
日刊鹿島アントラーズニュース
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2018年12月29日土曜日
◆鹿島ユースDF増崎大虎がいわきFCに加入(ゲキサカ)

いわきFCは28日、鹿島アントラーズユースDF増崎大虎(18)を獲得したことを発表した。
増崎はいわきの公式サイトを通じて、「アントラーズで学んだ経験を生かして、次のステージに行っても頑張りたいと思います。チームの勝利に貢献できるよう、そして自分が成長した姿を見せられるよう、全力を尽くします」と伝えている。
●DF増崎大虎
(ますざき・だいご)
■生年月日
2000年6月27日(18歳)
■身長/体重
180cm/68kg
■出身地
茨城県
■経歴
鹿島Jrユースー鹿島ユース
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◆鹿島ユースDF増崎大虎がいわきFCに加入(ゲキサカ)

◆本田泰人氏、小笠原は鹿島の主将として役目を全うした(サンスポ)

今季限りで現役を引退したJ1鹿島の元日本代表MF小笠原満男(39)が28日、茨城・カシマスタジアムで会見に臨み、後進に道を譲った理由を明かした。
引退発表の27日に珍しく(小笠原)満男から連絡があった。「鹿島以外でやるイメージがつかない。引き際ですね」と。老け込む年でもないから驚いたけど、自分が若手の成長の妨げになることを危惧していたね。
ピッチ上で貢献できなくなり、今季の終盤には「(後輩として)恥ずかしい試合をしてすみません」と責任を口にしていた。昔はそこまで責任感の強いタイプではなかった。中田浩二や本山雅志らと鳴り物入りで入団し、自分のことばかり考えていた印象がある。けれど、イタリア(2006-07年メッシーナ所属)で鼻をへし折られて帰ってきてから変わったかな。
出番がなく、自分を見つめ直したのだろう。「“チームのために何をするのか考えろ”。本田さんの言っていたことがようやく分かりました」と言ってくれた。その謙虚さ、姿勢はジーコが教えてくれたもので継承しなければいけない。鹿島の主将として、役目を全うしてくれた。 (鹿島OB、サンケイスポーツ専属評論家)
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◆本田泰人氏、小笠原は鹿島の主将として役目を全うした(サンスポ)

◆鹿島そして代表で…同じ釜の飯を食べた秋田豊氏が小笠原を絶賛「本当のプロフェッショナル」(スポニチ)

鹿島OBで元日本代表DFの秋田豊氏(48)が28日、自身のツイッターを更新。今季限りでの現役引退を27日に発表した鹿島の後輩、元日本代表MF小笠原満男(39)にエールを送った。
秋田氏は鹿島が獲得した20冠中17冠に貢献した小笠原に「満男は数々の歴史を作ってきてくれた。本当にありがとう」と感謝のメッセージ。「素晴らしい後輩だし本当のプロフェッショナルだ」と称えた。
秋田氏は1993年から2003年まで鹿島でプレーし、日本代表として98年フランス大会、02年日韓大会と2度のワールドカップ(W杯)に出場。小笠原は98年に鹿島入りし、06年8月にメッシーナ(イタリア)へ1年間の期限付き移籍した以外は鹿島でプレーし、02年日韓大会、06年ドイツ大会と2度のW杯に出場した。鹿島ではチームメートとして6年間ともにプレーし、日本代表でも同じ釜の飯を食べた後輩が下した人生の決断。「これからも鹿島のために鹿島が世界で勝てるように力を注いでくれ」とエールを送った。
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◆鹿島そして代表で…同じ釜の飯を食べた秋田豊氏が小笠原を絶賛「本当のプロフェッショナル」(スポニチ)

◆曽ヶ端、寂しさも同期の次のステップ尊重「本人の考えがある」(スポニチ)
◆元鹿島の植田が小笠原に感謝 一緒に避難所回り(ニッカン)

ベルギー1部セルクル・ブルージュDF植田直通(24)が28日、リーグの年内日程を終えて千葉・成田空港に帰国した。13年から5年半、鹿島アントラーズに所属。引退した小笠原について「主将=満男さん。彼以上に頼れて素晴らしい人はいない」と称賛。「まだプレーできたと思うので驚いたけど、違う舞台でも輝き続けるはず」と今後の活躍を信じた。
16年4月16日に出身の熊本県で大地震が起きた時には、助けてもらった。翌17日に福岡空港からレンタカーで現地に入り、支援活動を実行。そこで相談したのが小笠原で、必要物資のアドバイスを受けた上に同行してもらい、避難所を回った。「あれほどうれしかったことはない」。ピッチ外では復興支援活動の手本を示してもらい「自分も活動しようと思えるのは満男さんのおかげ」と感謝した。
また、アジア杯日本代表のシントトロイデン遠藤、冨安と前浦和レッズMF関根も同便で帰国した。【木下淳】
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◆元鹿島の植田が小笠原に感謝 一緒に避難所回り(ニッカン)

◆“ピッチ上の監督”だった小笠原、誰もが憧れるその存在(スポニチ)

【記者フリートーク】昨年4月16日、小笠原はJリーグの仙台戦で通算500試合出場を達成した。その試合前の数日間、鹿島の選手全員に「どんな存在ですか?」と聞いて回った。若手もベテランも、「小笠原さんの…」と切り出した瞬間に目つきが変わった。口が止まらなくなった。自身の思いをきちんと伝えてもらえるようにと、真剣に考えながら答えてくれた。
例えばFW鈴木は言った。「満男さんがいる試合といない試合は違う。やっている僕らも違う。ピッチ上の監督」。幼い頃、小笠原のプレーをテレビで憧れながら見ていたというMF永木は言った。「本当にチームのことを第一に考えている。試合に出ると存在感があって。今は背中を見て試合しているけど、逆に自分がそういう立場になったらそう思ってもらえる選手になりたい」。誰もが憧れる大黒柱だった。(鹿島担当・波多野詩菜)
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◆“ピッチ上の監督”だった小笠原、誰もが憧れるその存在(スポニチ)

◆小笠原に聞く、チームの柱は「曽ケ端がいるんで大丈夫です」(スポニチ)

【小笠原に聞く】
――鹿島へ。
「タイトルを獲り続けるチームであってほしい」
――試合の勝たせ方とは?
「勝利から逆算して組み立てる。レベルの差があっても勝つ方法がある。そういうものを伝えていきたい。強い方が勝つわけでなくて勝った方が強いのがサッカー」
――ジーコとは。
「自分がここまでやってきたこと、最後までそれをやり遂げたことに拍手を送りたいと言ってくれた」
――内田復帰でチームを託せる?
「俺以上にいろんなものを経験してきているので何の心配もしていない。頼りにしています」
――柱が欠けるが。
「曽ケ端がいるんで大丈夫です」
――休みたいとかは。
「それよりも早く働きたい。本気でアントラーズを強くするために関わりたい。そうこうしている間に世界のサッカーはどんどん発展していく」
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◆小笠原に聞く、チームの柱は「曽ケ端がいるんで大丈夫です」(スポニチ)

◆【鹿島】小笠原、今季限りで現役引退「ミツオ・イズム」後輩に伝える(報知)

今季限りで現役引退を発表した元日本代表MF小笠原満男(39)=鹿島=が28日、カシマスタジアムで会見した。引退を決意した理由を、後進に道を譲るためと明かし、最後までチームのことを考えるジーコ・イズムを貫き通した。引退後は育ててくれたクラブに恩返しするため、鹿島に関わる仕事を希望。悔しさをバネにし続けたプロ21年を時折、言葉を詰まらせながら振り返った。
選手として終わる、そのときまでジーコ・イズムを貫いた。一礼をしてから会見場に足を踏み入れたMF小笠原は、表情を変えることなく決断に至った経緯を説明した。「最大の理由はなかなか試合に出られる機会が少なくなり、ピッチの上でチームを勝たせることができなくなった」と説明。その上でミスターアントラーズらしい理由を付け加えた。
「まだまだサッカーをやりたいのが正直な気持ちだが、このチームが好きだからこそ、このチームがさらに強くなっていくために、自分が出場するよりも、もっと若い選手にピッチに立ってほしいと思ったのも一つ。アントラーズから、自分が身を引く時が来たかなという思いで決断しました」
悔しさをバネにしてきた。思い出に残るゴールを問われると、プロ2年目の99年ナビスコ杯(現ルヴァン杯)決勝柏戦でのPKを挙げた。PK戦の6人目で登場して失敗。タイトルを逃した。ジーコに「PK戦は運じゃない。120分戦い抜いてボロボロの足の状態で狙ったところに強いボールを蹴れないと」と言われ、「インサイドキック一つで、全てが変わる。練習を120%で」と決意した。
ゴールデンエージ(79年生まれ)の同期に対しても同じ。小野伸二、本山雅志、稲本潤一らタレント豊富な年代で、置いて行かれないように必死にボールを蹴った。獲得タイトル数(17冠)では上回るが、引退する時期が彼らより早く「自分の完敗。最初から最後まで勝てなかった。本当に偉大な選手たちだ」と話した。
「逃したタイトルもいっぱいある。本当に僕のサッカー人生は悔しい、悔しいの連続」。ただ、悔しさがあったからこそ「ここまでやってこられた」という自負もある。引退後については「鹿島に育ててもらった。恩返ししていきたい気持ちが強くなった」と鹿島に残ることを希望した小笠原。これまでと同様に、チームを思って、第2の人生をスタートさせる。(内田 知宏)
◆ジーコの引退 ジーコは1989年にブラジルのフラメンゴで引退したが、日本リーグ(JFL)のプロ化を目指す中で、鹿島の前身、住友金属から91年に獲得オファーを受けて、現役復帰した。同2部だったクラブにプロ意識を植え付けて常勝軍団への礎を築き、Jリーグ開幕翌年の94年第1ステージ(S)終了後に2度目の引退。ジーコは自立しつつあったチームをかんがみ、自ら引退する意思をクラブに伝えたという。鹿島の鈴木満常務によると、これまで自ら引退を申し出た選手はジーコ、FW長谷川祥之(03年引退)と小笠原の3人だけ。
◆小笠原 満男(おがさわら・みつお)1979年4月5日、岩手県盛岡市生まれ。39歳。大船渡高卒業後、98年に鹿島入り。02、06年W杯日本代表。Jリーグで6度のベストイレブン受賞、09年にMVP。11年3月の東日本大震災後、東北サッカー界の復興を目指して活動する「東北人魂」の発起人となり、今も活動を続けている。今季リーグ14試合で無得点。J通算525試合69得点。代表Aマッチ55試合7得点。173センチ、72キロ。既婚。
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◆【鹿島】小笠原、今季限りで現役引退「ミツオ・イズム」後輩に伝える(報知)

◆小笠原、今後のポスト未定も「学んでみたい」海外視察に意欲的(スポニチ)

鹿島でいつどのようなポストに就くか、現時点では未定だが、今後については「鹿島にここまで育ててもらったので恩返ししたい。まず、いろんなものを見て勉強したい」と幅広い見地から強化に携わる意向を示した。「世界にはいろんな選手がいる。タイトルを数多く獲ったが、世界的に見たらまだまだ。欧州、南米から学ぶことはあると思うし、自分も行って学んでみたい」と海外視察にも意欲的だ。
東日本大震災の復興支援、東北への恩返しも続ける。Jリーガー輩出に向けた「土台づくり」や、さまざまな年代の大会の設立を予定。年明け4日から東北人魂の活動を行う。
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◆小笠原、今後のポスト未定も「学んでみたい」海外視察に意欲的(スポニチ)

◆小笠原、引退会見で鹿島愛語る「本気で強くしたい」(ニッカン)

今季限りでの現役引退を発表した鹿島アントラーズの元日本代表MF小笠原満男(39)が28日、ホームのカシマスタジアムで会見を行った。報道陣約80人を前に語ったのは、海外でプレーした1年を除き、現役生活の全てを過ごしたアントラーズへの強い愛。引退後もクラブに残り、チームを強くするためにできることを探していく。
小笠原の目に迷いはなかった。やや緊張しながらもすっきりとした表情で、引退理由を「試合に出る機会が少なくなり、ピッチの上でチームを勝たせることができなくなった」と説明。膝のケガを理由にせず「出番を失ったのは自分の実力不足」と言い切った。
「試合に出てチームを勝たせる」。小笠原にとってそれが全てだった。以前から「ピッチで活躍できなくなったら引退する」と決めており、ベンチに入れなくなった夏ごろから、本格的に考え始めたという。今季フル出場したリーグ戦はわずか6試合。シーズン終盤はけが人も続出し出番を得たが「若いやつが出るべきだと思った」と後輩の成長を優先した。「サッカーが大好きだしアントラーズが大好きだし、まだまだやりたい気持ちがあるのが正直なところ」としたが、それでも「迷いや葛藤はなかった」と、現実を受け入れた。
モチベーションは、鹿島で同期の曽ケ端準、中田浩二、本山雅志や、99年ワールドユース選手権(現U-20ワールドカップ)でともに準優勝を経験した小野伸二、稲本潤一ら、79年生まれの“黄金世代”だった。「彼らに負けたくないという思いでやってきた」と明かし、「まだまだ(現役で)頑張ってほしい」。「先に辞めるのは悔しいか?」と聞かれると「いや、自分の完敗です。最初から最後まで勝てなかった」と潔く認めた。
現在指導者ライセンスは保持していないが、今後はクラブと話し合いながら、チームのためにできることを模索していく。記者から「引退後やりたいこと」を聞かれても「いや、それよりも早く働きたいっす」と小笠原。「早くチームに貢献したいし、本気でアントラーズを強くしたい。飲み食いしてる場合じゃない。そうもしている間に、世界のサッカーはどんどん発展していく」と襟を正すと、新たな目標に向かって歩き始めた。【杉山理紗】
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◆小笠原、引退会見で鹿島愛語る「本気で強くしたい」(ニッカン)
◆子どもたちに厳格さと優しさ/小笠原とっておきメモ(ニッカン)

<とっておきメモ>
今季限りでの現役引退を発表した鹿島アントラーズの元日本代表MF小笠原満男(39)が28日、ホームのカシマスタジアムで会見を行った。
◇ ◇ ◇
17年正月。宮城県松島町で「東北人魂カップ」が開催された。東日本大震災後、東北出身のJリーガーたちが東北地方のサッカー復興のために発足させた団体で、少年サッカーのカップ戦を開いた。発起人の1人である小笠原は試合後、自身が立ち上げた少年サッカーチーム「レノヴェンス・オガサFC」の選手を集めた。「何で負けたか分かるか?」。まなざしはJリーグの試合の時と同様だった。「試合に向けた準備が甘い。勝つために何をしなくてはいけないか。そうしたら笑ってタラタラやってる時間はないだろ」。子どもたちが目に涙を浮かべるほどの迫力だった。
当時は高校生になる娘に携帯電話を持つことも認めていなかった。「話したければ走って会いに行けばいい。顔を見て話せば、より気持ちは伝わるから」。厳格さの中に、成長を本気で願う優しさに満ちた男だ。【16、17年鹿島担当=鎌田直秀】
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◆子どもたちに厳格さと優しさ/小笠原とっておきメモ(ニッカン)

◆小笠原、泣き笑い引退会見「鹿島に恩返し」 今後は南米や欧州のクラブ視察(サンスポ)

今季限りで現役を引退したJ1鹿島の元日本代表MF小笠原満男(39)が28日、茨城・カシマスタジアムで会見に臨み、後進に道を譲った理由を明かした。ときには涙ぐみ、ときには晴れやかな笑顔を見せた闘将。今後は未定だが、鹿島への恩返しを固く誓った。
慣れ親しんだスタジアム。いつもの歓声は聞こえてこない。会見場の扉を開いた小笠原は、深々と一礼。神妙な面持ちで壇上に上がった。
「出る機会が少なくなり、チームを勝たせることができなくなってきたのが最大の理由」
引退発表から一夜明けての会見。勝利に飢えた修羅のごとき表情から一変、穏やかな笑みをたたえた。
1日のJ1最終節・鳥栖戦の試合後。家族や同僚にも明かさず、クラブ幹部に「今季限りで引退します」と伝えた。恩師・ジーコ氏には22日のクラブW杯3位決定戦前に報告。「(君が)ここまでやってきたこと、最後までやり遂げたことに拍手を送りたい」。贈られた言葉を振り返り、目頭を熱くした。
海外の1年間を除けば鹿島一筋、21年間の現役生活。GK曽ケ端ら同期に負けたくない一心だったという。ファウルもいとわない泥くさいプレーに、一瞬の隙を突くスルーパス。クラブの20冠のうち17のタイトルに関わったが、「失ったタイトルは何十個もある。その悔しさが大きい」。

一番の思い出も、PK戦でGKに止められた1999年ナビスコ杯(現ルヴァン杯)決勝の柏戦だといい、「自分のミスで負けた。感触は残っている」。過去の栄光に浸ることはなかった。
「鹿島にここまで育ててもらったので恩返ししたい。まず、いろんなものを見て勉強したい」
今後は南米や欧州のクラブを視察し、幅広い見地から鹿島の強化に携わる考え。故郷の岩手県も甚大な被害を受けた東日本大震災の復興支援も続ける。「タイトルを取り続けるチームであってほしい」と後輩にエールを送った。勝負の鬼が、静かに深紅のユニホームを脱いだ。 (一色伸裕)
小笠原 満男(おがさわら・みつお)
1979(昭和54)年4月5日生まれ、39歳。岩手県出身。岩手・大船渡高から98年に鹿島入団。2006年にイタリア・セリエAのメッシーナでプレーし、07年鹿島に復帰。09年にJリーグMVPを獲得した。A代表は02年3月のウクライナ戦でデビューし、W杯は02年日韓、06年ドイツ大会に出場。J1今季14試合0得点、同通算525試合69得点。A代表通算55試合7得点。1メートル73、72キロ。
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◆小笠原、泣き笑い引退会見「鹿島に恩返し」 今後は南米や欧州のクラブ視察(サンスポ)

◆「悔しいまま終わるのも自分らしい」小笠原一問一答(ニッカン)

今季限りでの現役引退を発表した鹿島アントラーズの元日本代表MF小笠原満男(39)が28日、ホームのカシマスタジアムで会見を行った。
<小笠原と一問一答>
-やり残したことは
小笠原 悔いだらけ。取れなかったタイトルもいっぱいある。
-印象深いゴールは
小笠原 ゴールではないが、99年のナビスコ杯(現ルヴァン杯)決勝でPKを止められたこと。PK戦は運じゃない、練習のインサイドキックひとつ真剣にやれとジーコに言われた。
-ACL決勝では出場しなかったが、DF昌子からトロフィーを譲られた
小笠原 本音は、ピッチに立って貢献したかった。ちょっと恥ずかしかった。
-クラブワールドカップ(W杯)3位決定戦に出場したときの心境は
小笠原 最後に優勝してハッピーエンドで終わりたかったけど、悔しいまま終わるのも自分らしいかな。
-クラブW杯で感じた世界との差は
小笠原 差を埋める努力も必要だけど、勝つすべを探すのも必要な努力。
-引退を聞いたジーコはなんと言った
小笠原 自分がやってきたこと、やり遂げたことに拍手を送りたいと。
-引退試合の予定は
小笠原 個人的にはやりたくない(笑い)。やるなら真剣勝負で。
-将来は鹿島の監督に
小笠原 突っ走ってきたので、今すぐ何かをやりたいというのはない。これからチームと話したい。
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