日刊鹿島アントラーズニュース

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2020年4月2日木曜日

◆“メルカリ会長”に聞くアントラーズ改革 Jリーグ新時代 令和の社長像 鹿島編(Sportsnavi)






【中古】 ペプシマン インターネット小説 /P.E.P.(著者) 【中古】afb


アントラーズファンだった中学生が両鈴木と出会うまで


「初めて鹿島アントラーズの試合を見たのは、Jリーグ開幕直前のペプシカップでしたね。確かゴールデンウィークの頃で、相手はブラジルのフルミネンセでした」

 昨年8月に鹿島アントラーズの社長に就任した小泉文明は、クラブとのファーストコンタクトのことをよく覚えていた。1993年5月4日に行われたペプシカップは、カシマサッカースタジアムのこけら落としのゲームで、ジーコがファーストゴールを挙げている。この時、小泉は中学1年生の13歳。当時は山梨に暮らしていたが、茨城県行方市出身(当時麻生町)の父親に連れられて、すぐさま父子は鹿島ファンになった。同じ年、小泉少年はのちの人生に大きな影響を及ぼすことになる、もうひとつの「出会い」を経験する。

「初めてパソコンに触ったのも、僕が中1の時でしたね。中高一貫校に通っていて、理系の教育が盛んだったので、中1の時からグラフィックをやったり、中3の頃には簡単なゲームを作ったりしていました。大学に入ると、裏原宿系のファッションをネットで売っていました。当時から、メルカリみたいなことをやっていたわけですね(笑)」

 新卒で就職したのは、証券会社の投資銀行部門。将来的に事業をやりたいと考えていた小泉は「そのためにはお金の勉強をしなければ」と感じていたそうだ。そこでクライアントとして出会ったミクシィに、2006年に転職。さらに13年には、設立されたばかりのメルカリにジョインする。今は社員約1800人を誇るメルカリも、この時はまだ10人くらい。ビジネスサイドでは2番目の社員となった小泉は、翌14年に取締役、17年に取締役社長兼COOとなる。鹿島とパートナー契約を結んだのも、この年のことだ。

「僕がインターネットのどこに魅力を感じるかというと、個人がエンパワーメントされることなんですよね。ミクシィでは情報発信で、メルカリでは売買で、それぞれ個人がエンパワーされていく。ただし、サービスを作るだけでは駄目で、何千万人というユーザーに使われて初めて社会にインパクトのあるサービスになると思っています。そのためには、日本だけでなくグローバルを意識しないといけない。そう考えていた時、クラブワールドカップ(W杯)決勝でレアル・マドリーと対戦する、アントラーズと再会したんです」


メルカリが鹿島の買収を決断した3つの理由





 IT企業の取締役となった小泉と、国内最多タイトル数を誇る鹿島。両者を引き合わせたのは、16年のクラブW杯決勝でレアル相手に2ゴールを挙げた柴崎岳であった。その柴崎がスペインに渡った17年、メルカリは鹿島のパートナー企業となり、さらに2年後の19年には株式の譲渡を受け世間をあっと言わせる。ここで気になるのが、IT企業がプロサッカークラブの経営権を取得するにあたり、小泉はどのような説明をしたのかということだ。

「経営権取得の理由について、僕からは3点説明しました。まず、メルカリのユーザーとアントラーズのファンは世代的に重ならないこと。メルカリは20代から30代前半の女性が中心なのに対し、アントラーズのファンは30代後半から40代以上の男性が多い。ですから、お互いに補完できるということですね。次にアントラーズという名門クラブを持つことで、メルカリのブランド価値が高まること。メルペイのような金融サービスを始めるので、信用力の向上は重要でした。それからビジネス的な観点ですね」

 小泉が挙げた3番目の理由については、さらに2つの側面がある。すなわち「スポーツを含めたエンターテインメント」と「街づくり」。小泉の言葉を借りると「どちらもテクノロジーとの相性がいい」という。それぞれに対する小泉のアイデアは、非常に興味深い内容なのだが、情報量が膨大なので涙をのんで割愛する。では、経営権取得の際のハードルは何だったのか? 実は「そんなに高いハードルではなかった」そうだ。

「われわれがスポンサーをさせていただいた2年間は、いわゆる『お見合い期間』だったわけです。その間に『このクラブをもっとこうしたいね』とか『こういうところにビジネスチャンスがあるよね』といった意見交換を、マンさんやヒデキさんと続けてきたわけです。それにわれわれは『再生案件』でクラブを買収したわけではありません。これまで積み上げてきたアントラーズの伝統を大切にしつつ、『テクノロジーを使えばこんなことができるのではないか』というところでサポートしていく感じなんですよ」

 もちろん、それは理解できる。とはいえ、小泉は1980年の生まれ。「マンさん」こと鈴木満が住金に入社した年である(余談ながら小泉が初めて観戦したペプシカップでは、満はコーチとしてベンチに入っていた)。世代的にも業界的にもまったく異なる、小泉と両鈴木。前者については、名門クラブの伝統を築き上げてきた先達へのリスペクトはあるだろう。では後者は、未知なるIT企業経営者をどう受け入れたのだろうか。ここで、マーケティングダイレクターの「ヒデキさん」こと鈴木秀樹の話を聞くことにしよう。


鹿島にとってメルカリは「黒船」ではなかった





「住金時代、親会社から莫大な支援をいただいていたわけではなく、努力して足りないところを補填していただく感じでした。『アントラーズの活動は、地域貢献として意義のあるもの』というのが住金側のスタンスだったんです。それが12年の合併で、親会社との関係は空気感が変わってきました。加えて、BtoBの製造業にスポーツがぶら下がっていることに、時代の変化とともにお互いに限界も感じていました。クラブとして自立するか、親として別のパートナーに託すのか、どちらかを選ばなければならない状況だったんです」

 メルカリと出会う直前の状況について、秀樹はこのように語る。「いずれは頭打ちになる」という危機感を抱える中、メルカリと小泉の登場は一筋の光明のように感じられたという。小泉に対する秀樹の第一印象は「アントラーズのことをよく勉強しているな」というもの。クラブが成長するために、メルカリが何を提供できるか議論を重ねるうちに、秀樹は「彼らは『黒船』ではない」という確信に至る。そして水面下での折衝の末、19年7月30日、メルカリによる鹿島アントラーズの経営権取得が発表された。

「期の途中で経営権が変わったので、期が改まる20年2月までは『クラブの目指すべき姿』を共有するウォーミングアップ期間となりました。その間に推し進めたのが、意思決定のスピードを上げるための改革。たとえば紙でのやりとりをなくしたり、6段階のポストを3つに集約したり。それでポストを失う人もいましたが、彼らを納得させる意味でも『われわれは何を目指すのか』を共有する時間が必要でした。このウォーミングアップ期間があったからこそ、2月以降は仕事のやり方が劇的に変わりましたね」

 スピード感あふれる“小泉改革”は、当然ながらクラブの事業全体にも向けられた。たとえば、クラブを100億円の事業規模とするための「ノンフットボール」でのビジネス展開。あるいは、クラブが指定管理しているスタジアムをフル活用した「街づくり」。これまでクラブが積み上げてきた伝統と実績に、メルカリが持ち込んだテクノロジーをかけ合わせることで、鹿島アントラーズにはまだまだポテンシャルがある。今年で還暦を迎える秀樹は、若きベンチャー経営者のように表情を輝かせながら、力強く語る。

「鹿島アントラーズというクラブは、30年かけて地域に信頼されるブランドになりました。地域住民からも理解されているし、地元の企業や行政とも一緒にやってきたので、地域の課題解決についてできることはたくさんある。今、考えていることは、クラブと自治体が一緒になって、スタジアムをラボ化させること。キャッシュレス化や5Gなど、スタジアムに来た人たちに『10年後の社会』を体験してもらうことなんです。メルカリのテクノロジーが加わることで、その動きはさらに加速していくでしょうね」


「マンさんもヒデキさんもベンチャーの大先輩」





 鹿島の社長に就任して、まだ1年も経っていない。それでもクラブ社長としての価値について、小泉は「最近はベンチャー企業の経営者から、より責任ある立場になったという自覚を持つようになりました」と実感を込めて語る。一方で、メルカリとクラブとのシナジーについて尋ねると、こんな答えが返ってきた。

「社長としての僕のミッションは、まずはチームの勝利ですよね。タイトルを獲得することで、ファンやパートナーを増やしていき、そこで得られたお金を強化や育成に投入していくサイクルを作る。そのためには、フットボールとビジネスの両輪を回していかなければならない。僕らはテクノロジーを提供することで、ビジネス面でのソリューションを提供したり、クラブが進めようとしている『街づくり』を後押したりすることができると思います。スポーツビジネスとITとの掛け算は、やっぱり相性がいいですからね」

 相性がいいと言えば、両鈴木との相性の良さについて小泉は「マンさんもヒデキさんも、僕にとってベンチャー経営者の大先輩ですから」と語っていたのが印象的であった。そのことを秀樹に伝えると、苦笑いしながらまんざらでもない様子。

「ウチもJリーグ開幕当時から、お荷物になる可能性が高いクラブでした。住金時代は2部だったし、ホームタウンの人口も少ない。だからこそ、強くなることでブランド価値を高めてきました。一方で、いち早くスタジアムの指定管理者になったり、最近は芝生のビジネス化に取り組んだりしてきました。常に最先端を目指していかないと、すぐに立ち行かなくなる。時代の変化に対応しながら成長するのは、IT業界と一緒だと思いますね」

 世代や業態の違いは関係ない。大事なことは、共にベンチャーマインドを持って、鹿島アントラーズを強くするという目的を共有すること。その意味で、小泉と両鈴木との出会いは、ある種の必然性さえ感じられる。そろそろ当連載の監修者である、デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社の里崎慎の感想も聞いてみよう。

「私が注目したのは、ベンチャーマインドの重要性、スポーツとITとの親和性、そしてトップのコミットメントの3点です。3つ目について説明すると、Jクラブは株式会社でありながら、地域における社会的公器でもあります。小泉社長はクラブのトップとして、経営に必要な収益をビジネスで確保しつつ、『街づくり』に代表される社会的公器としての活動にもクラブのオーナーとして意識的にコミットしていますよね。こうしたバランス経営が、プロスポーツクラブとしての社会的価値を最大化するモデルであることを、ぜひ実証していただきたいと思いました」

 インタビューの最後に、小泉に「鹿島の社長になって一番うれしかったことは何ですか?」と尋ねてみた。少し考えてから「鹿島ファンの父が喜んでくれたことですかね(笑)」。これ以上ない親孝行を果たした今、メルカリからやって来た異能の経営者は、愛するクラブをどのように導くのだろうか。Jリーグ再開後の鹿島の戦いとともに、大いに注目していきたい。


<この稿、了。文中敬称略>


◆得点数はJ歴代5位。「史上最強の助っ人」 と評価するにふさわしいFW(Sportiva)



マルキーニョス Marquinhos


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最も印象に残っている
Jリーグ助っ人外国人選手(8)

マルキーニョス(東京ヴェルディ、横浜F・マリノス、
ジェフユナイテッド市原、清水エスパルス、
鹿島アントラーズ、ベガルタ仙台、ヴィッセル神戸/FW)


 1993年にスタートしたJリーグでは、これまでに世界的な有名選手が数多くプレーしてきた。なかには、過去の実績に比して、期待外れに終わるケースもあったが、その多くが相応のインパクトを残してきた。

 ストイコビッチ、ジーコ、ドゥンガ、ブッフバルト、リトバルスキーなど、往年の選手はもちろん、現在、ヴィッセル神戸に所属するイニエスタもその筆頭格だろう。誰もが甲乙つけがたい。

 ともにワールドカップ得点王にして、どちらかと言えば期待外れに終わった感の強いストイチコフやフォルランにしても、今でも語り草になるような”一発”を見せてくれた。その意味で言えば、彼らにしても、必ずしもハズレだったわけではない。

 ただし、サッカーがチームスポーツである以上、やはり所属チームがどんな成績を残したかは、選手の評価を考えるうえで重視すべきポイントだろう。

 つまり、重要なのは、選手個人として、どれだけ優れたプレーを見せたか、だけではなく、いかにチームを勝たせたか。その視点に立ったとき、Jリーグ史上最強助っ人に最もふさわしいと思うのは、横浜F・マリノスや鹿島アントラーズで活躍したFWマルキーニョスだ。

 マルキーニョスが、日本でのキャリアをスタートさせたのは、2001年夏。”Jリーガー・マルキ”は、当時2ステージ制だったJ1のセカンドステージから始まった。

 その年、ファーストステージを最下位(16位)で終えた東京ヴェルディは、J2降格を免れるべく、セカンドステージを前にふたりのブラジル人選手を獲得している。そのひとりがマルキーニョスだった。

 25歳のブラジル人FWは、身長174cmと身体的にも”人並み”で、目立った実績もなかったが、来日1年目にして日本のサッカーにフィット。14試合に出場し、8ゴールを叩き出す活躍で、東京Vをセカンドステージ9位へと押し上げ、年間14位でのJ1残留へと導いた。

 そして、2003年に横浜FMへ移籍すると、肉離れなどのケガもあり、フル稼働はできなかったが、それでもFW久保竜彦に次ぐ、チーム2位の8ゴールを記録。2ステージ両制覇の完全優勝に貢献している。数字だけを見れば、スーパーな成績を残しているわけではないが、それが確実にチームの成績アップにつながっている。それが、マルキーニョスのスゴさである。

 なかでも、マルキーニョスの存在価値が最も高まったのが、2007~2009年。すなわち、鹿島が3連覇を成し遂げた3シーズンである。Jリーグ史上ただ一度しか成し遂げられていない偉業を、このブラジル人ストライカー抜きに語ることはできない。

 Jリーグ誕生以来、他クラブを圧倒する20冠を獲得してきた鹿島だが、そのスタイルはというと、4-4-2をベースにした極めてオーソドックスというか、クラシカルなものである。その時々で最先端の戦術を採り入れるわけではなく、能力の高い選手がそれぞれのポジションでそれぞれの役割をこなし、とにかくバランスを崩さず、戦うことで安定した成績を残してきた。

 この2年ほどは、そうしたやり方の限界が見え、タイトルから遠ざかる結果になってはいるが、それはさておき、バランス重視で無理をしない戦い方で勝ち切るためには、決定力の高いストライカーが不可欠だった。

 3連覇を成し遂げた当時にしても、鹿島は圧倒的な強さで相手をねじ伏せていたわけではない。たとえば、2007~2009年シーズンの鹿島の総得失点差は2007年から順に、+24、+26、+21。通常、優勝チームなら+30を超えてもおかしくないのだが、鹿島はすべて+20点台にとどまっている。

 また、同じく総得点を見ても、60、56、51と、すべて60点以下。優勝チームのなかには、総得点が70点を超える例があることを考えれば、これもかなり少ない数字だ。

 つまり、当時の鹿島は圧倒的な攻撃力を誇り、どこからでも点が取れるというチームではなかった。手堅くゲームを進め、ピンチも少ないが、チャンスも少ない。そんな際どい戦いのなかで、少ないチャンスを確実に生かしてくれたのが、マルキーニョスだったのだ。

 30歳を過ぎ、円熟味を増していた点取り屋は、豊富な経験に裏打ちされた正確な技術と判断で、ゴールパターンも多彩だった。味方にお膳立てしてもらったワンタッチゴールばかりでなく、少々遠目だったり、難しい角度だったりしても、正確にゴールの四隅へシュートを蹴り込める技術を備えていた。

 マルキーニョスは3連覇を成し遂げた3シーズンで、常にチーム得点王だったが、とりわけその価値を高めたのが、2連覇を成し遂げた2008年シーズンである。

 このシーズン、マルキーニョスは21ゴールを決めてJ1得点王を獲得。合わせて、シーズンMVPにも選ばれている。

 しかも、マルキーニョスが優れているのは、ひたすらエゴイスティックに自分のゴールだけを狙うわけではないところだ。前線からよく走って相手ボールを追い、プレスバックも忠実にこなす。バランスを重視し、組織的な守備をベースにする鹿島の戦い方に、しっかりと適応していた。いや、それどころか、範を示す働きを見せていた。

 加えて、巧みなチャンスメイクもでき、2トップのパートナーを生かすこともできる。田代有三、興梠慎三、大迫勇也ら、若手FWの能力を引き出し、開花させたという意味でも、チームへの貢献度は大きかった。

 ちなみに、大迫のプロ(公式戦)初ゴールをアシストしたのもマルキーニョスだ。AFCチャンピオンズリーグの上海申花戦で、クリア気味のロングボールを拾って独力でキープし、ペナルティーエリアへ進入。相手DFを十分に引きつけたうえで、大迫へラストパスを送っている。

 4連覇を逃した2010年限りで鹿島を離れたあとも、横浜FMと神戸で3季連続ふた桁ゴール(2012~2014年)を記録するなど、高い得点能力を発揮。2001年から(途中、東日本大震災をきっかけに、一度ブラジルへ戻ったことはあるが)およそ15シーズンに渡ってJ1でプレーし、そのうち10シーズンでチームのトップスコアラーとなっている。つまり、期待外れに終わったシーズンが非常に少ないということだ。

 J1通算のゴール数は、実に152。これは、外国人選手としては歴代最多であり、日本人選手を加えても歴代5位となる数字である。Jリーグで長く活躍し、複数のクラブでコンスタントに勝利に貢献してきたという意味で、歴代最高の評価にふさわしい選手だった。




◆得点数はJ歴代5位。「史上最強の助っ人」 と評価するにふさわしいFW(Sportiva)




◆伊メディアがチームへの忠誠度を特集…世界トップには日本人選手「22年の忠誠」(GOAL)



曽ヶ端準 Hitoshi.Sogahata


ぐうたらとけちとぷー [ 加瀬健太郎 ]


イタリアメディアは、長年1つのチームでプレーする選手を特集し、世界トップとして日本人選手を挙げた。


1つのクラブに長年忠誠を尽くしてきた選手について、イタリアメディア『スカイスポーツ』が29日、特集を組んだ。鹿島アントラーズに所属する元日本代表GK曽ケ端準も紹介されている。

イタリアメディアは29日、「ユニフォームへの忠誠…10年以上1つのチームに所属している選手たち」との見出しで特集。「メルカートにおいて電撃移籍が何度も生まれてきたが、彼らは別。少なくとも10年以上同じチームカラーに忠誠を尽くしてきた選手たちだ」と綴り、ヨーロッパの5大リーグに所属する現役選手を中心として年数に応じたランキングを発表した。

5大リーグの中で首位に立ったのは、バルセロナのFWリオネル・メッシおよびサンテティエンヌDFロイク・ペランで所属年数は16年。2位はユヴェントスDFジョルジョ・キエッリーニ、レアル・マドリーDFセルヒオ・ラモス、サッスオーロMFフランチェスコ・マニャネッリの14年、続く3位は、レアル・マドリーDFマルセロ、エスパニョールDFハビ・ロペス、ビジャレアルMFブルーノ・ソリアーノの13年だった。以下は、12年がバルセロナMFセルヒオ・ブスケツら6選手。11年の選手には、バイエルン・ミュンヘンFWトーマス・ミュラーら10選手、10年にはレアル・マドリーFWカリム・ベンゼマら10選手を紹介した。

番外編として、元日本代表MF本田圭佑の元同僚であるCSKAモスクワのGKイゴール・アキンフェエフを掲載。ヨーロッパ5大リーグの選手を上回る17年にわたってモスクワでプレーしていることを紹介した。さらに「世界では?」と綴り、ヨーロッパ以外にも注目。「世界での単独トップは日本人選手のヒトシ・ソガハタだ。鹿島アントラーズでプレーするGKは、実に1998年2月から所属している。22年間に及ぶ忠誠心だ!」と綴り、世界トップに選出された曽ケ端の記録に驚きを示した。


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◆伊メディアがチームへの忠誠度を特集…世界トップには日本人選手「22年の忠誠」(GOAL)


◆静学のアザール・松村優太。 「18歳でも若いとは言っていられない」(Sportiva)



松村優太 Yuta.Matsumura


くまのこチャップ (ケロちゃんえほん) [ 増田裕子 ]


鹿島アントラーズ・松村優太インタビュー@後編

 鹿島アントラーズに加入した松村優太は、先の全国高校サッカー選手権大会で優勝した静岡学園高校の10番として、たびたび得意のドリブルで決定機を作り出した。

「ボールを持ったら放さない」と言わんばかりのドリブルは、試合を重ねるたびに注目を集め、同校初の単独優勝という快挙の立役者にもなった。

 自身も武器と認識する「スピードとドリブル」は、どのように磨いてきたのだろうか。

「もともと、子どもの頃から足は速かったんです。だから、ドリブルにも自信はありました。でも、ジュニアユースの頃までは、ひとり目をかわしても、ふたり目でボールを取られたりと、そこで終わってしまうことのほうが多かったんです。

 スピードのある選手特有の速さに頼っていただけ、だったかもしれません。でも、静学(静岡学園)で足もとの技術が身についたことによって、何人来てもボールを取られないようなボールタッチの感覚が養われたんだと思います」

 大阪で生まれ育った松村は、日本国内でも個のスキルを磨くことに長けた静岡学園高校に進学。そこで得意のドリブルに磨きがかかった。ただ、”静学”を選んだのは、足もとの技術を学びたいと思っていたからではなかったようだ。

「大阪から外に出たいと思っていたんですよね。中学時代は大阪府の選抜に入っていたわけでもなく、ほかから声がかかるような選手ではなかったんです。

 ただ、アントラーズでも先輩の名古(新太郎)くんが自分と同じ大阪東淀川FCでプレーしていて、自分よりも先に静学に進学していたことが大きかったんです。そうした縁もあって、声をかけてもらって。

 当時の自分はあまり高校サッカーを見る機会もなくて、正直、静学のこともあまり知らなかったくらい。でも、調べてみたら個の能力を主体としたサッカーをしているということがわかった。県外に出たいという思いも強かったので、それもあって静学に行くことにしたんです」

 武器を武器と呼べるまでに飛躍させるのに”静学”という土壌はぴったりだった。

 高校3年間で技術を磨いた松村は、鹿島アントラーズから声をかけられるまでの存在へと成長した。ただ、自身がアントラーズに加入できた理由を聞けば、持ち前のスピードやテクニックではなかった。

「負けたくないんですよね。すごく負けず嫌いなんです。静学でも最初は1年生のチームでも試合に出られなくて。トップチームに上がったのも、同じ学年のなかでは4、5番目くらいだったんです。

 ずっと周りに負けたくないという思いが強かったですし、試合にも負けたくなくて。負けたくない、負けたくない……という思いが続いていて、そうなったら練習しますよね。その積み重ねで今、ここにいることができているんだと思います」

 その思いは、鹿島アントラーズに加入した今も変わらないという。18歳だから、ルーキーだから、試合に出られなくても仕方がない、という考えには至らない。

「18歳だからといって、若いとは言っていられないと思っています。世界を見渡せば、16歳で注目されている選手もいる。それに1カ月後には19歳になるので、10代でいられるのもあと1年しかないんです。

 サッカー選手のひとつの区切りを30歳だと考えたら、あと10年しかない。その期間でどれだけ自分がトップレベルでやっていけるのか。だから、18歳だからといって、若いとは言っていらないですよね。

 それに、ルヴァンカップで退場してしまった関係で、J1の開幕戦は出場停止でしたけど、同期の荒木(遼太郎)はルヴァンカップもJ1の開幕戦も出ている。あいつはプレシーズンマッチでも点を獲っていますし、結果を残しているという意味では、まだまだ自分は劣っていると思います。もちろん、同期に負けたくないという思いもあります。だから、やるしかないんです」

 今シーズンの鹿島アントラーズには松村のほか、東福岡高校からMFの荒木、尚志高校からFWの染野唯月(いつき)、そしてユースからGKの山田大樹が高卒ルーキーとして加入した。

 それぞれユース年代では、名を馳せた選手たちである。鹿島アントラーズのサポーターからは、時代を築いた小笠原満男、中田浩二、本山雅志、曽ケ端準の4人になぞらえ、今後の成長と活躍を期待する声もある。

「同い年なので仲もいいですし、お互いに切磋琢磨していければいいなとは思っていますけど、負けたくないという思いはありますよね。どれくらいの時間がかかるかはわからないですけど、いずれはこの4人でチームを支えていけるくらいになりたい。

 自分が海外に飛び出していくかもしれないですし、誰かが移籍するかもしれないですけど、同じ世代を代表する選手にそれぞれがなっていければと思います」

「海外」というキーワードが出たので、思い描く将来像はあるかと聞いてみた。松村の答えは、こちらの想像とはちょっと違っていた。

「もちろん、海外でプレーしたいとか、日本代表になりたいとか、ワールドカップに出たいという思いはありますけど、最終的には、誰かに憧れられる選手になれたらいいなと思っています。小学生でも、中学生でも、自分のプレーを見て『ああいう選手になりたい』って思ってもらえたらうれしいなって」

 自分もそうした存在がいるのかと聞けば、首を振る。

「自分には、そうした憧れの選手がいなかったので、自分が誰かの憧れになれたらいいなって、なおさら思うんですよね。よく、『誰か目標にしている選手はいますか?』って聞かれるので、そういう時は(エデン・)アザール(レアル・マドリード)って答えていたんですけどね(笑)」

 プレースタイルが似ていることから、高校時代は「静学のアザール」なんてニックネームを拝していた。

「でも、実はそんなにアザールのプレーを見たことがないんです。だから、なんとなくイメージでそう答えていたんです(笑)」

 急に18歳の一面をのぞかせて微笑ましく見ていると、再びプロの顔に戻ってこう言った。

「ただ、憧れてもらうには、プレーの結果ももちろん、サポーターに対しての姿勢も身につけなければいけないと思っています。私生活も見られると思うので、そういったところでも一流にならないといけないと思っています。僕がプレーしていた東淀川FCでプレーしたいとか、静学に入りたいとか思ってもらえるような、そんな選手になりたいんです」

 今シーズンの目標を聞けば、こうも言う。

「ポジション奪取はもちろんですけど、アントラーズは昨季、タイトルを獲れていないので、自分がタイトル獲得に貢献できるような影響力のある選手になりたいと思っています。

 具体的に挙げれば、得点とアシストでともに、ふたケタくらいは目指してやりたい。まだリーグ戦だけで達成できる選手ではないと思っているので、ルヴァンカップ、天皇杯とすべての公式戦を併せて、それくらいの結果が残せたらいいなと」

 自ら具体的な数字を挙げたので、いたずらっぽく「記事に書いてしまうよ」と笑うと、松村は自分に言い聞かせるように強くうなずいた。

「高校時代は個人技で打開することが多く、アントラーズに来てからポゼッション主体というか、システマチックなサッカーに挑戦しているところもあります。守備も攻撃も組織的ではありますけど、ザーゴ監督からは、試合に出た時には仕掛けていいと言ってもらっている。

 監督にも仕掛けるプレーを求められていると思うので、チームのことはやりつつ、やっぱり自分の特徴を出していければと。ひとりで打開することができれば、その分、どこかが空くと思いますし、ボールをつなぐことも大事ですけど、緩急で違いを出せればと思います」

 選手権という大舞台でも席巻したドリブルで勝負する。その武器は、自分自身が研ぎ澄ませてきたものである。アントラーズに加わったスペシャリストが、サイドを駆け上がる光景が待ち遠しい。

【profile】
松村優太(まつむら・ゆうた)
2001年4月13日生まれ、大阪府出身。大阪東淀川FCから静岡学園高校に進学。背番号10番を背負い、チームを同校初の単独優勝に導く。今季から鹿島アントラーズに加入。ポジション=MF。173cm、63kg。


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◆静学のアザール・松村優太。 「18歳でも若いとは言っていられない」(Sportiva)





◆超大型ルーキー松村優太は、 すでに「アントラーズらしい選手」だ(Sportiva)



松村優太 Yuta.Matsumura


コルゲン講話 (Tachibana Shinsyo) [ 東州ケロちゃん ]


鹿島アントラーズ・松村優太インタビュー@前編


 1月に行なわれた全国高校サッカー選手権大会では、静岡学園高校の主力として優勝に貢献した。松村優太は高校最後の大会で「全国制覇」というタイトルを獲得し、満を持して鹿島アントラーズへと加入した。

 J1開幕を前に行なわれたルヴァンカップでは、高卒ルーキーながらメンバー入り。その名古屋グランパス戦では、81分に途中出場を飾った。

 ところがわずか9分後、ペナルティエリア内で相手GKに足の裏を見せる危険なスライディングをしたとして、一発退場。チームも0−1で敗戦し、松村にとってはホロ苦いどころか、大きな痛みを伴うデビュー戦となった。

 だからこそ、この話題を避けるわけにはいかなかった。

 インタビュー開始早々、いきなりデビュー戦について質問をぶつけた。18歳の若者からしてみれば、避けたい話題だったかもしれない。だが、松村は真っ直ぐにこちらを見ると、しっかりと言葉を紡いだ。

「自分自身にとってはデビュー戦ということ、加えて0−1で負けていた状況だったので、試合に勝ちたいという思いも強く、気持ちが空回りしてしまいました。試合後、(名古屋GKミチェル・)ランゲラク選手には直接、謝罪しました。自分自身に対しても悔しかったですし、勝ちたい気持ちが強かったとはいえ、ああいうことをしてしまったことについては猛省しました」

 聞けば、人生初のレッドカードだったという。自身と入れ替わる形でベンチに下がった土居聖真がわざわざ迎えに来て、「恥ずかしがることじゃない。顔を上げて胸を張れ」とかけてくれた言葉が心に突き刺さった。それでも悔しさは拭えず、自然と涙があふれた。

「くくりでいえば、悔し涙になるんですかね。試合に負けて泣いたことはありますけど、自分のプレーに対して泣いたのは初めてかもしれません。イエローカードをもらった経験も、これまで一度か二度くらいしかないんです」

 そのプレー以上に悔やんでいたのが、試合結果についてだった。

「自分が退場したのは90分くらい。アディショナルタイムも含めれば時間はまだあったので、11人だったら追いつける可能性があったわけじゃないですか。ひとり少なくなったことで、相手にボールを回されたり、ボールを奪えない状況になったと考えると、チームには本当に迷惑をかけてしまったなと。ただ、今はその悔しさをプラスに変えて、ここから上がっていければと思っています」

 松村の言葉と表情からは、過ちを認められる素直さと、勝利にこだわる芯の強さが同時に感じられた。何より、結果について言及するところが、すでに「鹿島アントラーズらしい選手だな」とも思った。松村は現実をしっかりと見つめていた。

「まだまだ足りないところばっかりなんですけど、徐々に自分の特徴というものを、ほかの選手にもわかってもらってきているので、最初に比べたら自分のよさは出せていると思います。

 ただ、プロになって感じるのは、判断のスピードが格段に違う。言葉で表現すれば、今までなら足もとで受けて考えてからプレーしても大丈夫だった。でも、今はワンタッチで処理しなければ間に合わないというか。

 判断だけでなく、寄せてくるプレッシャーのスピードも早いので、ふたつ先、3つ先が見えていないとダメなのかなと感じています。ドリブルやシュートだけでなく、もっとプレーの選択肢を増やしたうえで、自分の特徴を活かさなければいけないんだなって」

 急激に判断力を向上させる魔法は存在しない。それは、松村も十二分に理解している。

「ジュニア、ジュニアユース、高校とプレーしてきて、おそらくここまでは6、3、3という学年が示すように、全員が全員、同じ階段を登ってきた。でも、ここから先は一気にガラッと変わる。これまで6、3、3と一歩ずつだったものを、グンって上げるのは簡単じゃないですよね」

 振り幅をイメージしやすいように、松村は思い切り片手を上へと持ち上げた。だからこそ、日々の練習が重要になると力説してくれたが、興味深かったのはその考え方だ。

「まずは『できないこと』のほうが多いので、逆に『できること』に目を向けたんです。できないことばかりを意識してしまうと、自分がアントラーズに加入させてもらった特徴も活かせなくなってしまうので。自分はスピードだったり、ドリブルだったりを評価してもらえたから、アントラーズに加わることができたと思うんです。

 だから、まずはそこを出していくことが重要かなと。よさを見せていくなかで、周りから『今のはこうしたほうがよかったんじゃないか』『こうだったんじゃないか』と言われることで、新たな視点も見えてくると思う」

 できないことがあれば、そこに目が向いてしまうのが人間というものだ。コンプレックスという言葉や劣等感という意識があるように、それは人間の性(さが)とも言えるだろう。だが、松村はできることに着目することで、自分の魅力を最大限に発揮しようとしている。

「もちろん、できないことを考えはするんですけど、そこばかりを見ていると、できることもできなくなってしまうというか。実際、足りないところは多いですけど、練習試合ではドリブルで仕掛けたり、アシストできることもある。アントラーズには経験豊富な選手がたくさんいるので、その人たちの中で揉まれることで、できないところも磨かれてくるんじゃないかなと思っています」

 自分の武器は「スピードとドリブル」と認識している。ただ、高校時代と比べてすべてのスピードが格段に上がったプロの世界では、武器だと思っていた自分の特徴すらかき消されてしまう可能性もある。

「だから、迷わないようにしています。仕掛けようと思ったら、まずは仕掛ける。それが先ほども言った判断力を上げていくことにもつながるのかなと」

 松村ならば、デビュー戦の苦い経験もプラスに変えることができるだろう。思い切りのいいドリブルと縦に仕掛ける強気なプレー以上に、その思考に惹かれた。

 彼の原点はどこにあるのだろうか。それは、武器であるドリブルが武器になり得る前の幼少期にあった。

(後編につづく)

【profile】
松村優太(まつむら・ゆうた)
2001年4月13日生まれ、大阪府出身。大阪東淀川FCから静岡学園高校に進学。背番号10番を背負い、チームを同校初の単独優勝に導く。今季から鹿島アントラーズに加入。ポジション=MF。173cm、63kg。

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◆超大型ルーキー松村優太は、 すでに「アントラーズらしい選手」だ(Sportiva)





◆【鹿島】三竿健斗と小笠原満男が語るボランチ論◎特別対談(サッカーマガジン)






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小笠原満男が三竿健斗に期待するものとは? そして三竿が求める理想のプレーヤー像とは――。鹿島アントラーズの新旧キャプテンがチームに求められる『ボランチ』について語り合った。「KASHIMA ANTLERS YEARBOOK2020」に収録された特別対談の未公開部分を紹介する。

文◎池田博一 写真◎平岩亨(対談)、Getty Images


まだ、見えた世界で瞬時に判断しています(三竿)
考えられるようになったのは20代後半だよ(小笠原)


 攻守の要を担うボランチとして、ともにプレーし、ライバルでもあった。

 今シーズン、三竿健斗がアントラーズのキャプテンに就任したことで小笠原満男テクニカルアドバイザーとの共通点はまた一つ増えた。アントラーズのボランチであり、キャプテン。三竿と小笠原TAが今、本音をぶつけ合う。

 鹿島アントラーズイヤーブック2020の対談で掲載しきれなかった未公開部分を紹介する。

            ◎

――三竿選手は「チームを勝たせられる選手」を目指しているとよく口にします。

三竿 口で言うのは簡単だけど、やるのはすごく難しくて……。

小笠原 プレーの瞬間のことを、後で振り返るのはなかなか難しい。例えば健斗だったら、ボールを取れるという瞬間はすごく感覚的な面で持っている。そこは誰にも負けない。あまり褒めてもあれだから一つ言うと(笑)、今は遅攻すべきか速攻すべきか、相手のどこから崩すか、どういう縦パスを入れたら相手が嫌だとか、そういうのをもっと学んでほしい。
 あとは、センターバックの前に残って、相手の攻撃の芽をつむことはできているんだから、さらに怖い選手になるために、前線に出ていってゴールやアシストという数字を残せるようになってほしい。ミドルシュートもそうだし、身長があるからセットプレーでのヘディングだったり、アシストだったり、アシストの一つ前だったり、サイドチェンジだったり、というのをズバズバできるようになるといい。もっともっといい選手になってほしい。 
 そうすれば自然と代表も見えてくると思うから。

三竿 実際に僕自身、試合中にチーム全体のことを考えられているかといったら、まだまだ全然考えられていないと思っています。自分がどうボールを奪うかとか、ボールを受けたときにどうする、という自分の周りのことしか考えられていない。
 だから相手に対して、考えて崩しているとか、考えてサイドチェンジしているというよりは、自分の状況を悪くしないように、見えた世界で瞬時に判断している感じ。まだ相手のどこにスペースがあって、相手がいま勢いがなくなっているとか、そういうところまでは深く考えられていないから……。

小笠原 それは俺も24歳のときは分からなかったなあ。





――小笠原TAは、現役の終盤には「将棋のように試合を捉えるようになった」と話していましたね。

小笠原 そうだね。でも、俺は20代後半くらいだったよ。健斗は24歳ですごく考えられている。俺は24歳でここまで考えられなかった。

三竿 そんなことないですよ。

小笠原 これからもっともっとサッカーがおもしろくなっていくと思う。キャプテンになって、チーム全体を考えられるようになって、チームを俯瞰して見られるようになったら、さらにだね。

三竿 今はまだまだわからないですが……。

小笠原 今まで見えてなかったものが見えるようになってくるよ、だんだん。

――試合では様々な場面があります。一つひとつのプレーや選択を詰めていく作業が必要になりますね。

小笠原 まあ、あまり頭でっかちになって、そればっかりやるとうまくいかないから。徐々にでいいと思う。それはさ、ヤス(遠藤選手)とかがやればいい。
 やっぱりまずは自分のことだよね。あまり背伸びして高いレベルを求めないでいい。だんだん見えてくるもので、みんなそうだから。24歳でそれが見えていたらすごいけど、そんな選手はいない(笑)。ただ、そろそろ見え始めてくると思う。ゲームの展開とか流れとかいうのが徐々にわかってくると思うよ。

三竿 満男さんでもそうだったんですね。ボランチとしては大事な部分ですよね。

小笠原 まだまだ成長できるよ。楽しみだね。


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