日刊鹿島アントラーズニュース

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2019年12月29日日曜日

◆大分DF三竿雄斗が契約更新&第二子誕生…「一応報告させて頂きます」と“ミラクル”も報告(ゲキサカ)






 大分トリニータは28日、DF三竿雄斗(28)と2020年シーズンの契約を更新したことを発表した。また、26日に第二子となる男の子が誕生したことも併せて報告している。

 三竿は今季J1リーグ戦26試合に出場し、1得点を記録。ルヴァン杯は1試合、天皇杯では2試合に出場した。来季に向けてクラブ公式サイトを通じ、「来季も大分トリニータでプレーさせて頂くことになりました。トリニータの勝利のために感謝の気持ちと覚悟、責任を持って全力で闘いたいと思います」とコメントしている。

 また、第二子誕生について「ちなみに私と弟の健斗が同じ誕生日(4月16日)なのですが、息子2人も同じ誕生日となりましたので一応報告させて頂きます」と偶然の一致を明かし、「家族のためにもより一層精進して参りたいと思います」と決意を新たにした。


◆大分DF三竿雄斗が契約更新&第二子誕生…「一応報告させて頂きます」と“ミラクル”も報告(ゲキサカ)




◆「バルセロナではほぼ…」。安部裕葵がU-22日本代表に持ち込む守備の文化。剥がされてもプレスに行くべき理由とは(フットボールチャンネル)



安部裕葵 Hiroki.Abe



U-22日本代表は28日、キリンチャレンジカップ2019でU-22ジャマイカ代表と対戦する。シャドーでのプレーが予想される安部裕葵だが、「守備のことを考えています」と試合2日前の練習で明かしている。鹿島アントラーズで教わり、現在所属するバルセロナBで実践する戦いの一端を、東京五輪を目指すU-22日本代表にも持ち込もうとしている。(取材・文:藤江直人)


攻撃よりも守備


 短い言葉のなかに覚悟と決意を凝縮させた。東京五輪世代となるU-22日本代表に初めて招集された9月の北中米遠征に続いて「10番」を背負い、U-22ジャマイカ代表と対峙する28日のキリンチャレンジカップ2019へ。MF安部裕葵は思い描いている戦い方の一端をこう明かした。

「上手くいくかどうかはわからないけど、上手くいくようにコミュニケーションを取っていきたい」

 ジャマイカ戦の試合会場となるトランスコスモススタジアム長崎で、前日練習を終えた直後の取材エリア。メディアに囲まれた安部が言及した「上手くいくように」とは、攻撃ではなく守備が念頭に置かれている。意外に聞こえる守備への意識こそが、バルセロナから持ち帰った手土産となる。

 長崎市内で24日から行われてきたキャンプを踏まえれば、U-22代表を率いる森保一監督は[3-4-2-1]システムで臨むことが濃厚だ。安部のポジションは1トップの背後に対で並ぶシャドーの左。不慣れゆえに攻守ともに難しいのではないか、との問いに「何も意識していません」と心配無用を強調した安部は、唐突にこんな言葉を紡いだ。ジャマイカ戦を2日後に控えた練習後のことだ。

「いまは攻撃のことよりも、僕は守備のことを考えています」

 U-22代表の守備にどのような要素を還元したいのか。答えは今夏に鹿島アントラーズから移籍したスペインの名門FCバルセロナで自らの目を介して感じ、バルセロナBの一員として3部リーグにあたるセグンダ・ディビシオンBの舞台で実践している「アグレッシブな守備」にある。


「バルセロナではほぼ守備です」


「いい攻撃をするよりも、いい守備をする方が簡単なので。いい守備をして試合の流れをつかむというか、いい守備ができればいい攻撃にもつながるので。鹿島のときに教わったシンプルなことを、バルセロナでもやっています。というよりも、バルセロナではほぼ守備ですね。いかにして相手のボールを奪うか、じゃないですか。見たらわかると思うんですけど、全部(奪いに)行きますから」

 守るための守備ではなく、攻めるための、もっと踏み込んで言えばボールを握り続けるためにアグレッシブな守備を継続する。相手ボールになった刹那に前線の選手たちがプレスをかけ続け、一刻も早く奪い返す。安部の話を聞いていて、2018シーズンの川崎フロンターレを思い出した。

 史上6チーム目のJ1連覇を達成したフロンターレは、総得点57がリーグ最多を数えるとともに、総失点27も同最少だった。さらにつけ加えれば、放ったシュート数453本も最多なら、34試合で浴びたシュート数235本も最少。J1が18チーム体制となった2005シーズン以降では、2016シーズンの浦和レッズの240本を更新する、歴代最少の被シュート数でもあった。

 相手に打たれるシュートが少なければ、必然的に失点も減少していく。理にかなった相関関係を具現化させる必要十分条件となったのが、相手ボールになった瞬間に前線から絶え間なく仕掛けるプレスだった。プレスのスイッチ役を担ったトップ下の中村憲剛は、こんな言葉を残している。

「守るためのプレスじゃない。すべては攻撃のためのプレスでした」

 最多シュート数と最少被シュート数を同時に達成し、なおかつJ1の頂点に立ったチームは2018シーズンのフロンターレが初めてだった。ボールポゼッション率が100%に達する試合はない。ただ、相手ボールになった刹那にプレスをかけて、奪い返すプレーを続けていけば理想に近づける。

 再びボールを持てばすかさずショートカウンターを仕掛けるのも、ボールを回し続けて辟易させるのもよし。最強の「矛」と「盾」を擁し、相手を敵陣に閉じ込めたままひたすら蹂躙する、たとえるなら“ドS”のスタイルを、バルセロナはBチームも含めてはるかにスケールアップさせて実践していた。


「日本人は人に気を使える生き物」


 U-22代表が日本国内で初めてお披露目され、久保建英や堂安律をシャドーに並べた11月のU-22コロンビア代表戦は、攻守ともに後塵を拝し続ける完敗を喫した。招集メンバーこそ大きく異なるものの、チームの真価と東京五輪へ向けた可能性を問われるジャマイカ戦へ。新天地で身につけた「アグレッシブな守備」を是が非でも還元したい。

「今日も(前田)大然君とずっとそれを話していました。見ていてわかったと思いますけど、僕らが入ったチームの方がどんどん守備がよくなった。前から(プレスに)行けていたので」

 26日に行われた紅白戦の成果を守備に求めた安部は、ジャマイカ戦で1トップに入るとみられる前田大然だけでなく、シャドーを組む旗手怜央やダブルボランチ、左右のウイングバックの選手を含めたさまざまな選手と積極的にコミュニケーションを取った。

「それはみんなと共通理解しなきゃいけないので。僕一人でやってもダメなので。みんなの意見を聞きながらやろうと思います」

 前線の選手に後続が、そして左右が絶えず連動しなければ間延びして逆に相手へスペースを与えてしまう。だからこそ、お互いの共通理解がすべてのカギを握る。東京五輪世代が18人も名前を連ねた6月のコパ・アメリカ、そして前出した9月の北中米遠征とU-22代表で共有してきた時間が多くはないからこそ、安部は「楽しく、たくさん笑って」と仲間たちと濃密な時間をすごしてきた。


プレスに「どんどん行った方がいい」


「今日を入れて4日間練習しきたなかで初めてのメンバーもいますし、僕自身は森保さん(の指導)自体はコパ・アメリカ以来ですけど、それでもこの短い期間でここまでできるのは日本人だからと言っていいかもしれない。それくらい戦術とかの理解も早いので。日本人は人に気を使える生き物なので、すごく飲み込みも早いです。結局は試合でできないと意味がないんですけど、それでも今日までを見ればとてもいい練習ができていると思います」

 バルセロナBで8試合続けて担っている3トップの中央、いわゆる「偽9番」とシャドーとではもちろんスタートポジションも視界も異なるが、前線からプレスをかけ続ける動きは変わらない。前出のフロンターレで言えば憲剛のようなスイッチ役を担う自負を胸中に秘め、キックオフを待つ安部は具体的なゲーム展開もその脳裏に思い描いている。

「いい位置でボールを奪うのもそうですけど、前からいけば相手もパスコースを作るために下がる。細かい話になっちゃうんですけど、そうなればセカンドも拾いやすくなる。よく一回剥がされたら(プレスを)やめてちょっと下がろう、となると思いますけど、そうなればずっと相手に押し込まれてしまうので。力のある味方が(後ろには)いるし、1試合のなかで10回くらい剥がされたとしても守れるはずなので。だったらどんどん行った方がいいと僕は思っています」


貪欲に追い求めた先にある東京五輪


 ジャマイカ戦を翌日に控えた27日には公式会見が行われ、森保監督は「得点に絡むプレーを期待したい」と安部に対して言及するとともに、こんな注目もつけ加えている。

「守備でもチームとしてアグレッシブに戦えるように。彼もこのチームでの活動は多い方ではないが、徐々によさを発揮してくれていると思うので、前回の招集よりもさらに今回、と期待したい」

 アグレッシブな守備を介してボールを握り続け、ジャマイカを蹂躙しながらゴールを陥れる。約1ヶ月半の間にバルセロナBで「偽9番」として4ゴールをあげて、凱旋帰国している安部は「チームが勝つことが何よりも重要」と強調しながら、こんな言葉をつけ加えることも忘れなかった。

「もちろん(ゴールを)決めたいですよ。それは全員が思っていることでもあるので」

 バルセロナ仕込みのソリッドで、なおかつ泥臭さも厭わない守備の切り込み隊長役を率先して担いながら、背中に輝く「10番」にふさわしい結果も残してみせる。勝利を含めて一兎どころか二兎、三兎と貪欲に追い求めた先にある東京五輪をも視界にとらえながら、多士済々なタレントが集う2列目に食い込み、居場所を築いていくための安部のチャレンジが、長崎の地から加速していく。

(取材・文:藤江直人)

【了】



◆「バルセロナではほぼ…」。安部裕葵がU-22日本代表に持ち込む守備の文化。剥がされてもプレスに行くべき理由とは(フットボールチャンネル)





◆バルセロナB安部裕葵、自ら得たPKで代表初ゴール(ニッカン)



安部裕葵 Hiroki.Abe


<キリンチャレンジ杯2019:U22日本-U22ジャマイカ>◇28日◇トラスタ

10番を背負ったMF安部裕葵(20=バルセロナB)が、U-22日本代表初ゴールを決めた。

前半28分、ショートコーナーからドリブル突破を試み、ペナルティーエリア内深くでファウルを受けて倒れた。

自ら得たPKをそのまま蹴り、チームのこの日5点目を決めた。「いつも通り自然体でいければ」と話していた安部が、結果で応えた。


◆バルセロナB安部裕葵、自ら得たPKで代表初ゴール(ニッカン)




◆C大阪もFW豊川雄太の完全移籍加入を発表「優勝に導けるように」(サッカーキング)



豊川雄太 Yuta.Toyokawa


 セレッソ大阪は28日、ジュピラー・プロ・リーグ(ベルギー1部)のオイペンから完全移籍で獲得したと発表した。

 1994年生まれで25歳の豊川は、2013年に熊本県立大津高校から鹿島アントラーズへ加入。2016年にファジアーノ岡山へ期限付き移籍すると2年間でJ2リーグ戦合計18得点を記録した。2018年にオイペンへ完全移籍すると、同2017ー18シーズンの最終節で途中出場から3得点1アシストを記録してクラブの1部残留に大きく貢献した。今シーズンのジュピラー・プロ・リーグではここまで16試合出場1得点を記録している。

 移籍加入に際して豊川はC大阪の公式サイト上で以下のようにコメントを発表している。

「この度セレッソ大阪に加入することになりました豊川雄太です!セレッソ大阪に加入できてとてもワクワクしています!とにかくゴールを獲ることだけにこだわってチームを優勝に導けるように持っている力を全て出し切ります!僕はピンクのユニホームが似合うのかととても心配ではありますが、みなさんに覚えてもらえるような活躍をしますのでどうかよろしくお願いいたします!」


◆C大阪もFW豊川雄太の完全移籍加入を発表「優勝に導けるように」(サッカーキング)





◆「すべては鹿島のために」ジーコが語る成功のための哲学と、66歳で下した決断(REAL SPORTS)






サッカーラボ 1カ月でプレーがどんどん進化する! [ サッカーラボ編集部 ]


“サッカーの神様”ジーコはどのような思いを背負って1991年に来日し、以来、日本と深く関わり続け、現在に至るのか。

現在、鹿島アントラーズのテクニカルディレクターを務める彼の“現在”を紹介するとともに、鹿島、日本代表、そして日本サッカーに対する率直な思いを聞いた。



すべては鹿島のために。66歳ジーコの選択


茨城県立カシマサッカースタジアム前に、一際存在感を放つ銅像がある。“生ける伝説”ジーコの銅像だ。

ブラジルの英雄であり、“サッカーの神様”ジーコが38歳で来日した1991年、日本において彼の存在はまったく無名だったという。一人で電車に乗り、スーパーで買い物をし、他の国では満喫できない“普通の”静かな生活を楽しんでいた。1993年5月にJリーグが華々しく開幕し、鹿島アントラーズの“10番”として出場した開幕戦(対名古屋グランパスエイト戦)でハットトリックを記録するまでは――。

それ以来、ジーコは日本のサッカーファン、さらには選手や指導者さえも魅了し、日本サッカーの発展に多大な影響を与え、彼自身、日本サッカーの可能性を信じ続けた。結果、日本サッカーは進化を続け、鹿島は数多くのタイトルを獲得。カシマスタジアムでFIFAワールドカップが開催され、ジーコの銅像が立つことになる。

ジーコは自身の銅像について、「この銅像を見るたびに、胸がいっぱいになるね。私に対する愛情、尊敬と感謝の証だ。この街、このクラブ、そして、この国からの贈り物だね。今までやってきたことが正しかったとういう証だ」と語る。一方、彼は鹿島を訪れたことについて「正直、私はこの地へ来るとは思っていなかった」と話す。

「サッカーを広める目的で来日した。そして、日本サッカーのプロ化に貢献したかった。(鹿島の関係者に)私は選手としてではなく指導者として雇われてもいいと言ったんだ。当初は現役復帰を考えていなかった。でも、何もかもが予想以上にうまくいった」

彼は住友金属工業蹴球団、鹿島アントラーズで選手としてプレーし、鹿島のテクニカルディレクターや代行監督を経て、日本代表監督も経験。近年の日本サッカーの礎を築いた。

現在、一人暮らしをしながら鹿島でテクニカルディレクターを務めるジーコは、自身でコーヒーを入れ、トーストを焼き、66歳にして初めて洗濯機を使ったという。ブラジルにお孫さんがいることもあり、サンドラ夫人は主にブラジルを拠点とするが、「私の寂しさが耐えられなくなったら、彼女は会いに来てくれる」とのことで、来日すると1カ月ほど滞在し、タッパーに入れた手料理を冷凍してたくさん用意してくれるそうだ。時折ジーコがブラジルに帰る際も、移動に往復で4日間かかるため、毎回1週間程度しか滞在できない。さらに今年は日本在留で初めて大きな台風も経験した。

それでも「鹿島のためなら」とジーコは語る。

彼が描く将来のプラン。一つはお孫さんが成長してプロサッカー選手になること。一番上のフェリッペくんには大きな期待を抱いている。そして彼が家族と遠く離れて暮らす寂しさに耐えながらも日本に滞在する最大の理由。それが鹿島、そして日本のサッカーのさらなる成功である。

ジーコの経歴、偉大さについてはこれまであまたのメディアで語られてきた。そこで今回は「今」を焦点に、彼が昨年鹿島に戻ってから行ったアクション、鹿島の強さの理由について。さらには現在の日本代表について話を聞いた。






鹿島にいるということは、タイトルを取るということ


ーーまずは古巣フラメンゴのコパ・リベルタドーレス優勝おめでとうございます。

ジーコ:どうもありがとうございます。

ーーリーグとの同時優勝は58年ぶり、コパ の優勝はジーコさん在籍以来の38年ぶりということですね。ご自身が在籍されていた(1971〜1983)フラメンゴ黄金期と比べて今のチームはいかがでしょうか?

ジーコ:何かと何かを比べるということがあんまり好きではないのですが、チャンピオンになるための攻撃、つまり1点、2点取ったらまた3点目を狙いにいく。そういう哲学というのは、やっぱり時代が変わっても受け継がれているなと感じます。

ーー黄金時代の哲学が受け継がれていると。

ジーコ:大会のやり方とか、相手ももちろん時代によって変わるので、単純に比較するのは難しいかなとは思いますが、勝利のDNAみたいなものがあるので。もちろん、中にはクラブの勝利を信じていないサポーターの方たちもいたみたいですけれど。まずは信じて、DNAを持っている人がそれを伝えて、そういった想いが受け継がれているので、あれだけ多くの観客が常に見に来てくれていたということなのだと思います。

ーーありがとうございます。ではジーコさんの現在についてお聞きしていきたいと思います。2018年にテクニカルディレクターとして鹿島アントラーズに戻られた経緯についてまずはお聞かせいただけますか?

ジーコ:役職としては、1996年当時にテクニカルディレクターに就任してやっていたことと変わりません。そのため自分にとっては、今回戻ってきたことに対して不思議な感じは一切ありません。鹿島の組織が少し難しい状況の中にあった。そういった中で、この組織があの頃をもう一回取り戻したいと私を呼んでくれたのだと思います。 
 選手の中にも心配とか、難しさっていうものがすごくあったと思います。けれど、今、自分が来てやっていく中で、少しずつチームが上向き、今まで自分たちが唯一取れていなかったAFCチャンピオンズリーグ(ACL)のタイトルが取れた。2018年はすごく充実した1年だったと思います。

ーーまさに昨年序盤はACLとの連戦に苦しみ、一時15位まで低迷したチームがジーコさんの来日に合わせて調子を上げたようにも感じられました。来日されて最初に行ったアクションはどういったものだったのでしょうか?

ジーコ:一番最初に選手に話をしたのは、鹿島のユニフォームを着るだけで満足するのではなく、鹿島にいるということは、タイトルを取るということだと。そのためにここにいるんだと伝えました。自分たちが何も残さずに出ていくんじゃなくて、鹿島の歴史の一部として勝利とタイトルをチームにもたらしてから出ていくべきだと話しました。そのために、例えば、グラウンドの中ではコーチたちが毎日言っていることとか、グラウンドの外でもプロフェッショナルとして高い意識を持てているかであるとか。そういったことを選手たちに語り掛け、指導して、その結果彼らも理解してくれて、チームが良くなっていったと思います。


「TRABALHO(献身)」「LEALDADE(誠実)」「RESPEITO(尊重)」


ーージーコさんがおられると特にブラジル人選手のモチベーションがとても高いとの話も耳にしたことがあるのですが、ブラジル人選手に対して常日頃から直接何かアドバイスを送られたりはするのでしょうか?

ジーコ:自分がいることによって、選手のモチベーションが変わるということは、私自身はまったく信じていません。また、私は鹿島の人間として、特にブラジル人選手に対してだけ何かアドバイスをするようなことはありません。ブラジルの選手も韓国の選手も日本の選手も、私にとってはみんな同じ鹿島の選手なので。また例えば、細かいフォーメーションや戦術の話であったり、試合のことに関しては、それはそれでまったく別のプロフェッショナルの方がいるので、彼らを信頼して任せています。私は私でできること、助けられることを毎日見つけて、必要があればアドバイスを送っているだけなので。鹿島のユニフォームを着てプレーするのであれば、常にモチベーションを高く保ってプレーしないといけません。もし、そういった心持ちではない選手がいた場合、その選手は鹿島ではプレーできないと思います。

ーー昨年鹿島は20冠を達成しました。“常勝軍団”鹿島を表現する際、ジーコさんのスピリットが宿っているともよく話されますが、ジーコさんから見た鹿島の強さの秘訣は一体なんでしょうか?

ジーコ:2008年くらいに、もし20冠を達成できていたら、11年くらい早かったので、本当はそれが理想だったかもしれません。みんなもっと若かったですし(笑)。 
 カシマサッカーミュージアムの入り口にも書いたように、「TRABALHO(献身)」「LEALDADE(誠実)」「RESPEITO(尊重)」といわれるようなものが、一番大事なのではないでしょうか。鹿島の強さの秘訣だと思います。あとはそういった哲学を持ち続けること。先ほども言いましたが、この鹿島というチームは、「ああ、俺、鹿島でプレーしたよ」っていうだけのチームじゃなくて、やっぱり鹿島でプレーするということは、タイトルを取ることが一番大事ですから。そのために、そういった哲学を持っている必要があると思います。

ーー鹿島でプレーするだけで満足してしまってはいけないわけですね?

ジーコ:長くここにいさせてもらって、いろんな選手を見てきましたが、残念ながら結果が出せなかった選手というのは、やっぱりそういった部分で足りないものがありました。プロサッカー選手が何をもって評価されるかといえば、それは獲得したタイトルです。そういった、勝利を貪欲に求めていく姿勢が最も必要なのではないでしょうか。





少しずつ鹿島に植えつけたジーコ流の哲学


ーーその哲学は、ブラジルでは浸透している考え方なのか、あるいはジーコさん自身の積み上げた経験から生まれた哲学なのでしょうか?

ジーコ:ブラジル流の哲学というよりは、私がブラジルやイタリアでプレーしてきた中で体感していったことでしょうか。私の中ではそれがすごくうまくいったことなので、それを成功体験としてチームに伝えていきました。人生においても、誰かと一緒に仕事をして関係を作っていく上でも「献身」「誠実」「尊重」の哲学は必要です。すべての人に対してリスペクトすることも、チームのため、サッカー選手として成功するために必要だと思います。そしてこの哲学は、鹿島に今でも受け継がれていますし、うまくいっています。もう変える必要はないと考えています。

ーーご自身のご経験を、1991年の来日以来、少しずつ鹿島に植えつけたということですね。

ジーコ:1991年に私がここに来たということは、ただ単に契約して、プレーして、得点を取りました。よかったねというただの選手ではなくて、鹿島というクラブのスタートに対して、それを一緒に作っていくために呼ばれたので。もちろん実際にグラウンドで見せるという部分では、プレーすることも重要でした。一緒にプレーしつつ伝えていって、私が離れたあとも、選手たち、クラブがそれを続けていってくれて、今もこういったいい状況ができていると思います。

ーーそれをJリーグの他のクラブがなかなか身につけられないのはなぜでしょうか?

ジーコ:私は鹿島のテクニカルディレクターという立場なので、他のチームに対してこうしたほうがいいよとアドバイスを送ることは残念ながらできません(笑)。

ーー失礼しました(笑)。では、経営体制も変化し、今後鹿島アントラーズはどのように進化を遂げるでしょうか? ジーコさんはその進化、今後の鹿島に対して、どのような役割を担っていこうとお考えなのかお聞かせください。

ジーコ:新体制になって鹿島は変わっている途中段階なので、何が変わっていくかというのはまだ私にもわかりません。シーズンの途中で変わったことなので、今私が言えることはあまりありません。来年になって新しくシーズンが始まるという段階で、じゃあこれから私たちは未来に向けてどうしていくべきか、経営の新体制の中で考えていく時間になると思います。

――成功している中での新体制。現状に満足せず、どんどん進化を重ねるという姿は、ジーコさんの考える哲学とも一致し、鹿島は狙い通りの進路を歩んでいるのですか?

ジーコ:常に進化していくという姿勢はすごく大事だと思うんです。一つ言えることとしては、施設面をもっと現代的に新しくしていく必要があると思います。特に、グラウンドなども、今はトップチームと下部組織が一緒に使っているのですが、子どもたち用のグラウンドを別に作るといった取り組みが必要じゃないかと思います。





今の日本代表で注目している選手は中島と……


――日本サッカー全体についてもお話をお聞きできればと思います。鹿島でプレーされた1990年代、代表監督を務められた2000年代、そして現在あらためて鹿島に戻られて、日本のサッカーに感じる時代の変化というのはありますか? 

ジーコ:日本代表に関していえば、私が代表監督をやっていた時代というのは、すごくタレントが揃っていた時代だと思います。とても素晴らしい時代に日本代表の監督をやれたことを誇りに感じています。これからはそれをどんどん超えていくような、日本代表に関してはそういうふうになっていただきたいなと考えています。

――今現在の森保一監督率いる日本代表については、どのように評価されていますか?

ジーコ:森保監督の日本代表にはすごく満足しています。森保監督は哲学を持っています。彼とは私自身も現役時代にJリーグで対決する時もありました。当時からすごくクオリティのある選手でしたし、いい選手だなあと驚嘆していたので。彼自身のサッカーに対する考え方とか、見方というのも素晴らしいと思います。これは日本代表にとってもいいことですし、これからのさらなる成功を祈っています。

――今の日本代表の中で、注目されている選手はいますか?

ジーコ:10番の中島翔哉選手です。コパ・アメリカで試合を見た際に、他のだいたいの選手たちはもともとよく知っていたのですが、彼のことはあまり知らなくて、すごくいいプレーをする選手だなと驚きました。それ以来とても注目している選手です。

――中島選手以外に注目されている選手は?

ジーコ:ディフェンスの冨安健洋選手です。冨安選手に関してもコパ・アメリカでとてもいいプレーをしていると感じました。日本代表にとって必要な選手じゃないかと思います。

――中島選手は日本人から見てもクリエイティブさを感じますし、その評価点もわかる気がするのですが、ディフェンダーの冨安選手の名前を挙げられたのは意外でした。その2人の選手の特にどこが優れていると感じられたか聞かせていただけますか?

ジーコ:2人とも、技術的に素晴らしいものを持っています。あとスピードです。スピードがあるのがものすごく武器になっていると思います。

――今年の2月に日本代表のスタメン全員が海外組という試合(AFCアジアカップUAE 2019決勝、カタール戦)が初めて実現したのですが、それは、ジーコさんから見て正しい道を歩んでいると感じられますか? あるいはもう少しJリーグから選手が出てくるべきだとお考えですか? 

ジーコ:もうそれは、仕方のないことではないでしょうか? 日本だけでなく他の国も、代表クラスの選手は海外でプレーしています。Jリーグのレベルが何か影響を与えているというよりは、世界の必然的な流れなのだと思います。

――その中で、Jリーグも世界に追いつき追い越そうとさまざまな取り組みを続けている状況です。

ジーコ:そういった、Jリーグを良くしていくという試みは続けていくべきです。それがないと、やっぱりクオリティはなかなか上がっていきません。先ほどの話と重なりますが、ブラジルでもネイマールが国内でプレーしているのを見たかったのに、今海外にいる。鹿島でももう少し大迫勇也選手が日本でプレーするのを見たかったけれど、やっぱり今海外にいます。そういう世界の潮流の中で、国内リーグのレベルを維持し、新しい試みをどんどんチャレンジしていくという心持ちはすごく大切だと思います。 



本インタビューは県立カシマサッカースタジアム内のカシマサッカーミュージアムで行われた。ミュージアムを訪れたサッカーファンは“神様”ジーコがいることに驚き、「信じられない!」と声を上げ、握手を求めた。ジーコはその一人一人と丁寧に接し、笑顔で写真に収まった。ミュージアムの入り口に掲げられた「献身」「誠実」「尊重」の鹿島の勝利の哲学は、彼自身の人柄から自然と発せられ、クラブのアイデンティティとして受け継がれているものなのだとあらためて感じられたワンシーンだった。

<了>

取材協力:番組「Brasil Japão Minha Casa(ブラジル 日本 私の在留という選択)」




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