日刊鹿島アントラーズニュース

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2020年5月7日木曜日

◆鹿島と磐田2強時代を象徴する激闘と 小笠原、名波、藤田らのトリビア。(Number)






新型コロナウイルスとの戦い方はサッカーが教えてくれる [ 岩田健太郎 ]


 ナショナルダービーは延長後半に突入していた。5万1575人の大観衆を飲み込んだ国立霞ヶ丘競技場が、揺れる。

 決勝点を決めた藤田俊哉の上に、サックスブルーの選手たちが折り重なった。まだJリーグに延長戦とVゴール方式が存在していた時代だ。1999年5月5日、J1リーグ1stステージ第11節のことだった。

 1996年から2002年まで、Jリーグの優勝は鹿島アントラーズとジュビロ磐田の2チームが分けあっていた。1シーズン制だった96年は鹿島が、2ステージ制に戻った97年は磐田が、翌'98年は再び鹿島が、優勝シャーレを寒空に掲げた。

 この試合でリーグ戦5連勝を飾った磐田は、その勢いのままに1stステージを制し、年間王者に輝くことになる。一方の鹿島は翌年、Jリーグ史上初の3冠を達成。文字通りの2強時代だ。

 ライバル対決にふさわしく、両チームのスターティングメンバーには豪華な顔ぶれが並んだ。

 22人のキャリアを見るとA代表キャップ保持者が15人、ワールドカップ経験者が9人。引退後にJクラブで監督経験を持つ選手も7人にのぼる。令和2年目を迎えたいま振り返っても、あのピッチに立っていた戦士たちの華やかな経歴は全く色褪せることがない。21年前の国立は、やはり特別で幸福な空間だったのだ。


秋田、相馬、名良橋はW杯経験組。


 ホームの鹿島ゴールを守ったのは高桑大二朗。190cmの大型GKは翌年のベストイレブンに選ばれ、A代表デビューも飾った。

 DFは鬼木達、秋田豊、奥野僚右、相馬直樹の4バック。川崎フロンターレをJ1連覇に導いた鬼木をはじめ4人全員がJクラブの監督経験を持ち、相馬(現・鹿島コーチ)を除く3人は、指揮官として今季のJリーグに臨んでいる。

 秋田と相馬、そして磐田戦を欠場した名良橋晃の3人は、前年行われたワールドカップの日本代表メンバーとしてフランスのピッチに立っている。とりわけ秋田はヘディングと激しいマークを武器に、バティストゥータ(アルゼンチン)やスーケル(クロアチア)と渡り合い、3戦全敗に終わった日本にあって大きなインパクトを残した。


黄金世代4人全員が背番号20番台。


 中盤に目を移すと、キャプテンの本田泰人に阿部敏之、お祈りポーズで人気を博したビスマルク、プロ2年目だった小笠原満男の名前が並ぶ。

 FWは前年チーム最多の22ゴールを挙げた柳沢敦と、平瀬智行の五輪代表コンビが2トップを組んだ。1999年の平瀬といえば、12戦全勝で突破を決めたシドニー五輪のアジア予選で計17得点と大爆発した姿を思い出す人もいるだろう。磐田戦は彼がシンデレラボーイとして日本中に名を轟かせる、1ヶ月ほど前の出来事だった。

 小笠原とともに4月のFIFAワールドユース選手権(現・FIFA U-20W杯)で準優勝に輝いたGK曽ヶ端準、MF本山雅志、MF中田浩二もベンチに入っている。実は彼らの当時の背番号は本山が24、中田が26、小笠原が27、曽ヶ端が28。のちに鹿島のさらなる常勝期を築くことになる1979年生まれの「黄金世代」が、エネーレのユニフォームにまだ少し大きな番号を背負っていた時代だった。


「N-BOX」前の磐田の並びは……。


 一方の磐田は、開幕からの8試合を7勝1敗と好スタートを切ると、4月末にイランで行われたアジアクラブ選手権を制して国立に乗り込んだ。過密日程の中でDF鈴木秀人が欠場したものの、桑原隆監督が率いる純国産布陣は充実の陣容だ。

 GKには現在磐田のGKコーチを務める大神友明。DFは背番号11の久藤清一と2大会連続(1998、2002年)でW杯に出場した服部年宏がサイドバックを務め、「男・前田」として愛された前田浩二と田中誠がセンターバックを組んだ。

 服部、田中、欠場の鈴木は1996年のアトランタ五輪に出場。ブラジルを破った「マイアミの奇跡」の立役者が揃う最終ラインは、前述の鹿島にネームバリューでも引けを取らない。また久藤と前田はのちに監督としてJリーグのピッチサイドに立った。鹿島の4人と合わせ、この試合に先発出場した8人のDFのうち6人。監督輩出率が高いことも守備陣の豪華さを物語る。

 MFは福西崇史、奥大介、藤田俊哉、そして日本代表の10番を背負う名波浩の、磐田が誇るレジェンドカルテット。同年夏に行われたコパ・アメリカの日本代表メンバーに4人全員が選出されたことも、「黄金の中盤」を説明するには十分な材料だろう。

 当時は藤田が27歳、名波が26歳、奥が23歳、福西が22歳。この4人に服部を加えた5枚の中盤が「N-BOX」としてJリーグを席巻するのは、もう少し後のことになる。


中山と高原の豪華2トップ。


 FWは“隊長”中山雅史と19歳の高原直泰。中山は前年に4試合連続のハットトリックを記録するなど36得点を叩き出し、得点王とMVPをダブル受賞。高原も2002年に同じくダブル受賞の栄誉に輝いた。2人がJ1で積み上げたゴール数は計234。説明不要の、日本を代表するストライカーの名コンビである。

 フランスW杯の決勝戦も裁いたベルコーラ主審のホイッスルで、国立の一戦は幕を開けた。


小笠原の17年連続ゴールの第一歩。


 リーグ戦2連敗中だった前年王者・鹿島は前半から磐田ゴールに襲い掛かる。柳沢が、平瀬が、鋭い裏抜けからGKと1対1のチャンスをつくるものの、大神が仁王立ちでいずれもストップした。そんな嫌な流れを、のちのミスターアントラーズが振り払う。

 リーグ戦525試合出場69得点。手にしたタイトルは17冠。2018年に引退した小笠原満男が鹿島で残した功績はバンディエラと呼ぶにふさわしい。

 現在はフットゴルフの日本代表選手として活躍するレフティー阿部から送られた丁寧な浮き球のパス。その先には、小笠原がいた。

 以後のプレースタイルを考えれば、いささか意外に思えたかもしれない。鹿島で、そして日本代表で。正確なパスとプレースキック、ボール奪取を武器にプロの世界を生き抜くことになる司令塔のJ1初得点は、ヘディングによるものだった。控えめに喜ぶ寡黙な20歳に、28歳の秋田が自陣から駆け寄って抱きつく。

 現在もJリーグ記録となっているJ1での17シーズン連続得点。1999年5月5日に刻まれた先制点は、その1ページ目となった。


名波がセリエA移籍前最後のFK弾。


 後半に入り、1点を追う磐田ベンチは先に動く。高原に代えて清水範久、福西に代えて川口信男とスピード豊かなアタッカーを投入した。それでもスコアは動かない。中山が秋田と競り合いながら放ったヘディングシュートもバーに嫌われる。残り時間10分を切ったところで、磐田は鹿島ゴール前でのFKを獲得した。

 ボールの前に立ったのは右利きの藤田と、左利きの名波だった。右の10番か、左の7番か。藤田が踏み込みのフェイクを入れた直後、名波の左足が振り抜かれた。放物線を描いたボールは対角線の右ポスト内側に直撃し、ネットを揺らす。

 Jリーグ史に残る、あまりにも美しいFK。夏にセリエAヴェネチアへ移籍することになる名波にとっては、このシーズン磐田で最後に挙げたゴールだった。

 ベルコーラ主審が長い笛を鳴らす。試合の行方はVゴール方式の延長戦に持ち込まれた。


VゴールのJ記録を持つ男・藤田。


 中山や柳沢も名を連ねる、J1通算100ゴール以上をマークした14選手の中で、FWを本職としていない選手が2人いる。1人は遠藤保仁(現・ガンバ大阪)、もう1人が藤田俊哉だ。

 藤田は、流動的なパスサッカーで黄金期を築いた磐田におけるキープレーヤーだった。シーズン2桁得点を達成すること4回、2001年にはMVPにも輝いている。W杯優勝キャプテンのドゥンガから、元オランダ代表のファネンブルグから薫陶を受け、決定機を演出することも仕留めることもできる選手へと成長した。高い技術もさることながら、質の高いフリーランニングで危険なエリアへ顔を出し続けてチャンスをうかがい、得点を重ねた。

 国立では15分ハーフの延長戦に入っても白熱した攻防が続いていた。延長前半には柳沢と鬼木が強烈なシュートを放ち、後半には一本のロングパスにまたも柳沢が抜け出す。しかし、いずれの決定機も大神が阻んだ。シュート24本を浴びながらも最少失点で切り抜けた。

 最前線の中山を目がけ、ロングボールが入る。中山が競り合う前から、藤田はボールの行方を信じてスプリントをかけていた。

 時計の針は延長後半5分をさしていたが、藤田の足は止まらない。秋田の背後を取ってペナルティーエリア内に入ると、中山が落としたボールがこぼれてきた。飛び出した高桑より一瞬早く、インサイドキックで流し込む。

 小笠原の初ゴールが驚きを含んだものであり、名波のFKが彼の代名詞の1つであるならば、熱戦に終止符を打った藤田の決勝点もまた、“らしさ”を凝縮したものだった。余談だが、藤田はのちに福田正博と並んでVゴールのJリーグ記録(9得点)を樹立する。


「鹿島と素晴らしい試合ができて」


 磐田の桑原監督は「勝ったこともうれしいが、鹿島と素晴らしい試合ができて良かった」と試合後に振り返っている。あの日、あの試合を見た人なら、その言葉がリップサービスでないことはすぐにわかるだろう。

 21年の月日が経った。国立競技場も新しく生まれ変わった。それでもきっと、宿命のライバル対決は多くの人の脳裏に残り、語り継がれていくはずだ。Jリーグを彩った名選手たちの、甘美な記憶とともに。




◆鹿島と磐田2強時代を象徴する激闘と 小笠原、名波、藤田らのトリビア。(Number)





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