日刊鹿島アントラーズニュース

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2016年3月11日金曜日

◆東日本大震災から5年…白幡氏、仙台から輝き続ける復興の兄妹星(サンスポ)


http://www.sanspo.com/soccer/news/20160311/jle16031105030004-n1.html

ユアスタでベガルタの選手たちを熱烈に応援するサポーター。ベガルタにとってホームで勝つことが何よりの復興支援となる

 東日本大震災は11日、発生から5年を迎える。発生時、サッカーJ1ベガルタ仙台の社長を務め、女子のベガルタ仙台レディース設立にも尽力した白幡洋一氏(72)=現相談役=が、サンケイスポーツのインタビューに応じた。

 ベガルタは昨季、年間14位、ホームで5勝2分け10敗と苦しんだ。

 「一番の使命は勝つこと、何よりホームで勝つこと。震災後に加入した選手とスタッフも早く同じ気持ちになり、ベガルタには頑張ってほしい」

 地震発生時刻に白幡氏は仙台市の事務所におり、即座に屋外へ飛び出した。「イチョウの木が揺れていて、雪がちらついていた。一番の心配はスタジアムにいた運営の人間だった」。翌12日にホーム開幕戦を控え、ユアスタ仙台で準備していたクラブ職員の安否を気にかけた。

 2週間後、クラブハウスに集合したチームは、まず被害が大きかった宮城県石巻市へ移動。避難所5カ所でボランティア活動を行った。すると1組の夫婦が、10年で現役を引退した平瀬智行アンバサダー(38)に歩み寄った。

 「夫人の妹が行方不明だという。妹は平瀬のファンだから、私が交わした握手を、後で妹に渡してあげるというんだ。スポーツ選手の存在ってすごいと思った」

 11年のベガルタは開幕12戦連続不敗。11年4位、12年2位と2年続けてクラブ最高成績だった。

「実力以上のものが出せた。ベガルタが勝つことで市民と県民が元気をもらう。神様が応援してくれた」

 11年8月には、東京電力福島第1原発事故で活動を休止した、東京電力マリーゼの受け入れを表明。「同じ被災地で福島に帰れないと言う。支えるのはウチしかないと思った」と、12年に「ベガルタ仙台レディース」を創設した。

 14年4月で社長を退任したが、講演などで沿岸部の被災地を訪問する。「スポーツの持つ力ってすごいね。同じボランティア活動でも、普通の人がやるのとでは全然違う。それを選手に、どう自覚させるかです」。今後も震災復興の精神的な支えとなるベガルタを見守り続ける。 (山口泰弘)

白幡 洋一(しらはた・よういち)
 1943(昭和18)年12月20日生まれ、72歳。東京都出身。都立蔵前工高から62年にリコー入社。81年に東北リコーへ転入し、2002年に東北リコー社長、06年4月から1年間、会長に就任。08年10月にベガルタ仙台社長就任。14年4月に退任した。現ベガルタ仙台相談役兼公益財団法人『みやぎ産業振興機構』シニアアドバイザー。

◆2度の震災経験…鹿島DF昌子「勇気を届け続ける」(スポニチ)


http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2016/03/11/kiji/K20160311012192050.html

仙台戦に向けて調整する鹿島DF昌子(左)

 鹿島のDF昌子が、被災クラブ同士の対戦となる12日のアウェー仙台戦で「勇気」を届ける。

 入団1年目の11年に東日本大震災が発生。震災直後、チームは約2週間の一時解散を強いられ、本拠地のカシマスタジアムも約3カ月間、公式戦開催不能状態に陥った。自身は95年の阪神大震災で被害を受けた神戸市出身。2度の震災の怖さを知っているだけに、サッカーができることへの感謝は忘れない。特別な一戦を前に「僕らは試合で(被災者を)勇気づけて、1、2人でもサッカーをしようと思う子が増えてくれれば」と力を込めた。

◆内田、そしてU-23代表組、鹿島の先輩の言葉や活躍刺激に、U-19代表MF久保田和音はアジア突破目指す(ゲキサカ)


http://web.gekisaka.jp/news/detail/?184740-184740-fl



[3.9 練習試合 U-19日本代表候補1-2全日本大学選抜 味フィ西]

 U-19日本代表候補のMF久保田和音(鹿島)は練習試合に左MFで先発して1本目の30分間プレー。「30分という短い時間だったんですけれども、なかなかボールに絡めずに自分の特長である攻撃のテンポだったり、そういうところが出せなかったのでもっと絡んでいけるようにしていかないといけない」と反省した。ボールに絡むシーンが少なく、周囲と連動する面でも満足のいく内容にはならず。それでもカウンターからFW小川航基(磐田)、FW和田昌士(横浜FM)との連係で一気にボールを運ぶシーンもあっただけに、「ああいう形をどんどん増やして次の試合に繋げていければいいと思っています」と向上させていく考えを示した。

 U-19日本代表での自身の役割について「このチームではサイドやっているのでタメをつくって、どっちかというと(突破するよりも)繋ぐ役がボクだと思っているのでそういうところを意識していかないといけないと思っています」。この日は右にスピード、推進力を備えたMF佐藤亮(明治大)が先発起用されて局面を破る動きを見せていたが、自分は左サイドで正確にボールを動かして攻撃のリズムをつくることを考えている。そして連係で崩し、精度の高いラストパス、クロスボールでゴールをもたらす。
 
 大阪桐蔭高時代は中央のポジションでゲームをコントロールしながらも、PAの近くで発揮される閃きとテクニックがとても脅威になっていた。「なかなか出せていないですね。そこも出していければいいんですけれども、なかなか上手くできていないのでそこも意識していきたい」。チームのバランスを取りながらの攻守も光っているが、試合を決めるような力も持っているだけにチャンスあればその部分でも貢献していくつもりでいる。

 前日8日には鹿島OBの日本代表DF内田篤人(シャルケ)がU-19代表候補の激励に訪れた。久保田本人も「たまに言われるんですけど……」と語るように、醸し出す雰囲気は内田と似たものがある。鹿島で結果を残し、現在世界で戦う先輩は目標とする存在だ。「昨日も『シャルケで待っている』とみんなに言ってくれて。そういうふうになっていかなければいけない、頑張っていかなければいけないと思っています」

 代表チームでの目標はU-20W杯出場。鹿島の先輩ではGK櫛引政敏、CB植田直通、MF三竿健斗の3人、また岡山へ期限付き移籍中のMF豊川雄太がU-23日本代表としてアジア突破を果たしている。「オリンピックの一個上の世代の試合もみて(アジアは)厳しい試合だと分かっている。チームの人が世界で戦って凄い刺激を受けている。ボクもしっかり頑張っていけたらいい。まずは予選を突破して世界に出たいなと思います」。鹿島で試合出場を増やして自身も成長を遂げ、少しでもU-19代表を底上げしてアジア予選を迎える。

(取材・文 吉田太郎)

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