日刊鹿島アントラーズニュース

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2015年5月29日金曜日

◆鹿島小笠原、内田結婚を祝福「子供が楽しみ」(ニッカン)


http://www.nikkansports.com/soccer/news/1483220.html

 電撃結婚した日本代表DF内田篤人(27=シャルケ)を、古巣鹿島の所属選手が祝福した。

 内田が最も慕う元日本代表MF小笠原満男(36)は「子供が楽しみだね。大の子供好き。うちの子をすごくかわいがってる姿を見ると、自分の子供が生まれたらどうなっちゃうんだろう(笑い)。見てみたいね」と喜んだ。

 1期下の日本代表候補MF遠藤康(27)は「年も近いし、たまに連絡を取ってますね。結婚も事前に教えてもらいました。お幸せに」と笑顔。昨年11月の日本代表合宿でかわいがってもらったセンターバック昌子源(22)も「おめでとうございます。女性ファンが減ってしまいますね(笑い)。まず(右膝の)けがを治してもらいたい。1回、隣でやってるんで(今年3月のウズベキスタン戦)また一緒にプレーして吸収したい。自分も代表に選ばれるよう頑張る」と代表での再会も熱望していた。

◆鹿島FW育成システム、最後の結晶。 浦和のエース興梠慎三に流れる系譜(NumberWeb)


http://number.bunshun.jp/articles/-/823391



 5月23日に鹿島アントラーズを2-1と破り、開幕12戦負けなしと浦和レッズはファーストステージ制覇へ向けて勢いに乗っている。

 オウンゴールという不運な形で先制点を許しながらも、冷静な戦いを見せた守備陣。そして攻撃陣では、武藤雄樹と関根貴大がゴールを決めてみせた。

「内容は悪かったけど、それでも勝ちきれたのは良かった」と話してくれたのは興梠慎三だった。

 2012年オフに鹿島から浦和へ移籍したストライカーは、いまや浦和の攻撃のエンジンとして、なくてはならない存在になっている。古巣鹿島戦の終盤にズラタンが途中投入されると、1トップからシャドーストライカーへとポジションを変えて、スルーパスで得点を演出している。レッズは、この日ゴールを挙げた武藤と関根が4得点。ズラタン、梅崎、興梠がそれに続く3得点と、得点源を多く持っているのが今季の特長でもある。

「今は誰がどこででても、どのポジションの選手も点がとれるのがレッズの強み。エースストライカー的な選手がいないというのはさみしいですけどね。一応、自分が一番前にいるので、サイドの選手に得点数で越されているというのは、ちょっと問題があると思いますから。でも、すぐに(得点数は)抜けると思います」

 試合後には、そうエースとしての矜持が漂うコメントを残している。確かに、負傷で約1カ月欠場していたことを考えれば、彼の得点力はレッズでも随一であることは間違いない。

「ゲームを作るという考えのほうが強い」

 しかし実は試合の数日前、興梠は「自分ではエースストライカーとは思っていない」と話していた。

「一番前にいるだけだから。どちらかって言ったら、ゲームを作るという考えのほうが強い。楔のボールを受けて、おさめて、周りを使って……。あとはペナルティエリア内での勝負。その中での勝負には、徹底的にこだわっていきたい」

 ペナルティエリア内での強さは自身の得点だけでなく、周りの選手を活かすプレーにもつながり、チームとしての攻撃を底上げする。

「レッズにきて、1トップの面白さを感じている」

 もちろん攻撃だけでなく、前線からのプレスも含め攻守にわたる貢献度も高い。

「レッズに来て、1トップの面白さを感じている。相手に囲まれたときに、味方の位置が遠くてもボールを獲られないようなプレーが身についた気がするし、90分間戦える身体も出来てきた。すべての面でレベルアップしていると思う。だから今の僕のプレースタイルは、レッズへ来たからこそ生まれた形。ここで自分のスタイルはどんどん変わっていった。もちろん関根みたいに突っかけていけって言われても出来ないけど、29歳という年齢だからこそやれるプレーもあるから」

 興梠は、2005年に宮崎の鵬翔高校から鹿島アントラーズへ加入した。1年目にJデビュ―を飾ると、2008年には移籍した柳沢敦がつけていた13番を背負う期待度だった。しかし本人は「高校時代からつけていた愛着のある番号だったから」と、サポーターにとっても特別な“13”という背番号の意味について当時は深く考えていなかったようだ。

「13番をつけたこともあって、ヤナ(柳沢)さんと比べられることも多かった。そこにやり甲斐もあったけれど、同時にプレッシャーもあった」

マルキーニョスから学んだものとは?

 鹿島というクラブは長年、ブラジル人フォワードと日本人フォワードの2トップという形で戦ってきた。それは「日本人選手を育てる」という意味合いが強く、柳沢以降も次々と代表クラスのフォワードを輩出している。強烈なブラジル人アタッカーとのコンビネーションを重視し、シュートよりもパスを選択しがちな日本人選手への評価が分かれることもあったが、熾烈なレギュラー争いを戦った選手たちは確かな力を身に着けていた。

 鹿島でストライカーに求められるものは極めて多い。ポストプレー、パスセンス、視野の広さ、機敏な動き直し、そしてテクニック。

 加入直後は試合に出てもパスすら貰えなかったという興梠だが、彼もやはり時間を重ねる毎に力をつけていく。

「やっぱり周囲の選手から学ぶことがたくさんあった。僕がコンビを組んだのはマルキーニョス。彼から一番学んだのは、身体の入れ方。とはいっても、真似をしようと思ってもできるものじゃない。自分はいいプレーを盗もうと研究するタイプの人間でもなかったから(笑)。それでも、感覚的に身についたものはあると思う」

スタイルを確立するうえで重要な「見極め」。

 自身のスタイルを確立するうえで重要なのは、『できること』と『できないこと』の見極めだろう。誰かを真似るだけでは『それはできない』で終わってしまうケースも多い。そこで、自分ならどうするか? と再調整し、アレンジすること。その応用力が成長には不可欠なのだ。

 そして、自分を知るための鏡となる選手が鹿島にはたくさんいた。ポジションは違っても、代表クラスの選手たちから学べることは多い。厳しい競争があるからこそ、仲間との絆も太くなった。

 2007年から2009年の3連覇達成に主力として貢献した興梠だったが、鹿島は2012年にジョルジーニョ体制となり、1トップを採用する試合が増えた。興梠はアウトサイドのMFとしての起用が続くようになった。浦和からの熱烈なオファーだけでなく、このことが移籍の理由だったとも言われている。

浦和への愛情が、古巣への感情も大きくする。

 浦和に移籍した2013年シーズン、そして翌2014年シーズンと、鹿島戦ではゴールを決めている。しかし、興梠自身はまだ鹿島戦で“仕事ができた”という気持ちにはなれないという。

「今日(5月23日)も、個人的には何もできていないから。すっきりはしないですよ。でも去年とか一昨年に比べたら、あんまり緊張しなかった。以前は試合に入る2日前、3日前くらいから興奮していたけれど、今回はそういうこともなく冷静に入れた。やっぱり、鹿島戦でいいところを見せたいというのはあったけれど、それを見せられなかったからカシマスタジアムではがんばりたい」

 浦和レッズというクラブへの愛情やそこで果たすべき任務を感じれば感じるほど、古巣への感情もまた大きくなるのかもしれない。自身の進化を見せることで、育ててもらった人たちへの感謝を伝えたい、と。

「試合のあと、移籍してから初めて鹿島のサポーターのところへ挨拶に行ったんです。ブーイングされるんじゃないかという気持ちもあったけれど、手を振ってくれる人もいて、それが何よりも嬉しかった。

 僕がそういうことをするとレッズサポーターが嫌がるかなぁと思って、これまではなかなか挨拶に行きづらかったんです。今までは遠くから一礼するくらいでした。でもやっぱり、ちゃんと鹿島のサポーターに挨拶がしたかった。今まで応援してくれた人たちだから」

「今までは代表への欲が全く無かった」

 移籍したことで、興梠は自身の能力を改めて知ることになったに違いない。

 新しい環境で求められることをこなしながら、鹿島で自分が多様なスキルを身に着けていたことに気づき、それを活かせる自分に気がついた。ペナルティエリア内での勝負、鹿島時代からこだわっていたものだが、浦和での1トップというポジションで、さらに磨きをかけていく。

 3月には、4年ぶりに日本代表に招集された。この時は残念ながら練習中に負傷し離脱してしまったが、短期間の代表合流は興梠の意識を変えていた。

「今までは代表への欲が全くなかった。でも今は『あんまりない』くらいになりました。この間合宿へ行って、岡崎(慎司)や(本田)圭佑と話したんです。あいつらはみんな同期だから。岡崎は代表初招集も同じだったし。岡崎が『お前は(代表へ)来ると思っていた。代表の1トップはお前だけだ』みたいなことを言うから、『うるせぇ』って返した。

 日本代表のエースストライカーは岡崎でしょ。昔は、俺が本気を出せばあいつのポジションなんてすぐに奪える……って思っていたけどね。オカは努力家だけど、俺はまったくそういうタイプじゃないから」

 そう言って、興梠は笑った。

チームメイトの成長に、自分を重ねて。

 U-20代表でも、北京五輪代表でも、候補にはなったが最終メンバーには残れなかった。当時から共に戦ったチームメイトの成長した姿に、興梠は自身の姿を重ね「今度こそは」と思うようになったのかもしれない。

 長年過ごしたクラブを出て、新天地で積み重ねた時間が自信になる。

 29歳と遅咲きの男が日の丸をつけて活躍することになれば、これ以上の恩返しはないはずだ。

◆鹿島柴崎23歳の誕生日「責任感出てきた」(ニッカン)


http://www.nikkansports.com/soccer/news/1483869.html

鹿島柴崎23歳の誕生日「責任感出てきた」

 鹿島の日本代表候補MF柴崎岳が28日、23歳の誕生日を迎えた。

 鹿島市内の練習場には大勢のファンが詰めかけて誕生日を祝った。柴崎は「鹿島に入って5年、もう若手とは呼ばれない年齢になり、責任感も出てきた」と言った。この日もランニングでは先頭で走り、チームを引っ張った。また、6月1日に発表される日本代表に関して「しっかりとメンバーに入って、経験を積んでいきたい」と意気込んだ。

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