日刊鹿島アントラーズニュース

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2024年10月9日水曜日

◆先輩へ涙の相談「海外行きたい」 日本代表DF欧州移籍→定着の舞台裏「日本でやっていたらダメだと」(FOOTBALLZONE)






内田篤人「 『篤人さん、僕海外に行きたいんですけどどうすればいいんですかね?』っていうべらぼうな質問をしてきたよね。その時、泣いていなかったっけ?」


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◆先輩へ涙の相談「海外行きたい」 日本代表DF欧州移籍→定着の舞台裏「日本でやっていたらダメだと」(FOOTBALLZONE)




町田がユニオン移籍までの道のり、110年ぶりタイトル獲得を回顧

 日本代表DF町田浩樹は、2026年北中米ワールドカップ(W杯)最終予選を戦う森保ジャパンのなかで3バックの一角としてプレーして攻守に存在感を発揮している。昨シーズン、所属するベルギー1部ユニオン・サン=ジロワーズはリーグ戦こそ2位に終わったが、町田はベルギー杯決勝で決勝点を挙げて110年ぶり3度目の優勝に導く活躍を見せた。当時のエピソードを、スポーツチャンネル「DAZN」の「内田篤人のFootball Time」で明かしている。

 小学校4年生の時から鹿島アントラーズの下部組織で育った町田は、海外志向が強かったという。2018年には元日本代表DF内田篤人氏がドイツ1部シャルケから鹿島に復帰し、約2年半にわたってチームメイトとしてプレーしたが、当時も内田氏に対して相談していたという。

 番組のホストを務める内田氏は、当時のことを振り返り「海外に行きたいというか、興味があるというのは、コソコソ相談しに来ていたよね? 『篤人さん、僕海外に行きたいんですけどどうすればいいんですかね?』っていうべらぼうな質問をしてきたよね。その時、泣いていなかったっけ?」と確認すると、町田は笑いながら「それは多分、相談した時ですね」と認め「このまま日本にいてもダメかもしれないですという話をクラブハウスの外のベンチで話して『移籍は運とかタイミングもあるからと言われた。今は日本で頑張るときじゃないか』と言われた気がします」と、その時のやり取りを振り返った。

 内田氏の言葉通り、鹿島でレギュラーとなった町田は2021シーズンまでにJ1通算87試合に出場し5得点を記録。2021-22シーズンにベルギーのユニオンSGへ移籍した。海外には「ずっと行きたいなと思っていた」という町田だが、「一番強く思ったのは東京五輪のあと。世界のレベルに圧倒されたというか。オリンピックには5分しか出ていないのですが、オリンピック前のスペインとの強化試合でチンチンにされたんです。『これはもう日本でやっていたらダメだ』と思って、そこからチームにも海外に行かせてもらえないかと話をした」と、東京五輪前に行ったスペイン戦(1-1)で感じたことが大きかったと語った。

 2022年1月の移籍市場でユニオンSGへの移籍を決めた理由については、「ベルギー国内でオファーがいくつかあったのですが、オファーをもらった時にユニオンが首位だったので、CL(UEFAチャンピオンズリーグ)、EL(UEFAヨーロッパリーグ)に出られる可能性があるからユニオンに行こうと思いました」と、その理由を説明した。

 鹿島では4バックだったが、ユニオンSGでは3バックでプレーすることになった町田だが、「そこが一番の違い。けれども、僕自身は3バックの方がやりやすい。自分の特徴が生きる気はしていた。だからそれはすごく良かったと思う。3枚の方がやることがハッキリしているし、(ウイングバックが)引いたら5枚になるので守備範囲も4バックよりは狭い。攻撃も立ち位置である程度アングルができるから、攻撃もしやすい」と、海外で初挑戦となった3バックでも持ち味を出せると感じていたという。

 そして、ユニオンSGに加入して3年目となる昨シーズンはレギュラーに定着。ベルギー杯決勝では決勝ゴールを挙げて、クラブを1913-14シーズン以来110年ぶりの優勝に導いた。この時の様子について内田氏に「盛り上がった?」と聞かれると、町田は「いや、もうすごかったですよ」と言い「本当に俺の銅像が立つんじゃないかなって思うくらい(笑)。本当にあれはかけがえのない記憶ですね」と言うと、内田氏は「ジーコに並ぶんかい! すごいな」と、鹿島スタジアムの横に銅像の立つブラジル代表の英雄の名前を出してツッコミを入れていた。

(FOOTBALL ZONE編集部)



◆浦和、15歳DFメンディーが練習参加「関川郁万さんに憧れてます」 流通経大柏高1年のCB(報知)






 憧れの選手は、流通経大柏高の先輩である鹿島DF関川郁万といい「何回も食事もさせてもらって、関川郁万さんに憧れています」。


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◆浦和、15歳DFメンディーが練習参加「関川郁万さんに憧れてます」 流通経大柏高1年のCB(報知)





 浦和は8日、さいたま市内で練習を公開し、流通経大柏高1年のDFメンディー・サイモン友(15)が練習生として参加した。

 メンディーは、ナイキ社のシューズ「ティエンポ」30周年記念プロジェクトのMVPに輝き、練習参加の機会を得た。すでにJ1鹿島の練習に参加し、浦和は9日まで2日間、今後は広島の練習に参加する予定となっている。

 長身184センチのセンターバックとして、この日はいきなりゲーム形式の練習に参加。「めったに経験できない体験を今回させてもらい、Jリーグのトップのクラブチームでできて光栄です。質もレベルも高校とは違って勉強できる部分があった」。元日本代表MF原口元気らプロ選手とともにプレーし「最初は緊張したけど、徐々に選手たちも話しかけてくれて緊張もほぐれた。最後の方はちょっとミスもあったけど、自分のプレーが出せた」と語った。

 憧れの選手は、流通経大柏高の先輩である鹿島DF関川郁万といい「何回も食事もさせてもらって、関川郁万さんに憧れています」。世界的なCBではオランダ代表のファン・ダイク、フランス代表のコナテの名前を挙げ、「コナテは足が長くて、自分とプレースタイルが似てる。ビルドアップというより、相手に強くいく、ヘディングでセットプレーで点を取るところを参考にしている」とした。

 父親はセネガルとギニアのミックスで、母親は日本人というメンディー。自身の武器は「パワーやヘディング、高さ」と明かした一方、「状況判断やキックの質、戦うところはまだまだ自分には足りない。この2年半で体をゴツくして、プロでも通用する体作りをして、プロに入っても通用するような選手になりたい」と見据えた。

◆J1鹿島、ポポヴィッチ監督契約解除と吉岡FDの退任が「妥当」である理由(Qoly)






FDと監督の退任はセットであり、どちらか片方がクラブに残る選択肢はなかったものと思料。

つまり、ポポヴィッチ契約解除が先ではなく、吉岡FDの退任が先に来て、それに伴う同時契約解除が今回の人事であると認識している


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◆J1鹿島、ポポヴィッチ監督契約解除と吉岡FDの退任が「妥当」である理由(Qoly)





鹿島サポーター以外は吉岡宗重FD退任に驚き


10月6日に鹿島アントラーズのランコ・ポポヴィッチ監督が契約解除、吉岡宗重フットボールダイレクター(FD)が退任となった。

この時点でリーグ4位。そして直近のリーグ戦ではアルビレックス新潟に4-0の快勝だったため、鹿島サポーター以外からは衝撃の人事として受け止められ、なぜ契約解除?この成績ならば来季も続投ではないか?と驚きのリリースとなった。

今回の契約解除については理解でき、致し方ないものと受け止める第三者の視点で契約解除と退任理由を述べていきたい。

まず大前提として、ポポヴィッチ監督の契約解除以上に、吉岡FDの就任以降、鹿島は3季連続国内無冠であり、もう後がない状況であったこと。ここが重要なポイントである。

レネ・ヴァイラー、岩政大樹、そしてポポヴィッチと、招聘した監督で失敗を重ね、後がない状況。そんな中で今季無冠が確定したため、吉岡FDの責任が問われるのは当然。また、吉岡FDの退任が確定したならば招聘したポポヴィッチも同時にクラブを去る状況であること、ここまでは当然の流れである。FDと監督の退任はセットであり、どちらか片方がクラブに残る選択肢はなかったものと思料。

つまり、ポポヴィッチ契約解除が先ではなく、吉岡FDの退任が先に来て、それに伴う同時契約解除が今回の人事であると認識している。

クラブの伝統から大きく異なる、ヨーロッパ人監督であるヴァイラーで失敗。クラブOBの岩政で失敗。最後は自身の大分時代コネクションであるポポヴィッチを呼び、傍から見たらこれが最後のチャンスだった。吉岡FDからしてもポポヴィッチ監督は最後の切り札だったのだろう。その最後の切り札・最後のチャンスで無冠が確定したならば退任は必然。

鹿島はリーグ戦4位ではあるものの、先日の天皇杯ベスト8のヴィッセル神戸戦、鹿島は主力で挑んだにもかかわらず、完全控えメンバーの神戸に0-3の完敗を喫してタイトルを逃した。

そしてリーグ戦では、残留争い中の湘南ベルマーレに0-2から3-2という鹿島の歴史においてではかなり珍しい大逆転負けを喫して優勝争いが絶望的な状況となった。

何より、今季は主力固定で引き出しがないがゆえに、主力を酷使した結果、サイドバックの濃野公人が今季絶望の大怪我となった。これがこの一か月で立て続けに起きた事象である。

以上、リーグ優勝は絶望、ルヴァンは3回戦敗退、天皇杯はベスト8敗退に終わり、またも無冠確定の状況。結果もさることながら続投で2年目に挑ませても何も積み上げられなそうで、引き出しが無く主力固定化の内容を踏まえると、シーズン途中の契約解除という時期については議論の余地はあるものの、どうあがいても今季限り一年で首切りコースなのは確定だと思っていた。

そのため、今季いっぱいまで指揮をとるか否かの違いはあれど、ポポヴィッチと今年限りで契約解除に至ったこと自体は納得をもって受け止めている。過去、FC東京においてもセレッソ大阪においても「長期政権を任せられるほどの実力を持つ監督ではない」と私は評価しているため、鹿島としてもここが限界だろう。

そういう意味では、何故ポポヴィッチを招聘したのかという話だが、これは吉岡FDとの大分時代のコネ人事でしかなさそうなので吉岡氏と同時に退任なのも致し方ない。どちらかが残るわけにはいかず、一蓮托生の人事であった。


限界の見えた監督に複数年任せても未来はない


ポポヴィッチに来季続投の希望を望むサポーターもいるだろうが、ポポヴィッチに限らず、限界の見えた監督に何年も任せたところで結果は出ない。

「長い目で、中長期的視点で」とダラダラ任せて傷口広げるのは愚の骨頂。よって、見誤ったことに気付いて早期に解任すること自体は当然の人事である。

ことポポヴィッチについては来季続投させてもこの主力固定化・主力疲弊の現状が続く可能性は高く、積み上げは乏しい。主力固定の弊害で最たるものは前述の濃野の大怪我だが、鈴木優磨の酷使による不調も顕著だと感じている。もちろん、主力と控えメンバーの実力差がありすぎるからポポヴィッチのスタメン固定化采配もやむなしと捉えるサポーターも一定数いるだろうが、その戦力編成も含め吉岡FDの仕事が問われる点であり、結局は責任を問われ、退任に繋がるのは同じだ。

佐野海舟が残ってたらもう少し違った戦いで順位も変わっていただろうが、海外移籍はどのクラブも同じ条件なのでそれは言い訳にならない。

結果、ポポヴィッチ監督の限界、吉岡FDの限界が露呈したため、両者ともここで終結となること自体は理解はできる。

ただし、後任選びで同じ失敗を繰り返さないことがマストである。同レベルの監督を呼んだら全く意味がないが果たしてどうなるか。監督どころかFDを一新したため、鹿島としては次の一手が極めて重要となる。

ライター名:中坊

紹介文:1993年からサッカーのスタジアム観戦を積み重ね、2023年終了時点で962試合観戦。特定のクラブのサポーターではなく、関東圏内中心でのべつまくなしに見たい試合へ足を運んで観戦するスタイル。日本国外の南米・ヨーロッパ・アジアへの現地観戦も行っている(本記事は一週間後、中坊コラムに転載します)。

◆【鹿島】5年で5人の監督交代、定まらないサッカースタイル…鹿島は一体、どこへ行く(ニッカン)






9月のゲーム形式の練習中、ポポビッチ監督がある選手にトラップの仕方を身ぶり手ぶりで注意したことがあった。その選手は監督と目も合わさず、聞いているか聞いていないか分からないような態度を見せていた。その光景からも、求心力が失われていることは明白だった。リーグ戦で4位にもかかわらず、解任に踏み切ったのは、選手との「心の距離」が離れすぎたことが大きな要因だと言ってもいい。ポポビッチ監督も約8カ月と短命に終わった。


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◆【鹿島】5年で5人の監督交代、定まらないサッカースタイル…鹿島は一体、どこへ行く(ニッカン)




鹿島アントラーズが、今季就任したランコ・ポポビッチ監督を電撃解任した。

昨季は岩政大樹監督が5位でフィニッシュしたが続投せず。ポポビッチ監督も4位だったがシーズン途中で解任された。

ポポビッチ監督は、細かい戦術を落とし込むというよりモチベータータイプ。練習場で「ブラボー」の言葉がよく飛び交っていた。シーズン序盤は、FWの知念慶をボランチにコンバートするなど、ポポビッチ流采配で結果を出してきたが、選手を固定して起用することで、夏場から急失速。分かりやすい戦術的解決策を選手に提示することはなく、出場機会が少ない選手からは不満も芽生えていった。

9月のゲーム形式の練習中、ポポビッチ監督がある選手にトラップの仕方を身ぶり手ぶりで注意したことがあった。その選手は監督と目も合わさず、聞いているか聞いていないか分からないような態度を見せていた。その光景からも、求心力が失われていることは明白だった。リーグ戦で4位にもかかわらず、解任に踏み切ったのは、選手との「心の距離」が離れすぎたことが大きな要因だと言ってもいい。ポポビッチ監督も約8カ月と短命に終わった。

かつての鹿島は、堅守とロングボールを起点にしたカウンター、セットプレーの強さを武器に20冠のタイトルを獲得。「常勝軍団」と称されてきた。明確な戦い方からどの選手が出ても同じ戦いができる「だれが出ても鹿島」、流れが悪くてもセットプレーの1発で得点し粘り強い守備で逃げ切るスタイルは「鹿島る」。サポーターからこのような呼称も生まれた。この戦い方は、対戦相手にしたら最も怖く、厄介なものだと言っていい。

だが、他クラブが現代サッカーで結果を残す中、鹿島もサッカースタイルの「リフォームではなく建て替え」を目指し、20年にザーゴ氏を招聘(しょうへい)した。当時のJリーグは川崎フロンターレや横浜F・マリノスが圧倒的なボール保持率で超攻撃的なサッカーでタイトルを独占。現代サッカーを取り入れようとする鹿島の挑戦でもあった。

しかし、である。ポゼッションサッカーへかじを切るならば、「止める・蹴る」の技術、くさびを受けて前を向く技術、スペースを認識するサッカーIQ、スピードとフィードが武器のセンターバック、ゴール前で高確率で仕留めきるFWの存在は欠かせない。

ザーゴ氏が就任した際も、ポゼッションサッカーに適した選手がそろっていたとは言い難かった。ザーゴ氏は成績不振と戦術のブレから、21年4月に1年4カ月で解任された。相馬直樹監督が後を継ぐも残りシーズンを受け継ぎ契約満了となった。

22年はクラブ初の欧州出身のレネ・バイラー監督が指揮を執ったが、こちらも、チームマネジメントを理由に夏に解任された。22年夏から23年は岩政大樹監督が指揮。「ポゼッション」と「カウンター」の双方を引き出しをチームに落とし込もうとしたが、結果が伴わず23年を持って退任した。そして、今季就任したポポビッチ監督も10カ月の短命だった。

5年間で5人の監督が入れ替わった。「建て替え」を目指すものの。更地に柱を数本刺しては、再び更地に戻す作業が続く。サッカー関係者からは「ザーゴ監督やバイラー監督を、もっと長く見ても良かったのではないか」と同情の声が上がるほどだ。

かつての鹿島は、高卒や大卒の選手が、あこがれるクラブで、「ドラフト1位級」の選手を獲得できていた。だが、今は高卒から直接海外に行く選手も増え、鹿島が他クラブとの競合を制して獲得する選手が少なくなったのも事実だ。さらに、加入しても頭角を現したらすぐに海外に移籍するサイクルが一層、速まっている。選手をそろえるのも大変だ。

ポゼッションサッカーを取り入れるなら、ユースも含めその戦術に合う選手をそろえ、練習から選手の技術を向上させることが不可欠だ。1年で結果を出せるほど甘いものではない。

サッカーのサイクルは回る。今季はポゼッションスタイルの川崎F、横浜が今季は低迷。かつての鹿島と似たスタイルを貫く町田ゼルビアが首位争いに食い込んでいる。ここ数年の鹿島を見ていると、「うまくてキレイなサッカーをしよう」とするあまり、かつての「他クラブが嫌がる強さ」がなくなってしまっている感じが否めない。

強化部は、吉岡宗重フットボールダイレクター(FD)が退任し、鹿島のレジェンド、中田浩二氏が強化の最高責任者を担うことが確実だ。新体制で、どんなサッカースタイルを目指すのか? 「優勝」にこだわるあまり、短期間で監督を取っ換え引っ換えしていれば、また、更地に戻るのは目に見えている。この5年を空白にしないためにも、次こそは…と願わざるを得ない。鹿島よ、どこへ行く-。【岩田千代巳】



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