日刊鹿島アントラーズニュース

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2016年1月30日土曜日

◆水戸契約満了の小谷野は鳥取へ「チャンスを頂いたクラブに感謝」(ゲキサカ)


http://web.gekisaka.jp/news/detail/?181968-181968-fl

 ガイナーレ鳥取は29日、水戸ホーリーホックを契約満了となっていたMF小谷野顕治(27)を期限付きで獲得したと発表した。背番号は8となる。

 同選手は鹿島の下部組織出身で2007年にトップチームに昇格。12年に新潟に移籍し、14年から水戸でプレーしていた。

 クラブを通じ「このようなチャンスを頂いたクラブに感謝して、チームの力になれるように精一杯努力していきたい」と意気込みを語った。

◆【甲府】ジウトン、開幕戦バースデー弾狙う!2・27第2子出産予定日(報知)


http://www.hochi.co.jp/soccer/national/20160129-OHT1T50120.html



 2016年のJ1開幕まで1か月。ブラジルのCAメトロポリターノから今季、ヴァンフォーレ甲府に移籍したDFジウトン(26)は08年から10年まで、C大阪~新潟~鹿島で活躍した元Jリーガー。アウェーで神戸と戦う開幕戦の2月27日はブラジルにいる妻の第2子出産予定日。生まれてくる子供へ、開幕ゴールを届けることを誓った。(構成・尾田 敏成)

 ―甲府からオファーが来た時は?

 「本当にうれしかったです。もう一度日本で、という気持ちが強かったので迷わず決断しました。今までプレーしたクラブ(C大阪、新潟、鹿島)と同じように活躍できるように頑張りたいと思います」

 ―甲府の印象は?

 「08年(J2・C大阪在籍時)に対戦したことがあります。J1に昇格し、この3年間残留し続けている。あの頃から大きく飛躍を遂げたクラブだと思います」

 ―さらに成長していくためには?

 「選手、スタッフ、サポーターの皆が頭に入れておかなければならないことは、ビッグクラブのようなプライド、野心を持って戦う、ということです」

 ―練習に合流してみて?

 「佐久間監督は厳しい人。練習を何度も止めて説明して選手に浸透させる、戦術家です。今はそれらを学び、吸収してチームでステップアップしているところです」

 ―かつて日本で活躍した時からどう変わった?

 「昔は若さが武器でした。今はいろいろな経験を重ね、メンタルの部分で成長しました。動くより考えることの方が大事だと気づき、判断力がついたと思います」

 ―甲府でどう生かす?

 「まずコンディションを100%にして、監督の戦術に忠実なプレーをしたいです。作戦に慣れるのは早いほうなので。堅い守備と豊富な運動量を武器にした、激しい上下動のプレースタイルを出していきたい。アシスト、ゴールにも積極的に関わっていきたいです。FKも距離に関係なく得意なので、決めたいです」

 ―日本語は?

 「マアマア(笑い)。少しずつ思い出していきたいです。好きな日本語は『キモチイイ』かな(笑い)。発音がかっこいいから。日本食も大丈夫。カレーライス、すし、みそ汁が好きです」

 ―家族は?

 「タビタという名前の30歳の妻と、ブレンダという名前の5歳の女の子がいます。実は、開幕戦の2月27日は2人目の子供が産まれる予定日でもあるんです。イザキという名前を考えています。パパとして絶対得点を決めて、赤ん坊に(妊婦がお腹をさするしぐさをしながら)ゴールパフォーマンスを届けたいですね」

 ―目標は?

 「優勝。今までの経験を生かした最高のパフォーマンスを約束します」

 ◆ジウトン 1989年3月25日、ブラジル・マットグロッソ・ド・スル州生まれ。26歳。FKも得意なDF。2008年にポルトアレグレと契約。同年8月にC大阪、09年新潟、10年鹿島へそれぞれ期限付き移籍。その後ブラジルのクラブを渡り歩き、今季甲府に完全移籍で加入した。J1、2通算58試合出場4得点。趣味は音楽鑑賞。184センチ。74キロ。家族は妻と1女。

◆タイの皆さん、ごめんなさい(ニッカン)


http://www.nikkansports.com/soccer/column/writers/news/1598353.html

 リオデジャネイロ五輪アジア最終予選を取材していて、文化の違いを痛感し、タイの皆さんに申し訳ない気持ちになりました。

 16日付の紙面で、U-23(23歳以下)日本代表MFの豊川雄太選手(21=岡山)について次のような記事を掲載しました。


 ◇  ◇  ◇  ◇ 

 本家本元のジーコ・スピリットを示す。今日16日に戦うタイのキアティスク監督は、現役時代に同国代表で131試合70得点。出場数、ゴール数ともに同国歴代最多を誇り「タイのジーコ」の異名を取る。これを伝え聞くと、13年から3シーズン鹿島に所属した男として「ジーコに失礼でしょ」と即答。「本当の魂を見せますよ」と燃えた。タイは14年12月の遠征で対戦し、代表初ゴールを決めた相手。「とにかく点を取る」と意気込んだ。

 ◇  ◇  ◇  ◇ 


 五輪最終予選を兼ねるU-23アジア選手権の、1次リーグ第2戦タイ戦に向けた記事です。その中で「ジーコに失礼でしょ」と、豊川選手が発言したことに、キアティスク監督を国民的英雄とあがめるタイ国内で、批判の声が上がっていると聞きました。

 記者は「『タイのジーコ』の異名を取る」と書きましたが、タイにはニックネーム文化があり、異名ではなく「正統な名前」の1つだと、関係者に指摘されて初めて知りました。

 タイの文化に対する理解が足りなかった記者が「ジーコを名乗られては、本家も黙っているわけにはいきませんね?」と質問し、豊川選手が答えた。これが記事掲載の経緯です。

 ご存じの通り、鹿島にとってジーコ氏は特別な存在です。「献身、誠実、尊重」のジーコ・スピリットが根付くクラブに豊川選手は昨季まで所属。鹿島の担当記者の私としては「ジーコといえば鹿島」という思いがあり、豊川選手に質問しました。もちろん豊川選手に悪気はなく、記者の質問に対し、ジーコ氏やクラブに対する愛を強調しただけです。

 見識に欠ける質問をした私の記事のせいで、タイで批判の声が上がっているようだと豊川選手に伝えると「もし自分の発言で気を悪くされた方がいたら申し訳ありません」とコメントしていました。私も、記事を読んで気を悪くした方々に改めておわびします。

 特に国際大会では、しばしば対戦相手を敵と見て報道してしまう場合がありますが、敬意を払うことを忘れてはいけないと、あらためて思いました。ジーコ氏が言う「誠実」や「尊重」の姿勢を心掛けて取材を続けたいと思います。【木下淳】


 ◆木下淳(きのした・じゅん)1980年(昭55)9月7日、長野県飯田市生まれ。早大4年時にアメフットの甲子園ボウル出場。04年入社。文化社会部、東北総局、整理部を経てスポーツ部。鹿島、U-23代表担当。タイ訪問はバンコク2回、プーケット島2回。

◆腰に張りの豊川、決勝出場へ意欲「どうなってもいい」(サンスポ)


http://www.sanspo.com/soccer/news/20160128/jpn16012823370011-n1.html

韓国との決勝に向けた練習で、別メニューで調整する豊川=ドーハ(共同)

 サッカー男子のリオデジャネイロ五輪最終予選を兼ねたU-23(23歳以下)アジア選手権で、6大会連続10度目の本大会出場を決めた日本は28日、ドーハで韓国との決勝に向けて調整した。

 腰に張りを訴えている豊川(岡山)と、左太もも裏に違和感のある亀川(福岡)は全体練習には合流しなかったが、個別に取り組んだランニングの強度を上げるなど決勝を見据えた練習に熱がこもった。

 豊川は「試合に出れば関係ない。(腰は)どうなってもいい」と意欲を示し、亀川は「決勝のために準備している。ピッチに立てば言い訳はできない」と表情を引き締めた。

 日本協会によると、鈴木は宿舎でも体を動かさずに静養した。韓国戦の出場は厳しそうだ。(共同)

◆櫛引 誕生祝いの完封だ!「こんな形で迎えられるとは」(スポニチ)


http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2016/01/30/kiji/K20160130011947210.html

U―23アジア選手権決勝  日本―韓国 (1月30日  カタール・ドーハ)

29日に23回目の誕生日を迎えた櫛引

 GK櫛引は、29日に23回目の誕生日を迎えた。五輪切符を獲得していなければドーハで迎えられなかっただけに、「一番不安があった誕生日。こんな形で迎えられるとは思わなかった。いい形で迎えられる」と話した。 

 日韓戦も先発が有力。今大会、存在感を見せる守護神は「どんな形でも変わらない。自分たちと相手が(ピッチに)いるだけ」と冷静に決勝を見据えていた。 

◆U23櫛引「今までで一番不安な誕生日だった」(ニッカン)


http://www.nikkansports.com/soccer/japan/u23/news/1598348.html

 U-23(23歳以下)日本代表GK櫛引政敏(鹿島)が29日、23歳の誕生日を迎えた。

 リオデジャネイロ五輪アジア最終予選を兼ねるU-23アジア選手権の決勝となる韓国戦(30日)に向けて、ドーハ市内で遠征最後の練習を行った。

 櫛引は「どういう形で迎えられるか分からなかったので、今までで一番不安な誕生日だった。でも、こういう形で迎えられて良かった」と、胸をなで下ろした。

 大会中はMF南野、MF矢島、MF大島が誕生日を迎えた。それぞれの誕生日会で一発芸を担当しているDF三竿は「もう勝利のルーティーンになっている。でも(最後の一発芸に向けて)ピリピリムードです…」と、大仕事を思案していた。

 この日はFW鈴木が別メニューで調整。手倉森監督は「鈴木は(決勝に)けがで出られない」と明言している。練習は、冒頭25分が公開された。

◆1人しか出られない特別なポジション…U-23代表GK3人衆「2人へのリスペクトは忘れない」(ゲキサカ)


http://web.gekisaka.jp/news/detail/?182002-182002-fl



 GKは1人しかピッチに立てない。フィールドプレーヤーは10人がピッチに立てることを考えれば、少ない数字だろう。しかし、リオデジャネイロ五輪アジア最終予選(AFC U-23選手権)を戦うU-23日本代表には3人のGKが選出されている。当然試合には1人しか出られず、他の2人はベンチから戦況を見守ることになる。

 準決勝までの5試合、GK櫛引政敏(鹿島=写真左)が4試合、GK杉本大地(徳島=同中央)が1試合に出場する一方、GK牲川歩見(鳥栖=同右)はフィールドプレーヤーを含めた全23選手の中で唯一出場機会がない。そして、30日に行われる決勝の韓国戦で牲川の先発出場がないことを手倉森誠監督が明かした。

 韓国戦前日に取材に応じた指揮官は、こう語っている。「強いチームはGKには正しい序列が必要だと思っている。俺は櫛引が一番手、大地が二番手、そして牲川が三番手だと。その序列に対して、決勝で三番手とはいかない。そういう話はGKコーチともしているし、牲川も理解している」と――。

「1人しか出られない特別なポジション」と理解しているこそ、“一番手”の櫛引は「2人のことはリスペクトしている。だからこそ試合に出たら2人の分もという思いはある」と声を強めていた。さらに、「今まで代表で争ってきたGKもたくさんいるので、その人たちのためにもという思いもあります」とこれまでポジションを争ってきた選手たちの思いも背負ってピッチに立つことを誓っている。

“二番手”の杉本は過去を振り返ると苦笑いした。12年のAFC U-19選手権の頃に櫛引に先発の座を奪われていたことに対し、「自分がベンチで櫛引が試合に出ている時は、あまり良い気がしていなかったし、ミスをすれば自分が出れるんだと思ったことがあった」と明かした。しかし、「そう考えていた、あのときはうまくいっていなかったし、今回はチームの勝利を第一に考えています」と当時と同じようにベンチに座る悔しさは当然ありながらも、二番手を受け入れてチームのために働いている。

 同時にポジションを争う櫛引と牲川への思いも語っている。「2人は僕にはないものを持っている。僕に足りないものを持っている選手たちだと思うので、どんどん吸収したい。本当に良いライバル関係だと思います」と櫛引同様に2人へのリスペクトを忘れない。

 そして、唯一出場機会のない“三番手”の牲川も決して腐らない。「2人とも先輩であり、Jで試合に出て結果を残している選手。良いお手本が近くにいることで、日々勉強という形でトレーニングできているし、試合でもしっかりと見て学びたい」と下を向くことなく、2人の姿を見て自身の成長につなげようとしている。

 翌日に控える決勝の韓国戦、おそらく櫛引がゴールマウスを守ることになるだろう。しかし、決して1人でピッチに立つわけではない。杉本と牲川、そしてこれまでポジションを争ってきた選手たちの思いを背負って、守護神は日本のゴールを守り抜く。

(取材・文 折戸岳彦)

◆鹿島、4年越しで2400万円を受取へ…元ブラジル代表の移籍金が未払(サッカーキング)


http://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20160129/396550.html



 鹿島アントラーズが、2011年まで所属していた元ブラジル代表MFフェリペ・ガブリエルの移籍金を4年越しでボタフォゴから受け取る見通しとなった。ブラジルメディア『グローボ』が28日に報じた。

 フェリペ・ガブリエルは2010年に鹿島に加入し、2シーズンに渡ってプレー。2012年2月に鹿島との契約を解除し、ボタフォゴへ移籍した。当時発生した移籍金20万ドル(約2400万円)を、ボタフォゴは未だに鹿島へ支払っていなかった。

 報道によると、FIFA(国際サッカー連盟)懲戒委員会からCBF(ブラジルサッカー連盟)へ通達があり、移籍金未払いのボタフォゴに勝ち点6の減点処分を科す可能性が浮上していたとのこと。移籍金の支払いは分割で行われるようで、ボタフォゴは28日に1回目の入金を済ませたと報じられている。

 なお、フェリペ・ガブリエルはボタフォゴ移籍1年目の2012年11月にはブラジル代表に初招集されるなど、自国で活躍。2013年にUAEのアル・シャールジャに移籍し、2015年には国内復帰。現在はパルメイラスでプレーしている。

◆ポルトガル復帰の金崎夢生、ロシア強豪ゼニトの練習に参加(サッカーキング)


http://www.soccer-king.jp/news/world/world_other/20160129/396438.html



 ポルトガル2部のポルティモネンセに所属する日本代表FW金崎夢生が、ロシアのゼニトのトレーニングに参加している。ポルトガル紙『A Bola』が28日に報じた。

 2015シーズン、鹿島アントラーズへ期限付き移籍で所属していた金崎。今月14日にポルティモネンセが、同18日に鹿島が期限付き移籍期間満了に伴う復帰を発表し、現在はポルティモネンセでプレーしている。

 今回の報道では、ポルトガル人指揮官のアンドレ・ヴィラス・ボアス監督が率いるゼニトのトレーニングに金崎が参加していると報じられた。ゼニトは現在、ポルティモネンセの本拠地があるアルガルベにてトレーニングを行っているとのこと。同クラブ所属のブラジル代表FWフッキと金崎の代理人を務めるテオドロ・フォンセカ氏のアレンジで、今回の練習参加が実現したと伝えられている。なお、練習参加が金崎のゼニト移籍を見据えたものではないということも、併せて報道されている。

 ゼニトは昨シーズン、ロシア・プレミアリーグを3年ぶりに制覇。今シーズンはチャンピオンズリーグでベスト16に進出し、ベンフィカとの対戦を控えている。

◆ナビスコ杯制覇の自信を胸に…石井正忠監督率いる鹿島がさらなる進化へ(サッカーキング)


http://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20160130/396573.html



 昨季、鹿島アントラーズには2つのチームが存在した。1つは前半戦で苦しんだチーム。ホームであるはずの県立カシマサッカースタジアムで勝つことができず、明治安田生命J1リーグ・ファーストステージは8位と低迷。迎えたセカンドステージは下位に沈むチームとの3連戦からスタートしたことで浮上が期待されたが、ここで1勝1分1敗と改善の兆しが見られず、やむなくトニーニョ・セレーゾ監督を解任。あとを引き継いだ石井正忠監督が2つめのチームを立ち上げた。

 結果的にこれが功を奏す。ヤマザキナビスコカップで昨季の三冠王者であるガンバ大阪に完勝を収め、セカンドステージも優勝まであと一歩まで迫る勢いを取り戻した。しかし、首位サンフレッチェ広島まで勝ち点3が足りずに優勝を逃すと、明治安田生命Jリーグチャンピオンシップにも出場できずシーズンを終えた。

 とはいえ、大事な試合をことごとく落としていた過去2年間に比べると、ヤマザキナビスコカップを制覇したことで選手たちが得た自信は大きなものがある。「去年できたことの自信が残っている」とはFW赤崎秀平。その自信を胸に、さらなる進化を目指して2016年をスタートさせた。

 目指す方向性は2015年後半のチームを、さらに突き詰めていくことだ。宮崎キャンプの中で石井監督はより高いレベルを要求している。

「よりボールに早くアプローチしよう」

「みんなが目指すのは、これをできるだけ高いレベルで維持しよう」

 ボールを失った瞬間にすばやく切り替え、高い意識からアグレッシブにボールを奪いに行き、疲れてきてもそれを維持して連続してボールへアタックする。そのことを宮崎キャンプでは一貫して何度も何度も選手に訴えかけている。

 選手の反応も上々だ。積極的にトレーニングに取り組み、短時間に濃縮された練習を集中した表情で励んでいる。テキパキと小気味よく切り替わっていく練習は、緊張感に包まれながらも選手たちが伸び伸びプレーしており、非常に良い雰囲気だ。

 しかし、すべてが順調に進んでいるわけではない。昨季までの宮崎キャンプは走り込みのメニューが多く、選手には大きな負荷が掛かってケガ人も多かった。そういった状況を懸念して今季はすべてボールを使ったトレーニングが導入されているのだが、新たに採用されたファンクショナルトレーニングの負荷が思いのほか高かったのか、負傷者数はそれほど減らすことができていない。特に左サイドバックを本職とする選手が山本脩斗しかおらず、彼だけはケガをしてほしくなかったところで腰を痛めるアクシデントに見舞われてしまった。すでに練習には復帰しているが、Jリーグ・スカパー!ニューイヤーカップへの出場は「試合はちょっと分からない」(山本)と微妙な状況だ

 ただ、シーズンを戦う上でアクシデントは想定されるものであり、備えは必ず必要となる。石井監督は、田中稔也、平戸太貴に左サイドバックを挑戦させており、両選手も「チャンスだと思います」と前向きに取り組んでいる。左サイドバックの人選は、この大会における見どころの一つと言えるだろう。

 その他の選手で言えば、新加入のMF永木亮太が右大腿部裏を痛めており、欠場が濃厚なのは残念だが、一方でFWの軸として期待されるジネイのコンディションが上がってきた。彼のパフォーマンスは今季のチーム成績に直結するだけに仕上がり具合が注目される。

 チーム始動から紅白戦を繰り返し、戦術理解を深めてきただけに、どこまで浸透したのか図ることも試合の興味をそそる。特に、攻守の切り替えを早くし、前から追いかける守備戦術をどこまで徹底できるのか。中でもJ1で対戦するアビスパ福岡を相手に試せることは、鹿島にとって貴重なテストの場になるだろう。

◆鹿島アントラーズ、合宿入りで知事を表敬 /宮崎(毎日新聞)


http://mainichi.jp/articles/20160129/ddl/k45/050/285000c

 宮崎市でキャンプ中のサッカーJ1・鹿島アントラーズの井畑滋社長(63)が28日、県庁に河野俊嗣知事を表敬訪問した。約20年前から宮崎キャンプを張るチームに、知事は宮崎牛10キロを贈った。

 知事は26日にリオデジャネイロ五輪出場権を得たU23日本代表DFの植田直通選手(21)の名を挙げ「鹿島は選手の育成が素晴らしい」と称賛。知事に名前入りユニホームを贈った井畑社長は「芝の状態がすごく良い」と練習環境をたたえた上で「宮崎の温かいおもてなしの中で技を磨きたい」と今季の活躍を誓った。【宮原健太】

◆FWジネイ、8歳の女子サポからの応援に緊張「チョーすごいプレッシャーじゃないですか!」(the WORLD)


http://www.theworldmagazine.jp/20160129/03domestic/40456




昨季は4試合の出場に留まったが……

鹿島アントラーズは27日、公式ツイッターのフォロワーが9万人を突破したことを祝し、選手とファンが交流できるツイッターチャットを実施。9という数字にちなみ、背番号9を付けるFWジネイが登場した。

2015年シーズンからクラブに加わったジネイだが、6月に大怪我を負ってしまい、鹿島での出場は4試合のみに留まっている。しかし出場した試合では素晴らしいパフォーマンスを披露しており、完全復帰となればFW金崎夢生の抜けたクラブに大きな力をもたらすだろう。

そのジネイは現在、宮崎県でのトレーニングキャンプに参加。練習試合にも出場し、完全復帰へ向けて順調にコンディションを整えている。その練習試合では無得点に終わったジネイだが、サポーターから「今季は何点取ってくれますか?」と質問されると、「取れるだけ取りたいですが、自分が点を取るよりアントラーズが優勝することが一番だし、一番嬉しいことです!」と回答。自身の得点ではなく、クラブのタイトル獲得に向けて意欲を示した。

しかし同選手は、鹿島サポーターから「うちの娘(8さい)がジネイ!ジネイ!って騒いでるからたくさん点とってくださいね」とリクエストされると、「チョーすごいプレッシャーじゃないですか!8歳の子が私を認めてくれているのは嬉しいし、皆さんの期待に応えてたくさんゴールを取って、家中、ジネイ!ジネイ!と大騒ぎしてもらえるようにしますね」と話し、得点を決めてサポーターを喜ばせることを約束している。

ジネイが所属する鹿島は31日からニューイヤーカップに出場し、アビスパ福岡、ロアッソ熊本、ジェフユナイテッド千葉と対戦する。

◆「被災地にグラウンドを!」アントラーズ小笠原満男の熱き思い(Sportiva)


http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/jfootball/2016/01/29/post_1060/index.php

 2016年1月9日に開催された『大船渡市サッカー協会創立50周年記念式典』の壇上で、小笠原満男(鹿島アントラーズ)が自らの熱い気持ちを吐露した。会場に集まった多くの関係者に向かって、少しばかり高揚した声で、力強くこう訴えた。

「季節を問わない人工芝のグラウンドを作って、この街をもっと活性化させましょう」
 大船渡に人工芝のグラウンドを作りたい――それは、小笠原がかねてから思い続けてきた”願い”だ。

被災地では整備されたグラウンドが少なく、雪深い土地が多いため、地元の子どもたちとのふれあい活動はおおよそ体育館で行なわれることが多い

被災地では整備されたグラウンドが少なく、雪深い土地が多いため、地元の子どもたちとのふれあい活動はおおよそ体育館で行なわれることが多い
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被災地では整備されたグラウンドが少なく、雪深い土地が多いため、地元の子どもたちとのふれあい活動はおおよそ体育館で行なわれることが多い

 東日本大震災の直後は、生活に欠かせない物資をできる限り集め、小笠原は自ら車を運転して被災地と住まいのある鹿嶋市との間を何度も往復した。まもなくして、東北のサッカー界を支援するために、東北出身のJリーガーを募って『東北人魂』という有志団体を結成。オフの間を利用して、被災地の子どもたちの笑顔を取り戻そうと、サッカーを通したふれあい活動を実践してきた。それは今も、積極的に行なっている。

 しかし、被災地で最初に直面したのは、子どもたちとボールを蹴る場所さえままならない、という現実だった。小笠原たちが、「サッカーをやめるなよ。諦めるなよ」と子どもたちに声をかけると、彼らから返ってくるのは、決まってこんな悲しいフレーズだった。
「サッカーをやりたくても、サッカーができる場所がないんです」

 その言葉を受けて、小笠原は子どもたちが元気で走り回れる場所をどうにかして作りたいと思うようになった。その思いは次第に強くなり、被災地にグラウンドを作るプロジェクト『東北人魂 岩手グラウンドプロジェクト』を発足させた。当時はとにかく、サッカーができるような整備されたグラウンドさえ作れればよかった。

 地元からの強い要望もあって、グラウンドを作る場所は、小笠原の母校・大船渡高があり、被災地でもある岩手県大船渡市を選んだ。以降、小笠原は精力的に行動し、大船渡に再三足を運んで、大船渡市長をはじめ、関連する自治体や地域の関係者らに、グラウンド作りの支援を働きかけた。

 そして、プロジェクト発足からわずか1年、2013年4月に多くの関係者、全国からの募金などの協力を得て、小学校の跡地に平らな土のグラウンドを創設。小笠原の最初の念願は叶った。

 完成したグラウンドは現在、サッカーのみならず、さまざまなスポーツを楽しむ場として利用され、使用するための予約は3カ月先まで埋まっているという。それだけ多くの人たちが、グラウンドの創設を待望していたわけだ。

2013年4月に完成したグラウンド

 と、ここまでは理想的な流れである。

 一方で、グラウンドがオープンしてから、利用者を悩ませている問題があった。それは、土壌の緩さと、冬場に起きる土の凍結だった。小笠原が説明する。

「(大船渡は沿岸部の暖かい場所で)雪はあまり降らない地域だから、雪で(グラウンドが)使えないということはほとんどないんですよ。だけど、どうしても冬場の雨のあとなど、グラウンドが凍結したり、ドロドロになったりして、歩くことさえままならない状態になってしまうことが、頻繁に発生してしまうんですよね……」

 実は、大船渡にグラウンドを作ったのは、単に子どもたちが走り回る場所を確保するためだけではなく、別の役割も期待されていた。

「関東とかからいくつかのチームを呼んで、地元の何チームかと試合をするような、サッカーフェスティバルなどが開催できればと思っていました。そうした交流試合が行なわれれば、地元が活性化するだけでなく、他の地域から来てもらった人たちにも、被災地の現状を知ってもらえる機会になるかな、という思いもあったんです」(小笠原)

 しかし天候によっては、グラウンドがサッカーどころではない状態になる。それでは、せっかく関東などから来てもらっても、その遠征自体が無駄になってしまう。数年の間は、土を足したりして策を講じてきたが、それも今では限界になってきた。
 そこで、天候に左右されることなく使用できるグラウンドとして浮上したのが、『人工芝』だった。

「人工芝なら、雨が降ってもぬかるみに悩まされることがないですし、水はけもいい。東北の中でも、あまり雪が降らない、暖かい地域性を生かして、大船渡に人工芝のグラウンドができれば、これから一層、全国からチームを呼びやすくなる。他にも、例えば冬の岩手県大会や東北大会も誘致できる。盛岡や秋田、青森のほうは結構雪が降るので、そちらからもどんどん人が来てもらえれば、街も活性化するし、人工芝のグラウンドを作る利点は大いにあると思うんですよ」(小笠原)

土のグラウンドだと、冬場は新たに土を足してもドロドロのまま……

 ならば、あとは何とか資金を集めて、グラウンドを人工芝に変えればいいのでは? と単純に考えてしまう……が、そこには被災地であるがゆえに、難しい事情があった。小笠原が続ける。

「(被災地で)まずやるべきことは、それ(人工芝のグラウンド作り)じゃないだろう、という事情がありますよね。いまだ仮設住宅で生活している人もいるわけですから。元の生活に戻れず、苦労している方がまだたくさんいる。そうした状況にあって、いくら市民の負担になることなく資金を工面できたとしても、見え方として、人工芝のグラウンドというものに対して、市民の方々が納得していただけるのか……。『今、人工芝のグラウンドが必要?』って思われても仕方がないですから。確かにそのとおりだと思いますし、人工芝のグラウンドを作るには、まずは市民の説得、同意が必要となってきます」

 それでも小笠原は、地元の子どもたちのために、天候を気にせずに使用できるグラウンドを作ってあげたい――その気持ちはずっと持ち続けている。

「震災が起きたとき、中学1年生だった子どもたちがこの春、高校を卒業します。彼らはもう2度と来ない、一番大切な成長期、それも一番体力のある学生時代を、広いグラウンドで運動やスポーツを思い切り楽しむことなく、終えていく。そのことを想像しただけで、スポーツ選手としては胸が苦しくなります。本来、元気に遊んだり、運動したりできるはずの学校のグラウンドが、仮設住宅で埋まっているところは、まだたくさんありますから。だからこそ、いつでも使える人工芝のグラウンドを、早く作ってあげたいって思うんです」

 現在、小笠原はグラウンドプロジェクトのスタッフ(※スタッフは皆、小笠原の同級生でボランティア)とともに、toto(スポーツ振興くじ)の助成金を活用するなど、市民や地元行政に資金負担がなるべくかからないアイデアをいくつか大船渡市に提案し、働きかけている。そして大船渡市としても、人工芝グラウンド創設への思いはあるようで、前向きに検討を始めてくれているという。

「関東をはじめ、全国の中・高校生に来てもらったら、存分に試合をしてもらって、被災地もしっかりと案内したい。そして、いろいろなところから来た中・高校生には、こちらで見た景色や、こちらで過ごした思い出などを、地元に帰ってから多くの人たち話してほしい。そういうことが、少なからず震災の風化を止める力になってくれると思っています。そのためにも今後、サッカーフェスティバルや他のスポーツの大会など、こちらでどんどん開催できればいいと思っています。それにはやはり……早く人工芝のグラウンドを作りたいですね」

 まもなく東日本大震災から、丸5年が経過する。小笠原の描く復興への道のりは、まだスタートラインにあるのかもしれない。

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