
日刊鹿島アントラーズニュース
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2018年6月10日日曜日
◆元日本代表・柳沢敦の「下半身」が継承できなかった“夜のジーコイズム”(Asagei)

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元サッカー日本代表で現在は鹿島アントラーズのコーチを務める柳沢敦が、「週刊女性」(6月19日号)で同チームの美人サポーターとの不貞が報じられ、サッカー関係者の間で激震が走っている。
「ただでさえW杯代表メンバー発表前にハリルホジッチ監督を解任した騒ぎで、サッカー人気は低迷しています。それでも選ばれたメンバーが初戦に向けて何とか盛り上げていこうとしていた矢先、水を差す結果になってしまった。サッカーファンからは冷ややかな声が上がっています」(サッカーライター)
柳沢が現役時代に所属していた鹿島といえば、ブラジル代表として活躍したジーコが常勝軍団に育て上げ、選手たちは「ジーコイズム」を継承してきた。その“教え子”である柳沢は、ジーコが日本代表監督を率いた06年ドイツW杯で、FWで起用されたが、結果を残せずに悔しい思いをしている。
「『シュートはゴールにパスをするように』とジーコは口癖のように指導してきました。それでも愛弟子の柳沢は、クロアチア戦でゴール前の決定機を外し、ジーコイズムの教えを体現することができなかったんです」(前出・サッカーライター)
その時は予選敗退で戦犯扱いも受けてしまったが、柳沢が継承できなかったのはシュート技術だけではなかった。
「ジーコは女遊びに厳しい人で、監督時代に代表合宿中に夜の飲食店で遊んでいた選手に対して烈火のごとく怒り、その後の代表選考で落選させています。その時、柳沢は店には行っていませんが、過去にはモデルの梨花と付き合っていた時、代表合宿中に外出禁止を破って痛い経験もしている。乱れた女性問題がサッカーに悪影響を及ぼすことは、ジーコから散々、叩き込まれて学んでいるはずなのですが…。結局、鹿島は次期監督候補として柳沢を育てるつもりでしたが、今回の不貞報道でいったん白紙になるとみられています」(前出・サッカーライター)
下半身の反応の速さがアダとなってしまったようだ。
元日本代表・柳沢敦の「下半身」が継承できなかった“夜のジーコイズム”
◆MF柴崎岳 「ダイレクト」可能にする優れた戦術眼(スポニチ)
侍 俺の武器

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代表デビュー時から、MF柴崎岳(26)のダイレクトプレーは際立っていた。初めて国際Aマッチに出場した14年9月9日のキリンチャレンジ杯ベネズエラ戦では、岡崎のクロスにダイレクトボレーで合わせて代表初得点を記録。さらにデビュー2戦目となった同年10月10日の同杯ジャマイカ戦では1タッチパス総数205本のうち、柴崎がチーム最多の25本とパスワークの要を担った。
効果的なダイレクトプレーを可能にしているのは、優れた戦術眼と視野の広さ。西野体制では攻撃的ボランチとしてオフェンスの活性化を担う。スペインに移籍し「世界の主要リーグでのスピードに慣れた」という自信を胸に「ゲームの展開の幅やスピードをコントロールしたり、チームが少しでもゲームを快適にプレーできるシーンをつくっていくようにプレーすることが大事」と役割を自負。攻撃のキーマンとしてロシアで羽ばたく。
◆柴崎 岳(しばさき・がく)1992年(平4)5月28日生まれ、青森県出身の26歳。青森山田高から11年に鹿島に入団。16年クラブW杯決勝Rマドリード戦で2得点と活躍し、17年1月にスペイン2部テネリフェ入り。同7月に同1部昇格のヘタフェに4年契約で加入。Rマドリード、バルセロナからともに得点した初の日本人。国際Aマッチ通算16試合3得点。1メートル75、62キロ。利き足は右。
MF柴崎岳 「ダイレクト」可能にする優れた戦術眼

◆このままじゃ3連敗 秋田豊氏先発6人入れ替え提言(ニッカン)

<国際親善試合:日本0-2スイス>◇8日◇スイス・ルガノ
今のままなら、ワールドカップは黒星3つで終わる-。引き分けすら難しい-。日刊スポーツ評論家の秋田豊氏(47)は、スタメンの大幅な入れ替えを主張した。スイス戦のスタメンから、本田や長谷部ら6人、さらに4バックから3バックへの転換を提案した。決勝トーナメントへのいばらの道。日本をそこに導くのは、西野監督の決断力と、みた。
◇ ◇
西野監督は、ガーナ戦とスイス戦のスタメンを中心にメンバー構成を考えているようだが、このままでは勝ち点1も難しい。この時期だから、あえて厳しいことを言うが、スイス戦のスタメンから6人は入れ替える必要がある。本田→柴崎、長谷部→山口、槙野→昌子、川島→中村、宇佐美→乾、酒井高→植田に代え、3バックで戦った方が、わずかながら勝ち点を取る可能性は上がるのではないだろうか。
先制点を許した場面。吉田のファウルだけが目立ったが、実はその前のプレーで酒井高があっさりかわされ、相手をスピードに乗せたことが一番の原因だ。酒井高は、ほかにも相手CK時にマークを外すなど、大きなミスが目立つ。相手のFKミスで失点にはならなかったが、槙野はガーナ戦に続き、この日もペナルティーエリア近くでファウルしているし、クロスに対する守備にも課題がある。
長谷部は運動量が少ない分、中盤で守備の組織が崩れることがあり、大島の攻撃力も生きない。本田はシュートの決定力が落ちている。川島は致命的なミスがあったし、宇佐美は攻撃で特別な存在でないといけないが、それを感じさせるプレーはなかった。
攻守の切り替えが課題と言われるが、いい攻撃は間違いなくいい守備から生まれる。守備が安定しないから、攻撃陣も守備が気になりすぎて、果敢な攻めができない。この23人で1次リーグを突破する可能性は十分ではないが、やり方次第ではあると思っている。それを実現させるには、西野監督の勇気ある決断が必要だ。(日刊スポーツ評論家)
このままじゃ3連敗 秋田豊氏先発6人入れ替え提言

◆日本代表FW大迫勇也、攻撃面に課題挙げるも「可能性はある」(GOAL)

日本代表FW大迫勇也が、0-2で敗れたスイス代表戦を振り返った。
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「僕がすごく揺さぶられてしまった。相手にうまく走らされて、僕が1人で追って後ろが下がって。すごくきつかったです」
日本代表チームで1トップを任されているFW大迫勇也(ブレーメン/ドイツ)は、現地時間8日に行われた国際親善試合・スイス代表戦をそう振り返る。消耗させられた大迫は40分でピッチを退き、チームも決定機を作れないまま0-2で敗れた。
「相手のレベルが上がると、サイドにいい形でボールが入っても、いなされてしまう。仕掛けるタイミングとかメリハリが重要になってくる。ちょっとしたポジショニングやスイッチの入れどころで変わるはずなので、みんなでしっかり映像を見て反省したい」
大迫の言葉通り、日本はボールを握る時間帯もありながら、攻撃面で有効打を放つことができなかった。敵陣深くで前を向いても、人数が足りずに仕方なく後ろへ戻すシーンが目立ち、大迫は「サイドに入ったときにもっとセンタリングを上げてもいい。あとはゴール前にしっかりと入っていくこと」を課題に挙げた。
しかし収穫もあると話す。「守備はハマったと思います。完全にダメだった試合だとは思わない。前半や後半の立ち上がりにチャンスはあった。可能性はある」と前を向いた。
日本代表は12日に、2018FIFAワールドカップ・ロシア本戦前最後の試合となるパラグアイ代表戦を控える。
日本代表FW大迫勇也、攻撃面に課題挙げるも「可能性はある」

◆負傷交代の大迫は打撲…守備に追われ「あのやり方だと誰でも30分で死ぬ」(スポニチ)
国際親善試合 日本0―2スイス ( 2018年6月8日 スイス・ルガノ )

ワントップで先発した大迫が前半40分で負傷交代した。相手との接触プレーで腰のあたりを強打して「横の動きが、すごく痛かった」とピッチに座り込んだ。ひやりとさせたが、打撲で重症ではないという。
負傷交代の大迫は打撲…守備に追われ「あのやり方だと誰でも30分で死ぬ」

◆日本代表MF柴崎岳「セットプレーは大きなポイントになる」と手ごたえ(GOAL)

日本代表のMF柴崎岳が、0-2で敗戦を喫したスイス代表戦を振り返った。
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現地時間8日に行われた国際親善試合・スイス代表戦で、日本代表は0-2の敗戦を喫した。これで前任のヴァイッド・ハリルホジッチ時代から3連敗。西野ジャパンとしては、2試合連続の無得点に終わった。
「攻撃に幅を持たせるのが自分の役割」と明言する柴崎だが、「まだ前線のボールの動かし方とか、攻撃面の整理ができていない。ちょっとちぐはぐな印象がある」と首をひねる。「(点を)取れないと勝てないし、攻撃面が整理できれば守備にもいい影響が出てくる。今はボールの取られ方が悪いので、そこの質ですよね」とプレーのクオリティーを課題に挙げた。
81分には日本にCKのチャンス。これを柴崎が蹴り、DF吉田麻也が頭で合わせに行くも、DFに体を入れられフィニッシュまではつながらなかった。しかし90分の中では最も得点の匂いを感じさせたプレーとなり、「練習ではいいイメージで蹴れている。その1本だけでしたけど、今日も練習通りに蹴れましたし、味方も見てくれている。そこは大きなポイントになると思います。特に本番では」とセットプレーに自信を見せる柴崎。
「追いかける状況、得点を取りに行かなければいけない状況が多いと思うので、なるべく前の選手が前向きでボールを受けて仕掛けられる状況を作りたい。リスクと隣り合わせですが、アグレッシブに前線に付けていきたい。チームがスピードアップしていけるようなボールを出していけたら」と意欲的に語った。
日本代表は12日に、2018FIFAワールドカップ・ロシア本戦前最後の試合となるパラグアイ代表戦を控える。
日本代表MF柴崎岳「セットプレーは大きなポイントになる」と手ごたえ
◆ユースで裸の王様だった鈴木優磨が 「鼻をへし折られた宮崎キャンプ」(Sportiva)

遺伝子 ~鹿島アントラーズ 絶対勝利の哲学~(15)
鈴木優磨 前編
◆新連載・アントラーズ「常勝の遺伝子」。 生え抜き土居聖真は見てきた(Sportiva)
◆土居聖真「ボールを持つのが 怖くなるほど、鹿島はミスに厳しかった」(Sportiva)
◆中田浩二「アントラーズの紅白戦は きつかった。試合がラクに感じた」(Sportiva)
◆中田浩二は考えた。「元選手が 経営サイドに身を置くことは重要だ」(Sportiva)
◆スタジアム近所の子供が守護神に。 曽ヶ端準とアントラーズの幸せな歩み(Sportiva)
◆曽ヶ端準「ヘタでも、チームを 勝たせられる選手なら使うでしょ?」(Sportiva)
◆移籍組の名良橋晃は「相手PKに ガックリしただけで雷を落とされた」(Sportiva)
◆名良橋晃がジョルジーニョから継ぎ、 内田篤人に渡した「2」への思い(Sportiva)
◆レオシルバは知っていた。「鹿島? ジーコがプレーしたクラブだろ」(Sportiva)
◆「鹿島アントラーズは、まさにブラジル」 と言い切るレオシルバの真意(Sportiva)
◆「ジーコの負けず嫌いはハンパなかった」。 本田泰人はその魂を継いだ(Sportiva)
◆「アントラーズの嫌われ役になる」 本田泰人はキャプテン就任で決めた(Sportiva)
「久しぶりの試合ということもあり、入り方が重要だ」
試合前日のトレーニング後、天皇杯2回戦Honda FC戦について語った大岩剛監督。JFL相手とはいえ、逆にカテゴリーの違う相手だからこその難しさを予想してのコメントだった。そして迎えた6月6日の試合。15分に先制点を許したものの、20分には安部裕葵(ひろき)が同点弾を決めると鈴木優磨が前半に2得点挙げる活躍を見せて、6-1と圧勝した。
* * *
2015年9月12日、対ガンバ大阪戦。途中出場から終了間際にヘディングシュートでゴールを決めて、鮮烈なリーグデビュー戦を飾った鈴木優磨。
千葉県銚子市出身で、スクールに通い始めた小学1年生から、鹿島アントラーズの下部組織で育ってきた。プロ4シーズン目となる今季、前半はリーグ戦、ACLと合計22試合すべてに出場(4試合は途中出場)。得点数は合計6得点にとどまるものの、豊富な運動量と身体の強さ、そして気持ちを漲(みなぎ)らせるプレーでチームを牽引している。

――アントラーズのスクールに通うきっかけは?
「幼稚園のころからサッカーをやってはいたんですけど、『アントラーズのスクールへ行ってみれば』と親から勧められて、毎週おじいちゃんに送り迎えしてもらいながら、通い始めたんです。最初の数年間は学校の少年団でもプレーをしていましたが、小4からは選抜されて、ジュニアチームに所属するようになって、そこからはずっとアントラーズですね」
――その当時、アントラーズやJリーグに対してはどんな思いを抱いていたのですか?
「最初のころの記憶は曖昧で、はっきり覚えているのは小3のころ。所属していたマルキーニョスが強烈で、大好きでしたね。あのころの鹿島は勝って当たり前という感じで、本当に強いチーム。その印象が強いですね」
――将来はアントラーズでプロデビューという夢は抱いていましたか?
「あまりなかったですね。自分がプロになれるというふうに思えなかったですから」
――意外ですね。
「小学生時代はまっすぐにサッカーやっていましたけど、ジュニアユース(中学)、ユース(高校)となるにしたがって、サッカー以外のことに気持ちが揺れたりして。ヤンチャな僕が道を外れそうになったとき、そのたびに鹿島のレジェンドと言われる人たちをはじめ、たくさんのコーチが軌道修正してくれたんです。奇抜な髪型にしたり、眉毛を剃ってみたりして、坊主頭にしろって何度も叱られました。休みの日は遅くまで遊んでいたりして」
――放課後は練習があるから、友だちとも遊べないですからね。
「サッカーは好きなんだけど、それ以外にも面白そうなことが増えてくるから(笑)。アントラーズは普段の生活態度に対しても厳しい。だから何度も『もう、サッカーをやめる』と言っていましたね」
――それでもやめなかったのは?
「やっぱりサッカーが好きというか、サッカーしかないんですよね。中3のときにクラブユースの予選で負けて、全国大会へ行けなかったんです。そのとき、1週間練習を休みました。『もうサッカーはいいや』とサッカーから離れたくて、コーチや家族にも休むと宣言したんです。気持ちが切れたというか、燃え尽き症候群みたいなものです。
でも、その1週間ずっと遊んでいたわけではなくて、数日経つと、サッカーをやっていないことにストレスを感じるようになったんです。遊んでいても罪悪感あるし、結局、サッカーが好きなんだな、サッカーしかないんだと思いました」
――最初からFWですか?
「小学生時代はいろいろやりましたよ。小5のときはCBもやりましたし。当時は身体も大きかったんです。でも、中学になると周りがどんどん身長が伸びるのに、僕はなかなか伸びなくて。身体の差を感じることもあったけれど、当時の僕はプレースタイルが今とまったく違うテクニシャンタイプだったから、それほど苦労することはありませんでした。ドリブルでゲームを作るような選手だったので。中3くらいから身長も伸びてきて、そこからはずっとFWをはじめとした攻撃的なポジションです」
――マルキーニョスから何を盗みましたか?
「マルキは相手DFに身体を当てるのが本当にうまいです。空中戦のときもボールじゃなくて、ギリギリまで相手を見ている。ボールは見ていないんです。相手を見ながら上手に身体を当てて、最後の最後でボールを見て、シュートを打つ。そのタイミングなどを学ぼうとしました」

――プロになる夢や目標はなかったと言っていましたが、高校生になってもその気持ちは変わらず?
「そうですね。7割くらいはなれないだろうと思っていました。ユースからトップに上がる選手が誰もいない代もありますし。それでも高2までは、チームの中ではイケイケだったんです。僕は地域トレセンとか、そういう選抜チームとも無縁だったから、鹿島の中しか知らなくて、裸の王様みたいなものでした。身内だけで、俺はすごいと思っているような選手だったんです。
だから、高3になる前にトップチームの宮崎キャンプに参加することになったときも、『まあ、やれるだろう』くらいに軽く考えていたんですよね。当時のユースの監督だった熊谷(浩二)さんは、そんな僕の気持ちもお見通しで、『トップへ行って厳しさを味わって、へし折られてこい』という感じで送り出されたんですが、その通りになりました。
ファーストプレーで植田(直通)くんにポンと吹っ飛ばされた。年齢的には2歳しか違わないけれど、2年プロでやっている人は違います。当時の監督はトニーニョ・セレーゾで練習も厳しくて。本当につらい2週間でした」
――熊谷監督の反応は?
「すごく喜んでいたと思います。そこから卒業までの1年間は、過去にないくらいもっとも努力しましたから」
――それはプロになりたいと思ったから?
「すべて、全部が全部、違いが凄すぎたんです。なにをしても、すぐに宮崎キャンプのことが脳裏によみがえるんですよ。プロになる、ならないじゃなくて、単純にもっとやらなくちゃまずいだろうって。何とかしなくちゃダメだ、ヤバイなという危機感が初めて生まれました。同時に開き直れた部分もあった。やれるところまでやるしかない。だったら、全力でやり尽くしてみようって」
――そういう努力の結果、トップの練習に参加することもあったでしょう?
「ありましたね。でも、正直行きたくなかったです。宮崎キャンプのことを思い出すから」
――しかし、見事トップ昇格が決まりましたね。
「たいていの選手は夏くらいまでには、昇格が決まるなかで、僕が決まったのは10月くらいでした。大学の練習会へ行ったりもしていましたし。本当に最後の最後ですね」
――うれしかったでしょう?
「実はそうでもなかったんです。昇格のことは熊谷監督から知らされたんですが、監督も『よく考えて、覚悟を決めろ』と言っていたし、僕自身もプロでやっていけるとは思えなかった。だから両親にも『俺がどんな決断をしても許してほしい』と言って、考える時間をもらったんです」
――それは、断ることも想定して?
「そうです。それくらいの衝撃を宮崎キャンプで味わったので」
――最終的に、トップ昇格を決断したのは?
「いろいろ考えました。でも、単純に考えてみようと思ったんです。やれるかやれないかは別にして、僕がなんのためにサッカーをやってきたのかって考えてみたときに、やっぱりプロになりたいからだろうという思いに至ったんです。だったら、今、目の前にそのチャンスがあるのだから、ここで挑戦するしかないだろうと自分で決めました。」
(つづく)
ユースで裸の王様だった鈴木優磨が「鼻をへし折られた宮崎キャンプ」
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