日刊鹿島アントラーズニュース

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2017年6月24日土曜日

◆<リポート>JFL昇格に向けた挑戦。FC TIAMOが描く未来図。(Yahoo)




現役時代はガンバ大阪や鹿島アントラーズ、セレッソ大阪で活躍した新井場徹がアドバイザーを務めるFC TIAMO枚方(以下、FC TIAMO)が、2度目の関西サッカーリーグDivision1(以下、関西リーグ1部)の戦いに挑んでいる。

1度目の関西リーグ1部参戦となった2015年は従来のチーム名『FC TIAMO』に地域名を加えた『FC TIAMO枚方』として新たなスタートを切ったが、わずか1勝しかできず最下位で再び2部に逆戻り。それを受け、クラブ体制の見直しを図って臨んだ昨年の同リーグを9勝3分2敗で優勝し、1部に返り咲くと、今シーズンはここまで7試合を戦って4勝1分2敗、3位とまずまずの滑り出しを見せている。

■時間をかけて育んできた『チーム愛』を大切に。

FC TIAMOの歴史は04年に遡る。先述の新井場がガンバ大阪に所属していた当時のチームメイト、播戸竜二(大宮アルディージャ)、稲本潤一(コンサドーレ札幌)とともに『FCイバンイーナ』を発足。大阪府社会人5部リーグから参戦し、毎年、所属リーグで優勝を重ねて現ステージに上り詰めた。

途中、稲本と播戸は移籍に伴ってクラブ経営から離れたが、新井場は継続して経営に携わり、06年はチーム名を『FC TIAMO』に変更して3部リーグ優勝を果たす。その中では、08年に小学生年代を対象としたFC TIAMOジュニアを、10年にはFC TIAMOジュニアユースを発足。11年にはトップチームも大阪府社会人リーグ1部優勝を果たして12年には関西リーグ2部に参入し、以降、冒頭に書いた通りに歩みを進めてきたというわけだ。現時点での目標は関西リーグ1部を征してジャパンフットボールリーグ(JFL)に昇格すること。今は会長職に退いている新井場はその夢を語る。

「FCイバンイーナ時代は正直、ここまでクラブの規模が大きくなるとは思っていなくて(笑)。ですが、チーム運営を進めてきた中でいろんな可能性に気づき、それが、自分の生まれ育った街にJリーグクラブを作りたいという思いに直結してここまできました。とはいえ今年で発足14年目ですからね。見方によっては時間がかかったと思う人もいるかもしれないけど、僕は正直、この課程がすごく大事だったと感じています。一気に資金を集めて、パワーをかけてチームを作る方法も否定はしませんが、時間をかけて浸透させたからこそ育まれたチーム愛もある、と。実際、去年の終わりくらいからサポーターが…Jリーグでいうゴール裏にいるサポーターのような太鼓を持って応援してくれるファンが自然発生的に存在するようになりましたが、そういう派生のパワーもチームを大きくしていくにはすごく大事だと思っています。その一方で、枚方市が40万人都市だという街のポテンシャルには着目しています。かといって、シンボルとなりうるものがないという現状にも。現に東海大学付仰星高校が全国高校サッカー選手権大会に出場したり、常翔啓光学園高校がラグビーの名門で知られてはいますが、街をあげて応援する状況には至っていません。ひらかたパークは『ひらパー兄さん』のV6岡田准一さんのおかげで知名度が高まりましたけどね(笑)。そういう意味では枚方市にはチャンスが広がっているし、この街で生まれ育ち、ずっとサッカーに関わって生きてきた僕としてはサッカーがこの街を盛り上げる要素の1つになってくれたら嬉しいとも思う。そのきっかけにFC TIAMOがなれば最高ですね(新井場)」

そんな風に考えるようになったのは新井場が現役時代に所属した鹿島アントラーズの運営に着目したからだ。鹿嶋市の人口は今年の5月1日現在で約7万人。だが、その街のシンボルともいうべき鹿島アントラーズは、地域に密着したクラブとしてその名を馳せ、近年、年間平均観客動員数が15000人を下回ることはまずない。昨年に至っては、93年から始まるクラブ史において、歴代6位となる20068人の平均観客動員数を数えるなど、その人気に衰えは見られない。もちろんこれらの数字はチームの結果に左右されるものでもあるが、しっかりと『クラブ愛』が育てば、同じことが枚方市でも可能だと新井場は考えている。

「鹿嶋市って鹿島アントラーズが誕生するまでは茨城県にあることさえ知らない人が多かったと思うんです(笑)。それがアントラーズによって、全国規模で街が知られるようになった。また松本山雅FCのある松本市も合併を繰り返す中で、今では10万人都市になりましたが、アントラーズと同じようにサッカーによって知名度が上がった街ですからね。特に松本山雅の場合は、僕らと同じように北信越リーグから始まってJリーグに参入するまでのクラブに成長したと考えても、その4倍近い人口を誇る枚方市にも大きな可能性を感じるし、この場所で地元の子供達が夢を叶えてJリーガーになるというストーリーが生まれれば、間違いなく、地域に密着したクラブとしてその形を大きくしていけると思っています(新井場)」

■2年前の反省をもとに、環境を整えて2度目のJFL昇格を目指す。

そんな風に新井場の熱に牽引されて成長してきたFC TIAMOは現在、新井場の鹿島時代のチームメイト、山本拓弥が監督を務める。

山本もまた新井場の熱に刺激を受けて仲間となり、ジュニア・ジュニアユース年代の指導者を経て、昨年からトップチームのコーチを、今年から監督業を預かっている。

「新井場さんの地元への思いや、サッカークラブの経営理念、そして何より『人』の部分ですよね。新井場さんが選手・スタッフはもちろん、このクラブに携わるすべての人を、ファミリーのように大事にする姿に共感して、僕も一緒に仕事をさせていただくようになりました。その中で、僕自身がサッカー選手として育った課程において大きな影響を受けたジュニアユース~ユース年代の育成指導にあたりたいという思いから、同カテゴリーの指導者からスタートしましたが、当時から並行して夜はトップチームのコーチをさせていただいていたんです。そんな中で昨年からトップチームが午前に練習をするようになったことを受け、また自身の将来的なことも考えて、アカデミーの指導者も続けながら、トップチームの監督をさせてもらうチャンスをいただきました(山本)」

その言葉にもあるように、また冒頭にも書いたように、1年で関西社会人リーグ2部に逆戻りした経験を踏まえ、FCTIAMOは昨年大きなテコ入れに踏み切った。選手が仕事を終えた後、夜に練習をしていた体制を、午前の練習に切り替えたことだ。チームスポンサーなどの協力を経て、クラブ側が仕事環境のサポートを行うことで、現所属の半分以上の選手が午前中は練習を、午後からはクラブが斡旋した企業で仕事をするという体制が整い、これまで以上にサッカーとの両立を図れるようになった。ゆくゆくはこれをより強化していくプランだと新井場は語る。

「スポンサー企業等にもご理解とサポートをいただき、現時点で12~13人の選手が午前中は練習を行い、午後から仕事をするという体制を敷けるようになりました。来年には5~6人はこの体制でやれる選手を増やして、さらに環境を整えるつもりです。といっても、選手個々にもいろんな事情があり、全員が今の体制でやれるわけでもない中で、実は未だに夜に練習をしている選手も何人かいます。チームを長く支えてきてくれた功労者もいる中で『午前練習に来れないからダメだ』とは言いたくないというか。地域に根ざしたクラブを目指せばこそ、このクラブの過程に携わってきてくれた彼らの存在も大事な戦力だと考えています。ということもあり、中には3部リーグの時から所属している最古参で、正直、見た目もすっかり『おっちゃん化』している選手もいて…(笑)。今はほとんど試合にこそ絡めませんが、水の準備など裏方の仕事に力を貸してくれていますし、彼とは立ち上げの時から『Jリーガー』にしてやると約束していましたからね。未だに毎年、選手登録はしてユニフォームも渡しているという選手もいます。その一方で、例えば、岡田武瑠のように、ポーランドリーグから戻って次のステージを模索している選手もいれば、今年から加入した小川直毅のように『Jリーグ』に野心を持ち、このチームをステップアップの場にしようと考えている選手もいます。でも、それぞれの目標や野心が違うのも、このステージを戦うクラブならではですからね。個々の目標は違っても、このチームを強くするために、という思いで在籍しているなら問題ない。それに、ここからステップアップする選手が誕生することもチームには大きな刺激ですしね。ただ…嬉しいことにTIAMOに加入すると、なぜか選手の多くがクラブ愛を深める傾向にあり (笑)、『TIAMOをJクラブにすることが目標にします』と目標変更を口にする選手も多いんですけど(笑)(新井場)」

■昨年までガンバ大阪に在籍した小川直毅もチームの一員に。

新井場の言葉に出てきた小川直毅は昨年までガンバ大阪に所属していた選手で、新井場にとってはガンバアカデミーの後輩でもある。ガンバとの契約が昨年限りで満了になった後、いくつかのJクラブに練習参加をして新天地を求め、契約直前まで進んだ話もあったが、最終的には話がまとまらず、FC TIAMOでプレーすることになった。

「J3リーグまで可能性を探り、テストも受けに行ったし、練習試合等での感触は良かったのに最終的には話がまとまらなかったりして…国外ということなら、カンボジアリーグでのプレーを勧められて気持ちが傾いたりもしました。ただ、そもそもの自分の目標は『もう一度、Jリーグでプレーすること』にありましたから。そのために今をどうすべきかを逆算して考えた結果、夏のウインドウでJクラブ入りを目指すには、国内でプレーした方がいいという考えに行き着き、いろいろ助けていただいていた新井場さんのTIAMOでお世話になることを決めました。もっとも、冬のウインドウで求められなかった選手が夏のウインドウでJクラブに加入できる可能性は限りなく低いと覚悟していますが、ガンバのトップチームに昇格して3年、途中、藤枝MYFCに期限付き移籍も経験した中で毎年、自分なりに成長への手応えはありましたからね。このまま自分のサッカー人生を終わるのは納得ができないというのもあったし、これまで認めてもらえなかった人を見返してやるという思いも大きかった。そういう思いがある限り、頑張ろうと思っています(小川)」

そんな小川は今、選手としてプレーする傍ら、主に大阪の北摂地域を中心に活動する『わくわくサッカースクール』でスクールコーチを行なっている。将来的を見据えてのことだ。

「夏のウインドウでのJリーグ復帰は目指しているとはいえ、今回のようにサッカーで飯が食べられなくなるということは、いつかまた経験することですから。次の仕事について考えるのもいい機会だと思い、練習のない午後からの時間を使って幼稚園、小学生を対象にしたスクールコーチをしています。最初はサッカーと並行してできるかなと思っていましたが、やってみると意外と面白くて。将来的には本腰を入れてもいいかなという気持ちも膨らんできています。ただ、いずれにせよ全ては、サッカーでの結論が出てから。今はTIAMOにもすごく愛着も感じているし、ここでサッカーをするのも楽しいし、『このチームをJFLに昇格させたい』という思いも強いので、難しい判断にはなりそうですが、まずは当初の目標通り、夏のウインドウでJリーグ復帰を目指した上で、その答えが出たら将来を再度考えようと思います(小川)」

その言葉にもあるように、小川は今「心からサッカーを楽しめている」そうだ。加入当初は自分の気持ちも整理できておらず、Jリーグより遥かに下のカテゴリーでプレーしている自分を受け入れ切れていないところもあったが、今は違う。チーム、環境にも慣れ、これまでとは違う立場でサッカーに向き合うことに、これまでにはない楽しさも感じている。

「このカテゴリーだからでもありますが、コンスタントに試合に出場しながら、チームの真ん中でプレーできているのは、すごく楽しい。それによって忘れかけていたサッカーの楽しさを思い出している自分もいます。ただ、本当にJを目指すのなら、この舞台ではもっと圧倒的な結果を残せなければいけないし、目に見えた数字がなければ注目もしてもらえないステージですからね。そこはまだまだ求めていかなければいけないところだと感じています(小川)」

そんな言葉を聞いた日から約1週間後。ホーム・枚方陸上競技場で行われた関西リーグ1部・第5節『FC TIAMO対バンディオンセ加古川』戦を取材に訪れた。結果は4-1で勝利。この日も先発を飾った小川は、正直『圧倒』とは言えないパフォーマンスだったが、ガンバ時代とはややプレースタイルを変え、個での仕掛けというよりは『チームのために』という意識を感じさせるプレーで攻撃を支えた。

そんな小川を含めたFC TIAMOを応援するスタンドにはこの日、思いの外、たくさんの観客が駆けつけていた。新井場が言っていた通り、時間の経過の中で誕生したサポーターもスタンドで熱い応援を続け、その周りでは試合後の同スタジアムで練習を控えていたFC TIAMOジュニアの子供たちが、『にいちゃん』選手に向かって一生懸命応援を繰り広げていた。そして、試合後にはトップチームの選手とジュニアが一緒に記念撮影。それが終わるとトップチームの選手と入れ替わるように、子供たちが元気いっぱいにボールを持って駆け出した。その光景に、改めてFC TIAMOの未来図を見た気がした。

https://news.yahoo.co.jp/byline/takamuramisa/20170623-00072441/

◆「フェイジョアーダ」 ベリンバウ(茨城・鹿嶋市)(産経ニュース)




 ■ジーコも訪れたブラジル料理

 サッカーJ1・鹿島アントラーズの本拠地、カシマスタジアム(茨城県鹿嶋市)近くのレストラン「ベリンバウ」では本格的なブラジル料理やステーキが楽しめる。試合のある日は腹ごしらえをするアントラーズのサポーターたちでにぎわう。

 訪れるのはサポーターだけではない。ジーコやレオナルドなどアントラーズで活躍した歴代のブラジル人選手も同店に足を運び、故郷の味を楽しんでいた。現役選手はシーズン前に決起集会も行っている。

 そんな同店で人気を集めているのが、たっぷりの黒インゲン豆と牛肉や豚肉、ソーセージなどをじっくり煮込んだ「フェイジョアーダ」(単品=税別1500円、ライスセット=同1800円)だ。味付けは塩とニンニクのみ、とシンプルながら素材から出たうま味は濃厚。ライスにかけて食べると箸が進む。付け合わせのビネガーソースをかけるとまろやかにもなる。

 オーナーの渥美リカルド兼治さん(48)によると、ブラジルでは週末に家族が集まって食べる料理で、日本人にとっての「みそ汁」や「鍋料理」みたいな存在だそうだ。渥美さんは「本場の味そのままで提供しているので、ぜひ家族で食べに来てほしい」と話している。

                  ◇

 ■アクセス JR鹿島神宮駅から車で約5分。国道51号沿い。茨城県鹿嶋市宮中5132の2。(電)0299・83・3722。火曜定休。

http://www.sankei.com/region/news/170623/rgn1706230020-n1.html

◆リーガ公式も“王様ガク”と名付け! 現地メディア「あのゴールは柴崎がキッカーだから誕生した」(The WORLD)


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いざ、1部へ

1部昇格に向けて、彼のエンジンはフルスロットルだ。21日、昇格プレイオフ決勝のヘタフェ戦で見事なアシストをマークしたテネリフェの日本代表MF柴崎岳に対し、地元メディアも賛辞の言葉を並べている。

本拠地に難敵ヘタフェを迎えて行われた1stレグ。柴崎は左サイドで順当に先発出場を果たすと、アグレッシブなボールへの関与を見せ、22分にはコーナーキックからさっそくゴールを演出する。クールな日本人MFが蹴ったボールはペナルティーエリア内で待ち構えるホルヘ・サエンスの元へ吸い込まれ、この日の決勝ヘディング弾をお膳立て。18日の準決勝でもゴールを決めていた柴崎がまたしてもチームに大きな貢献をもたらした。

試合後、スペイン『eldorsal』は決勝ゴールを挙げたサエンスや柴崎を含む4人に最高評価となる9点を付け、今冬よりチームに合流したばかりの元鹿島アントラーズMFへ次のような称賛の言葉を綴った。

「最高に素晴らしいプレイだ。コンディションもキープできていたし、ボールに触れるたびに高品質な技術力を見せつけた。ホルヘ・サエンスのゴールシーンはキッカーが柴崎岳で無ければそもそも誕生していなかっただろう。ガクがこのチームの中心人物であることはもはや明らかだ」

昨年末のクラブW杯ではレアル・マドリードを相手に2ゴールを決め、スペインメディアから「日本のイニエスタ」と謳われていた柴崎。いよいよその異名も大袈裟なものではなくなるかもしれない。なお、リーガエスパニョーラ公式は昇格プレイオフで躍動する同選手を“王様ガク”と称するなど、現地でも彼への期待が高まっているようだ。

https://www.theworldmagazine.jp/20170622/01world/spain/137586

◆【黄金世代】第3回・小笠原満男「衝撃のオノシンジ」(#2)(サッカーダイジェスト)


一瞬にして、いろんなものが打ち砕かれた。


 岩手のみならず東北でも名の知れた存在だった小笠原満男は、中3で初めて世代別の日本代表に招集される。1994年、U-16日本代表だ。
 
 そこで、とある選手のリフティングを目の当たりにし、頭のてっぺんに雷を落とされたような衝撃を受けた。
 
「うわ、なんだこれ、すげえ巧いなって。もう次元が違うから。なんて言うか、俺も岩手や東北じゃそこそこできてたほうで、それなりに自信を持ってやってたけど、あのリフティングを見ただけで一瞬にしていろんなものが打ち砕かれた。
 
 単純にインステップでやってるだけなんだけど、ボールがぜんぜんブレない。それだけでも巧さが伝わってくるよね。ほかにもインサイドキックの止めて蹴るってのもさ、それを見るだけでも次元が違うの。衝撃を受けた」
 
 誰あろう、小野伸二だった。
 
 その4年後、ナイジェリアのワールドユースで世界をあっと驚かせる黄金世代。まさに彼らの一番初期にあたるのがこの頃で、まだ、小野のほか稲本潤一や高原直泰、酒井友之などほんの限られたメンバーしか選ばれていない。そのなかに、小笠原は名を連ねていたのである。

「当時のことで考えたらとんでもない話で、もう端っこも端っこ。結果的に世界(1995年のU-17世界選手権)には行けなかったし、所詮はそういう位置づけでしかなかった。いまでもあのメンバーを集めて選考したら残れないって思う(笑)。

 それまで岩手の田舎で育ってきたから、ずっと指導者の方に『井の中の蛙になるな』って言われてきてた。まあ言葉として耳には入るんだけど、小中学生の時はどういう意味かまでは分からなかった。岩手の中じゃ、なにをやっても勝てちゃうし。でも彼らに初めて会ってさ、思い知ったよ。ああ、こういうことなんだって。身をもって体験した」

 たしかにその時点では、小さくない差があったのかもしれない。だが2年後、高2の秋に静岡のつま恋で開催されたU-17ナショナルトレセンでは、小笠原の技巧は際立っていた。この頃からわたしにとって小野、小笠原、そして本山雅志は、黄金世代の三大ファンタジスタなのである。

 とはいえ、小笠原自身が直面していた現実は、もっとシビアだったようだ。

「一緒にやれるのは嬉しかったけど、本当に巧いひとばっかりだし、場違いな感じは最初からずっとあった。ここに俺はいてもいいのかって。でも同時に、負けたくないって気持ちはあったし、なんとかこの環境でやり続けたいって想いもあった。いっつも刺激を受けてたよね。岩手に帰ってからも意識してたし、あのひとたちより巧くなるためには練習するしかないと思って、必死に打ち込んでたから。大きな刺激をもらってた」


いまでも俺の前をずっと走ってる選手。


 とりわけ、小野は別格だった。熱い想いを吐露する。
 
「最初の頃もそうだし、いまでも俺の前をずっと走ってる選手。ポジション的にも同じで、中盤の攻撃的なところをやっていたから、簡単に言えば、彼が出てて、俺が出れない。18歳でワールドカップに出たり、フェイエノールトに行って活躍したり、常に俺らの世代を先頭で引っ張っていた。イナとタカの3人でね。ずっと意識はしてるけど、どんどん遠くなっていく。彼らの活躍が嬉しいし、俺も負けたくないって思わせてくれる存在だね」
 
 高3の春に立ち上がったU-18日本代表では、少しずつステータスを高めていった印象だ。いつもメンバー入りはするが、清雲栄純体制下ではもっぱらベンチスタート。アジアユース選手権は予選でも本大会でも、あまり出番が回ってこなかった。
 
 小野に加えて、のちに鹿島アントラーズに同期入団する本山も急躍進を見せていた。
 
「もう実力が足りないから。モトとシンジが主力として出るのは、納得するしかなかった。誰がどう見ても巧いじゃない。だから、なんで俺が出れないんだって想いはなかったよ。大したことない選手だったら俺を使えよって思うかもしれないけど、彼らを見てたら出れないのはしょうがない。自分が努力するしかないと。それだけのタレントだからね、あのふたりは」
 
 転機は、フィリップ・トルシエの監督就任である。その後の2000年シドニー五輪、2002年日韓ワールドカップに至るまで、小笠原にとってはかならずしも相性のいい指揮官ではなかったが、いまとなってはその言動に賛同できる部分があるという。
 
「なにかにつけてワーワー言うし、やかましいひとだった。でもさ、日本人に足りないメンタリティーを呼び起こしてくれたんだなっていまは思うよね。当時はなんでそこまで言うのか、そこまでやるのかって思ってたけど、いまとなっては理解できる。
 
 十代の選手に対して、遠征にコックさんを連れていく必要があるのかとか、日本人に足りない表現の部分を強調したり。俺もそうだけど、日本人は淡々と内に秘めてやるタイプが多いじゃない。でももっと我を出せと。いずれ俺はその大事さをイタリアで痛感するんだけどね。日本人は恵まれすぎだってずっと言ってた。やれホテルがどうだ、水がどうだとか、食べ物がどうとか、テーピングがどうとか。A代表ならまだしも20歳の選手にそこまでは必要ないって、いっつも怒ってたね。いまじゃ理解できるし、いい監督だったんだと思う」
 
 ワールドユース直前、トルシエが黄金世代を連れて遠征したのが、開催地のナイジェリアと同じ西アフリカに位置するブルキナファソだった。

 フランス最先端のトレーニング施設であるクレールフォンテーヌに数日滞在し、本場ヨーロッパの格式と伝統を堪能した彼らを待っていたのは、想像をはるかに超える異世界。わたしはその遠征に同行し、彼らと同じホテルに滞在して密着した。



「小野は攻撃が7、守備が3。お前は攻撃が3、守備が7だ」  。


 首都ワガドゥグのホテルは国内最高級だったが、設備は必要最低限の実に質素なものだった。赤道直下の猛烈な暑さの中でクーラーが効かず、食材はすべて現地調達で、500キロ離れた第2の都市ボボデュラッソーへは、オンボロバスで移動した。

 日中は痛いほどの日差しだから、長時間の練習はできない。トルシエは時間さえあれば選手たちを街中の散策に連れ出し、皇帝の謁見や孤児院の訪問、大統領が所有する動物園(ほぼ放し飼い)の見学など、規格外のアトラクションを次から次へと用意した。ちなみに小笠原は、練習に飛び入り参加したブルキナファソ皇帝とPKで対決。装備万全でGKに入ったエンペラーの裏をものの見事に突いた。

 ブルキナファソでの1週間は、小笠原の脳裏にも強烈な記憶として刻まれている。

「普通に現地のものを食べてたよね。ハエのたかってる肉で、びちゃびちゃの黒い米を取って、これ本当に大丈夫なのかよとか言いながら。シャワーは水自体が出ないから、ペットボトルの水で身体を拭いてたな。モトと同部屋だったんだけど、クーラーが効かないから換気扇を回すわけ。それが猛烈にうるさくて、でも止めると息苦しくなる。だから俺もモトもずっと寝不足だった。

 でもさ、すべて慣れちゃえばなんてことなかった。サッカーするためには食べなきゃいけないわけで、じゃないと戦えない。朝5時に起きて、ビスケットだけ食べてトレーニングとか、なんの意味があるんだって思ったけど、それをやっちゃえば何時に起きろって言われてもへっちゃらになる。トルシエはそういうのを伝えたかったんだと思う。

 あの経験があるから、その後は世界のどの国のどんな場所に行ってもぜんぜん大丈夫だった。いきなりナイジェリアだったらきっとキツかっただろうけど、俺らはブルキナを経験してたから、居心地がいいくらいに感じてたもんね」

 ちょっとしたエピソードがある。

 そのブルキナファソで、小笠原は播戸竜二と散歩をしていた。すると現地のひとが「こっちに来い」と手招きしてくる。なんと両人は普通の民家にお邪魔したという。怖いもの知らずだ。

「どんな生活してるんだろうって、すごく興味があって。おいあがれよって言ってもらって中に入ったら、いきなりライオンの毛皮が敷いてあって『俺が撃って捕ったんだ』って言うわけ。『ホントかよ!?』って感じだけどさ、なかなか遠征で現地の家になんて入れないでしょ。面白かったね、触れられて。それくらいしか娯楽がなかったってのもある。暇すぎて。テレビもなにを言ってるか分からないし、インターネットとかない時代だから。本当にいい経験をさせてもらった」

 2か月後、ワールドユースの檜舞台に立つ。小笠原は自身初の世界大会で、レギュラーポジションを掴んでいた。まるで叶わないと思っていた小野、本山とともに、スタメンを飾ったのだ。

 そして大会直前、トルシエは小笠原に驚きの指示を伝える。

「小野は攻撃が7、守備が3。お前は攻撃が3、守備が7だ」

 ミツオは呑み込み、黙って受け入れた。

<♯3につづく>

取材・文:川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)

※6月28日配信予定の次回は、ワールドユースの快進撃を余すところなく語ってもらい、悩み抜いた末に決断した鹿島アントラーズ入団の裏話も公開。ファン必読のレアエピソードがまたしても飛び出します。こうご期待!

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PROFILE
おがさわら・みつお/1979年4月5日生まれ、岩手県盛岡市出身。地元の太田東サッカー少年団で本格的にサッカーを始め、小6の時には主将としてチームを率い、全日本少年サッカー大会に出場。中学は市立大宮中、高校は大船渡に進学。インターハイや選手権など全国の舞台で活躍し、世代別の日本代表でも常連となり、東北のファンタジスタと謳われた。1998年、いくつかの選択肢から鹿島アントラーズに入団。翌年にはU-20日本代表の一員としてナイジェリアでのワールドユースに主軸として臨み、準優勝に貢献する。鹿島では在籍20年間(2006年8月から10か月間はイタリアのメッシーナにレンタル移籍)で7度のリーグ優勝を含む16個の国内タイトルをもたらし、Jリーグベストイレブンに6回選出、2009年にはJリーグMVPに輝いた。日本代表ではワールドカップに2度出場(2002年・06年)し、通算/55試合出場・7得点。Jリーグ通算/506試合・69得点。173㌢・72㌔。O型。データはすべて2017年6月22日現在。

http://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=27078

◆昌子、45歳誕生日の指揮官に“鹿島のファーガソンになって”(スポニチ)




 鹿島の大岩監督が23日、45歳の誕生日を迎えた。監督になって初めて迎えるバースデー。25日の新潟戦に向けた練習後に「選手の喜ぶ顔を見たい。見るために(監督を)やっている」と抱負を語った。

 選手との距離感が近く、優しさと厳しさが同居する指導は選手からも好評。DF昌子はマンチェスターUを27年間指揮した名将の名を挙げ「“鹿島のファーガソン”じゃないけど、そういう監督になってほしい。そうできるように、毎年結果を残したい」と“長期政権”を支えるタイトル奪取を誓った。

 練習後には、MF三竿健とMF中村が指揮官を氷水の張ったアイスバスに落とし手荒く祝福。だが中途半端だったため、三竿健は「やるならちゃんとやれと言われた」と厳しい“指導”に頭をかいていた。

http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2017/06/24/kiji/20170623s00002000459000c.html

◆鹿島昌子「ファーガソンみたいに」大岩監督を名将に(ニッカン)




 鹿島アントラーズDF昌子が23日、45歳の誕生日を迎えた大岩監督を世界の名将にする決意を明かした。

 「ファーガソン監督みたいになってほしい。日本には20年以上やった人はいない。そのために毎年結果を残したい」。マンチェスターUを27季率い、優勝20度の前例を挙げ「まずはアルビレックス新潟戦(25日、カシマ)に勝って祝福したい」と誓った。選手からアイスバスに落とされる祝福を受けた指揮官も「選手の喜ぶ顔が見たい。そういう1年にしたい」と話した。

https://www.nikkansports.com/soccer/news/1844963.html

◆J1鹿島・大岩監督 45歳の誕生日祝う(茨城新聞)


誕生日プレゼントを受け取るJ1鹿島の大岩監督=クラブハウスグラウンド

○…J1鹿島の大岩監督が23日、45歳の誕生日を迎えた。クラブハウスでの練習後、報道陣からプレゼントを贈られると「監督になって初めての誕生日を祝福されてうれしい」と笑顔を見せた。

大岩監督は先月末、アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)の敗退により解任された石井前監督の後を受け、コーチから監督に昇格。就任以降は公式戦3連勝と、停滞していたチームを上昇機運に乗せている。45歳の目標を問われると「一試合一試合、結果を残していきたい」と話した。

選手らからは疲労回復のため使っている氷風呂に引きずり込まれ、手荒い祝福を受けた。

http://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=14982277480148

◆【鹿島vs新潟プレビュー】大岩剛監督就任後、公式戦3連勝の鹿島…新潟は故障離脱していた矢野貴章が復帰(サッカーキング)




■鹿島アントラーズ ルーキー安部裕葵が天皇杯で2得点1アシスト

【プラス材料】
 21日に行われた天皇杯2回戦でFCマルヤス岡崎に5-0で勝利し、大岩剛監督就任後、公式戦3連勝を飾った。リーグ前節の札幌戦から先発9人を入れ替え、若手主体のメンバー構成で臨んだなかで、安部裕葵が2得点1アシストを含む全5得点に絡む活躍を見せた。

 前線は先発が予想されるレアンドロ、中村充孝、土居聖真、P・ジュニオールの4人のほかにも、金崎夢生、遠藤康、金森健志ら実力者がひしめくポジション。ルーキー安部の活躍はさらなるポジション争いを促し、気温が上がるなかで連戦を控えるチームにとっても多くの選択肢を持つことになった。

 中3日での試合とはいえ、メンバーを入れ替えているため、フレッシュな状態で新潟戦に臨むことができる。

【マイナス材料】
 基本的にはマイナス要素は少ない。

 あえて挙げるとするならば、後半の戦い方であろうか。ここ公式戦3試合は前半に3得点を挙げ、圧倒的優位な状態で後半に入ることができた。だが、いずれの試合も後半は相手に主導権を握られる展開となっている。優位に立った中でプレーの正確性、慎重さが足りないがために起きた現象と言える。

 悲観しすぎることはないが、選手の口からは「ボールを持たれてもいいが、相手にボールを回させている感じにさせなければいけない」「簡単にボールを失わないように」「悪い失い方はしないこと」という意見が聞かれた。

文:totoONE編集部

■アルビレックス新潟 ゴールの門番をめぐる選手起用がカギ

【プラス材料】
 リーグ前節の大宮戦では、ゲームキャプテンを務め、ポジションを1つ上げて右サイドハーフでプレーした矢野貴章が、さすがの存在感を示した。右ハムストリングスの肉離れで1カ月戦列を離れていたとは思えないパワフルなプレーを見せた矢野は、フィードのターゲットとしても強さを発揮し、サイドで起点となった。これによってボランチから右サイドバックにコンバートされた原輝綺の攻撃参加が促されるなど、チームの直結している。

 21日に行われた天皇杯2回戦のバンディオンセ加古川戦では、4-2-3-1のトップ下に入った加藤大が積極的なプレーでアピール。2年ぶりのゴールを含め、好パスで試合を作ってチアゴ・ガリャルドのライバルに名乗りを上げた。競争が活気づくのは大歓迎だ。

【マイナス材料】
 前節は勝ち点で並ぶ大宮をホームに迎え、シュートを2本に抑えながら1-2と競り負けた。最下位脱出に失敗した精神的ダメージを引きずることなく、どこまで準備を整えて鹿島戦に臨めるかがカギを握る。

 大宮戦、21日の天皇杯と2試合連続で起用されたGK川浪吾郎のパフォーマンスが安定感を欠いていたため、守田達弥がポジションを奪い返す可能性もある。今季、公式戦に出場したGKは川浪、守田、負傷離脱中の大谷幸輝の3人。苦しい戦いが続くなか、絶対的な守護神が確定していない。

 強豪鹿島との今節は押し込まれる時間が長くなることも考えられる。コミュニケーションをより密に、安定した守備ブロックの構築は必須となる。ゴールの門番をめぐる、呂比須ワグナー監督の選手起用も勝敗を左右しそうだ。

文:totoONE編集部

https://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20170623/603659.html?cx_cat=page1

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