠原以外は。
小笠原 (笑)。取材中だぞ……。
――2018年、アントラーズに復帰しました。お互いに連絡は取り合ったんですか?
内田 満男さんからメールが来たんです。携帯の番号でやるメール(笑)。SMS? むかーしの人が使うやつ(笑)。
小笠原 (笑)。篤人がどうだったかは分からないけれど、「迷っている」という情報を聞いて。「じゃあ、帰ってこい」っていう連絡はしたかな。
内田 俺は帰るつもりでいたんです。
小笠原 そうなんだ。
内田 情報として「帰ります」とは言えなかったから。「考えています」と言っていたけれど。
小笠原 個人的には、一緒にまたやりたかったから。この経験を還元してくれるという存在が大事だと思ったし、チームの力になってくれるとも思ったから。
――メッセージは覚えていますか?
内田 覚えていますよ。言っていいですか?
小笠原 やめろ(笑)。
内田 そこらへんはシャイだから(笑)。でも、一言。めっちゃ短い言葉でしたね。5、6文字。剛さん(大岩前監督)からも連絡をいただいて、俺自身も帰るならアントラーズしか考えていなかった。アントラーズに振られなければ帰りたいと思っていました。
――復帰して、小笠原TAの「キックフォームが変わらない」と話していました。
内田 俺が日本にいたときに見ていたキックフォームと、帰ってきてからのフォームがすべて一緒だったから、すげーなと思って。
小笠原 でも、ドイツから帰ってきて、速いボールを速いボールだと思わなかったでしょう?
内田 それはそうですね。遅いなって。
小笠原 それが成長だよ。むしろ向こうの方がパススピードとかは速いよね。篤人からは、逆に変なボールが返ってきた。“ドイツはこんなだったぞ”って。俺が蹴ったボールの3倍くらい速いボールが返ってきたなあ(笑)。
――加入当時に送ったパスとは、全然違うボールが返ってきたんですね。
小笠原 うん、俺の3倍のスピード。成長したよ。
内田 いやー(苦笑)。
小笠原 俺に対して「トラップできんの?」ってやり返してきて。
内田 そんなんじゃないっす(苦笑)。
小笠原 ドイツから帰ってきてからはだいぶサッカーを知って、周りの活かし方を覚えていた。低くて速いボールを蹴るようになったよね? ユースの練習中に顔を出して一緒にボールを蹴ってくれたっていう話を聞いたけど。
内田 だって、みんな何も考えないで蹴っているんですもん。届けばいいと思っているでしょう。こういうボールだよっていうのを蹴りました。
小笠原 そういう概念があまりない。ロングボールを蹴るにも、なんとなくピヨーンって蹴っているから。そこは言葉で説明しても、なかなかああいうボールは蹴れない。でも、あれから少しずつできるようになってきたよ。試合でも出るようになってきた。
内田 でも、帰ってきてからはケガばかりだったから……。1年目、2年目も。クラブの“帰ってきてほしい”という理由として、アントラーズの先輩たちが作ってきたものをつなげていってほしいということでした。タイトルはもちろんあるけれど、それが自分の一番の仕事。下手したら“タイトルよりも重要な仕事なんだろう”と思って帰ってきたんだけれど、引退した理由もそれができなくなったからというところで……。
小笠原 なんかそれを聞いたとき、俺は背負わせすぎたかなあって思った。篤人は篤人らしく自分のプレーをやれていれば、もう少し長くプレーできたのかなあとか思って。ドイツから帰ってきて、頭を使ってプレーするようになって周りを使い出していた。「これからプレースタイルを変えれば、もうちょっとプレーするのがおもしろくなっていくよ」っていうのは話したんだけど。(引退の)決意は固かった。
でも、個人的には背負わせすぎたと思う。もう少しチームとして負担を分散してやれていれば、篤人自身のプレーに専念させられていれば、もう少し内田篤人のプレーが見られたかなあと。
内田 優しくなったでしょ? 満男さん。丸くなったなあ。
小笠原 それ、見た目でしょ(笑)。
内田 (笑)