日刊鹿島アントラーズニュース

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2021年4月3日土曜日

◆内田篤人と小笠原満男が欧州で学んだこと「蹴落としてでも這い上がる精神」遠慮するとパスタもなくなる?(Number)






 全2回の後編は、内田篤人と小笠原満男が経験した海外での学びについて。『月刊アントラーズフリークス別冊内田篤人』で実現した対談の未公開分を特別に掲載する(#1前編はこちら)。

「海外での経験をどう還元するのか」

 アントラーズに復帰してからの2人は、時期は違えど同じ言葉を口にした。

 海外を経験して学んできたものがある。文化、言葉、生活の違い、様々な障壁を乗り越えてつかんできたものがあった。勝負へのメンタリティーからクラブ全体のあり方まで、2人が感じてきたものは何だったのか。自ら学んだものをアントラーズに還元するための源泉とはどんな経験だったのか。現役を終えた2人が語る、海外で学んだこととは? 競争の本質をここに紐解く。

◇◇◇

小笠原 俺がイタリアに行って一番変わったのはポジションだよね。もともとオフェンシブだったのが、イタリアに行ったら、オフェンシブはウイングみたいなポジションだった。“俺のポジションはここじゃないな”と思って、ボランチをやるようになって。そうしたら、とにかく守備がすごい。

 俺が行ったメッシーナは弱いチームだったからなのか、とにかく「奪いにいけ」と言われ続けた。イタリアの下位チームによくあるような感じ。日本のようにグループでどこかに追いやって、チームとしてボールを奪いにいく形ではなかった。目の前の相手とのマッチアップは“絶対に負けない”っていう。

 俺は篤人と違って、イタリアではほぼ試合に出られなかった。1年間で7、8試合くらいかな。いろんなものを成し遂げて帰ってきたわけではないからね。日本に帰ったときは、「こいつは試合に出られなくて日本に帰ってきた」と見られるなかで、なんとか「遊びに行っていたわけではなく、得たものもあるんだ」っていうのを見せたくて必死でやっていたかな。そのなかで一番表現したのは、守備でボールを奪うこと。海外に行ったみんなが感じるところだと思うけど、いかに奪えるか。抜かれないようにする守備ではない。試合をやればボールポゼッションは、いつも20対80。奪わないと攻撃できないというチームだったからね。




内田 そういうときって、日本だと“一度止まってちょっと下がりながら守備をする”っていう教え方をしますよね。

小笠原 そこは今、育成をやっていて感じるね。「飛び込むな!」「足を出すな!」という指導者の声をよく聞く。

内田 でも、やっていることが違うじゃないですか。指導者が言っていることと、満男さんがやってきたことが違う。だから、若いうちにそういう“行けちゃう守備”を教えてもらうのはすごくいいことだなと思う。

 アントラーズのユースはトップの隣で練習していることがあるからよく見るけれど、球際で“ガシャガシャ行っているな”という印象を感じますね。海外ではみんな、それですよね。飛び込める選手に飛び込むなっていう方が簡単。行けない選手に行けという方が、どうしても難しい。やっぱり日本と違うのは守備かなと思う。対戦してもイタリアのチームは戦術的に細かい。守備についてイタリアはやっぱりすごい。あ、実際にプレーしてないからわかんないけど、すごそう(笑)。

小笠原 (笑)。守備はうるさい。でもポジショニングとか、細かい戦術練習はやるけれど、あまり試合にはつながってないかな。結局、1対1で奪う。でも、守備の文化はすごくある国だと思う。ダービーでは、ドローでもサポーターに「負けなかったぞ!」って表現をするくらい、守備や負けないことに対してのこだわりは感じた。日本だったらドローで「よっしゃ!」はない。アウェイでドローはOKなんだよね。そこは、どうしても違和感があったけど。

内田 シャルケでダービーといえば、ドルトムントとの試合だったけど、すごかったですよ。

小笠原 ドローでは喜ばないでしょう?

内田 喜ばないけれど、内心ホッとする。ホームだったら勝たないといけないけれど、アウェイでは難しいというのがある。ホームとアウェイの感覚の違いは、比じゃないかな。

小笠原 選手もそうだけど、サポーターもすごいよね。

内田 すごいですよ。シャルケでは、両チームのサポーターが乗る電車の車両を分けて、駅からスタジアムへの道はすべて黒幕や警官が囲んで目が合わないようにして、ドルトムントの街からシャルケの街まで移動するんです。馬で囲んで隔離状態にして移動していく。




小笠原 篤人との話で印象に残っているのが、シャルケが試合をする日には街中のお店が閉まるんでしょう? 

内田 そうそう。

小笠原 街のみんなが“今日はシャルケを応援する日だ”って。アントラーズもすぐには無理だろうけど、いずれそうなることが理想じゃないかなと思っていて。鹿嶋市内の飲食店の皆さんがお店を閉めて、「今日は応援に行くぞ!」ってなったら理想。その話を聞いてすごくいいなあと思って、目指すべきスタイルかなと感じたんだよね。まあ、簡単じゃないけどね。

内田 文化としてもありますからね……。

小笠原 どのチームでもそうなの?

内田 シャルケはドイツでも特に熱いチームで、ヤンチャというか……。

小笠原 愛するチームを応援するのに金なんか稼いでいる場合じゃない、っていう熱さがいいよね。


満男さんが勉強するんですか?(笑)


――海外で学んだピッチ外でのことはありますか?

内田 なんだろう……。試合に出ればみんなが助けてくれる。試合に出ないから、言葉が通じないとか、なんだかんだ言われる。でも結局、試合に出てしまえば助けるしかないから。試合に出れば後からついてくるんです。言葉がしゃべれなくて、活躍できずに帰国する日本人選手もいるけど、ただ試合に出られなかっただけ、だと思う。とにかく試合に出るか出ないか、かなあ。

小笠原 俺は結構、頑張って言葉を覚えたよ。ご飯を食べに行くのも好きだし、チームメイトと話せないのもしんどい。いつもチームで食べるメシも1時間くらいあったし、そこで1人ポツンといるのも苦痛だったからね。頑張って勉強して覚えたけど……。

内田 満男さんが勉強するんですか?(笑)

小笠原 「美味しいレストランはどこですか?」っていう言葉から覚えて、オーダーの仕方とかを覚えていったね。

内田 みんな海外に出ていくけれど、私生活では苦労しているんですよね。自分の居場所をどう作るかとかね。

小笠原 意外とサッカーじゃなくて、そっちでダメになっちゃう選手が多いよね。生活、言葉、コミュニケーション。

内田 そういうのって、大変なんですよ。明日、練習何時だっけ? とか。アントラーズの外国籍選手は、チームとしてサポート体制が整っているから、僕らがヨーロッパに行くよりも全然やりやすいと思う。

――イタリアもそうでした?

小笠原 そうだね。練習時間が分からなければ、自分で確認しないといけない。一つひとつだよね。

内田 でも、満男さんが移籍したときは難しいときでしたよね。俺らのときと違いますから。みんなが海外に出始めたときで、年に2、3人しか海外に行かなかった時代。まだ日本人が“こいつ本当にできるのか”っていう目で見られていたと思うし、さらにイタリアのサッカーがゴリゴリのときだし、人種差別もあったと思う。そういう“移籍するタイミング”もありますよね。今の海外に行く選手とは比じゃないくらい、難しい環境だったと思う。

小笠原 たしかに“日本人に何ができるんだ?”っていう目で見られていた。ただ、「ワールドカップに2回出た」という話をしたら見る目が変わった。

内田 そういうのを先輩たちが切り開いてくれて、そこにうまく俺らは入っただけだから。最初のカズさん(三浦知良選手)から始まり、本当にすごいなと思います。




――海外に行って、改めて日本人の良さを感じるところはありましたか?

内田 いいところもあり、悪いところもありですよね。大人しいとかもそう。スタジアムで日本人にあれだけの熱狂はできない。そもそも日本人はうるさいくらいしゃべれないから。でも、おじいちゃんおばあちゃんと子どもが安全に観戦できるスタジアムという面もある。そういう意味で、それぞれに違いはある。

 ドイツでは、選手としては相手を殺しにいくくらいのプレーをやっていかないといけないんだけど、逆に日本人のように90分、笛が鳴るまで集中してチームとして連動するのは、アフリカ人にはできない。すごいプレーをするけれど、適当なところがある。とんでもない化け物もいるけれど、チームとしての完成度としては、やっぱり日本人の特長は活かせると思う。W杯を見ればよく分かるところだけれど。そもそも教育が違うんだと思う。小さい子の指導にも関わってくるところで、これは良い・悪いの話ではなくて、そういうのはあるなあと思いますね。

小笠原 思いやりとか、人に親切にするというのは、日本人の良さだけれど、海外では遠慮している大人しいやつと見られる。日本で「出る杭は打たれる」という言葉があるけれど、あっちでは“出ていかないと受け入れてくれない”という感じがある。

 一回、食事のときにベンチだと分かっていたから、「食事はスタメン組が先に食べるべき」という、なんとなく日本での風潮があって遠慮していたら、パスタが全部なくなっていた。「2回目はいつ?」って聞いたら、もうないよって。ああ、食べておけばよかったと思ったけど、なんかそういうところで損をするというか。

 FWの選手も、日本人はすぐにパスしてしまうところを、シュートを打ちにいく。得点ランキングで1つでも上にいけば他のビッグクラブから引き抜かれる環境だからね。自分を出していかないと生き残れない。遠慮したり、“お先にどうぞ”なんていう日本の美徳は、あっちでは通用しない。人を蹴落としてでも這い上がろうという方が成功するのかなと思ったなあ。

内田 試合に出続けることは、他の選手を蹴落としていることになるんです。大変でしたけどね、自分のポジションを守るのは。だって、ドイツ代表でW杯優勝したときに右サイドバックで全試合出場していた選手が競争相手のときもあったし、2部からいい選手を獲ってきたこともあったし、ケガで離れているときも補強されるなというのは覚悟していた。監督が代わるたびにポジションはないなと思っていたし、その危機感は常にありましたね。

小笠原 そう、危機感は大事だよね。それはアントラーズに加入したときもそうだし、どこにいっても引退するまで常に持っていたものだった。やっぱり長く続ける、タイトルを獲り続ける選手になるには、そういう意識が必要なんだと思うね。





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