日刊鹿島アントラーズニュース

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2025年10月5日日曜日

◆【Jリーグ】「貴公子」レオナルド ブラジル代表のレギュラーがなぜ鹿島にやってきたのか(Sportiva)






「ジーコから声をかけられたんですから、断る理由などあるはずがないのです」


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◆【Jリーグ】「貴公子」レオナルド ブラジル代表のレギュラーがなぜ鹿島にやってきたのか(Sportiva)









2024年11月8日金曜日

◆【鹿島】レオナルドが9年ぶりカシマへ! 11/9(土)名古屋戦前のジーコ引退30周年セレモニーに参加(サカノワ)






 レオナルド氏は名古屋戦当日、試合前のピッチ上で開催するジーコクラブアドバイザー(CA)の引退30周年記念セレモニーに出演。試合後に実施する「グリーティングイベント 〜Família LEONARDO~」(有料/10名限定)にも登場する。レオナルド氏のカシマスタジアム来場は2015年10月以来、約9年ぶり。


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◆【鹿島】レオナルドが9年ぶりカシマへ! 11/9(土)名古屋戦前のジーコ引退30周年セレモニーに参加(サカノワ)









「ZICO CARNIVAL 2024」を開催。


[J1 36節]鹿島 – 名古屋/2024年11月9日14:00/カシマサッカースタジアム

 J1リーグ鹿島アントラーズは11月9日のJ1リーグ36節の名古屋グランパス戦で、特別企画「ZICO CARNIVAL 2024」を行う。当日にクラブレジェンドであるレオナルド氏がカシマスタジアムへ来場することが決定した。

 レオナルド氏は名古屋戦当日、試合前のピッチ上で開催するジーコクラブアドバイザー(CA)の引退30周年記念セレモニーに出演。試合後に実施する「グリーティングイベント 〜Família LEONARDO~」(有料/10名限定)にも登場する。レオナルド氏のカシマスタジアム来場は2015年10月以来、約9年ぶり。

「ZICO CARNIVAL 2024」に合わせ、ジーコCA引退30周年記念誌や特別グッズが販売され、限定特大装飾の掲示やミュージアム特別展の開催など、さまざまなアクティビティが予定されている。チケットは発売中。

 レオナルド氏 出演イベント
1)ジーコCA引退30周年記念セレモニー
引退30周年を記念し、ジーコCAへの感謝の思いを込めたセレモニーを開催。選手時代、引退後30年の軌跡を振り返るプログラムをお届けする。キックオフ80分前から開始を予定しており、クラブは早めの来場を呼び掛けている。

■実施場所
スタジアム内ピッチ上

■実施時間
12:40頃(キックオフ80分前)~
※時間は前後する場合あり。

2)10名限定!「グリーティングイベント 〜Família LEONARDO~」
※受付終了

☆特別グッズ販売!
ZICO CARNIVAL 2024各種新作アイテムが発売される。

2024年10月25日金曜日

◆【鹿島】レオナルド氏が11・9名古屋戦の試合前にジーコ氏イベント、試合後有料イベントに出演(ニッカン)






名古屋戦の試合前、ピッチ上で行われるジーコ・クラブアドバイザー(CA)の引退30周年記念セレモニーに出演し、試合後には、10人限定の有料イベント「グリーティングイベント」にも登場する。


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◆【鹿島】レオナルド氏が11・9名古屋戦の試合前にジーコ氏イベント、試合後有料イベントに出演(ニッカン)








鹿島アントラーズは24日、94年から96年まで在籍した元ブラジル代表MFレオナルド氏(55)が11月9日の名古屋グランパス戦(カシマスタジアム)に登場することを発表した。レオナルド氏の来日は15年10月以来、約9年ぶり。

名古屋戦の試合前、ピッチ上で行われるジーコ・クラブアドバイザー(CA)の引退30周年記念セレモニーに出演し、試合後には、10人限定の有料イベント「グリーティングイベント」にも登場する。

グリーティングイベントは、レオナルド氏の自筆サイン入りレプリカユニホーム、レオナルド氏との交流など豪華特典がついており価格は1人20万円(税込み)。10人限定で、申込者が定員を超えた場合は抽選となる。

2023年8月3日木曜日

◆ビスマルク、ドゥンガ、レオナルド…Jリーグ助っ人たちが愛した日本文化 行きつけは“しゃぶしゃぶ店”「タレが好き」【コラム】(FOOTBALLZONE)



ビスマルク


ビスマルクは「何でも食べた」 ミューレルは規律に感銘


 Jリーグの歴史を語るうえで、外国籍選手の存在は欠かせない。プレーヤーとしての実力はもちろんのこと、日本の生活や文化に馴染もうと努め、活躍につなげた例は多い。「FOOTBALL ZONE」では、「外国籍選手×日本文化」の特集を組むなかで、かつてJリーグで活躍したブラジル人選手が好きな日本文化を挙げていく。(文=藤原清美)


■ビスマルク:食べ物

 ヴェルディ川崎、鹿島アントラーズ、ヴィッセル神戸の合計10年間に渡って日本でプレーし、今は代理人としてJリーグのクラブとも繋がりを持つビスマルク。彼が日本の食について話し始めると、庶民的な話題が止まらない。

「何でも食べたよ。ナットウもウメボシも好き。リオデジャネイロでも、自宅の近くに日本食品を売る店があるから、キムチが入荷されていたら、その場で買い占めるんだ。3つあったら3つ、6つあったら6つ(笑)。それに、友達が来たらカレーライスを振る舞うために、家には欠かさずルーが買い置きしてある」

 出張で日系ブラジル人の多いサンパウロに行くと、寿司や刺身に誘うブラジル人が多いが、ビスマルクはいつもしゃぶしゃぶの店に連れて行く。

「あの肉や野菜はもちろん、タレが好きでね。塩辛いのと、甘いのと、醤油味のもあって。みんなに『こんな美味しいものがあるのか!』と感激されるんだよ」






■レオナルド:素朴な暮らし


 ブラジル代表として1994年ワールドカップ(W杯)優勝の直後に、鹿島アントラーズにやってきたレオナルドは、それ以前から日本文化に興味を持っていた。

「神社仏閣のような建築物や、日本庭園の自然の生かし方、日本人の考え方など、色々な本を読んでいた」

 そして、いざ日本に住んで感じたさらなる魅力は、身近な暮らしの中にあった。

「鹿嶋は小さな街だから、僕ら選手とサポーターは、スーパーマーケットやレストランなど行く先々で出会って、自然に言葉を交わしたんだ。自転車が日常の交通手段だったから、道すがら、田んぼで仕事をする人たちと挨拶したり。シンプルで、家族的で、とても楽しい生活だった。みんなが身近で、でもすごく尊重してくれる、健全で素晴らしい関係があった。当時20代半ばだった僕にとっては、あの街にある“人を尊重する文化”が、僕自身のあり方も変えたと思うんだ」




↓ドゥンガ、エメルソン、ミューレルの話題はこちらから
◆ビスマルク、ドゥンガ、レオナルド…Jリーグ助っ人たちが愛した日本文化 行きつけは“しゃぶしゃぶ店”「タレが好き」【コラム】(FOOTBALLZONE)




2021年10月11日月曜日

◆PSG幹部レオナルド、鹿島移籍に「後悔はない」と断言!ジーコと幼少期に交流も(FOOTBALL TRIBE)






 パリ・サンジェルマン(PSG)のレオナルドSD(スポーツディレクター)が、現役時代に明治安田生命J1リーグの鹿島アントラーズでプレーしたことを振り返った。9日、イギリスメディア『スカイスポーツ』が伝えている。

 レオナルド氏は1987年にカンピオナート・ブラジレイロ・セリエA(ブラジル1部)のCRフラメンゴでデビューすると、サンパウロやバレンシアに在籍。そして1994年にジーコ氏からの勧誘に応じる形で鹿島アントラーズへ移籍すると、1995シーズンにJリーグで28試合に出場して17ゴールをあげるなど、本来のパフォーマンスを披露。その後、1996シーズンの途中にPSGへ完全移籍すると、ヨーロッパでも活躍している。

 そして現役引退後は、ミランやインテルを指揮すると、2011年からPSGのスポーツディレクターに就任。これまでスウェーデン代表FWズラタン・イブラヒモビッチ(40)やフランス代表FWキリアン・ムバッペ(22)の獲得を手がけたほか、今夏のマーケットではバルセロナ一筋のキャリアを歩んでいたアルゼンチン代表FWリオネル・メッシ(34)の獲得に尽力している。

 そんなレオナルド氏は鹿島アントラーズ移籍を決断した背景について質問を受けると「僕が子供の頃、ジーコが車の下に潜り込んでボールを返してくれたのさ。ジーコはブラジルで特別な存在になったわけだし、そんな彼からJリーグ移籍を勧められた時には、すぐにイエスと返事したよ。(鹿島アントラーズへの移籍に対して)後悔したことはないね」とコメント。日本での経験が自身のフットボールキャリアで確実にプラスに働いていたという考えを明かした。

 なお、ジーコ氏は2006年のFIFAワールドカップ・ドイツ大会で日本代表を指揮した経験を持っているほか、現在は古巣の鹿島アントラーズでテクニカルディレクターを務めるなど、日本サッカー界の発展に寄与している。

 PSGの一員として欧州の移籍市場を席巻するレオナルド氏だが、国民的英雄であるジーコ氏のおかげでヨーロッパで名を馳せたといっても過言ではないだろう。




◆PSG幹部レオナルド、鹿島移籍に「後悔はない」と断言!ジーコと幼少期に交流も(FOOTBALL TRIBE)


2020年4月22日水曜日

◆鹿島アントラーズ、歴代最強外国籍選手5人。神様ジーコに続く、常勝軍団を作り上げたブラジル人たち(フットボールチャンネル)






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1993年に開幕したJリーグは、今年で28年目を迎えた。その間、世界的なスター選手や素晴らしい素質を持った外国籍選手たちが活躍している。今回、フットボールチャンネルでは、鹿島アントラーズで活躍した外国籍選手を5人紹介する。




優勝請負人





ビスマルク(ブラジル代表)
生年月日:1969年9月17日
在籍期間:1997年~2001年
J1通算成績:137試合出場/33得点


 ヴェルディ川崎では1993年のリーグ初年度から連覇に導き、2年連続のベストイレブンに選出。3年半で5つのタイトルをクラブにもたらしたビスマルクは、97年に鹿島にやってきた。

 ジーコがつけていた10番を受け継いだビスマルクは、1年目から自身3度目のベストイレブンに輝き、チームは2冠を獲得した。98年のジュビロ磐田とのチャンピオンシップ第2戦では先制ゴールをアシストすると、直接FKを決めてリードを2点に広げた。これを守った鹿島は2年ぶり2度目の年間王者に輝いている。

 敬虔なクリスチャンであるビスマルクが行うゴールセレブレーションは、当時の子どもたちの間で大流行。右足から繰り出される正確無比なキックで幾度となくチームを勝利に導いた。2000年にはJリーグ初の国内3冠を達成。5年間で7つのタイトル獲得に貢献したビスマルクは優勝請負人と呼ばれた。

●1998年の基本先発メンバー

▽GK
28高桑大二朗

▽DF
22名良橋晃
3秋田豊
5内藤就行
7相馬直樹

▽MF
8マジーニョ
4奥野僚右
6本田泰人
10ビスマルク

▽FW
13柳沢敦
11長谷川祥之




友達なら当たり前





アルシンド(ブラジル代表)
生年月日:1967年10月21日
在籍期間:1993年~94年
Jリーグ通算成績:71試合出場/50得点


 フラメンゴでチームメイトだったジーコに乞われる形で、Jリーグ開幕を控える1993年に鹿島にやってきた。

 スピードとパワーを兼ね備えたストライカーはゴールを量産し、サントリー(第1)シリーズ優勝の原動力となった。頭のトップが薄く、襟足を肩まで伸ばした独特のヘアースタイルも注目を集め、当時のテレビコマーシャルに出演してお茶の間の人気者となった。

 93年は22得点、94年は28得点を挙げたが、2年で鹿島を退団。その後はヴェルディ川崎でもプレーしている。2012年には息子のイゴールが鹿島に加入し、親子2代での鹿島所属が実現したが、2試合の出場に終わった息子は1年で退団した。

●1993年の基本先発メンバー

▽GK
古川昌明

▽DF
秋田豊
杉山誠
大野俊三
賀谷英司

▽MF
本田泰人
サントス
ジーコ
黒崎比差支

▽FW
アルシンド
長谷川祥之




最強ストライカー





マルキーニョス(ブラジル出身)
生年月日:1976年3月23日
在籍期間:2007年~2010年
J1通算成績:119試合出場/59得点


 東京ヴェルディ、清水エスパルスなどを渡り歩いたマルキーニョスは、2007年に鹿島に加入した。オズワルド・オリベイラが監督に就任したチームは開幕から出遅れたが、9連勝フィニッシュで奇跡の逆転優勝を達成。2トップの一角を務めたマルキーニョスは、自己最多の14得点をマークした。

 08年、チームは開幕から白星を重ねてリーグ連覇を達成した。マルキーニョスは21ゴールを挙げ、得点王、ベストイレブン、最優秀選手賞の個人3冠に輝いている。前人未到の3連覇を成し遂げた09年は13得点を挙げ、11得点を挙げた10年限りで鹿島を退団。その後は横浜F・マリノス、ヴィッセル神戸でもプレーしている。

 外国籍選手としては歴代最多、全体でも5位となるJリーグ通算152得点、9度の2ケタ得点をマークしたマルキーニョス。鹿島では田代有三や興梠慎三、高校を卒業したばかりの大迫勇也ともコンビを組み、自ら得点を狙うだけでなく周りを活かす献身的なプレーが印象的だった。

●2008年の基本先発メンバー

▽GK
21曽ヶ端準

▽DF
2内田篤人
3岩政大樹
4大岩剛
7新井場徹

▽MF
15青木剛
40小笠原満
8野沢拓也
10本山雅志

▽FW
18マルキーニョス
13興梠慎三



貴公子





レオナルド(ブラジル代表)
生年月日:1969年9月5日
在籍期間: 1994年夏~1996年夏
J1通算成績:49試合出場/30得点


 レオナルドはサンパウロでクラブ世界一、ブラジル代表でも1994年のアメリカワールドカップで頂点に立っている。ジーコとフラメンゴでチームメイトだった縁もあり、1994年夏に鹿島に加入した。

 リフティングゴールはJリーグ史に語り継がれるゴールになるだろう。最初のタッチからシュートまで一度も地面に落とさずに相手DFをかわし、5回目のタッチで鮮やかにボレーシュートをゴールに突き刺した。

 96年夏、パリ・サンジェルマンからオファーを受けて移籍を決断。鹿島の在籍は2年間だったが、華麗なプレーに加えて端正なルックスは、サポーターの記憶に深く刻まれている。

●1995年の基本先発メンバー

▽GK
佐藤洋平

▽DF
奥野僚右
秋田豊
内藤就行
相馬直樹

▽MF
本田泰人
ジョルジーニョ
サントス
レオナルド

▽FW
長谷川祥之
黒崎比差支




世界一の右SB





ジョルジーニョ(ブラジル代表)
生年月日:1964年8月17日
在籍期間:1995年夏~1998年
J1通算成績:103試合出場/17得点


 フラメンゴからドイツに渡り、レバークーゼンとバイエルン・ミュンヘンでプレー。ワールドカップにはイタリア大会から2大会連続で出場し、94年のアメリカ大会ではブラジル代表の優勝に貢献している。

 鹿島に加入したのは95年、現役バリバリのブラジル代表がJリーグにやってきた。ブラジル代表では右サイドバックでプレーすることが多かったが、鹿島ではボランチが定位置だった。キックの精度が高く、クロスやロングフィードからチャンスを生み出した。

 所属した4年間で4つのタイトル獲得に貢献。初のリーグ優勝を成し遂げた96年には、年間最優秀選手賞とベストイレブンに選ばれた。12年には監督として鹿島に戻ってきたが、リーグ戦は11位に終わり、1年で退任している。

●1996年の基本先発メンバー

▽GK
古川昌明

▽DF
奥野僚右
秋田豊
内藤就行
相馬直樹

▽MF
本田泰人
ジョルジーニョ
サントス
増田忠俊

▽FW
長谷川祥之
マジーニョ

【了】




◆鹿島アントラーズ、歴代最強外国籍選手5人。神様ジーコに続く、常勝軍団を作り上げたブラジル人たち(フットボールチャンネル)


2019年6月16日日曜日

◆レオナルド氏がPSGに復帰! 6年ぶりにスポーツディレクター職に就任(サッカーキング)



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 パリ・サンジェルマンは14日、レオナルド氏がスポーツ・ディレクターに就任したことを発表した。

 レオナルド氏は、2011年から2013年までパリ・サンジェルマンのスポーツ・ディレクターを務めており、就就任後は、元スウェーデン代表FWズラタン・イブラヒモヴィッチやブラジル代表DFチアゴ・シウヴァといった選手の獲得に尽力した。

 その後、昨年7月にミランのスポーツディレクターに就任すると、イタリア代表DFレオナルド・ボヌッチやブラジル代表MFルーカス・パケタ、ポーランド代表FWクリシュトフ・ピョンテクの獲得に携わったが、ミランがチャンピオンズリーグ出場圏外の5位でシーズンフィニッシュを迎えたことで、その責任を取り辞任していた。

 6年ぶりの復帰となったレオナルド氏は就任に際し次のようにコメントしている。

「再びここで仕事ができることに情熱を感じている。パリ・サンジェルマンは私のキャリアにおいて重要なポジションにある。ここに戻り、また新たなクラブの一員として気持ちを込めたい」


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◆レオナルド氏がPSGに復帰! 6年ぶりにスポーツディレクター職に就任(サッカーキング)





2018年10月14日日曜日

◆レオナルド氏が振り返る日本「心で決めた移籍。日本語はアラビア語や中国語より簡単」(GOAL)



レオナルド Leonard


現役時代、鹿島アントラーズでプレー経験のあるミラン幹部のレオナルド氏は自身のキャリアを振り返った。

ミランで幹部を務める元ブラジル代表のレオナルド氏が11日、ニルス・リードホルム賞を受賞した席において、日本移籍や日本語について言及した。ミラン情報サイト『PianetaMilan』などが伝えている。

レオナルド氏は、新体制へと移行した古巣ミランの幹部を7月から務めているが、過去には鹿島アントラーズで活躍した経歴も持つ。レオナルド氏は1993年、サンパウロのメンバーとして、インターコンチネンタルカップのために来日。当時、鹿島でプレーしていたジーコ氏からクラブ加入を直接打診され、日本移籍を決断したとして知られる。レオナルド氏は改めてJリーグ加入の理由を説明した。

「私にとって、人生において計画を立てることは常に難しかった。日本移籍も(2011年の)インテル入閣も計画していたものではなく、心を動かされて決めたものだよ。日本行きを決めたのは、私が敬愛していたジーコがいたからだよ」

またレオナルド氏は、日本語についても言及。鹿島時代は事前に単語を記憶しておくことで日本のファンと意思疎通を図るなどしていたが、習得は簡単ではなかったと振り返った。

「話すのは簡単ではないよ。だが、アラビア語や中国語より発音が比較的簡単だ。住んでいたからコミュニケーションをとることはできるけど、日本語を読むことはできないよ」




◆レオナルド氏が振り返る日本「心で決めた移籍。日本語はアラビア語や中国語より簡単」(GOAL)

2018年7月10日火曜日

◆日本代表新監督にレオナルドも急浮上(東スポweb)



レオナルド leonard


 日本代表監督の後任候補にJ1鹿島などで活躍した元ブラジル代表MFレオナルド氏が浮上した。“ドイツ路線”が有力視される中、技術委員会には同氏を推す動きもある。関係者の話を総合すると「日本サッカーに精通し、選手として日本で抜群の人気を誇ったように華もある。ブラジル人だが引退後は欧州でのキャリアがメインで、世界のトレンドも把握している」という。

 鹿島での活躍はもちろん、指導者としてもイタリア1部の名門ACミランやインテルなどの監督を歴任。インテル監督時代にはDF長友を獲得して指導するなど日本人選手を高く評価する。またフランス1部パリ・サンジェルマンのスポーツディレクターを務め、欧州ネットワークも豊富でサッカー界における最新の戦術にも精通する。

 昨年9月にトルコ1部アンタルヤスポルの監督に就任したが、同年末に退任。その後、レオナルド氏は現場復帰に意欲を見せ、これまで務めた経験を生かせる代表チームの指揮も選択肢に入っている模様。ゆかりのある日本からの代表監督のオファーを前向きに検討する可能性もあるという。




日本代表新監督にレオナルドも急浮上


2018年5月20日日曜日

◆Jリーグ「歴代ワールドクラス10人」をスペイン紙選出 “神様”ジーコら名手が勢揃い(Football Zone)





「マルカ」紙がイニエスタの移籍報道に合わせてクイズ形式で紹介

 今季限りでバルセロナを退団するスペイン代表MFアンドレス・イニエスタの去就について、Jリーグのヴィッセル神戸入りが有力な選択肢になっているとスペインメディアでも報じられている。そうしたなかでスペイン紙「マルカ」は、「Jリーグでプレーした名手10人」としてクイズ形式でかつての名プレーヤーたちを紹介している。

「マルカ」紙は電子版で、その選手の名前を出さずに簡単な説明をし、その部分をクリックすると正解の選手の写真になるという遊び心のある記事を公開している。

 例えば、1人目はこんな感じだ。

「ブラジルサッカー界のスター。鹿島アントラーズで1991年から94年までプレーした。その後、日本代表の監督も務めた」

 これは日本で「サッカーの神様」と称され、Jリーグ創成期を支えた元ブラジル代表の10番ジーコだ。こうした形で、Jリーグに所属経験のある世界的な名手たちが紹介されている。このような説明文だけを並べた時、どれくらいの選手の名前が頭に思い浮かぶだろうか。

W杯優勝メンバーや「イングランドのベストFW」も来日

「ブラジル代表の右サイドバックで1994年ワールドカップ(W杯)を優勝。バイエルン・ミュンヘンでプレーしたこともあり、鹿島アントラーズで4シーズンプレーした」

「長い間、ブラジル代表でキャプテンを務め、代表監督も務めた。1994年のW杯で優勝」

「ポルトガルのストライカーで、ポルトでは伝説的な存在。アトレチコ・マドリードでもプレー。日本では横浜フリューゲルスでプレーした」

「イングランドのベストFWの一人。キャリアの最後を名古屋グランパスでプレーした」

「ブラジル代表の左サイドバックで、日本の前はバレンシアでプレー。鹿島アントラーズでプレーした後、パリ・サンジェルマンやACミランでプレーした」

 この5人だと、順にジョルジーニョ、ドゥンガとスムーズに答えは分かりそうだ。そして、4人目のギャリー・リネカーと最後のレオナルドもまたピンとくるファンが多いのではないだろうか。少し知名度が低そうなのが、3人目のパウロ・フットレだろうか。フリューゲルスに来たのは1998年で、リーグ戦13試合3ゴールの成績でそのシーズン限りで現役を引退している。

Jリーグで異彩を放ったストライカーの名前も…

「他の同胞たちの後を追うように鹿島アントラーズでプレーし、現役生活はサウジアラビアで終えた。デポルティボ・ラ・コルーニャの神話」

「ブルガリアのストライカーで、バロンドール受賞者。バルセロナのレジェンドで、柏レイソルでプレーした」

「ブラジル人ストライカーで『アニマル』のニックネームで知られた。東京ヴェルディでプレーし、浦和レッズと契約したがほとんどプレーしなかった」

「世界のサッカー界で、最もフィジカル的なストライカーの一人。川崎フロンターレ、コンサドーレ札幌、東京ヴェルディでプレーし、欧州ではポルトとゼニトでプレーした」

 この4人の中で、1人目はヒントが少なかったのかもしれない。正解はドゥンガやレオナルド、ジョルジーニョとともに1994年W杯優勝時の元ブラジル代表FWベベットだ。そして、続くのはフリスト・ストイチコフ。左足から放たれる強烈なシュートはJリーグでも異彩を放った。そして、3人目は卓越したテクニックと狂気の両者を見せたエジムンドで、最後の一人は現在中国の上海上港でプレーしているフッキだ。

フォルラン、ポドルスキに続きイニエスタ参戦となるか

 こうして見ていくと、やはりJリーグにやってきた世界的な名手はブラジル人が多く、さらに言えば1994年アメリカ・ワールドカップ優勝メンバーが多い。その次の世代では、このリストに含まれなかった選手でも、横浜フリューゲルスや柏レイソル、サンフレッチェ広島でプレーしたMFサンパイオなど、世界トップクラスの選手もいた。しかし近年は、そうした実績を誇る選手がJリーグに減っている。

 ここ5年ほどで言えば、セレッソ大阪でプレーした元ウルグアイ代表FWフォルランと、現ヴィッセル神戸の元ドイツ代表FWルーカス・ポドルスキがビッグネームと言える。イニエスタが神戸にやってくれば、その世界トップクラスのプレーを見られることはもちろんのこと、Jリーグ初期にサポーターをワクワクさせたような存在として、再びスタジアムに多くの人が集まる起爆剤になってくれるのではないかと、期待は高まるばかりだ。





2018年3月22日木曜日

◆レオナルド、鹿島時代のトリックを明かす「皆、私が日本語を話せると思っていたが…」(GOAL)





鹿島アントラーズでのプレー経験を持つレオナルド氏は、日本での体験を振り返った。

ブラジル代表として活躍したほか、ミランなど強豪クラブでプレーした経験を持つレオナルド氏が19日、イタリアメディア『スカイスポーツ』のテレビ番組に出演し、現役時代にプレーした日本について語った。

レオナルド氏は1993年、サンパウロのメンバーとして、インターコンチネンタルカップのために来日。当時、鹿島アントラーズでプレーしていたジーコ氏からクラブ加入を直接打診された。その2カ月後、若きレオナルド氏は敬愛するジーコの誘いを受け、日本移籍を決断した。

「日本では2年間プレーした。私にとって東洋はいつも魅力的だった。私より大きい人もいたよ。クラブ運営についても知ることができて、素晴らしい経験だった」

また海外移籍において障害となる言葉の問題についても言及。レオナルド氏は事前に単語を記憶しておくことで、日本のファンとのコミュニケーションを図った。

「言葉の問題? 私はフレーズをいくつか記憶しておいて、試合終了後に使っていた。だから皆、私が日本語を話せると思っていたよ」

さらにレオナルド氏は、母国ブラジルについても見解を示した。

「ブラジルはワールドカップ出場を逃したことがない。いつも出場している。いまはネイマール・フィーバーが起きている。ブラジルの攻撃陣は非常に若く、守備陣はベテラン勢だ」

そして「ネイマールはきっと間に合うと私は思うよ」と、2月のマルセイユ戦で右足を負傷したパリ・サンジェルマン所属のブラジル代表FWネイマールの復帰を願った。


レオナルド、鹿島時代のトリックを明かす「皆、私が日本語を話せると思っていたが…」



2017年12月9日土曜日

◆レオナルド、監督復帰わずか2カ月で会長とともに辞任…原因はアンタルヤスポル内紛か(GOAL)




レオナルドがアンタルヤスポル監督を辞任した。

アンタルヤスポルは7日、公式ツイッターを更新し、レオナルド監督と双方の合意の下で契約を解除したことを発表した。

J1鹿島アントラーズやミランなどでプレーしたことで知られるレオナルドは9月28日、トルコリーグのアンタルヤスポル指揮官に就任。2010-11シーズンにインテルを指揮して以来、約6年ぶりとなる監督復帰を果たした。しかしトルコでの冒険は長くは続かず、わずか2カ月ほどで幕を閉じることになった。

『Goal』の取材によれば、最近、アンタルヤスポルでは深刻な内部紛争が勃発。これにより会長が辞意を表明していた。レオナルドも今後のクラブの方向性に不安を感じ、会長に続く形でチームを去る意思を固めていた。

アンタルヤスポルでは現在、元カメルーン代表のFWサミュエル・エトーや元フランス代表MFサミル・ナスリ、ミランでMF本田圭佑の同僚だったFWジェレミー・メネズらスター選手がプレーしている。しかしレオナルドが着任して以降も成績は上向かず、これまでの10試合で4勝5敗1分と低迷。順位表でも勝ち点13ポイントで14位に沈み、降格圏のクラブとはわずか2ポイント差に迫っている。指揮官レオナルドが去った後も、チームは残留に向けて厳しい戦いを強いられることになる。


レオナルド、監督復帰わずか2カ月で会長とともに辞任…原因はアンタルヤスポル内紛か

2017年9月30日土曜日

◆元鹿島レオナルド氏、監督業復帰…エトーら所属のトルコ1部クラブと契約(サッカーキング)


レオナルド

 トルコ1部リーグのアンタルヤスポルは28日、元ブラジル代表MFのレオナルド氏が指揮官に就任すると発表した。契約期間は2年間。

 レオナルド氏は1969年生まれの48歳。現役時代はフラメンゴやサンパウロ、バレンシアを渡り歩き、1994年から1996年にかけて鹿島アントラーズでプレーした。同クラブ退団後はパリ・サンジェルマン、ミラン、サンパウロ、フラメンゴと各国のビッグクラブに所属し、2003年にミランで現役を引退した。

 現役引退後、レオナルド氏は指導者に転身。2009年からはミラン、2011年にはインテルを率いた。2011年から2013年9月まではパリ・サンジェルマンでスポーツディレクターを務めていた。

 今回、トルコで監督業に復帰することが決まったレオナルド氏。新天地のアンタルヤスポルは、元カメルーン代表FWサミュエル・エトーや元フランス代表MFサミル・ナスリらが所属している。




元鹿島レオナルド氏、監督業復帰…エトーら所属のトルコ1部クラブと契約

2017年9月28日木曜日

◆J1クラブの逃した魚は大きい 鹿島で活躍のレオ様、日本で監督熱望もあっさり手を引き…(zakzak)


2015年に鹿島戦を観戦に訪れたレオナルド氏

 サッカーJ1鹿島で活躍した元ブラジル代表MFレオナルド氏(48)が、トルコ1部リーグ・アンタルヤスポルの監督に就任濃厚と地元紙が報じている。現役時代は1994年から3年間鹿島でプレーし、端正なルックスと華麗なプレーで“貴公子”“レオ様”と呼ばれた。

 「実は本人には日本で監督を務めたいという希望があり、金銭面は二の次で、交渉の余地は十分にあった」(Jリーグ関係者)という。しかし、ほとんどのJ1クラブはろくに交渉しないうちに「年俸が高い」と手を引いてしまった。トルコでレオナルド氏に提示された年俸は約2億5000万円。J1では破格だ。

 例えばFC東京。2011年、インテル(イタリア1部)が日本人選手を獲得することになり、本田(パチューカ)か長友かで迷ったとき、「長友にすべきだ」とチーム側に進言したのが当時インテル監督だったレオナルド氏。FC東京にはいつか長友を復帰させたいという意向もある。

 また、レオナルド氏は今でも「鹿島アントラーズへの気持ちは変わらない」と話している。だが、鹿島は今季中に石井前監督を解任し、コーチから昇格した大岩監督の下、リーグ首位を独走中。もう監督を交代させる必要はない。かくしてレオ様の雄姿をJ1で見ることはできなくなってしまった。(夕刊フジ編集委員・久保武司)

J1クラブの逃した魚は大きい 鹿島で活躍のレオ様、日本で監督熱望もあっさり手を引き…

2017年9月25日月曜日

◆元鹿島のレオナルド氏、トルコで監督業復帰か。エトーなど豪華メンバー指揮へ(フットボールチャンネル)


レオナルド

 現役時代に日本の鹿島アントラーズでもプレーした元ブラジル代表のレオナルド氏は、トルコ1部のアンタルヤスポルの監督就任に近づいているようだ。トルコメディア『Milliyet』などが22日に伝えた。

 レオナルド氏は1994年から96年まで鹿島でプレーし、ブラジル代表として2度のワールドカップにも出場。パリ・サンジェルマン(PSG)やミランなどでのプレーを経て2003年に現役を引退した。

 現在48歳の同氏はアンタルヤスポルの監督就任が濃厚となっており、まもなく発表が行われる見通しだという。アンタルヤスポルは近年の積極補強で注目を集めているクラブだが、今季リーグ序盤戦では成績が振るわず、ルザ・チャルンバイ前監督が先日解任された。

 2015年から在籍する元カメルーン代表FWのサミュエル・エトーがキャプテンを務めるほか、フランスのMFサミル・ナスリやFWジェレミー・メネズ、元サガン鳥栖のFWムスタファ・エル・カビルなどがアンタルヤスポルには在籍。今年夏には本田圭佑の移籍先候補に挙げられたこともあった。

 レオナルド氏の監督経験は2009/10シーズンにミラン、10/11シーズンにインテルを率いたのみ。その後はPSGでフットボールディレクターも務めていた。監督業に復帰すれば約6年ぶりとなる。

【了】

元鹿島のレオナルド氏、トルコで監督業復帰か。エトーなど豪華メンバー指揮へ

2017年5月17日水曜日

◆鹿島で日本生活体験のレオナルド、外国資本のクラブの発展には「異文化交流が重要」(goal.com)


レオナルド氏(C)Getty Images

現役時代にミランや鹿島アントラーズでプレー経験のあるレオナルド氏が異文化交流の重要性を強調している。

元ブラジル代表で、ミランや鹿島アントラーズでプレーした経験を持つレオナルド氏が15日、イタリアのサッカー専門ラジオ放送『TMW Radio』のインタビューに応じ、異文化交流の大切さを説いた。

レオナルド氏はサンパウロに所属していた1993年に元日本代表監督のジーコから誘いを受け、翌年に鹿島へ入団することを決断した。当時日本でプレーしていた選手は、カレカ、ギャリー・リネカー、ピエール・リトバルスキーなどすでにピークを過ぎた選手が多く、まだ25歳だったレオナルド氏は珍しい存在だった。レオナルド氏は鹿島への移籍がきっかけで、「知らない国や異文化に対して、学ぼうという姿勢が生まれた」と振り返っている。

レオナルド氏はその経験をベースに、近年、サッカー界において勢いを増す中国資本の参入について触れ、異文化交流の重要さを述べている。

「ミランやインテルなど中国資本による外国の強豪クラブの買収が続いている。僕は日本で暮らしたことがあるし、パリ・サンジェルマンのように外国資本のクラブで働いたことがある。だから異文化交流や情報交換はプロジェクトを成長させる上で非常に重要となる」

監督やスポーツディレクターとしての経験もあるレオナルド氏だが、自身の将来については言葉を濁している。

「自分が求める注文が少々多くなってきている。サッカー選手としての自分のキャリアに満足しているし、引退後の仕事は個人的なコネクションを通じてオファーを受けたものだ。現在はオファー待ちの状態だが、急いでいない。コンサルタントみたいな仕事をしているけど、建築家みたいな感じで結構気に入っているよ」

http://www.goal.com/jp/news/56/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3/2017/05/16/35559872/%E9%B9%BF%E5%B3%B6%E3%81%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%94%9F%E6%B4%BB%E4%BD%93%E9%A8%93%E3%81%AE%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89%E5%A4%96%E5%9B%BD%E8%B3%87%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%96%E3%81%AE%E7%99%BA%E5%B1%95%E3%81%AB%E3%81%AF%E7%95%B0%E6%96%87%E5%8C%96%E4%BA%A4%E6%B5%81%E3%81%8C%E9%87%8D%E8%A6%81

2017年3月4日土曜日

◆リネカーは3億円/主な大物外国人選手年俸一覧(ニッカン)




 ヴィッセル神戸は2日、元ドイツ代表FWルーカス・ポドルスキ(31=トルコ1部ガラタサライ)を完全移籍で獲得したと発表した。


 契約期間は19年シーズン終了までの見込みで、推定で移籍金260万ユーロ(約3億1200万円)、年俸500万ユーロ(約6億円)プラス出来高。年俸はセレッソ大阪に在籍したウルグアイ代表FWフォルランに並ぶJリーグ最高額になった。過去の主な大物外国人選手の1年目の年俸は以下の通り。

◆Jリーグに在籍した主な大物外国人選手の1年目年俸◆
【注】成績はJ1通算

ジーコ(ブラジル→鹿島=92〜94年)4100万円(23試合14得点) 
リネカー(イングランド→名古屋=93〜94年)3億円(18試合4得点) 
リトバルスキー(ドイツ→市原=93〜94年)1・5億円(63試合10得点) 
ディアス(アルゼンチン→横浜M=93〜95年)1・2億円(75試合52得点) 
カレカ(ブラジル→柏=93〜96年)1億円(35試合12得点) 
ロナウド(ブラジル→清水=94〜95年)6000万円(46試合3得点)  
レオナルド(ブラジル→鹿島=94〜96年)8000万円(49試合30得点) 
ブッフバルト(ドイツ→浦和=94〜97年)7000万円(127試合11得点) 
バイン(ドイツ→浦和=94〜96年)5000万円(68試合25得点) 
スキラッチ(イタリア→磐田=94〜97年)6000万円(78試合56得点) 
ストイコビッチ(ユーゴスラビア→名古屋=94〜01年)5000万円(184試合57得点) 
マッサーロ(イタリア→清水=95〜96年)1億円(20試合10得点) 
ドゥンガ(ブラジル→磐田=95〜98年)1億円(99試合16得点) 
ジョルジーニョ(ブラジル→鹿島=95〜98年)9000万円(103試合17得点) 
サンパイオ(ブラジル→横浜F=95〜98年、柏=02年、広島=03〜04年)8000万円(156試合16得点) 
ジーニョ(ブラジル→横浜F=95〜97年)1億円(83試合21得点) 
ラウドルップ(デンマーク→神戸=96〜97年)7000万円(3試合0得点) 
エジウソン(ブラジル→柏=96〜97、02年)6000万円(70試合51得点)  
エムボマ(カメルーン→G大阪=97〜98年、東京V=03〜04年、神戸04〜05年)7000万円(79試合48得点) 
ストイチコフ(ブルガリア→柏=98〜99年)1・5億円(27試合12得点) 
ベベット(ブラジル→鹿島=0年)1・5億円(8試合1得点) 
ルイゾン(ブラジル→名古屋=5年)1・2億円(6試合4得点) 
イルハン(トルコ→神戸=4年)2・1億円(3試合0得点) 
ユングベリ(スウェーデン→清水=11年)6000万円(8試合0得点) 
フォルラン(ウルグアイ→C大阪=14〜15年)6億円(26試合7得点) 
ポドルスキ(ドイツ→神戸=17年〜)6億円(?試合?得点) 

http://www.nikkansports.com/soccer/news/1786707.html

◆レオナルドが明かす鹿島アントラーズ移籍の舞台裏「ジーコのオファーを断れなかった」(ゲキサカ)




 元ブラジル代表で、ミランでプレーした経験を持つレオナルド氏が、イタリア紙『メッサッジェーロ・ベネト』のインタビューで、鹿島アントラーズ加入を決めた当時の舞台裏について明かした。

 レオナルドが日本行きを決めたのは、元日本代表監督のジーコの存在だった。「最初は彼のファンだった。それから同僚になり、友人になった。僕は恵まれている」と、先輩のジーコを敬愛する。

 レオナルドは1993年、サンパウロのメンバーとして、インターコンチネンタルカップのために来日中、ジーコから鹿島入りを直接打診された。

「サンパウロに所属していた1993年、インターコンチネンタルカップでミランに勝って優勝した。その時、ホテルでジーコに会ってこの話を聞いた。当時、日本へ移籍していたのは、カレカ、(ギャリー)リネカー、(ピエール)リトバルスキーなど、キャリアを終えた選手たちばかりで、僕はまだ若かった」

 当時、日本にいた外国人選手は一線を退いた選手ばかりで、まだ若かったレオナルドは突然のオファーに驚いた。それでも尊敬するジーコから再アタックを受けると、断ることはできなかった。

「その2か月後に再び連絡をもらったときは、断ることができなかった。オファーの金銭的な面も魅力的だったことは認めるよ。あれから時が経ち、正しい選択だったと思う。それがきっかけで、知らない国や異文化に対して、学ぼうという姿勢が生まれたんだ」

http://web.gekisaka.jp/news/detail/?210633-210633-fl

2017年1月13日金曜日

◆長友佑都が成功した秘訣とは?サッカー海外組に求められる、語学力より大事なこと(AZRena)




サッカー日本代表の元監督であり、世界的な名プレーヤーであったジーコ氏の通訳を長年に渡って務めてきたのが、鈴木國弘さんです。前回の記事では鈴木さんがブラジルへ渡った経緯やジーコ氏からの教えについて話していただきました。

今回も引き続き、ポルトガル語の通訳をしている中でぶつかったトラブルやブラジルでの出来事について語ってもらいます。そして、サッカー日本代表・長友佑都選手の移籍にまつわる裏話、そして彼が海外で成功した理由についても言及されています。

同じ言語でも地域で全く音が違う

かつて鹿島に所属したレオナルドから言われたのは、『お前はジーコと同じしゃべり方をしているな』と。1日何時間も一緒にいると、自然にジーコの言葉をコピーする形になっていくんですよね。彼によってプロのサッカーの言葉を習得していったみたいな。そうすると、ボキャブラリーが増えていくという流れができていきました。

ポルトガル語でも地区によって発音が少し違うところがあるんですよね。僕が聞いていたのはリオの言葉で、ジーコはきれいな発音をする。ですから、ものすごく聞き取りやすい。ですがサンパウロの田舎から出てきた選手だと『英語をしゃべっているんじゃないか!?』というような感覚でしか聞こえない。ポルトガル本国の言葉もぜんぜん違う。

昔、フラメンゴとポルトとアントラーズで試合をした時があって、全部ポルトガル語が通じるので「全部俺が(通訳を)やりますよ」と言ったんです。キリンカップの出だしの頃ですね。ポルトとフラメンゴの会長と監督がいて、ジーコが鹿島の代表として出ていました。最初、ポルトの会長から話が始まったのですが、本当に言葉が入ってこない。聞きにくい音でそれまで聞いたことなかったから、これはまずいと思った。

そこで、ジーコのところにいって「本国のポルトガル語を俺にブラジルでの発音に訳してくれ」と言いました。本人は『ええっ』と驚いた顔をして、記者は大笑いしているわけです。『こいつ、何やってんだ』みたいな。日本の青森弁と、沖縄の言葉くらい違う感じです。とにかく言葉が入ってこなかったですね。

ブラジル人は頭の回転が早い

自分がブラジルに行った当時、ジーコはもう大スターでしたから。その人と十数年後に仕事するなんて考えられなかったですよ。ジーコと一緒にブラジルへ仕事にいくと、公園に連れて行かれて、『こいつは俺の大ファンでフラメンゴのシャツ着て俺のこと応援していたんだ』と周りの人に話すんです。どこが面白いか分からないんですけど、ブラジル人にはツボみたいで、彼らは大笑いするんです。

ブラジル人からすると通訳ってよくわからない存在みたいなんです。『なんかジーコの横に日本人がいて、ジーコと同じような格好しながら日本語で話しているやつがいる』ということでブラジルで一度、話題になったんですよ。向こうのバラエティ番組か何かで私の真似をする企画みたいなのをやっていて、ジーコの奥さんがそれを見て面白いと思って、録画して送ってくれたことがありました。ブラジルに行ったらインタビューもされちゃって。結構よくしてもらえましたね、向こうでは(笑)  

よくジーコがなんでこれだけ日本にいて日本語ができないのか、と茶化されるんですけど、彼は『俺が日本語喋ったらあいつ(鈴木氏のこと)の仕事がなくなっちゃうじゃん』とよく言っていました。実は、ヒアリングはほとんどできるんですよ。 昔の話をすると、ヒデ(中田英寿)とジーコはイタリア語で話すんです。ジーコもイタリア語ペラペラだから。

でもミーティングの場とか公のところになると、ヒデもジーコも絶対にイタリア語を使わない。すべて通訳を介して、会話します。日本人のスタッフとバーへ言って日本語で話すこともあったのですが、公の場では一切日本語は使わない。

ジーコは英語は上手くないですが、フランス語、ポルトガル語、スペイン語、イタリア語と、頭を切り替えてその場でインタビューできるくらいのレベルまで話せるんです。 ブラジルって雑多な国だから違う民族同士が隣だったりするので、コミュニケーション能力はすごく高いんですよ。陽気なだけに見えるのですが、頭の回転がすごく速い人が多いし、その場の雰囲気を作るのがうまかった。そういう面白い国民です。

長友佑都のインテル移籍の裏側で…

海外でプレーして成功できる選手は、溶け込むのが早い。言葉がわかるとなおそうです。でも、基本的には人間性です。特に長友(佑都)。彼がFC東京からインテル・ミラノへいく前に、夜中に新聞社から電話がかかってきて、『インテルが長友を獲るんですか?』と聞かれたことがあって。私は「そんなわけないじゃん」と伝えました。ただ、その10分後くらいにレオナルドから電話が来たんです。当時、彼はインテルの監督だった。

『ごめん、寝てた?』と。「寝ているに決まってるじゃん、こんな時間!」という会話から始まりました。深夜の1時、2時でしたから。 要件を聞いたら、実はインテルが長友を取ると言っているから、協力してくれと。

当時まだFC東京が長友の保有権を20〜30%持っていたんですよ。だから、FC東京の社長のサインがないといけない。インテルとチェゼーナ間だけでは成り立たないと。あと数時間しか(移籍市場の)期限がないから、FC東京の社長に電話してOKとってくれないかと言われたんですよ。夜中2時に。

「それなら長友本人に電話すれば、イタリア語ができるし良いじゃないか」と言ったのですが、長友はまだ全然喋れないと。それで自分が頼まれたのですが、長友とは代表で被っていないから面識がない。でもとにかくやってくれと言われたからまずは彼に何度も電話したんです。そしたらなんとか電話に出てくれた。「鈴木と申しますけど…」と経緯を伝えて、今の状況を聞いたら、『チェゼーナで練習をしていたら、いきなり役員がきて、練習中に車で連れて行かれました』と。

そこで「インテルがあなたを獲りたがっているからミラノに行くみたいだけど、行きたい?」と聞いたら『行きたいです!』と。なら、今からFC東京の社長に電話する必要があるという旨を伝えました。そしてその流れでマネージャーがいるかどうかを聞きました。するとどうやら岡崎(慎司)と同じマネージャーだったのですが、ちょうど同じ時間に岡崎の入団会見に行っていて不在でした。

『すぐに呼び戻しますから』と長友は言っていたのだけど、数時間しかないから間に合わないと思いました。でもマネージャーがすべてのサイン権を持っているから、間に合えば成立すると。そしてなんとか移籍市場が閉まる3分前くらいに間に合いました。
その後、新聞を見たら『長友、インテル!』みたいに紙面が盛り上がっているわけです。普通は代理人業務って20%くらい入るものだと思うのですが、私は『ありがとう、ミラノに来たらまた会おう』とレオナルドに言われて終わりでした(笑)

長友はイタリア語が話せないけど、明るさや人間性が大きかったのだと思います。要するに言葉は二の次で、人間性ですよ。これはよく言うんですけど、まず通訳をするには、通訳をする対象の人との人間関係が重要だと。ジーコが私をクビにしなかったのも、相性が良かったからだと思うんです。それがないと絶対にビジネスは成り立たない。言葉が出来る人はどうしても語学のスキルに頼りがちになってしまう。ペラペラになったらそれでOK、みたいな。でも、そうじゃないんです。よくサッカーチームでそういう光景を見てきましたから。

海外で成功するために必要なのは「必死の覚悟と明るさ」  

通訳は、言ってしまえば本当にわけのわからないときにだけ出ていけばいいんじゃないかと。私はそういう考えを持っていました。アントラーズは誰も通訳を頼らないんですよね。自分でコミュニケーションを取ろうとする。だから余計ブラジル人と日本人の関係が上手くいくんですよ。

例えば本田泰人とジョルジーニョは当時最高のダブルボランチだったと思います。でも彼らは全然言葉が通じません。本田はポルトガル語できないし、ジョルジも日本語ができない。でも、動きやカバーリングのタイミングとかはベストなんです。  

また、印象的だったのは代表へ行ったとき。(中村)俊輔とか高原(直泰)とかそうそうたるメンバーがいた中で、彼らはまじめだから監督の言うルールのもとにきっちりと練習したいんです。ただ、私なんかは流れで育ってきた通訳だから、いちいち『こういうときだったらどうなんですか』と聞いてくる彼らに対して最初は説明したのですが、途中から自分で考えろ、というようなことを言いました。そしたら小野伸二に『あなたは何のためにいるんですか!』と言われて。「普通はそのための通訳なんだ」と思いましたね。  

あくまでも選手が主役というのがジーコの考え方で、こっちは裏方。だから選手が困ってから初めて現れるべきで、あとは彼らがやりたいようにやればいいんだと。そういった自由な雰囲気の中で自分も育ってきたんです。普通のチームは通訳が監督の言葉を100%訳して、それを選手が聞いていますけど、当時の鹿島はみんな通訳のことなんか無視していましたよ。『だいたいわかるよ』みたいな。

でもそういうところがアントラーズの異常な強さというか、度胸の強さというか、そういうものに繋がっているんじゃないですかね。『監督のために勝つサッカーをやっているんじゃない』みたいな雰囲気はジーコが全て作りましたから。難しい形かもしれないですけどね。

プレーをしていて、『こいつは良い奴だな』と思うと情が湧くじゃないですか。日本人でもすごく良い人はそういうオーラを出している。どうしてもなんとかしてやりたいみたいな。そういう人はすごく上手くいきますよね。ですから、長友が逆にイタリア語がペラペラだったらあそこまでいってなかったかもしれない。

言葉がわからない中でもとにかくやっていかないといけないという必死の覚悟と、持ち前の明るさが功を奏したのだと思います。インテルの強者の中で日本人選手が人気者になるなんて考えられないですよね。レオナルドも『最初はどうかな、と思っていたけど、長友の明るさには脱帽だよ』、そんなことを言っていました。

https://azrena.com/post/6334/

2016年11月3日木曜日

◆インテル指揮官就任が噂されるレオナルド氏「ふさわしいと思わない」(サッカーキング)


http://www.soccer-king.jp/news/world/ita/20161103/511027.html?cx_cat=page1



 元ブラジル代表MFレオナルド氏が、フランク・デ・ブール監督を解任した日本代表DF長友佑都が所属するインテルについてコメントした。イタリアメディア『スカイ』が2日に伝えている。

 成績不振によりデ・ブール前監督が解任されたばかりのインテル。次期指揮官候補の1人として報じられているレオナルド氏が、自身に関する指揮官就任の噂に対してコメントを残している。

 2010年12月からシーズン終了までの約半年間インテルを指揮した経験を持つレオナルド氏は「僕の名前が出てきたことは嬉しい」と前置きした上で「現在の状況よりは、前に指揮を執った6カ月間が理由でそんな話が出ているんだろうね。だけど正直、自分はふさわしい人物だとは思わないんだ」と、就任に消極的な姿勢を表明した。

 レオナルド氏は、ラファエル・ベニテス監督から引き継ぐ形で2010年12月にインテルの指揮官に就任。直後の2011年1月には当時チェゼーナに所属していた長友を獲得したほか、同シーズンにチームをコッパ・イタリア優勝へ導いていた。

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