日刊鹿島アントラーズニュース

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2020年8月21日金曜日

◆【恩師が語る内田篤人】高校時代の夢は「教員」早大進学と思っていたら…(報知)






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 J1鹿島は20日、元日本代表のDF内田篤人(32)が現役引退すると発表した。清水東高時代に内田を指導した静岡城北高・梅田和男監督(55)が20日、取材に応じ、飛躍のきっかけとなった高校時代のエピソードなどを語った。

 梅田監督が高校時代の内田を右サイドバック(SB)に転向させた。「入学時はセンターFWなど攻撃的な選手だった」と振り返り、「中盤のサイドで使っていたら他校に対策されてつかまり始めた。確か、2年生の終わりの練習試合でSBをやらせたら前に余裕ができて攻撃がやりやすそうにしていた。『長く走れるサイドハーフ』というイメージ」と適性を見いだせた。

 内田はある夢を持っていた。「教員になりたい、という目標があったので大学を目指していた」。当時の早大監督が清水東高OBの大榎克己(現J1清水強化部長)だったこともあり、「早大もありかな」と思っていた。だが、世代別代表招集が増えるにつれ、「合宿でプロを目指す選手やスタッフと交流することで変化した」とプロ入りへ思いは傾いていった。

 実家は神奈川県にも隣接する県東部の函南町にある。内田は高校がある静岡市内まで始発電車に乗り、1時間半かけて通学した。「下宿も勧めたが『まずは自宅から通ってみます』と言って3年間続けた。根性あるよね」と称賛した。

 卒業後も、鹿島が静岡遠征時に観戦するなど、気にかけてきた。梅田監督は突然の引退発表に「驚いた。自分のプレーに納得できていなかったんじゃないかな」と教え子の心中をおもんぱかった。(山田 豊)




◆【恩師が語る内田篤人】高校時代の夢は「教員」早大進学と思っていたら…(報知)





◆DF内田篤人が現役引退…ラストマッチ解説が“運命的”人選「なんの因果だ」(ゲキサカ)






がんばれ!ウッチーマン




 元日本代表の岩政大樹氏が20日、自身の公式ツイッター(@_PITCHLEVEL)を更新し、今月23日のJ1第12節・鹿島アントラーズ対ガンバ大阪戦の解説を担当することを明かした。同日、鹿島はDF内田篤人の現役引退を発表し、G大阪戦がラストマッチに。2007〜09年の連覇を支えたレジェンドが「鹿島の弟」の花道を放送席で見届けることとなった。

 スポーツ中継サービス『DAZN』の試合配信ページにはすでに「解説:岩政大樹」と記されており、引退発表前から起用は決定していた模様。実況の野村明弘氏、インタビュアーの浅野有香氏とともに放送を担当する。

 岩政氏はツイッターで「23日は大変なことになった。”鹿島の3”を受け継いでくれた男が対戦相手としてカシマに戻ってくる。そして、”鹿島の弟”が引退だってよ。なんの因果だ。その試合の解説を担当させていただきます。彼らに失礼がないように、プロとして。しっかりと」と思いを明かした。

 奇しくもこの日はG大阪に所属する元鹿島のDF昌子源が初めてカシマスタジアムに対戦相手として帰ってくる一戦。岩政氏が背負った伝統の3番を鹿島で受け継ぎ、海外移籍を経てライバルクラブに戻ってきた後輩に対しては、これまでもたびたび想いが明かされており、まさに運命的な巡り合わせとなった。




◆DF内田篤人が現役引退…ラストマッチ解説が“運命的”人選「なんの因果だ」(ゲキサカ)





◆内田篤人らしい潔さ、ケガに泣き32歳で引退決断(ニッカン)






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鹿島は20日、元日本代表DF内田篤人(32)の現役引退を発表した。23日のG大阪戦(カシマ)が現役ラストマッチで、試合後に引退のあいさつをし、24日にオンラインで引退会見する。日本代表としてW杯に2度、シャルケ(ドイツ)在籍時に欧州チャンピオンズリーグ(CL)4強入りなど、人気、実力両面で日本サッカー界をけん引したレジェンド。まだ32歳だが、けがにも悩まされ、シーズン途中に電撃的に引退を決断した。

   ◇   ◇   ◇

日本ではウッチー、ドイツでは“ウッシー”と呼ばれ甘いマスクでも人気を集め、愛され続けたDFが、シーズン半ばで引退する。14年半のプロ生活は、光と影が入り交じったものだった。06年に清水東から鹿島に加入し、開幕戦に先発。ルーキーながら右サイドバックのレギュラーに定着した。07年には重い背番号2を継承し、07~09年の3連覇の偉業に貢献。08年からは日本代表としても活躍。10年W杯南アフリカ大会では、直前にポジションを失い、決勝トーナメント1回戦まで出番のないまま大会を終えた。

悔しさを胸に、同年夏にドイツの強豪シャルケに移籍した。7年半の欧州生活では、当時インテル・ミラノのDF長友佑都とのCL初の日本人対決、また日本人として初のCLベスト4なども成し遂げた。クラブからも、ドイツのサポーターからも愛された。

一方でケガにも悩まされ続けた。14年W杯ブラジル大会前に右膝を負傷。保存療法でW杯に挑み全3試合に出場したが、1勝もできず1次リーグ敗退。翌15年に右膝の手術を受け、復帰に1年9カ月を要した。「シャルケの医師に『復帰できると思っていなかった』と言われた」と振り返るほどの大けが。「(手術の)決断が間違っていたんじゃないかと迷った時期があり、その時が一番きつかった。本当によく泣いた」。文字通りけがに泣かされた。

18年の鹿島復帰後も、コンディションが戻りきらず、出場機会は少なかった。それでも優勝した同年の水原(韓国)とのアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)準決勝第1戦では、終了間際に劇的な逆転弾を決めるなど、要所で輝きを放った。19年には主将として、優勝争いするチームをベンチから鼓舞し、審判に注意されたこともあった。今季もケガを避けながらの調整で、出場はここまで2試合。先発した12日のルヴァン杯清水戦(アイスタ)でイメージ通りのプレーができず、現役生活にピリオドを打つ決断を下したようだ。今後は未定だが、将来的には育ててもらった鹿島に恩返しする可能性もある。

ケガがなければ、と思わずにはいられない。それでもシーズン途中での引退には、内田らしい潔さがある。ラストマッチは23日。本拠地カシマスタジアムで別れを告げる。【杉山理紗】

◆内田篤人(うちだ・あつと)1988年(昭63)3月27日、静岡県生まれ。清水東高から06年に鹿島入り。07~09年のJ1の3連覇などに貢献。10年夏にドイツのシャルケへ移籍。10-11年シーズンに、欧州CL4強入りも果たした。ウニオン・ベルリンを経て、18年に鹿島復帰。日本代表では国際Aマッチ74試合出場2得点。W杯は10年南アフリカ大会と、14年ブラジル大会の日本代表で、14年は1次リーグ全3試合に出場した。ポジションはDFで右サイドバックで活躍。15年5月に結婚を発表し、16年に第1子となる長女が誕生した。愛称ウッチー。176センチ、67キロ。




◆内田篤人らしい潔さ、ケガに泣き32歳で引退決断(ニッカン)





◆内田 32歳で引退 日本が誇る右SBも相次ぐケガで理想のプレーできず決断(スポニチ)






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 鹿島は20日、元日本代表DF内田篤人(32)が現役を引退すると発表した。コンディション面を理由に本人がクラブへ申し入れた。鹿島との契約は今季終了時まで残っていたが、今月31日で契約を終了。23日のG大阪戦(カシマ)がラストマッチとなり、24日にオンライン記者会見に臨む。

 ピッチ上では屈指のスピードとサッカーIQを持ち、新時代のサイドバック像を確立した先駆者。ピッチ外では飾らない人柄でチームメート、スタッフ、ファンに愛される人気者。内田が14年半の現役生活に別れを告げることを決断した。

 今季の開幕前「32歳はサッカー選手としてまだ死ぬ年齢じゃない」と話し、肉体強化に取り組むなど再起を期していたが、2月のプレシーズンマッチで右足を負傷。以降も自身のイメージとプレーとのギャップが埋まらず、本人がクラブに現役引退を申し入れた。今季はリーグ1試合、ルヴァン杯1試合の出場にとどまっていた。

 06年にクラブ初の高卒ルーキー開幕先発デビュー。17歳11カ月でのクラブ史上最年少得点は今も破られていない。10年にドイツ1部シャルケへ完全移籍。定位置をつかみ、10~11年シーズン欧州CLでは4強入りした。

 2度目のW杯だった14年ブラジル大会は選手生命を懸けた戦いだった。腱が切れた右太腿の大ケガから半年足らずで復帰し、患部はテーピングでぐるぐる巻きだが「支えてくれるスタッフがいる。痛いなんて言えない」と弱音は封じた。見栄えのいいパスサッカーに傾注したチームに「サッカーは結果が全て」と警鐘を鳴らし続けた。甘いマスクとは裏腹に骨太な男だった。

 15年6月に右膝を手術して、シャルケでは長いリハビリ生活。17年8月に出場機会を求めウニオン・ベルリンに移籍し、18年1月に鹿島へ復帰したが、フル稼働はできなかった。チームに貢献できない自分を許せなかったのかもしれない。

 内田から意向を聞いた鈴木満フットボールダイレクターは「最後は背中を押した。本当にお疲れさまという思い」とねぎらった。引退後は未定だが、本人は指導者への興味を口にしたこともある。

 突然の別れとなる23日のホームG大阪戦。内田はサポーターの前でその思いを語る。

 ◆内田 篤人(うちだ・あつと)1988年(昭63)3月27日生まれ、静岡県函南町出身の32歳。清水東高から06年鹿島加入。07~09年のリーグ3連覇に貢献し、10年7月にシャルケに移籍。17年8月からのウニオン・ベルリンを経て、18年1月に鹿島に復帰した。J1通算147試合3得点。ドイツ1部通算104試合1得点。08年1月の国際親善試合チリ戦でA代表デビューし、国際Aマッチ通算74試合2得点。1メートル76、67キロ。利き足は右。

 ▼浦和DF槙野智章(自身のツイッターで) 寂しい。俺は寂しいよ。次のステージでまた輝くウッチーが早く見たい!!お疲れさまでした!

 ▼横浜FC・MF松井大輔(自身のインスタグラムで)内田篤人 早すぎるよ。また一緒にプレーしたかった!

 ▼清水東高時代の監督梅田和男氏(55=現静岡城北高監督) 多くの人に育てられ、プロとして14年間よくやったと思います。お疲れさまでした。これからもサッカーに関わってほしいと思います。




◆内田 32歳で引退 日本が誇る右SBも相次ぐケガで理想のプレーできず決断(スポニチ)





◆引退発表 ウッチーありがとう ファンら感謝、惜しむ声(茨城新聞)






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ありがとう、お疲れさま-。鹿島アントラーズのJリーグ3連覇に貢献するなど、数々の感動をサポーターに与えてくれた内田篤人(32)が20日、現役引退を発表した。鹿島サポーターは、チーム貢献への感謝と、ねぎらいの言葉を寄せ、“ウッチー”の今後の活躍にエールを送った。

「もう一肌脱いでほしかったというのが本音だが、お疲れさまと伝えたい」。鹿嶋市商工会青年部でアントラーズ応援委員会の委員長を務める山町浩信さん(37)はそう語り、第一線を退くことを決めたベテランに感謝した。中でも「ヨーロッパで活躍後に鹿島へと帰ってきてくれて、サポーターとしてうれしかった」と振り返った。

スピードを生かしたオーバーラップとクレバーなプレーでサポーターを魅了した。水戸市の大崎一誠さん(21)は「信じられない。また戻れるだろうと思っていた」と引退の知らせに驚いた様子。最も印象に残っているのは史上初のJリーグ3連覇を達成した2009年最終節の決勝点アシストで、「勝負を決定づける活躍が多い選手だった」と振り返った。現役最後となるホームゲームのG大阪戦(23日)は県立カシマサッカースタジアムで観戦する予定。「感謝の気持ちを込めて応援したい」と話した。

Jリーグ誕生時からチームのサポーターという鉾田市の三保谷敏さん(46)は、18年シーズンで引退した小笠原満男さん(41)と並び、「チームの“顔”だった。個人的には小笠原の後継としてみていた」と残念がった。

同市の西野翼さん(16)は、陸上部の練習終わりに鹿島の公式SNSで引退を知り、「精神的支柱としてチームを引っ張る存在として期待していた。今シーズン終了までプレーしてほしかった」と惜しんだ。

チームを間近で応援しようと鹿嶋市に移住した伊藤拓真さん(32)は「自分がけがでプレーを断念した時、内田の頑張る姿を見てサッカーを好きでいられた。引退は寂しいが、けがとの闘いから解放されたのでは。ほっとした気持ちもある」と声を震わせた。「彼と一緒にタイトルを取りたかった」と伊藤さん。今後は「経験を生かし、サッカー文化を広めてくれる存在になってくれるのではないか」と期待を寄せた。




◆引退発表 ウッチーありがとう ファンら感謝、惜しむ声(茨城新聞)




◆鹿島DF内田篤人、今季限りで現役引退 ファンも惜別の声「早すぎる」「言葉が出てこない」(FOOTBALLZONE)






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怪我に苦しみ32歳で現役引退 23日のG大阪戦後に引退の挨拶


 鹿島アントラーズは20日、元日本代表DF内田篤人が今季限りで現役を引退することを発表した。

 内田は2006年に清水東高から鹿島アントラーズ入り。1年目から28試合に出場し、瞬く間に主力選手に上り詰めた。

 2010年7月にドイツへ移籍。シャルケで計7シーズン戦い、UEFAチャンピオンズリーグでもプレーしたが、2015年3月に右膝の膝蓋腱を負傷して戦線離脱後は怪我に苦しんだ。2018年に鹿島復帰後も怪我に苦しみ、今季リーグ戦は第2節・川崎フロンターレ戦(1-2)に出場しただけだった。

 鹿島は20日に内田の今季限りでの引退を発表。1988年生まれの内田は8月31日で鹿島との契約が終了し、32歳で現役生活にピリオドを打つことになる。8月23日の本拠地・ガンバ大阪戦終了後に引退の挨拶を行い、翌24日に記者会見が予定されている。

 鹿島公式ツイッターで内田引退決断の一報が投稿されると、ファンからは「嘘だと言って」「また1人のレジェンドが去るのか…」「早すぎるよ」「嘘…」「言葉が出てこない」と悲しみの声が上がっている。



◆鹿島DF内田篤人、今季限りで現役引退 ファンも惜別の声「早すぎる」「言葉が出てこない」(FOOTBALLZONE)





◆【鹿島】内田篤人が現役引退を発表。8月23日のガンバ大阪戦後にサポーターに挨拶(サッカーマガジン)






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鹿島アントラーズのDF内田篤人が2020シーズンをもって現役を引退すると発表した。内田は2020年8月31日で鹿島アントラーズとの契約を終了。8月23日のJ1リーグ第12節・ガンバ大阪戦終了後に引退の挨拶を行なう。


日本を代表する右サイドバック


 日本を代表するサイドバックが、現役を退く。長らく右ヒザのケガに苦しめられてきたが、今季のリーグ再開前には「ケガなくできている。筋力トレーニングをかなりやったので、それが結構、良い方に転がっていると思う」と、順調な仕上がりを強調。7月4日の再開初戦、川崎フロンターレ戦に先発し、60分間プレーしていた。その試合後にはコロナ禍の現状を鑑み、「僕らでJリーグを止めない」と決意を語っていたが、その後、リーグ戦の出場はなく、8月12日のルヴァンカップ、清水エスパルス戦に1カ月ぶりに出場していた(69分間プレー)。

 2006年に清水東高校から鹿島に入団。当時のアウトゥオリ監督に抜擢され、開幕スタメンを飾った。以降はチームの主力としてプレー。2010年にドイツのシャルケに移籍し、UEFAチャンピオンズリーグでベスト4入りに貢献するなど、ヨーロッパでも確かな足跡を残した。2017年夏にウニオン・ベルリンに移籍し、2018年1月に鹿島に復帰。Jリーグでは2014年に悪化した右ヒザのケガと付き合いながらプレーしていたが、18年は12試合、19年は10試合と出場数は限られていた。

 今週末に開催される8月23日のガンバ大阪戦の試合後に、引退の挨拶を行ない、8月31日をもってクラブとの契約を終了する。日本代表としても一時代を築いた右サイドバックが、スパイクを脱ぐ。

◎プロフィール
内田 篤人(うちだ・あつと)
生年月日:1988年3月27日、静岡県出身
ポジション:DF
身長、体重:176センチ、67キロ
経 歴:函南SSS-函南中学校-清水東高校-鹿島アントラーズ(2006)-FCシャルケ04(2010・ドイツ)-1.FCウニオン・ベルリン(2017・ドイツ)-鹿島アントラーズ(2018)

■通算成績(2020/8/20現在)
J1リーグ通算:147試合、3得点
リーグカップ通算:25試合、0得点
天皇杯通算:15試合、1得点
AFCチャンピオンズリーグ:24試合 3得点
FIFAクラブワールドカップ:3試合 0得点
ゼロックススーパーカップ通算:3試合 0得点
ドイツ・ブンデスリーガ通算:104試合 1得点
DFBポカール(ドイツカップ)通算:8試合 0得点
UEFAチャンピオンズリーグ:31試合、1得点
UEFAヨーロッパリーグ通算:9試合、0得点
ドイツ ブンデスリーガ(2部):通算:2試合、0得点

■獲得タイトル
Jリーグ優勝:3回(2007、2008、2009)
天皇杯優勝:1回(2007)
AFCチャンピオンズリーグ優勝:1回(2018)
ゼロックススーパーカップ優勝:2回(2009、2010)
DFBポカール優勝:(2010-11、ドイツ)
DFLスーパーカップ優勝:(2010-11、ドイツ)

■鹿島での個人タイトル
2008、2009 Jリーグベストイレブン

■日本代表歴
74試合出場、2得点
・日本代表の主な参加大会:2010、2014FIFAワールドカップ、2013年FIFAコンフェデレーションズカップ、2011年AFCアジアカップ
・U-23日本代表:2008年北京オリンピック
・U-20日本代表:2007年FIFA U-20ワールドカップ



◆【鹿島】内田篤人が現役引退を発表。8月23日のガンバ大阪戦後にサポーターに挨拶(サッカーマガジン)





◆鹿島の元日本代表DF内田篤人が今季限りで現役引退、8月末で契約満了(超WORLDサッカー!)






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鹿島アントラーズは20日、元日本代表DF内田篤人(32)が2020シーズン限りで現役を引退することを発表した。

なお、内田は2020年8月31日(月)で鹿島との契約が満了となり、23日(日)の明治安田生命J1リーグ第12節 ガンバ大阪戦終了後に引退の挨拶が行われるという。

清水東高校から2006年に鹿島に加入した内田は、2010年からシャルケへ移籍。右サイドバックとしてブンデスリーガでも主力としてプレー。しかし、2015-16シーズンからはヒザの負傷の影響もあり出場機会を得られず。2017夏にウニオン・ベルリンへ移籍するも、2018年からは鹿島に復帰していた。

鹿島復帰後もヒザの負傷の影響もありフル稼働はできず。復帰後の3シーズンでJ1では23試合の出場に留まっていた。

通算成績は、J1リーグで147試合3得点、リーグカップで25試合出場、天皇杯で15試合1得点、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)で24試合3得点、ブンデスリーガで104試合1得点、DFBポカールで8試合出場、チャンピオンズリーグ(CL)で31試合1得点、ヨーロッパリーグ(EL)で9試合に出場。獲得したタイトルはJ1リーグでを3回、天皇杯を1回、ACLを1回、DFBポカールを1回制していた。

また、日本代表としては74試合に出場し2得点を記録。2010年の南アフリカ・ワールドカップ、2014年のブラジル・ワールドカップに出場。そのほか、世代別でも2008年の北京オリンピックや2007年のU-20ワールドカップに出場していた。





◆鹿島の元日本代表DF内田篤人が今季限りで現役引退、8月末で契約満了(超WORLDサッカー!)





◆【鹿島】全試合出場中、和泉竜司の自戒「個人で決め切るようにならないといけない」(サッカーマガジン)






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鹿島アントラーズはJ1リーグ第11節で横浜FC戦とアウェーゲームを戦った。後半は圧倒的に攻めながらもゴールは遠く、前半の失点を取り返すことができずに敗れることになった。先発フル出場を果たしたMF和泉竜司は悔しさをにじませながらも前を向いた。


■2020年8月19日 J1リーグ第11節(観衆2,773人/@ニッパツ)
横浜FC 1ー0 鹿島
得点:(横)皆川佑介


一番楽しいところでのプレーを共有しないと


 悔しい敗戦になった。とくに後半は和泉自身にも、チームにも、チャンスがあった。

 48分には和泉がボックス内左で土居聖真のクロスを胸トラップでコントロールしてすぐさま左足を振ったが、相手GK六反にストップされてしまう。57分には右サイド深く進入した小泉慶のクロスに反応。ボックス内に走り込むまでは素晴らしい展開だったが、ファーストタッチでうまくボールを置けず、窮屈なシュートになってボールを枠を逸れてしまった。

 前半、あまりにも不運な形で失点していたが、チームは気持ちを立て直し、後半に臨んでいた。立ち上がりから積極性を示し、その流れの中で和泉は二つの決定機を迎える。しかし、ゴールを決めることじゃできなかった。本人も悔しさをにじませる。

「失点のあと、チームとして落ち着いてできたと思いますが、(前半は)チャンスはなかなか作れなかった。でも後半、自分にチャンスが2回あったんですが、決め切れなかったのは痛かったです。後半に関してはほとんど自分たちの時間でやれていたので、1点取れていればまた違ったゲームになっていたと思う。そこは個人としても決め切れるようにしないといけない」

 和泉の言う通り、後半は鹿島の時間だった。相手のボランチの動きを封じてビルドアップを制限すると、シュート数でも8対1(試合全体では13対3)と圧倒した。だが、ゴールは決められず。

「チャンスメークというか、サイドバックは高い位置を取れていたので、クロスに入っていく部分だったり、その精度もそうですし、それ以外の仕掛けもそうですけど、ワンツーだったり、ゴール前での崩しだったり、一番楽しいところでのプレーを、もっともっと個人としても、みんなでも共有しないと。チャンスをもっと作っていかないといけないなとあらためて感じました」

 この試合、和泉はチーム事情に合わせて、左サイドハーフから右へ周り、終盤は右サイドバックとしてもプレー。チーム最多の3本のシュートを放ち、勝利を目指した。今季ここまでのリーグ戦11試合すべてに出場しているのは、和泉ただ一人。先発はそのうち6試合に留まるものの、試合の頭からでも、途中からでも力を発揮できるという証。指揮官の信頼はあつい。

「日曜日にまた試合があるし、そこに向けてしっかりリカバリーして。切り替えていかないと、連戦が続くので」

 中2日で臨んだ苦しいゲームを経て、今度は中3日でガンバ大阪戦に臨む。下を向いている暇はない。ただ勝ち点3を得るために、和泉はピッチに立つ。


◆【鹿島】全試合出場中、和泉竜司の自戒「個人で決め切るようにならないといけない」(サッカーマガジン)





◆【J1採点&寸評】横浜FC1-0鹿島|クラブ初のJ1連勝!決勝弾のストライカーをMOMに。鹿島の高卒新人4人の出来は?(サッカーダイジェスト)






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[J1リーグ11節]横浜FC1-0鹿島/8月19日(水)/ニッパツ三ツ沢球技場


【チーム採点・寸評】
鹿島 5
4戦負けなしでチーム状態が上向きになってきた中で5戦ぶりの敗戦。内容も芳しくなかった。

【鹿島|採点・寸評】
GK
38 山田大樹 5.5
声はよく出ていた。ただ、失点シーンは一瞬止まってしまい、キャッチするタイミングを逃した。

DF
37 小泉 慶 5.5(74分OUT)
右サイドで土居、ファン・アラーノと絡みながら何度か裏を取る。守備では松尾にやや苦労。

3 奈良竜樹 6(74分OUT)
鹿島に移籍後リーグ戦では初出場・初先発。対人や空中戦では持ち前の強さを発揮した。

28 町田浩樹 5.5
失点シーンは判定に嫌われた側面もあったがあそこでつぶし切れなかったことが響いた。

14 永戸勝也 5.5
守備でやられる場面はなかったが、高精度の左足を生かしたピンポイントクロスもなかった。

MF
4 レオ・シルバ 6(65分OUT)
前半と後半で見違える。前半は不用意なミスも見えたが後半は1人で数人剥がし前線にパスを付けた。

20 三竿健斗 6
CBに移ってからも見せたように1対1の強さは圧巻。あとは、ボランチ時に攻撃で変化を生みたい。


鹿島――5枚の交代カードを切るが結果に繋がらなかった


7 ファン・アラーノ 5(65分OUT)
前半は全くと言ってよいほど出てこず。ハーフタイムに修正を加えられたことで後半は顔を出した。

11 和泉竜司 6
48分のシュートはGKに止められ、58分のシュートは枠を捉えきれず。得点の匂いはしたが匂いどまりだった。

FW
8 土居聖真 6
サイドでの起用だと個性を発揮するよりもチームのためのプレーにパワーを引っ張られすぎてしまう。

9 エヴェラウド 5.5(82分OUT)
4戦連発中で迎えるも、この試合では沈黙。高さを生かしたクロスがサイドから入ってくることはなかった。

交代出場
MF
6 永木亮太 6(65分IN)
右SBに入り、途中からはボランチに入る。チーム全体が前線に人数を掛ける中でリスクを管理した。

MF
25 遠藤 康 6(65分IN)
このレフティが入ることでチームの流れが変わる。右サイドからの左足インスイングクロスは脅威だった。

MF
26 荒木遼太郎 6(74分IN)
相手の運動量が落ちてきたタイミングでの投入。必死にゴールを目指したが、2戦連発とはならなかった。

FW
19 染野唯月 6(74分IN)
ボックス内で味方と絡みシュートまで持ち込んだがGKの正面を突いた。早く待たれるJ1初ゴール。

MF
27 松村優太 ―(82分IN)
リーグデビューした前節に続きピッチに立つも出場時間が短く、良さを出し切れなかった。

監督
ザーゴ 5.5
抜擢したファン・アラーノが前半は機能せず、全体としてもビルドアップでミスやバックパスが目立つ。5枚の交代カードを切るが結果に繋がらなかった。

構成●サッカーダイジェスト編集部

※MAN OF THE MATCH=取材記者が選定するこの試合の最優秀選手。
※採点は10点満点で「6」を及第点とし、「0.5」刻みで評価。
※出場時間が15分未満の選手は原則採点なし。




◆【J1採点&寸評】横浜FC1-0鹿島|クラブ初のJ1連勝!決勝弾のストライカーをMOMに。鹿島の高卒新人4人の出来は?(サッカーダイジェスト)





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