
日刊鹿島アントラーズニュース
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2015年7月21日火曜日
◆内田、人生初の手術も「サッカー選手っぽくなれたかな」(報知)
http://www.hochi.co.jp/soccer/world/20150720-OHT1T50272.html
ドイツ1部シャルケ04のDF内田篤人(27)が20日、所属クラブに合流するため成田空港を出発した。6月8日に右膝の膝蓋腱(しつがいけん)の手術を受け、全治4~6か月と診断されて日本でリハビリを行っていた。復帰は10~12月の見込み。「ただでは起き上がらない性格。これまでも(けがや試合に出られず)ダメかな、と思われたことがあったけど、その後は試合も出たし、結果も出した」と華麗に復活する決意を示した。
日本代表のハリルホジッチ監督には「焦らずしっかり治して」と言われたという。人生初の手術も「これでサッカー選手っぽくなれたかな」と笑み。「手術前は痛みを我慢して、だましだましやっていた。今は力を入れられるようになった。シャルケ04で結果を残して、代表に呼ばれたらうれしい」と先を見据えた。
◆右膝手術の内田 復帰は年末か(デイリー)
http://www.daily.co.jp/newsflash/soccer/2015/07/20/0008226286.shtml
サッカー日本代表のDF内田篤人(27)=ドイツ1部・シャルケ=が20日、ドイツへ出発した。6月上旬に受けた右膝膝蓋(しつがい)靱帯の手術からのリハビリ中で、復帰には手術の時点から少なくとも4カ月から6カ月が必要であることを明かした。順調にいけば、10月ごろから年末にかけてが復帰時期になるが、これもリハビリが順調に進んだ場合の見立てだとした。
昨年のW杯ブラジル大会後に右膝に痛みが出始めたといい、昨季は「自分が痛さに強い方なので、(プレーを)できてしまっていた。だましだましやっていた」状態だったという。クラブは保存療法を勧めたが、「やらないとまずい状態だった。自分の意思で」手術を決意。日本で6月上旬に手術を受け、数日後に退院した後は約3週間、都内の施設でリハビリに励んだ。自力で歩けるようになって「1週か2週ぐらい」だといい、まだ、足の運びはゆっくりとしていた。
手術前は「いろんなものがひっかかって邪魔」な状態だった右膝には、「力を入れやすくなった」という。昨季は、試合から帰る時も痛みがはしるほどだった。今まで、大きな手術を受けたことがなかったが、「こうなったら手術を受けるんだ…」と、早い段階から手術を受けることを決意していたことを明かした。
当面はドイツで、チームに合流できる状態になるまでリハビリを続ける。日本代表復帰への思いも胸に秘めており、「ただで起き上がるような性格ではないので。いつになるか分からないけど、呼んでもらえれば」と復活を誓った。ハリルホジッチ監督からは、パリの医師を紹介するはたらきかけもあったといい、「焦らずしっかり治してくれと(言われた)。面倒を見てくれたし、一緒に(手術について)考えてくれた」と感謝していた。
◆内田 11月にも代表復帰!右膝「今はすっきり」(スポニチ)
http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2015/07/21/kiji/K20150721010777570.html
6月上旬に日本で右膝蓋(しつがい)じん帯の手術を受けたDF内田篤人(27)が所属クラブのシャルケに戻るため20日、成田空港発の航空機で渡欧した。ドイツ紙では年内復帰は絶望的との報道もあったが、全治4~6カ月で、早ければ10月にも復帰が可能。3月31日のウズベキスタン戦を最後に日本代表から遠ざかるが、11月のW杯アジア2次予選に間に合う可能性も出てきた。
復帰への道筋が見え、内田の表情は明るかった。渡欧前の取材に「手術する前は膝にいろんなものが詰まっていた感じだったけど、今は力も入れやすい。個人的にはすっきりしている」と笑顔。「復帰してからが大事。シャルケで結果を出して、また代表に呼んでもらえれば、チームに貢献したい」と力を込めた。
手術の決断にあたってはシャルケや日本のドクターに加え、ミュンヘンの医師にも相談。日本代表のハリルホジッチ監督からパリの医師を紹介するとの申し出もあった。ミュンヘンの病院では陸上短距離のウサイン・ボルトと顔を合わせたという。関係者によると、膝蓋じん帯の手術を受けるサッカー選手は少なく、元ブラジル代表FWロナウドは同じん帯断裂で晩年は全盛期の力を取り戻すことはできなかった。内田はシャルケからは保存治療を勧められる中、6月上旬に手術を受け、全治は4~6カ月。ドイツ紙では年内復帰は絶望と報じられていたが、早ければ10月にピッチに立つ可能性もある。
順調なら11月のW杯アジア2次予選で、約8カ月ぶりの国際Aマッチ出場も視野に入ってくる。6月のハリルホジッチ監督との面談では「焦らずしっかり治してほしい」と伝えられているが、内田不在の右サイドバックは日本の“穴”となっているだけに、早期復帰が実現すればチームにとって大きな力になる。内田は「サッカー選手なら普通1度や2度は手術をしているので、やっと一人前になった感じ。転んでもただで起き上がる性格ではないので」と笑った。5月には一般女性との結婚を発表。家族の前で再び日の丸に袖を通すイメージはできている。
◆内田篤人が独出発で意欲「転んでもただで起きない」(ニッカン)
http://www.nikkansports.com/soccer/japan/news/1510015.html
シャルケDF内田篤人(27)が20日、ドイツに向けて出発した。
昨季終了後、帰国して6月上旬に右ひざを手術。1カ月ほどリハビリを行い、つえがなくとも歩けるまでに回復した。「まだ筋力は落ちているけど、手術前の何かがひっかかるような感触はなくなった。自分は転んでもただで起き上がる性格ではない」と復帰へ意欲をみせていた。
◆鹿島MF小笠原がJ1通算450試合出場…プロ18年目で史上9人目の快挙(サッカーキング)
http://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20150720/332273.html
鹿島に所属するMF小笠原満男(写真は5月のもの)[写真]=Getty Images
鹿島アントラーズの元日本代表MF小笠原満男が、19日に行われた2015明治安田生命J1リーグ・セカンドステージ第3節の松本山雅FC戦に先発出場し、J1通算450試合出場を達成した。450試合出場はJリーグ史上9人目の快挙となった。
現在36歳の小笠原は1998年に大船渡高から鹿島に入団。同年4月15日のガンバ大阪戦でプロデビューを飾った。その後は次第に出場機会を増やし、国内タイトル三冠獲得を達成した2000年からは定位置を確保。2001年にはリーグ連覇に貢献した。2006年8月にセリエAのメッシーナへ期限付き移籍。翌年7月に鹿島へ復帰すると、2007年からリーグ3連覇を達成し、2009年には年間最優秀選手に選ばれた。
2002年には日本代表に初選出され、同年の日韓・ワールドカップと2006年のドイツ・ワールドカップにも出場。キャリア通算で国際Aマッチ55試合に出場、7得点を記録している。
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