日刊鹿島アントラーズニュース

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2023年11月20日月曜日

◆【鹿島】本山雅志氏「本山2世はすぐ見つかる。すぐ超えていく」悔いは「W杯出てみたかった」(ニッカン)



本山雅志


<本山雅志引退試合:アントラーズ・レジェンド9-5MO10・フレンズ>◇19日◇カシマ

今年4月に現役を引退し、現在は鹿島アントラーズのアカデミースカウトとして活動する本山雅志氏(44)の引退試合「モトフェス」が行われ、本山氏はハットトリックで最後の試合を締めくくった。

ジーコ氏(70)や東福岡高校時代の恩師の志波芳則氏(72)も駆けつけた。主役は、ちょっぴり目が潤んだようにも見えたが「プロになって泣いたことがないので。今日も泣くかなと思ったけど…。泣かなくなりました」と最後まで笑顔を貫いた。

「仲間に恵まれたサッカー人生」と振り返る一方で、悔いについて問われると「悔いはあります。W杯出てみたかった」。鹿島の同期は曽ケ端準氏、中田浩二氏、小笠原満男氏。本山氏は「五輪は出たけど、ワールドカップ(W杯)出てないし。あの世代の中ではみんなW杯出た。乗り遅れた。残念だった。中盤にいい選手がたくさんいてなかなか勝負できなかった。けがも多かった。でも、あきらめず、ふてくされず、やり続けた。同期の活躍は刺激だし、ライバル。いい距離感でいられて感謝しています」と話した。

子供のころから、サッカーが楽しくて続けてきた。「練習はしないといけない。楽しい時が一番伸びる。サッカーはミスがあるスポーツ。ミスをしたとき、何でミスしたのか考え、少しずつ技術上がっていった」。子供たちへ「小学生は楽しくサッカーをすること。ボール触っただけうまくなる」とアドバイスを送る。

「本山2世を見つけてほしい」と周囲から言われるが、「本山2世はすぐに見つかる」と言い切る。「僕より技術高い子供がいる。止める・蹴るがうまくなっている。本山はすぐ超えていく。その中でスルーパスとか、オリジナリティーを持ってやってくれる選手が出てくるとおもしろい。たくさんいますよ」と目を輝かせた。





◆【鹿島】本山雅志氏「本山2世はすぐ見つかる。すぐ超えていく」悔いは「W杯出てみたかった」(ニッカン)





2021年11月13日土曜日

◆「ずば抜けてる」内田篤人が裏解説で明かした“最高の左SB”とは? 森保ジャパンの戦いには持論「SBがゲームを作れば良い」(サッカーダイジェスト)






「長友も良く言うよね」と岩政氏も同調


 内田篤人氏が選ぶ最高の左サイドバックとは?

 日本を代表する右サイドバックだった内田氏は、昨年の8月に鹿島アントラーズで現役を引退すると、直後の9月に日本サッカー協会が新設したロールモデルコーチに就任し、世代別代表を担当。10月にはDAZNで冠番組の「Atsuto Uchida's FOOTBALL TIME」がスタートし、今年3月からはテレビ朝日系の報道番組「報道ステーション」でスポーツキャスターを務めるなど多方面で活躍中だ。

 シャルケでも活躍した名手は11月11日、ワールドカップ・アジア最終予選を戦う日本代表のベトナム戦(1-0勝利)をDAZNで解説。鹿島時代の先輩でもある岩政大樹氏と行なった日本代表戦の「裏チャンネル」では、試合の解説とともに、自身にとってのベストプレーヤーを明かした。その時の岩政氏とのやり取りは以下の通りだ。

「今でも思う。ベストな左サイドバックは誰と聞かれたら新井場さん」(内田)
「知らない人多いと思うよ新井場徹を」(岩政)
「僕が鹿島の時の左サイドバックが新井場徹さんです」(内田)
「長友も良く言うよね。『新井場さんが一番すごい』って」(岩政)
「俺は、ずば抜けて新井場さんなんだよね」(内田)
「能力はね。ちょっとサボっちゃうけど(笑)」(岩政)


 新井場は、稲本潤一、橋本英郎らと同期のガンバ大阪ユース出身の42歳。1998年にトップチームへ昇格しプロキャリアをスタートさせ、2004年に鹿島アントラーズへ移籍。内田氏が高卒ルーキーとして加入した2006年から左右のサイドバックとして多くの試合で共闘し、2007年~09年に達成した史上初のJ1リーグ3連覇に貢献したレジェンドだ。

 国内で数々のタイトルを獲得した内田&新井場コンビのようなサイドバックは現われるか。内田氏はベトナム戦後に「サイドバックがゲームを作れば良い」と日本対策が進む最終予選の戦いに一石を投じ、代表戦士たちへエールを送っている。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部




◆「ずば抜けてる」内田篤人が裏解説で明かした“最高の左SB”とは? 森保ジャパンの戦いには持論「SBがゲームを作れば良い」(サッカーダイジェスト)





2020年11月24日火曜日

◆ティアモ枚方がJFL昇格、小川監督は選手に感謝(ニッカン)









<全国地域サッカーチャンピオンズリーグ>◇決勝ラウンド最終日◇23日◇ゼットエーオリプリスタジアム

来季の日本フットボールリーグ(JFL)昇格をかけた全国地域チャンピオンズリーグは23日、千葉・市原で最終日の決勝ラウンド最終戦を行った。

関西リーグを制したTIAMO(ティアモ)枚方が0-0で栃木シティと引き分け、勝ち点5とし、1位で初のJFL昇格を決めた。大阪の枚方、寝屋川、交野を中心とした北河内地域からJリーグ参入を目指すクラブは鹿島アントラーズ、ヴィッセル神戸などで活躍したMF野沢、ガンバ大阪で10番を背負ったMF二川らの実力者を擁す。名古屋グランパスなどで活躍し、今年就任した36歳の小川監督は「選手が集中力を切らさず、最後まで戦ってくれた」と感謝した。


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◆ティアモ枚方がJFL昇格、小川監督は選手に感謝(ニッカン)


2019年6月6日木曜日

◆クラブではレジェンドなのになぜ?代表出場数ゼロの名選手(FOOTBALL TRIBE)



新井場徹 Toru.Araiba


コナミ フットボールオールスターズ 2011 Jリーグ Vol.4 鹿島アントラ...


インターナショナルマッチウィークの今週は、世界中で国際親善試合が開催されている。代表に招集されることは選手にとっても名誉なことだろう。しかし、確かな実力がありながらも代表に招集されなかった選手もいる。そこで今回はキャリアを通して代表出場試合数がゼロの選手をご紹介したい。


新井場徹

国籍:日本

ガンバ大阪、鹿島アントラーズ、セレッソ大阪で通算423試合に出場した名サイドバック。2001年には日本代表候補メンバー合宿に招集されるも、試合出場はゼロのまま終えた。




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◆クラブではレジェンドなのになぜ?代表出場数ゼロの名選手(FOOTBALL TRIBE)


2019年1月5日土曜日

◆元日本代表MF野沢拓也が関西1部のティアモ枚方へ(報知)



野沢拓也 Takuya.Nozawa


 元日本代表で、かつて鹿島、仙台などで活躍したMF野沢拓也(37)が関西1部のFCティアモ枚方に加入することが決まった。4日、FCティアモが発表した。野沢は2017年に仙台を退団後、昨季はオーストラリアのウーロンゴン・ウルブスでプレーしていた。

 FCティアモ枚方は大阪・枚方市を本拠とし、J1から数えて5部に相当する関西1部リーグに所属し、Jリーグ加盟を目指している。昨季は同リーグ4位の成績を収め、今季から京都などでプレーした辻本茂輝監督が指揮を執る。目標のJリーグ加盟に前進するため野沢の高い技術、優勝経験などを評価しオファーした。

 野沢はクラブを通じて以下の通り、コメントを発表した。

 この度、2019シーズンFC TIAMO(ティアモ)枚方に入団する事になりました野沢拓也です。

 私の持てる力の全てを注ぎ「チームの常勝」「JFL昇格」「Jリーグ参入」を仲間と協力して、必ず成し遂げたいと思っています。

 先日、鹿島アントラーズの小笠原満男選手が現役引退を発表しました。サッカーというのは年齢でするスポーツではないと思います。彼と共に過ごした時間は私の一生の宝物です。ありがとうと伝えたい。彼の分もエネルギーにかえて頑張ります!

 新たな挑戦となりますが、また成長出来る機会を頂けた事に感謝しております。

 多くの方々に枚方陸上競技場に足を運んで頂き、日頃よりご支援頂いているスポンサーの方々やサポーターの皆様と共に戦える事が今から楽しみです。よろしくお願いします。




◆元日本代表MF野沢拓也が関西1部のティアモ枚方へ(報知)



2017年7月29日土曜日

◆第15回 香里ヌヴェール学院 阪本晃司監督「選手たちからすごく情熱やパワーをもらっています」(高校サッカードットコム)




 今春に女子校から共学校となった香里ヌヴェール学院に男子サッカー部が創設された。同校の監督はMIOびわこ草津/MIOびわこ滋賀でプレーした阪本晃司氏が務め、テクニカルアドバイザーにはガンバ大阪、鹿島アントラーズ、セレッソ大阪でプレーした新井場徹氏が就任している。

 部員24人で臨んだ初の公式戦となった全国高校サッカーインターハイ(総体)大阪予選の2回戦では八尾翠翔に0-1で敗れ惜しくも初陣を白星で飾ることはできなかった香里ヌヴェール学院。
 そんな、創部1年目の香里ヌヴェール学院を率いる阪本晃司監督にお話を伺ってきた。

――.阪本晃司監督の自己紹介と経歴をお願いします。
 高校は島根の立正大淞南のサッカー部に所属していました。卒業後は関西大学に進学し、JFLのMIOびわこ滋賀でプレーをしていました。引退後は枚方のジュニアチームでコーチをした後、翌年監督になり、そして今年度から、香里ヌヴェール学院で監督としてチームを指揮することになりました。



――練習はどのようにされていますか?
 練習は学校の運動場でしています。練習時間は大体1時半程度ですかね。狭いスペースですが人工芝のグランドもあるので運動場と使い分けて練習しています。

――スタッフの方は何名くらいいらっしゃるんですか?
 チームがスタートしたばかりなので、新入部員24人を基本的には私がみています。毎週定期的にGKコーチに来てもらって指導をしてもらっています。私はGKをやったことがないので、そこは専門のコーチにお任せしています。

――チーム作りの方針を教えてください。
 学校としては勉強とスポーツを両立させることを目指しています。あとは人間性の部分をしっかりと教育していきたいと思っています。高校卒業後に大学に進学してサッカーを続ける生徒、プロになる生徒、就職する生徒、様々な生徒たちがこれから出てくると思うのですが、何をしていくにしても人間性の部分は一番大切ですので、その面は責任を持ってきちんと指導していきたいと思っています。

――高校生の指導は初めてとのことですが、どのような点を注意されて指導されていますか?
 アドバイザーの新井場さんとも話をしているのですが、勝つことにこだわりながらも、生徒たちのこれから先のことも考えて、どんなサッカーにでも対応できる選手に育てていきたいですね。その思いが根底にあるので、型にはめるようなことはせずに、子供のイマジネーションを大切にして指導をしています。

――1年生のみのチーム体制となりますが、今年の目標を教えてください。
 チームとしては、まずは香里ヌヴェール学院というチームを知ってもらいたいですね。試合会場での振る舞い、戦い方をいろいろな方にご覧になってもらって「しっかりしたチームだな」といった感じで興味をもってもらいたいですね。あとは、相手チームには3年生が多くいると思いますが、1番上を目指して戦っていきたいと思います。

――.監督のやりがいを教えてください。
 選手の顔を見ているだけでワクワクするんですよ。まだまだ見られない部分もあるのですが、アンテナをはっていたら選手のちょっとした変化に気づくことが出来るんです。「あっ、この辺が前より良くなったな」とか。そんな時にやりがいを感じますね。今は選手たちからすごく情熱やパワーをもらっています。監督って楽しいですよ。

――阪本監督、貴重なお話を有難うございました。

第15回 香里ヌヴェール学院 阪本晃司監督「選手たちからすごく情熱やパワーをもらっています」

2017年6月24日土曜日

◆<リポート>JFL昇格に向けた挑戦。FC TIAMOが描く未来図。(Yahoo)




現役時代はガンバ大阪や鹿島アントラーズ、セレッソ大阪で活躍した新井場徹がアドバイザーを務めるFC TIAMO枚方(以下、FC TIAMO)が、2度目の関西サッカーリーグDivision1(以下、関西リーグ1部)の戦いに挑んでいる。

1度目の関西リーグ1部参戦となった2015年は従来のチーム名『FC TIAMO』に地域名を加えた『FC TIAMO枚方』として新たなスタートを切ったが、わずか1勝しかできず最下位で再び2部に逆戻り。それを受け、クラブ体制の見直しを図って臨んだ昨年の同リーグを9勝3分2敗で優勝し、1部に返り咲くと、今シーズンはここまで7試合を戦って4勝1分2敗、3位とまずまずの滑り出しを見せている。

■時間をかけて育んできた『チーム愛』を大切に。

FC TIAMOの歴史は04年に遡る。先述の新井場がガンバ大阪に所属していた当時のチームメイト、播戸竜二(大宮アルディージャ)、稲本潤一(コンサドーレ札幌)とともに『FCイバンイーナ』を発足。大阪府社会人5部リーグから参戦し、毎年、所属リーグで優勝を重ねて現ステージに上り詰めた。

途中、稲本と播戸は移籍に伴ってクラブ経営から離れたが、新井場は継続して経営に携わり、06年はチーム名を『FC TIAMO』に変更して3部リーグ優勝を果たす。その中では、08年に小学生年代を対象としたFC TIAMOジュニアを、10年にはFC TIAMOジュニアユースを発足。11年にはトップチームも大阪府社会人リーグ1部優勝を果たして12年には関西リーグ2部に参入し、以降、冒頭に書いた通りに歩みを進めてきたというわけだ。現時点での目標は関西リーグ1部を征してジャパンフットボールリーグ(JFL)に昇格すること。今は会長職に退いている新井場はその夢を語る。

「FCイバンイーナ時代は正直、ここまでクラブの規模が大きくなるとは思っていなくて(笑)。ですが、チーム運営を進めてきた中でいろんな可能性に気づき、それが、自分の生まれ育った街にJリーグクラブを作りたいという思いに直結してここまできました。とはいえ今年で発足14年目ですからね。見方によっては時間がかかったと思う人もいるかもしれないけど、僕は正直、この課程がすごく大事だったと感じています。一気に資金を集めて、パワーをかけてチームを作る方法も否定はしませんが、時間をかけて浸透させたからこそ育まれたチーム愛もある、と。実際、去年の終わりくらいからサポーターが…Jリーグでいうゴール裏にいるサポーターのような太鼓を持って応援してくれるファンが自然発生的に存在するようになりましたが、そういう派生のパワーもチームを大きくしていくにはすごく大事だと思っています。その一方で、枚方市が40万人都市だという街のポテンシャルには着目しています。かといって、シンボルとなりうるものがないという現状にも。現に東海大学付仰星高校が全国高校サッカー選手権大会に出場したり、常翔啓光学園高校がラグビーの名門で知られてはいますが、街をあげて応援する状況には至っていません。ひらかたパークは『ひらパー兄さん』のV6岡田准一さんのおかげで知名度が高まりましたけどね(笑)。そういう意味では枚方市にはチャンスが広がっているし、この街で生まれ育ち、ずっとサッカーに関わって生きてきた僕としてはサッカーがこの街を盛り上げる要素の1つになってくれたら嬉しいとも思う。そのきっかけにFC TIAMOがなれば最高ですね(新井場)」

そんな風に考えるようになったのは新井場が現役時代に所属した鹿島アントラーズの運営に着目したからだ。鹿嶋市の人口は今年の5月1日現在で約7万人。だが、その街のシンボルともいうべき鹿島アントラーズは、地域に密着したクラブとしてその名を馳せ、近年、年間平均観客動員数が15000人を下回ることはまずない。昨年に至っては、93年から始まるクラブ史において、歴代6位となる20068人の平均観客動員数を数えるなど、その人気に衰えは見られない。もちろんこれらの数字はチームの結果に左右されるものでもあるが、しっかりと『クラブ愛』が育てば、同じことが枚方市でも可能だと新井場は考えている。

「鹿嶋市って鹿島アントラーズが誕生するまでは茨城県にあることさえ知らない人が多かったと思うんです(笑)。それがアントラーズによって、全国規模で街が知られるようになった。また松本山雅FCのある松本市も合併を繰り返す中で、今では10万人都市になりましたが、アントラーズと同じようにサッカーによって知名度が上がった街ですからね。特に松本山雅の場合は、僕らと同じように北信越リーグから始まってJリーグに参入するまでのクラブに成長したと考えても、その4倍近い人口を誇る枚方市にも大きな可能性を感じるし、この場所で地元の子供達が夢を叶えてJリーガーになるというストーリーが生まれれば、間違いなく、地域に密着したクラブとしてその形を大きくしていけると思っています(新井場)」

■2年前の反省をもとに、環境を整えて2度目のJFL昇格を目指す。

そんな風に新井場の熱に牽引されて成長してきたFC TIAMOは現在、新井場の鹿島時代のチームメイト、山本拓弥が監督を務める。

山本もまた新井場の熱に刺激を受けて仲間となり、ジュニア・ジュニアユース年代の指導者を経て、昨年からトップチームのコーチを、今年から監督業を預かっている。

「新井場さんの地元への思いや、サッカークラブの経営理念、そして何より『人』の部分ですよね。新井場さんが選手・スタッフはもちろん、このクラブに携わるすべての人を、ファミリーのように大事にする姿に共感して、僕も一緒に仕事をさせていただくようになりました。その中で、僕自身がサッカー選手として育った課程において大きな影響を受けたジュニアユース~ユース年代の育成指導にあたりたいという思いから、同カテゴリーの指導者からスタートしましたが、当時から並行して夜はトップチームのコーチをさせていただいていたんです。そんな中で昨年からトップチームが午前に練習をするようになったことを受け、また自身の将来的なことも考えて、アカデミーの指導者も続けながら、トップチームの監督をさせてもらうチャンスをいただきました(山本)」

その言葉にもあるように、また冒頭にも書いたように、1年で関西社会人リーグ2部に逆戻りした経験を踏まえ、FCTIAMOは昨年大きなテコ入れに踏み切った。選手が仕事を終えた後、夜に練習をしていた体制を、午前の練習に切り替えたことだ。チームスポンサーなどの協力を経て、クラブ側が仕事環境のサポートを行うことで、現所属の半分以上の選手が午前中は練習を、午後からはクラブが斡旋した企業で仕事をするという体制が整い、これまで以上にサッカーとの両立を図れるようになった。ゆくゆくはこれをより強化していくプランだと新井場は語る。

「スポンサー企業等にもご理解とサポートをいただき、現時点で12~13人の選手が午前中は練習を行い、午後から仕事をするという体制を敷けるようになりました。来年には5~6人はこの体制でやれる選手を増やして、さらに環境を整えるつもりです。といっても、選手個々にもいろんな事情があり、全員が今の体制でやれるわけでもない中で、実は未だに夜に練習をしている選手も何人かいます。チームを長く支えてきてくれた功労者もいる中で『午前練習に来れないからダメだ』とは言いたくないというか。地域に根ざしたクラブを目指せばこそ、このクラブの過程に携わってきてくれた彼らの存在も大事な戦力だと考えています。ということもあり、中には3部リーグの時から所属している最古参で、正直、見た目もすっかり『おっちゃん化』している選手もいて…(笑)。今はほとんど試合にこそ絡めませんが、水の準備など裏方の仕事に力を貸してくれていますし、彼とは立ち上げの時から『Jリーガー』にしてやると約束していましたからね。未だに毎年、選手登録はしてユニフォームも渡しているという選手もいます。その一方で、例えば、岡田武瑠のように、ポーランドリーグから戻って次のステージを模索している選手もいれば、今年から加入した小川直毅のように『Jリーグ』に野心を持ち、このチームをステップアップの場にしようと考えている選手もいます。でも、それぞれの目標や野心が違うのも、このステージを戦うクラブならではですからね。個々の目標は違っても、このチームを強くするために、という思いで在籍しているなら問題ない。それに、ここからステップアップする選手が誕生することもチームには大きな刺激ですしね。ただ…嬉しいことにTIAMOに加入すると、なぜか選手の多くがクラブ愛を深める傾向にあり (笑)、『TIAMOをJクラブにすることが目標にします』と目標変更を口にする選手も多いんですけど(笑)(新井場)」

■昨年までガンバ大阪に在籍した小川直毅もチームの一員に。

新井場の言葉に出てきた小川直毅は昨年までガンバ大阪に所属していた選手で、新井場にとってはガンバアカデミーの後輩でもある。ガンバとの契約が昨年限りで満了になった後、いくつかのJクラブに練習参加をして新天地を求め、契約直前まで進んだ話もあったが、最終的には話がまとまらず、FC TIAMOでプレーすることになった。

「J3リーグまで可能性を探り、テストも受けに行ったし、練習試合等での感触は良かったのに最終的には話がまとまらなかったりして…国外ということなら、カンボジアリーグでのプレーを勧められて気持ちが傾いたりもしました。ただ、そもそもの自分の目標は『もう一度、Jリーグでプレーすること』にありましたから。そのために今をどうすべきかを逆算して考えた結果、夏のウインドウでJクラブ入りを目指すには、国内でプレーした方がいいという考えに行き着き、いろいろ助けていただいていた新井場さんのTIAMOでお世話になることを決めました。もっとも、冬のウインドウで求められなかった選手が夏のウインドウでJクラブに加入できる可能性は限りなく低いと覚悟していますが、ガンバのトップチームに昇格して3年、途中、藤枝MYFCに期限付き移籍も経験した中で毎年、自分なりに成長への手応えはありましたからね。このまま自分のサッカー人生を終わるのは納得ができないというのもあったし、これまで認めてもらえなかった人を見返してやるという思いも大きかった。そういう思いがある限り、頑張ろうと思っています(小川)」

そんな小川は今、選手としてプレーする傍ら、主に大阪の北摂地域を中心に活動する『わくわくサッカースクール』でスクールコーチを行なっている。将来的を見据えてのことだ。

「夏のウインドウでのJリーグ復帰は目指しているとはいえ、今回のようにサッカーで飯が食べられなくなるということは、いつかまた経験することですから。次の仕事について考えるのもいい機会だと思い、練習のない午後からの時間を使って幼稚園、小学生を対象にしたスクールコーチをしています。最初はサッカーと並行してできるかなと思っていましたが、やってみると意外と面白くて。将来的には本腰を入れてもいいかなという気持ちも膨らんできています。ただ、いずれにせよ全ては、サッカーでの結論が出てから。今はTIAMOにもすごく愛着も感じているし、ここでサッカーをするのも楽しいし、『このチームをJFLに昇格させたい』という思いも強いので、難しい判断にはなりそうですが、まずは当初の目標通り、夏のウインドウでJリーグ復帰を目指した上で、その答えが出たら将来を再度考えようと思います(小川)」

その言葉にもあるように、小川は今「心からサッカーを楽しめている」そうだ。加入当初は自分の気持ちも整理できておらず、Jリーグより遥かに下のカテゴリーでプレーしている自分を受け入れ切れていないところもあったが、今は違う。チーム、環境にも慣れ、これまでとは違う立場でサッカーに向き合うことに、これまでにはない楽しさも感じている。

「このカテゴリーだからでもありますが、コンスタントに試合に出場しながら、チームの真ん中でプレーできているのは、すごく楽しい。それによって忘れかけていたサッカーの楽しさを思い出している自分もいます。ただ、本当にJを目指すのなら、この舞台ではもっと圧倒的な結果を残せなければいけないし、目に見えた数字がなければ注目もしてもらえないステージですからね。そこはまだまだ求めていかなければいけないところだと感じています(小川)」

そんな言葉を聞いた日から約1週間後。ホーム・枚方陸上競技場で行われた関西リーグ1部・第5節『FC TIAMO対バンディオンセ加古川』戦を取材に訪れた。結果は4-1で勝利。この日も先発を飾った小川は、正直『圧倒』とは言えないパフォーマンスだったが、ガンバ時代とはややプレースタイルを変え、個での仕掛けというよりは『チームのために』という意識を感じさせるプレーで攻撃を支えた。

そんな小川を含めたFC TIAMOを応援するスタンドにはこの日、思いの外、たくさんの観客が駆けつけていた。新井場が言っていた通り、時間の経過の中で誕生したサポーターもスタンドで熱い応援を続け、その周りでは試合後の同スタジアムで練習を控えていたFC TIAMOジュニアの子供たちが、『にいちゃん』選手に向かって一生懸命応援を繰り広げていた。そして、試合後にはトップチームの選手とジュニアが一緒に記念撮影。それが終わるとトップチームの選手と入れ替わるように、子供たちが元気いっぱいにボールを持って駆け出した。その光景に、改めてFC TIAMOの未来図を見た気がした。

https://news.yahoo.co.jp/byline/takamuramisa/20170623-00072441/

2016年3月31日木曜日

◆「宇佐美VS小野伸二」。世代別対戦シミュレーションをやってみた(ガジェット通信)


http://getnews.jp/archives/1437407



日本サッカー界で黄金世代(ゴールデンエイジ)として一世を風靡した1979年生まれの選手たち。そして、これからの日本代表を背負って立つと期待されている1992年生まれのプラチナ世代。

黄金と白金、現実には決してこの世代同士が戦うことはないと思いますが、全盛期同士だったら一体どっちが強かったのでしょうか(もちろんプラチナ世代はこれからまだ伸びるでしょうが)。サッカーファンなら某人気サッカーゲームなどで一度は目指したことがあろうドリームチーム。

今回は1979年度生まれと1992年度生まれ限定、ネームバリューと実績、それから独断と偏見で黄金と白金それぞれベストイレブンを作り、対戦シミュレーションをしてみました。



黄金に相応しい中盤のカルテット

黄金世代といえば、歴代最強ともいえる中盤がポイント。日本が誇るファンタジスタ、小野伸二。ミスターアントラーズ、小笠原満男がオフェンシブハーフです。国際Aマッチ出場最多記録を持つ遠藤保仁と2002年日韓W杯で大活躍した稲本潤一がダブルボランチで試合をコントロールします。



アタッカーは4カ国を渡り歩いた点取り屋、高原直泰がセンターフォワード。和製ベルカンプ、本山雅志をセカンドトップに持ってくると面白いと思います。

ディフェンスは4バックで、左から仕事人、新井場徹。センターバック2枚は抜群の安定感の中田浩二とスピードもある坪井慶介。加地亮が右サイドバックでえぐります。守護神は日本代表経験もある曽ヶ端準です。

リザーブには元日本代表のFW播戸竜二とMF羽生直剛、酒井友之。1999年FIFAワールドユース準優勝メンバーのSB石川竜也、CB手島和希。控えのキーパーは南雄太です。播戸あたりを後半残り10分あたりで投入したいですね。



日本版バルサ!?破壊力抜群の攻撃力

一方、プラチナ世代はどうでしょう。日本の若きストライカー、武藤嘉紀がセンターフォワード。ヨーロッパで活躍するスピードスター、宮市亮が左ウイングに。この世代の代表格、宇佐美貴史が1.5列目からの飛び出しを狙います。この前線3人の破壊力が武器ですね。



タクトを振るう司令塔は鹿島アントラーズの柴崎岳です。両サイドに高木善朗、堀米勇輝。浦和レッズに移籍した遠藤二世、遠藤航がボランチを務めます。

守備陣は3バック。左から川崎フロンターレのレギュラー、車屋紳太郎、U-17W杯でもセンターバックだった内田達也、さらに日本代表にも選ばれている昌子源が固めます。ゴールマウスを守るのはリオ五輪代表候補の櫛引政敏。

各世代の代表に選ばれているFW杉本健勇とFW宮吉拓実、前線も中盤もこなせる小川慶治朗、頭脳派ボランチの小島秀仁、CB岡本拓也、GK嘉味田隼が控え。ユーティリティーな選手が多いので色々と試せそうです。




全員がA代表経験者。総合力で黄金世代か

ワクワクするような2チームができました。

もちろんプラチナ世代はこれから伸びしろがあるわけですが、もし対戦したとなったら現時点では黄金世代の勝ちでしょうか。なんといっても全員がA代表に選ばれた実績を持つタレント揃いです。

よくもまあここまで同い年で活躍する選手が揃ったもんだと感心してしまいますね!みなさんなら、どんなフォーメーション、シミュレーションを考えますか?

2015年12月22日火曜日

◆元鹿島の3名が功労者賞に…柳沢敦氏は「積み重ね」への評価に感謝(サッカーキング)


http://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20151222/381755.html



 21日、Jリーグの年間表彰式「2015 Jリーグアウォーズ」が行われ、現役時代に鹿島アントラーズで多くのタイトル獲得に貢献した柳沢敦氏、中田浩二氏、新井場徹氏が、宮本恒靖氏や藤本主税氏とともに功労選手賞を受賞した。授賞式に出席した柳沢氏と中田氏が取材に応えた。

 現役初年度に新人王を獲得し、キャリアを通じて3度のベストイレブンに輝いた柳沢氏。「今までは選手としてその年の評価だったが、今まで積み重ねた結果を評価していただいき、本当に感謝したいと思います」とコメント。中田氏も「17年間やった結果としてこういう場に呼ばれていると思うので、非常にありがたいですし、嬉しく思っています」と口を揃えた。

 柳沢氏、中田氏、新井場氏は、今年7月5日に合同引退試合『ENCORE』を開催。同試合には、鹿島の現役選手やOBのほか、中山雅史や三浦知良といった3選手と親交の深い選手らが参加した。「出ていただいた方にはサッカーを楽しんでいただけた。浩二がなかなか点を決められない中でも本当にサポーターの方には盛り上げていただいて、あの場を選手と関係者の方々に手伝っていただき、サポーターも含めて本当に良い時間を過ごせたと思っています」と振り返った。

 中田氏は、今年から鹿島のクラブ・リレーション・オフィサー(CRO)として、ビジネス面でクラブをサポートした。「現場ではなく、また違った分野で1年間サッカーに携わらせていただいて、本当に違った視野、角度で勉強させていただいた。本当に楽しかったです」と述べた。

 また、鹿島のコーチとして1年を過ごした柳沢氏は、自身を「コーチとしてはど素人」としながらも「ただ、サッカーを始めた時と同じようにやっぱりこれから1つ1つを積み重ねなければいけないですし、レベルアップしてコーチとしても大きな舞台に立てるよう、まい進していきたいと思っています」と今後の目標を口にした。

2015年11月18日水曜日

◆柳沢、宮本ら日本屈指のレジェンド5人がJリーグ功労選手賞を受賞(フットボールチャンネル)


http://www.footballchannel.jp/2015/11/17/post120835/

柳沢、宮本ら日本屈指のレジェンド5人がJリーグ功労選手賞を受賞

 Jリーグは17日、元選手の新井場徹氏、中田浩二氏、藤本主税氏、宮本恒靖氏、柳沢敦氏の5人に功労選手賞を授与すると発表した。

 1997年にガンバ大阪でデビューし、その後鹿島アントラーズの黄金期を支えた新井場氏は昨年セレッソ大阪でのプレーを最後に現役引退。日本代表歴はないが、公式戦通算574試合に出場した。Jリーグ優秀選手賞も4度(2002年、2008年~2010年)受賞した実績がある。

 中田浩二氏はバーゼルやマルセイユに在籍してヨーロッパで活躍した経験を持っているが、Jリーグでは1998年から引退する2014年まで鹿島アントラーズ一筋でプレーした。功労選手賞の基準となる日本での公式戦500試合出場は達成していないが、日本代表として2002年と2006年の2度にわたってW杯に出場した実績を評価されての受賞となる。現在は鹿島でクラブ・リレーションズ・オフィサー(C.R.O)を務める傍ら、サッカー解説者などとしても活動している。

 藤本主税氏は1996年にアビスパ福岡でデビューし、サンフレッチェ広島、名古屋グランパス、ヴィッセル神戸、大宮アルディージャを経て2014年にロアッソ熊本で現役を引退した。公式戦通算532試合出場を誇り、日本代表としても2試合に出場。在籍した各クラブで優れたキャプテンシーを発揮した。

 現在ガンバ大阪のアカデミーでコーチを務める宮本恒靖氏はガンバ大阪で10年以上に渡って活躍し、オーストリア1部のザルツブルクを経てヴィッセル神戸に移籍。2011年に現役を引退すると、日本人の元プロ選手として初めてFIFA国際サッカー連盟が、国際スポーツ研究センター(CIES)と提携して運営するスポーツ学の大学院・修士課程「FIFAマスター」を修了した。

 日本での公式戦出場は通算499試合で、日本代表のキャプテンとして2002年と2006年のW杯に出場し、現在は選手育成に携わりながら解説者やJリーグ特任理事としても活躍している。

 そして柳沢敦氏は鹿島アントラーズで一時代を築き、京都サンガF.C.を経て2014年にベガルタ仙台で現役を引退し、現在は古巣鹿島でトップチームのコーチを務めている。日本代表として2002年と2006年、2度に渡ってW杯に出場した。海外移籍も経験しているが、日本での公式戦出場は573試合を誇り、国内屈指のストライカーとして名をはせた。

 今回功労選手賞の受賞が決まった5人は来月21日に開催される2015 Jリーグアウォーズで表彰される予定になっている。

【了】

2015年7月7日火曜日

★2015年(合同引退試合・カシマ)

中田浩二、新井場徹、柳沢敦の合同引退試合。彼ら3人の他に興梠慎三、マルキーニョス、三浦カズ、福西崇史がゴールを決めて5−2で鹿島レジェンズが勝利。ケガのリハビリをしている内田篤人も来てくれて、とても楽しい一日でした。






























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