日刊鹿島アントラーズニュース

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2018年9月2日日曜日

◆清水への移籍を迷った森岡隆三。 鹿島と対等での戦いに違和感があった(Sportiva)



森岡隆三 Ryuzo.Morioka


遺伝子~鹿島アントラーズ 絶対勝利の哲学~(26)
森岡隆三 後編

◆土居聖真「ボールを持つのが 怖くなるほど、鹿島はミスに厳しかった」(Sportiva)
◆中田浩二「アントラーズの紅白戦は きつかった。試合がラクに感じた」(Sportiva)
◆中田浩二は考えた。「元選手が 経営サイドに身を置くことは重要だ」(Sportiva)
◆スタジアム近所の子供が守護神に。 曽ヶ端準とアントラーズの幸せな歩み(Sportiva)
◆曽ヶ端準「ヘタでも、チームを 勝たせられる選手なら使うでしょ?」(Sportiva)
◆移籍組の名良橋晃は「相手PKに ガックリしただけで雷を落とされた」(Sportiva)
◆名良橋晃がジョルジーニョから継ぎ、 内田篤人に渡した「2」への思い(Sportiva)
◆レオシルバは知っていた。「鹿島? ジーコがプレーしたクラブだろ」(Sportiva)
◆「鹿島アントラーズは、まさにブラジル」 と言い切るレオシルバの真意(Sportiva)
◆「ジーコの負けず嫌いはハンパなかった」。 本田泰人はその魂を継いだ(Sportiva)
◆「アントラーズの嫌われ役になる」 本田泰人はキャプテン就任で決めた(Sportiva)
◆ユースで裸の王様だった鈴木優磨が 「鼻をへし折られた宮崎キャンプ」(Sportiva)
◆鹿島・鈴木優磨のプロ意識。 いいプレーのため、私生活で幸運を集める(Sportiva)
◆岩政大樹の移籍先は「アントラーズと 対戦しないこと」を条件に考えた(Sportiva)
◆三竿健斗は感じている。勝たせるプレーとは 「臨機応変に対応すること」(Sportiva)
◆三竿健斗は足りないものを求めて 「ギラギラした姿勢で練習した」(Sportiva)
◆森岡隆三が鹿島で過ごした日々は 「ジレンマとの闘いだった」(Sportiva)


「本当は負け試合だった。点を獲れそうで獲れないというゲームって、結構負けるじゃん。そうなるかなって思っていたけど、後半よく獲ったよ」

 約1カ月ぶりの先発でフル出場を果たした内田篤人がそう振り返った、8月28日ACL準々決勝第1戦の対天津権健戦。鹿島アントラーズは、60分レオシルバ、72分セルジーニョのゴールで2-0と勝利した。

 開始15分で3、4回ビックチャンスを迎えたが、シュートすら打てないシーンもあった。その後7度のコーナーキックを得るなど、試合の主導権を握ったが無得点で迎えたハーフタイム、選手たちは動じなかったという。

「変わらずやっていこう、とにかく失点をしちゃいけないという話を中心にしていました。前半決定機がたくさんあったので、ちょっと嫌な流れでしたけど、後半の早い段階でレオが得点を決めてくれたので。試合運びはやりやすかったかなと思います。1点入ってからのほうが集中しました。ここから絶対にやらせてはいけない。狙いがあれば2点目を獲っていこうと。全員がそう思っていて、同じベクトルを向けていられたのが良かったと思います」と語った安西幸輝は、この日はサイドバックではなく、サイドハーフとしてプレーしている。

 何度もチャンスを演出したが、「ジュビロ戦のことがあるから」と楽しさ以上に緊張感を抱き続けていた。8月24日のリーグ戦対ジュビロ磐田戦で、同点弾となってしまうPKを与えるハンドのファールを犯していたからだ。「この3日間はとにかくチームに貢献したいということだけを考えていたので、それができて良かった」と小さく微笑んだ。

 移籍加入後初ゴールを決めたセルジーニョも小さな安堵感を見せていた。

「第一印象が大事なので、出来れば、最初の試合で点を獲りたかったんですけど、残念ながら、うまくはいかなかった。でも、自分が真摯に練習に取り組んだ成果というのが、この大事なACLという大会で点を獲ることで出せたんじゃないかな」

 得点直後の失点、終了間際の失点、大量失点など、今年の鹿島の失点は”らしくない”ものが少なくない。そういうチーム状況を踏まえたうえで、ピッチに立った内田は、「ホームアンドアウェイって絶対にホームで失点しちゃいけない」と何度もチームメイトに訴えた。

「試合中もDFラインを集めて話しました。そのうえで、あわよくば、3点目、4点目を狙っていこうと。最後はシュートを打って終わる。当り前のことをやっていかないと勝てないというのがあるし、そこらへんは散々、ホームアンドアウェイをやってきたんで。わかっているつもりではいます」

 シャルケ04時代、欧州チャンピオンズリーグやヨーロッパリーグの決勝トーナメントでの試合を毎シーズンのように経験してきた内田。右サイドに立ちながら攻守に渡り、チームをコントロールする。その姿には、文字通り”ベテラン”の風格が漂う。周囲のベテラン選手に支えられ、引っ張られるようにプレーし、育まれていた8年前の内田が懐かしく思い出された。

「(小笠原)満男さんだったり、マルキ(マルキーニョス)だったりの後ろ姿でね、教わってきた。今の選手は若いけれど、ちゃんと、やっていこうって話せば、ピッチで表現できる技術があるから。いいチームだと思う。でも、そういうやるべきことをACLだけじゃなくて、Jリーグとか、他の試合でも詰めていかないと、本当の強さは出てこない。それが出ないと鹿島じゃないから」

 アントラーズの一員として、あるべき姿を伝えるべき立場になった内田の言葉が、重く響いた。

 天津権健とのセカンドレグは9月18日。そこまでの間には、Jリーグだけでなく、ルヴァンカップも控えている。ACL後には天皇杯もあり、どの試合も落とせるものではない。当たり前のことを当たり前にやれるかどうか。正念場は続く。





 1994年に高卒ルーキーとして、鹿島アントラーズ入りを果たした森岡隆三さんは、翌年夏に清水エスパルスへ半年間のレンタル移籍を果たしている(のちに完全移籍)。移籍直後から、エスパルスのレギュラーとして活躍。ファーストステージ12位だったチームはセカンドステージ4位と順位を上げる。移籍を決意するに当たり、森岡さんは「出場機会を求めて」「試合経験を積むために」というだけではない、覚悟を抱いていた。

 その後、長年ライバルという関係になった鹿島だが、森岡さんのキャリアにとって、鹿島での日々はどんな影響をもたらしているのだろうか。

――プロ1年目は1試合に出場しただけで、苦しい時間が続いたわけですが、2年目の1995年夏、清水エスパルスへのレンタル移籍を決断しました。

「2年目を迎えるにあたって、楽しもうと思ったんです。身体を鍛えること以上にボールを使い、自分の良さを出していきたいと。両親とは『3年間』という約束をしていたし、もう残り2年しかないわけですから。そういう気持ちになれたせいか、だんだん自分のプレーにも自信が持てるようになり、成長を感じることができたんです。まだ試合には出られていないけれど、可能性はあるんだと。そんなときに清水から『トップのレギュラーとして起用したいから』という話を頂きました。最初は鹿島で勝負したいという気持ちが強かったんです。でも、まだ19歳の僕に清水は大きな期待をかけてくれている。その年のファーストステージで、清水は失点がすごく多かったんですよ。そのディフェンスの補強に僕を選んでくれたんだと思ったときに、挑戦してみたいという気持ちに180度変わったんです。エスパルスは新しいクラブだけれど、サッカー処の清水にあり、それこそ高校サッカーのヒーローがたくさん在籍していたし、いい選手も多い。そのなかでチームのために力になれるという自信も自分には芽生えていたので、移籍を決意しました」

――最初はレンタル移籍でした。半年後に鹿島へ戻るということはイメージしていましたか?

「『経験を積んで、戻ってきて』と言ってくださる方もいたんですが、僕自身はそういう気持ちは正直なかったんです。というのも、僕がエスパルスへ加入するというのは、エスパルスの選手の仕事を奪いに行くことだと考えていたからです。『レギュラーとしての補強』と言われていたけれど、もちろんポジションが約束されていたわけではない。文字通りポジションを奪う、誰かの仕事を奪う覚悟がないとダメだと思っていました。それこそ、半年間、誰とも仲良くなれなくてもいいというくらいの気持ちです。だから、『半年経験を積む』という感覚にはなれなかった」






――退路を断っての移籍だったんですね。

「だから、鹿島の寮の荷物もすべて、清水へ運びました。でも、清水の寮の部屋が鹿島の3分の1くらいの広さしかなくて(笑)。結局、寮生活をせずに一人暮らしを始めたので、寮では段ボールをすべて開けることもなかったんですけど」

――鹿島との対戦のときはどんな気持ちでしたか?

「対等な立場での対戦というのは、やっぱり不思議な感じがありました」

――今までは紅白戦といえども、追いかける立場でしたからね。その後はライバルとして戦うクラブとなったわけですが、森岡さんにとって、鹿島アントラーズでの1年半はどのような影響を与えてくれましたか?

「在籍はわずか1年半で1試合にしか出場していないので、僕が鹿島にいたことを知らない方も多いと思います。でも、僕の選手としてのキャリアを振り返ったとき、鹿島の影響というのは非常に大きいと思います。ピッチ上はもちろんのこと、ピッチ外でもたくさんの思い出があります。先輩や同僚から受けた刺激は、思いのほか、僕のなかに染みていますね。やっぱり初めてのプロ生活はエキサイティングでしたよ。しかも前年度に優勝している選手といっしょに過ごすわけですから。たとえば、ロッカールームやサウナでの会話とかも思い出しますし、大人への入り口になったんだと思います」

――チームメイトもレベルの高い選手が多かった。

「当時サイドバックだった僕にとって、ジョルジニーニョは世界最高のサイドバックだと思っていました。高3のとき、ドイツ遠征でバイエルン・ミュンヘンの練習場へ行ったときに見たジョルジーニョ(1995年1月移籍加入)がチームメイトになったんですから、それは興奮しました。いっしょに過ごしたのは短い時間でしたけど。練習前に体幹を締めるトレーニングを毎日黙々とやっている姿を目にして、一流の選手のすごさを知りました。鹿島にはいろんなタイプのプロフェッショナルが揃っていたと思います。ハセさん(長谷川祥之)は、ヘディングも足元も巧いゴールゲッターでしたけど、ピッチに降り立つと柔らかい雰囲気を漂わせながらも男気の強い人でした。(大野)俊三さんは、お酒の大好きな優しい人なんだけど、スライディングをかわされたときに、頭でボールを奪い返しに行ったことがあるんです。絶対に抜かせないぞという気迫を感じました」

――プロとはなにかというのを学んだわけですね。

「プロとは? という問いの答えはいっぱいあると思うんです。鹿島には選手だけではなくて、それを突き詰めている人がたくさんいました。フロントやスタッフもそうですが、たとえば雄飛寮の寮監だった高野(勝利)さんをはじめ、クラブに関わっている人、ひとりひとりが自分の仕事に厳しさと責任を持っていると感じました。そういう個が強いからひとつになったときの結束力も強い。仲はいいけれど、馴れ合うこともない仕事人の集団という印象があります」

――選手だけではないと。

「はい。だから選手も同じですよね。俊三さん、石井(正忠)さん、奥野(僚右)さん、賀谷(英司)さん……徹底的に自分の仕事をまっとうする、プロとはこういうことだなとたくさんの人たちが教えてくれました」

――6月まで指揮を執っていたガイナーレ鳥取では、「選手同士で要求をし合う空気」を求めているとお話しされていましたが、それは鹿島での経験が影響しているのでしょうか?

「そうですね。文句を言い合うのではなく、『こうしてほしい』という要求です。周囲にそれを求めるためには、自分がしっかりとやらなくちゃいけないという責任が生まれます。鹿島に限らず、強いチームというのは、そういう空気があるものです」




――現在は監督業から離れていますが、将来鹿島で指揮を執るというような気持ちは?

「イヤ、僕は鹿島と戦いたいですね。やっぱり鹿島といえば、『強い』というのが僕のなかでは大きいから」

――今、「鹿島は強い」というお話しでしたが、その強さの秘密というのは、先ほどのプロ意識以外にどんなところにあると思いますか?

「チームにはピッチ上でのルール、カルチャーというのがあります。この局面ではボールを外へ出すのか? 繋ぐのか?とか。それらをもたらすのは監督である場合が多いので、監督が代わればルールも変わってしまうことがあります。しかし、ベテランと言われる選手がそれを作り、中堅若手とつないでいくこともできる。それでも選手の入れ替わりや年齢構成などによって、そのカルチャーを継承できなくなる時期が生まれるものですが、鹿島は絶妙なスカウティングで、そういう魂を繋ぎ続けているんだと思います。タフなセンターバック、ボールを持てる中盤、強いフォワードがいて、サイドバックが上がってくる。そこに鹿島のサッカーの面白さと堅さがあります。そういう基盤に応じた選手を獲得しているし、育てているのが強さなんだと思います」

――ワールドカップのロシア大会では、大迫勇也、柴崎岳、昌子源とその鹿島でプロデビューした選手が日本代表のセンターラインを構築しましたね。

「日本代表のほとんどの選手が海外でプレーするという時代は、今後も続いていくのかもしれません。何人Jリーグの選手がいるのかという感じになったとき、鹿島の選手がそこに入ってくるように、鹿島にはJリーグを引っ張って行ってほしいと思います」


◆清水への移籍を迷った森岡隆三。 鹿島と対等での戦いに違和感があった(Sportiva)



2018年8月26日日曜日

◆森岡隆三が鹿島で過ごした日々は 「ジレンマとの闘いだった」(Sportiva)



森岡隆三 Ryuzo.Morioka

遺伝子~鹿島アントラーズ 絶対勝利の哲学~(25)
森岡隆三 前編

◆土居聖真「ボールを持つのが 怖くなるほど、鹿島はミスに厳しかった」(Sportiva)
◆中田浩二「アントラーズの紅白戦は きつかった。試合がラクに感じた」(Sportiva)
◆中田浩二は考えた。「元選手が 経営サイドに身を置くことは重要だ」(Sportiva)
◆スタジアム近所の子供が守護神に。 曽ヶ端準とアントラーズの幸せな歩み(Sportiva)
◆曽ヶ端準「ヘタでも、チームを 勝たせられる選手なら使うでしょ?」(Sportiva)
◆移籍組の名良橋晃は「相手PKに ガックリしただけで雷を落とされた」(Sportiva)
◆名良橋晃がジョルジーニョから継ぎ、 内田篤人に渡した「2」への思い(Sportiva)
◆レオシルバは知っていた。「鹿島? ジーコがプレーしたクラブだろ」(Sportiva)
◆「鹿島アントラーズは、まさにブラジル」 と言い切るレオシルバの真意(Sportiva)
◆「ジーコの負けず嫌いはハンパなかった」。 本田泰人はその魂を継いだ(Sportiva)
◆「アントラーズの嫌われ役になる」 本田泰人はキャプテン就任で決めた(Sportiva)
◆ユースで裸の王様だった鈴木優磨が 「鼻をへし折られた宮崎キャンプ」(Sportiva)
◆鹿島・鈴木優磨のプロ意識。 いいプレーのため、私生活で幸運を集める(Sportiva)
◆岩政大樹の移籍先は「アントラーズと 対戦しないこと」を条件に考えた(Sportiva)
◆三竿健斗は感じている。勝たせるプレーとは 「臨機応変に対応すること」(Sportiva)
◆三竿健斗は足りないものを求めて 「ギラギラした姿勢で練習した」(Sportiva)


 8月22日、鹿島アントラーズでは、24日の対ジュビロ磐田戦へ向け、紅白戦が行われていた。午前中ではあるものの日差しは強く、残暑は厳しい。ピッチ上に立つ選手たちの高い集中力が伝わってきた。ピッチ脇のベンチに座るジーコの視線が熱く、いつも以上に熱のこもったトレーニングが行われている。思い通りにプレーができないと声を出して悔しがる選手を見ていると、「本番さながら」という言葉がぴったりと当てはまる雰囲気だ。

 7月18日リーグ再開から約1カ月の間に10試合を戦うハードスケジュール。特別指定選手の名古新太郎を加えた31名の選手のうち先発出場したのは22選手、途中出場のみ4選手と文字通り総力戦で、5勝3分2敗と粘り強さを見せている(記録は8月25日現在)。しかし、快勝という試合は少なく、チャンスを作りながらも決めきれない、決定力不足や、呆気ない失点など課題も多い。

 そんななか、8月28日には、ACL準々決勝の対天津権健戦が控えるだけに、わずかでも課題解消への足掛かりをつかみたいところだ。

 鹿島アントラーズは、過去数多くのワールドカップメンバーを輩出してきた。2002年日韓大会のメンバーだった森岡隆三もそのひとりだ。1994年に桐蔭学園から加入している。しかし、公式戦出場試合は1試合のみ。1995年夏には清水エスパルスへ移籍していた(当初はレンタル移籍)。その後、フィリップ・トルシエ監督のもとで、センターバックとして、シドニー五輪にオーバーエイジ枠で出場。アジアカップ優勝を経て、ワールドカップメンバーとなった。2007年京都サンガへ移籍し、2008年シーズン後に現役を引退。翌シーズンは京都でトップチームのコーチとして、指導者の道を歩き出し、2017年J3のガイナーレ鳥取の監督に就任したが、2018年6月にチームを離れた。 

 プロとしての第一歩を踏み出した鹿島での思い出を振り返ってもらった。

――桐蔭学園は、当時も高校サッカーでは強豪校のひとつでしたが、Jリーグもまだ発足したばかりでした。プロサッカー選手を目指していたのでしょうか?

「兄の後を追いかけてサッカーは始めたのですが、兄が読売クラブ(現東京ヴェルディ)の下部組織に所属していたので、僕自身もそういうふうには考えていました。ただ、桐蔭学園中学校を受験することになり、学業面のボリュームを考えて、部活でのサッカーを選びました。高校に上がる際、当時のサッカー部は少数精鋭、全国から優秀な選手が集まる強豪チームだったので、通常、内部進生は入れませんでした。けど、どうしてもレベルの高いところでプレーしたかった私は、李国秀監督にお願いして、練習に参加させてもらうところからのスタートでした。実際、練習になんとか食らいついてくのがやっとの日々の連続で、プロになるなんて、全く想像もしていませんでした。サッカーの名門大学へ進学できればいいなぁと思うこともありましたが、正直、先のことを考える余裕はなかったですね」

――それでも1年の最後には、レギュラーポジションを獲得し、ユース代表にも選ばれるようになります。

「高3のインターハイ直後(3位)に監督から『大学へ行くか、プロへ行くか休みの間に決めなさい』と言われたんです。休みといっても3日間しかなかったんですけど(笑)。プロという選択肢を初めて意識したのはこのときです。自分にもその可能性があるのかと思い、『可能性があるなら、プロへ行きたい』と両親に相談しました。それで3年やってみてダメなら、勉強し直して大学へ行くという約束をし、プロ入りの希望を監督に告げました。その直後に鹿島アントラーズの練習に参加させてもらったんです」




――1993年のことですね。Jリーグ開幕後のファーストステージで優勝したばかりの鹿島の練習に参加というのをどのように受け止めていたのでしょうか?

「高校生にとっては、強い=カッコいいというふうには思いましたね。しかも、当時のヴェルディが持っていた華やかなカッコよさとは違う、硬派なカッコよさは私の好みでした。そういうチームの練習に参加できるんだから、当然嬉しいですよ。桐蔭から数名で1週間くらい参加したんです。寮に泊まらせてもらって、先輩の車で練習場へ行きました。サテライトの練習に参加したんですが、とにかく最高でしたね。こんなにサッカーばっかりやっていられる生活があるのかって(笑)。また環境が素晴らしい。鹿島アントラーズがすごいのは、クラブハウスだけでも選手を魅了できるところ。ドイツ遠征で見たバイエルン・ミュンヘンの練習場と同じような感じで、『こんなのが日本にもあるのか』と思いました。ロッカールームの前にはお店であるような冷蔵庫があって、スポーツドリンクがぎっしり詰まっていて、『これは飲み放題なのか?』って思ったり、洗濯された練習着が用意されていて、自分で洗濯しなくてもいいのかと思ったり、与えられる分、相応の責任があるということも考えずに、呑気に『こんな幸せがあるのか』と思いましたね(笑)」

――しかし、当然選手のレベルも高いなかで、自分が試合に出られるだろうかという不安はありませんでしたか?

「そういうことは考えなかったですね。誰とポジションを争うのかということは一切考えなかった。まずはここへ入りたいという気持ちだけですね。たとえなかなかチャンスが巡ってこなくても、鹿島で前向きにコツコツやっていればきっと成長できると」

――当時のJリーグはトップのリーグ戦の試合数も多く、サテライトリーグも毎週のように試合があり、多数の選手が在籍しているので、段階を踏んでトップチームへというイメージだったのかもしれませんね。

「それでも、出来るだけ早くプロに近づきたいと思い、加入が決まってからは、まずは身体を作ろうと徹底的に鍛えました。1994年シーズン開始からチームに合流することが決まっていたんですけど、1月20日すぎには、寮へ行ったんです。でも、誰もいなかった(笑)。『みんな2月くらいにならないと来ないよ』と言われて、ひとりで自転車に乗って、クラブハウスへ行き、走り込みを続けたんです。そしたら、シーズン前のメディカルチェックで、両すね疲労骨折という診断が下されました(笑)」

――まさかのリハビリからスタート?

「はい。3カ月くらい出遅れました。同期の橋本(研一)や熊谷(浩二)はトップで試合に出ているのに……。夏になってやっと合流し、横浜マリノス(現横浜F・マリノス)戦で出場のチャンスがきたんですが、ラモン・ディアスにやられてしまいました。それでサテライトに舞い戻りチャンスが遠のきました」

――コツコツやっていくというふうに考えていながらも、同期がトップの試合に絡んでいるのを見ると焦りもありますよね。

「実際に守備ができていないんだという自覚もありましたし、とにかく必死でした。で、次はベンチに入れるかもしれないぞという手ごたえを掴んだとき、ユース代表に招集されて、チームを離れなくちゃいけなかったり。ユースでも試合に出られず、太って帰ってくるということもありました。そうするとサテライトリーグでベンチを外れることになったりして。トップのベンチ入りかというところから、一気にサテライトでのベンチ外ですからね。イライラすることも当然ありました。『もう今年は身体作りだ』と切り替えたら、今度は腰を痛めたり……そういう上手くいかないというジレンマとの闘いの1年間でした」

――ポジション争いというよりも自分との闘い。

「でしたね。自信がないからこそ『俺はほかの選手とは違うものがある』と、妙なプライドみたいなものを抱き、不安だからこそ吠えていたところもあったと思います。鹿島での生活はそこから抜け出すための時間だったとも思います。イライラ、ウジウジしてばかりだった僕は、先輩たちのかけてくれる言葉に救われました。時に厳しく、時に温かく。食事に誘ってもらったり、家に呼んでもらったり、時には寮のサウナでも。厳しいなかにも優しさや温かさがあって、それに包まれている感じです。鹿嶋は町も小さいし、町ぐるみでというところもありましたね。そのうえで選手と選手との距離感が近い。その空気に包まれているからこそ、オン・ザ・ピッチはもちろん、オフ・ザ・ピッチでも、自然と若手が大人になる、育っていく環境が鹿島にはありましたね。そうやって『プロの世界とは』というのが受け継がれている。それが鹿島の強みの一つなのではないかと思います」


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◆森岡隆三が鹿島で過ごした日々は 「ジレンマとの闘いだった」(Sportiva)




2017年2月11日土曜日

◆13日Jリーグキックオフカンファレンス参加監督&選手が決定、DAZNが生配信(ゲキサカ)




 Jリーグは13日に行う「2017Jリーグキックオフカンファレンス」に参加する監督と代表選手が決定したと発表した。イベントの模様はDAZNおよびJリーグ公式Facebookで動画配信される。

▽J1
【北海道コンサドーレ札幌】
四方田修平監督
宮澤裕樹

【ベガルタ仙台】
渡邉晋監督
増嶋竜也

【鹿島アントラーズ】
石井正忠監督
鈴木優磨

【浦和レッズ】
ペトロヴィッチ監督
宇賀神友弥

【大宮アルディージャ】
渋谷洋樹監督
江坂任

【柏レイソル】
下平隆宏監督
中谷進之介

【FC東京】
篠田善之監督
大久保嘉人

【川崎フロンターレ】
鬼木達監督
中村憲剛

【横浜F・マリノス】
エリク・モンバエルツ監督
扇原貴宏

【ヴァンフォーレ甲府】
吉田達磨監督
堀米勇輝

【アルビレックス新潟】
三浦文丈監督
大野和成

【清水エスパルス】
小林伸二監督
白崎凌兵

【ジュビロ磐田】
名波浩監督
上田康太

【ガンバ大阪】
長谷川健太監督
藤本淳吾

【セレッソ大阪】
尹晶煥監督
杉本健勇

【ヴィッセル神戸】
ネルシーニョ監督
田中順也

【サンフレッチェ広島】
森保一監督
青山敏弘

【サガン鳥栖】
マッシモ・フィッカデンティ監督
鎌田大地

▽J2
【モンテディオ山形】
木山隆之監督
本田拓也

【水戸ホーリーホック】
西ヶ谷隆之監督
船谷圭祐

【ザスパクサツ群馬】
森下仁志監督
永井雄一郎

【ジェフユナイテッド千葉】
フアン・エスナイデル監督
近藤直也

【東京ヴェルディ】
ロティーナ監督
井上潮音

【FC町田ゼルビア】
相馬直樹監督
平戸太貴

【横浜FC】
中田仁司監督
野村直輝

【湘南ベルマーレ】
チョウ・キジェ監督
高山薫

【松本山雅FC】
反町康治監督
高崎寛之

【ツエーゲン金沢】
柳下正明監督
山崎雅人

【名古屋グランパス】
風間八宏監督
佐藤寿人

【FC岐阜】
大木武監督
庄司悦大

【京都サンガF.C.】
布部陽功監督
エスクデロ競飛王

【ファジアーノ岡山】
長澤徹監督
赤嶺真吾

【レノファ山口FC】
上野展裕監督
岸田和人

【カマタマーレ讃岐】
北野誠監督
仲間隼斗

【徳島ヴォルティス】
リカルド・ロドリゲス監督
岩尾憲

【愛媛FC】
間瀬秀一監督
白井康介

【アビスパ福岡】
井原正巳監督
亀川諒史

【V・ファーレン長崎】
高木琢也監督
村上佑介

【ロアッソ熊本】
清川浩行監督
岡本賢明

【大分トリニータ】
片野坂知宏監督
後藤優介

▽J3
【グルージャ盛岡】
菊池利三監督
安楽健太

【ブラウブリッツ秋田】
杉山弘一監督
下田光平

【福島ユナイテッドFC】
田坂和昭監督
星広太

【栃木SC】
横山雄次監督
廣瀬浩二

【Y.S.C.C.横浜】
樋口靖洋監督
辻正男

【SC相模原】
安永聡太郎監督
川口能活

【AC長野パルセイロ】
浅野哲也監督
明神智和

【カターレ富山】
浮氣哲郎監督
椎名伸志

【藤枝MYFC】
大石篤人監督
チャン・ワタナカ

【アスルクラロ沼津】
吉田謙監督
尾崎瑛一郎

【ガイナーレ鳥取】
森岡隆三監督
畑中槙人

【ギラヴァンツ北九州】
原田武男監督
山岸範宏

【鹿児島ユナイテッドFC】
三浦泰年監督
赤尾公

【FC琉球】
金鍾成監督
藤澤典隆

http://web.gekisaka.jp/news/detail/?209265-209265-fl

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