日刊鹿島アントラーズニュース

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2014年12月4日木曜日

◆東北地方へ恩返しを…被災地に対する小笠原満男の変わらぬ思い/サッカーコラム(サンスポ)


http://www.sanspo.com/soccer/news/20141203/jle14120311000005-n1.html



【No Ball, No Life(3)】12月14日、ユアテックスタジアム仙台で「JPFAチャリティーサッカー2014」が行われる。「東日本大震災で被害にあった地域の力になりたい」というサッカー選手の思いが形になったチャリティー試合で、今回が4度目。開催を喜んだのは、岩手出身で、所属する鹿島で自身も被災したMF小笠原満男だ。「サッカー界がこういう思いを持っている、というのを伝える試合を今年も行ってもらえる。すごくうれしく思う」と話し、当日の来場を呼びかけた。

 小笠原が東北を思う気持ちは、3年前の3月11日からまったく変わることがない。東北地方出身のJリーガーに呼びかけ、東北地方のサッカーの復興を目指す「東北人魂」の発起人になるなど被災地と深く関わってきたが、「復興はまだまだ全然進んでいない」と首を振る。「報道とかは減っていくけど、日常は取り戻せていないし、仮設住宅でまだ24万人が避難生活をしている」。普段は寡黙だが、震災のことになれば立て板に水だ。

 被災地を応援する活動は、必要に応じて徐々に形を変化させてきた。震災直後はレンタカーで被災地に水などの生活物資を届けて回り、その後は練習着やスパイクを集めては東北に送った。スポーツ用品店が営業できるまでになると、「物資を送るのは商売の邪魔になってしまう」として物資の送付は取りやめ、Jリーグの試合への招待やオフのサッカー教室を増やして子供たちと触れ合う時間を作った。

 『岩手グラウンドプロジェクト』も、活動を続ける中で必要性を痛感して始まったものの1つだ。ある日、サッカー教室で出会った子供たちに「これからも練習頑張れよ」と声をかけると、「練習したくても、する場所がないんです」という答えが返ってきて衝撃を受けたという。沿岸部はがれきの山で、子供たちが通っていた小学校の校庭もサッカーができるような状況ではない。震災前は当たり前だったことが当たり前ではなくなった現実があった。そこで、スポーツを楽しめるグラウンド作りから始めようと思い立った。

 用地の選定から資金調達、トイレの設営など細部に至るまで携わり、約1年かけて岩手・大船渡市内の小学校の跡地に仮設グラウンドが完成。休日になれば、サッカーだけでなくスポーツを楽しむ多くの子供たちの笑い声が響くという。サッカー選手が被災地を訪れて子供たちと交流することは多いが、残念ながら周囲が全てをお膳立てしたうえで、参加するだけの選手も多い。小笠原を中心とする「東北人魂」の活動が決定的に違うのは、自ら何が必要かを考え、取り組んでいる点だ。だからこそ、活動の内容は変わってきたし、参加者の心には響くものがある。

 以前、小笠原に言われた印象に残っている言葉がある。鹿島の担当になったばかりの12年10月ごろ、「震災の支援活動についてですが」と話を聞きに行くと、「支援という言葉は使いたくないんだよね」という言葉が返ってきた。「岩手で生まれ育って、東北地方にサッカー選手にしてもらったという気持ちがある。だから今は少しでも力になれればという気持ちでやっているし、これは支援じゃなくて恩返しなんだ」。

 大切なのは、今、自分に何ができるのかを問い続けることだろう。冬が訪れ、サッカーは今シーズンの終わりが近づいてきた。オフになれば、小笠原はまた東北地方に出かける。変わらぬ熱い思いを胸に抱きながら。(伊藤昇)

伊藤昇(いとう・のぼる)

 2009年入社。2012年ロンドン五輪で水泳やバレーボールを担当し、その後サッカー担当に。J1鹿島、日本代表、なでしこジャパン、五輪世代の代表などを担当する。食べ歩きと雪山をこよなく愛すが、増え続ける体重が今の悩み。

◆内田篤人がSNSでファンと交流…獲得したい選手は「岡崎」も、理由は「おもしろいから」(J's GOAL)


http://www.soccer-king.jp/news/japan/national/20141203/255690.html


シャルケ在籍5シーズン目を迎えている内田 [写真]=Bongarts/Getty Images


 シャルケに所属する日本代表DF内田篤人が3日、同クラブの公式フェイスブックに登場。ファンからの質問に答えた。

 以前行われたクラブ公式ツイッターでの同企画の際は、関連キーワードがトレンド入りするなど話題となったが、今回もファンからの質問が殺到し、限られた時間の中で、内田らしさも垣間見せながらコメントしていった。

 11月の日本代表戦でブラジル・ワールドカップ以来の代表復帰を果たした内田だが、質問や回答には度々仲間の名前が登場。海外でプレーする日本人選手でシャルケが一人獲得できるなら、と問われると、今シーズンすでに7得点を挙げているマインツの岡崎慎司を挙げた。しかし理由については「おもしろいから」とプレー以外にあるようだ。長谷部誠がニュルンベルクからフランクフルトに移籍したため、シャルケが居を構えるゲルゼンキルヒェンとは距離が近くなったが、嬉しいか聞かれても「いや、そんなに」と冷たい回答。11月の代表戦でともにプレーした名古屋グランパスMF田口泰士については「沖縄弁マジ聞き取りにくい」と交流の様子を冗談交じりに答えている。

 小学5年生の娘が、体格の勝る男子に混じってサッカーをしているという母親からアドバイスを求められると「俺もそうだから、一緒にがんばろう」、高校選手権に出場する兄にアドバイスを、と問いかけてきた妹さんには「俺も緊張しちゃう」、陸上部の女性におすすめトレーニング法を聞かれると「肉離れに気をつけて」と、自身の経験を活かして“らしく”進言。

 1試合を残してJ1逆転優勝の可能性がある古巣の鹿島アントラーズについては、「おい、おい!!アントラーズ!」と返した内田は、同日に現役引退を発表した元同僚である元日本代表MF中田浩二について「東京で会いましょう」と触れた。なお、シャルケのライバルであるドルトムント所属の日本代表MF香川真司について聞かれても「東京で会いましょう」と返している。

 シャルケのチーム事情についても回答した内田。負傷離脱しているドイツ代表MFユリアン・ドラクスラーへは、「ユリアン愛しているぜ」とエール。「GKの育成がシャルケは素晴らしいのでは?」と聞かれると、「キーパーだけじゃなくて、いい選手どんどん出てくる。下から来る選手におびえてる毎日」と、在籍5年目の選手らしく分析した。

 メディア露出が増えているのではと問われると、「やりたくてやっているわけではない」としっかり自分の意見を示すなど、他にも多くの質問に答えた内田。最後には自身のユニフォームの通販をしっかりと宣伝して、約1時間にわたったファンとの交流を終えている。

◆【仙台】柳沢、残留要請に感謝「リスペクトしてもらっている」(報知)


http://www.hochi.co.jp/soccer/national/20141202-OHT1T50125.html



 今季で契約の切れるJ1ベガルタ仙台の元日本代表FW柳沢敦(37)が2日、仙台市内のクラブ事務所で1回目の契約更改交渉に臨んだ。仙台側は1年の契約延長を提示した模様。チームを支えてきたベテランはスポーツ報知の取材に応じ「常に(仙台から)リスペクトしてもらっている」と誠意に感謝を示した。また、元日本代表MF野沢拓也(33)らも、1回目の契約更改交渉に臨んだ。

 柳沢と仙台は練習後に約30分間、話し合いの場を持った。仙台側は1年契約延長オファーを提示したとみられるが、本人が条件面に関して語ることはなかった。来季で38歳を迎える元日本代表FWは「常に(仙台には)リスペクトしてもらっている」と感謝の言葉を述べるにとどめた。

 関係者によると、現時点では他チームからの獲得オファーはないという。来年も仙台でプレーする可能性は高いとみられるが、結論については「考えたい」と語った。

 残留要請が、うれしくないはずはない。だが、それ以上に大事なものもある。6日の広島との最終戦(エディオンスタジアム)での勝利だ。前節でJ1残留を確定させたが「いつも最終節で負けている。ある意味、負けられない試合だと思う」。2年連続で最終戦で敗れた雪辱を誓った。

 今季は12試合に出場し1得点という成績だが、「姿勢だけで十二分にチームを引っ張っている」と渡辺晋監督(41)。普段の練習姿勢なども含めた“総合力”で高い評価を与える。37歳は最終戦まで、その背中でチームを引っ張る。(高橋 宏磁)

◆中田浩二選手 引退のお知らせ(オフィシャル)


http://www.so-net.ne.jp/antlers/news/release/46366

標記の通り、 中田 浩二選手が2014シーズンをもって現役を引退することとなりましたので、お知らせいたします。今後については、クラブのスタッフとして残留する方向で話し合いを行います。正式に決定次第、お知らせいたします。
なお、12月6日(土) J1第34節・鳥栖戦(カシマ)終了後、引退のご挨拶と記者会見を予定しております。

<選手プロフィール>
■氏 名: 中田 浩二(なかた・こうじ)
■生年月日: 1979年7月9日
■生まれ: 滋賀県
■サイズ: 182センチ、74キロ
■経 歴:
後藤ケ丘中-帝京高校-鹿島アントラーズ(1998)-マルセイユ(2005・フランス)-バーゼル(2006・スイス)-鹿島アントラーズ(2008~)

■鹿島での公式戦成績(2014年12月3日現在)

J1リーグ通算 266試合33得点
ナビスコカップ通算 31試合4得点
天皇杯通算  31試合6得点
Jリーグチャンピオンシップ 4試合1得点
AFCチャンピオンズリーグ 19試合3得点
アジアクラブ選手権 7試合1得点
アジアカップウィナーズカップ 1試合0得点
A3チャンピオンズカップ 3試合0得点
ゼロックススーパーカップ 4試合0得点
スルガ銀行チャンピオンシップ 2試合0得点

■獲得タイトル
Jリーグ優勝 5回
ヤマザキナビスコカップ優勝 4回
天皇杯優勝 2回
A3チャンピオンズカップ優勝 1回 
スルガ銀行チャンピオンシップ優勝 2回
ゼロックススーパーカップ優勝 3回

■個人タイトル
2000年 ヤマザキナビスコカップMVP
2001年 Jリーグベストイレブン

■代表歴等
国際Aマッチ 57試合2得点
・日本代表(2002、2006 FIFAワールドカップ出場)
・U-22、U-23日本代表(シドニーオリンピック2000出場)
・U-19、U-20日本代表(1999 FIFAワールドユース選手権出場)

■中田選手コメント
「このたび、たくさんの思い出と感謝の気持ちを胸に現役を引退することを決断しました。いくつかの選択肢を前に、プロ選手としての葛藤はありましたが、やはりアントラーズで現役を終えることが自分にとって最良であるという結論に至りました。今後は今までと違った形でチームを支え、クラブの発展に貢献したいと考えています。立場を変えてアントラーズをサポートできるよう、将来についてクラブとしっかり話し合いたいと思います。最後になりましたが、今までピッチで共に戦ってきたチームメイト、クラブスタッフ、そしてサポーターの皆さん、夢のような14年間、本当にありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします」

◆鹿島の元日本代表DF中田浩二、現役引退…W杯2回出場の35歳(サッカーキング)


http://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20141203/255549.html


現役引退を発表した鹿島の中田浩二 [写真]=Getty Images


 鹿島アントラーズは3日、元日本代表DF中田浩二が現役を引退すると発表した。今後はクラブスタッフとして残留する方向で話し合いを行うことも、併せて発表された。

 中田は1979年生まれの35歳。1998年に帝京高校から鹿島へ入団した。加入後は1年目から公式戦に出場し、1999年にはU-19日本代表の一員としてFIFAワールドユースに出場。準優勝に大きく貢献した。

 翌2000年には鹿島でレギュラーに定着し、国内初となる三冠獲得を達成。同年のシドニー・オリンピックにも出場した。2001年にはJ1連覇、2002年には日韓ワールドカップ全4試合にフル出場した。

 2005年にマルセイユへ移籍し、翌2006年にはスイスのバーゼルへ。同年のドイツ・ワールドカップにも出場した。2007-2008シーズンにバーゼルでスイス・カップを制し、2008年7月に鹿島へ復帰していた。

 中田は今シーズン、J1で3試合、ヤマザキナビスコカップで1試合に出場。キャリア通算では、J1で266試合出場33得点、ヤマザキナビスコカップ31試合出場4得点、天皇杯では31試合出場6得点を記録。国際Aマッチでは57試合に出場し、2得点を挙げている。

 現役引退にあたり、中田は以下のようにコメントしている。

「このたび、たくさんの思い出と感謝の気持ちを胸に現役を引退することを決断しました。いくつかの選択肢を前に、プロ選手としての葛藤はありましたが、やはりアントラーズで現役を終えることが自分にとって最良であるという結論に至りました。今後は今までと違った形でチームを支え、クラブの発展に貢献したいと考えています。立場を変えてアントラーズをサポートできるよう、将来についてクラブとしっかり話し合いたいと思います。最後になりましたが、今までピッチで共に戦ってきたチームメート、クラブスタッフ、そしてサポーターの皆さん、夢のような14年間、本当にありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします」

 なお鹿島は中田について、6日に行われるJ1第34節のサガン鳥栖戦終了後、引退の挨拶と記者会見を予定していることも発表した。

◆J1鹿島 中田、引退表明「ものすごく悩んだ」(茨城新聞)


http://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=14176173288931



J1鹿島は3日、元日本代表のMF中田浩二(35)が今季限りで引退すると発表した。プロ17年目となる現役生活にピリオドを打つ中田は練習後、引退について「簡単に至った訳ではなく、ものすごく悩んだ」と心情を明かした。

クラブ幹部によると、中田とは11月中旬ごろから、出場機会の少ない現状や来季のチーム事情などについて話し合いを持ち、2日に本人から「引退する」との意志が伝えられたという。移籍なども含め最終的には「本人の判断」に任された。中田の引退決断は3日に選手たちに伝えられた。

中田は東京の名門・帝京高から1998年に鹿島に加入。主に守備的MFとして活躍した。5度のリーグ優勝に貢献するなどナビスコ杯と天皇杯を含め国内主要タイトルを11度獲得した。日本代表としては2002年、06年のワールドカップ(W杯)に出場。フランスとスイスの1部リーグでプレーするなど国際経験豊富な選手として知られた。

昨季は本格的に左サイドバックに取り組むなど、ユーティリティープレーヤーとしての存在感を発揮。今季は若手の台頭が目覚ましくリーグ戦は途中出場の3試合にとどまった。厳しい現状を踏まえ、中田は「本当にいろんなことが自分の中であり、結論に至った」と話した。

鹿島はクラブへの貢献度の高さや周囲から慕われる人柄などを評価しており、クラブスタッフとして残留させる方針を示している。6日に行われるJ1最終節の鳥栖戦後、サポーターへの引退のあいさつと記者会見を予定している。(小林久隆)

◆【鹿島】元日本代表DF中田浩二、引退「鹿島で現役を終えることが最良」(報知)


http://www.hochi.co.jp/soccer/national/20141203-OHT1T50221.html



 鹿島は3日、元日本代表DF中田浩二(35)が今季限りで引退すると発表した。古傷の右膝の状態が思わしくなく、今季リーグ戦で3試合出場(計57分)にとどまっていた。鹿島で11個のタイトル獲得に貢献し、日本代表でも2002年日韓、06年ドイツとW杯2大会に出場。日本を代表する万能選手だった中田は17年の現役生活に終止符を打ち、今後はクラブスタッフとしてサッカーを学んでいく。6日のホームでの最終節(対鳥栖)後に記者会見する。

 鹿島を長年支えた中田が、選手として最後の決断を下した。11月頃から来季の去就について考え始め、クラブとも会談した結果、現役を退くと決めた。3日に引退することを申し入れ、クラブ側も受け入れた。「いろいろな人に相談に乗ってもらった。本当に悩んだ」という末に、「鹿島アントラーズで現役を終えることが自分にとって、最良であるという結論に至りました」と説明した。

 華々しい現役生活だった。帝京高で主将を務め、1997年度高校サッカー選手権大会決勝では東福岡高と対戦。大雪の中で1―2と敗れたが、高校サッカー史に語り継がれる名勝負を演じた。鹿島加入後は1年目から出場機会を得ると、2年目途中から主力ボランチに定着。左足の展開力と頭脳的なプレーで、国内3大公式戦のタイトル11個獲得の原動力となった。

 日本代表での活躍も目覚ましかった。小野(現札幌)や高原(現相模原)らと、ナイジェリア開催だった99年ワールドユース(現U―20W杯)で準優勝を飾った「黄金世代」(79年度生まれ)。トルシエ・ジャパンが採用したフラット3の左ストッパーとして、2002年日韓W杯16強進出に貢献。06年ドイツW杯メンバーにも連ねた。05年1月に仏1部・マルセイユに移籍。スイス1部・バーゼルを含めて3年半海外でプレーし、08年7月に鹿島に復帰した。

 最近は、08年10月に手術を受けた右膝の状態が思わしくなく、出場機会が激減。J2移籍などの選択肢もあったが、愛する鹿島でユニホームを脱ぐことにこだわった。今後は未定だが、クラブに残る形になる見込み。「立場を変えてアントラーズをサポートできるよう、将来についてクラブとしっかり話し合いたいと思います」。J1最終節・鳥栖戦が最後の試合となる。

 ◆中田 浩二(なかた・こうじ)1979年7月9日、滋賀県生まれ。35歳。帝京高(東京)から98年に鹿島入団。2005年にマルセイユ(フランス)、06年にバーゼル(スイス)でプレーし、08年に鹿島復帰。Jリーグ5度、ナビスコ杯4度、天皇杯2度と鹿島の11冠に貢献した。J1通算266試合出場33得点。日本代表では02年日韓、06年ドイツとW杯2大会連続出場など、国際Aマッチ57試合で2得点。182センチ、74キロ。

◆元代表DF中田浩二が引退 鹿島では11冠貢献、奇跡Vで花道を(スポニチ)


http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2014/12/04/kiji/K20141204009396250.html



 常勝軍団を支えた名選手がユニホームを脱ぐことになった。鹿島は3日、元日本代表DF中田浩二(35)が今季限りで引退すると発表した。中田は自身の進退に関して11月中旬からクラブ幹部と話し合いを重ね、2日に引退を決断。逆転優勝の可能性が残っている6日の鳥栖との最終戦(カシマ)後にセレモニーと引退会見を行う予定だ。

 鹿島の黄金時代を築き上げたレジェンドが深紅のユニホームに別れを告げる。引退を決めた中田は「プロ選手としての葛藤はありましたが、アントラーズで現役を終えることが自分にとって最良であるという結論に至りました」と説明した。

 「この決断に至るには簡単ではなかった」と言うように、数カ月前から来季以降の進路を熟考。先月中旬にはクラブ幹部と何度も話し合いの場を持った。現役引退を決意したことを伝えたのは2日。クラブ側も功労者の決断を尊重し承諾した。

 98年に名門・帝京高から鹿島に入団し、同期のMF小笠原、MF本山、GK曽ケ端らとともに中心選手に育った。ボランチやセンターバックなど守備的なポジションでありながら、史上初の3冠を達成した00年はチャンピオンシップの横浜戦で勝利を決定付ける3点目を決めるなど勝負強さを発揮した。05年1月から4年間はマルセイユ(フランス)をはじめ海外でプレーしたが、08年7月に鹿島に復帰。国内16冠を誇る常勝軍団で、計11冠獲得に貢献した。

 日本代表では、各年代の世界大会で活躍。小野、稲本、遠藤、高原ら、黄金世代の一員として、99年の世界ユース選手権(現U―20W杯)で準優勝に貢献し、00年シドニー五輪にも出場した。A代表では02年日韓大会、06年ドイツ大会と2度のW杯を経験。日韓大会ではトルシエジャパンの代名詞にもなった“フラット3”の一角として全4試合でピッチに立ち、決勝トーナメント進出の原動力となった。ジーコジャパンではボランチ、サイドバックも務めるなど、ユーティリティーな選手として重宝された。

 03年に左膝じん帯断裂の大ケガを負いながら日本代表に戻るなど精神力の強さも見せたが、近年は故障に泣いた。両膝に爆弾を抱えながらのプレーを強いられ、今季は日本代表DF昌子やU―21代表DF植田の台頭もあり、リーグ戦は3試合の出場にとどまった。
 
 鈴木満常務取締役強化部長は「勝てる選手だった。人間的にもバランスが取れている」と今後、功績に配慮したポストを用意する。華々しい活躍を見せた名選手が、第二の人生を踏み出す。

 ◆中田 浩二(なかた・こうじ)1979年(昭54)7月9日、滋賀県大津市生まれの35歳。帝京高を経て98年に鹿島入団。海外では05年からマルセイユ(フランス)、バーゼル(スイス)でプレー。08年7月に鹿島復帰。日本代表では02年W杯日韓大会、06年W杯ドイツ大会に出場。J通算266試合33得点。国際Aマッチ通算57試合2得点。1メートル82、74キロ。左利き。

◆鹿島・中田が現役引退 今後はクラブのスタッフになる予定(サンスポ)


http://www.sanspo.com/soccer/news/20141204/jle14120405010002-n1.html



 J1鹿島の元日本代表MF中田浩二(35)が3日、現役引退を表明した。クラブを通じ、「アントラーズで現役を終えることが最良であるという結論に至った」とコメントした。

 滋賀県出身で、東京・帝京高から1998年に鹿島入団。2000年の3冠に貢献した。日本代表では99年ワールドユース選手権(現U-20W杯)準優勝。02年日韓W杯では守備の要として「フラット3」の一翼を担い、16強入りに貢献。06年ドイツW杯にも出場した。

 マルセイユ(フランス)やバーゼル(スイス)にも所属し、08年に鹿島に復帰。今季は世代交代もあって、リーグ戦は3試合の途中出場にとどまった。今年2月に女優の長澤奈央(30)と結婚。今後はクラブのスタッフになる予定で、6日の最終節・鳥栖戦(カシマ)後に会見を行う。

◆現役引退表明の中田に女性サポーター涙…前日に「他でやるつもりはない」と申し入れ(サンスポ)


http://www.sanspo.com/soccer/news/20141203/jle14120320470014-n1.html



 鹿島の元日本代表MF中田浩二(35)が3日、現役引退を表明し、練習が行われる鹿嶋市内のクラブハウスには多くのサポーターが集結した。なかには、涙を流す女性ファンもいた。

 中田はチームメートとともに6日の最終節・鳥栖戦(ホーム)に向けいつもと変わらず練習に汗を流した。鳥栖戦後に会見を予定しているため「会見で話します」と多くは語らなかったが、決断までには「簡単に至ったわけじゃなかった」と本音をのぞかせた。

 2002年日韓W杯でトルシエ監督が用いた戦術「フラット3」で守備の要として活躍したイメージが強いが、ボランチ、センターバック、サイドバックなど複数のポジションを器用にこなすユーティリティープレーヤー。バランス感覚に優れ、左足から繰り出されるロングフィードは多くのファンを魅了した。

 1999年ワールドユース選手権でMF小野伸二、稲本潤一らとともに「黄金世代」の一員として準優勝を経験。MFシャビ(バルセロナ)やGKカシリャス(レアル・マドリード)擁するスペイン代表に決勝で敗れはしたが、世界に羽ばたくきっかけとなり、W杯は2002年日韓、06年ドイツと2大会に出場を果たした。

 クラブ幹部によると、11月中旬頃から来季に向けた話し合いの場がもたれ、本人が熟慮の末に引退を決断。夏にはJ2の複数クラブから獲得の打診もあったというが、前日の2日に「他でやるつもりはない」との申し入れがあった。チームは世代交代が進んでおり、今季はJ1の出場がわずか3試合。12年には左膝半月板損傷の大けがを負うなど、痛みとの戦いも続いていた。

 今後はクラブのスタッフとして鹿島に残る予定。詳細は未定だが、指導の現場だけでなく、強化や育成、事業などに携わるプランもあるという。鹿島で同期入団のMF小笠原満男、MF本山雅志、GK曽ヶ端準ら「79年組」とともにチームに数多くのタイトルをもたらし、一時代を築いた名選手が惜しまれながらユニホームを脱ぐ。

◆鹿島・中田浩二が現役引退「プロ選手として葛藤はありましたが…」(サンスポ)


http://www.sanspo.com/soccer/news/20141203/jle14120314190006-n1.html



 元日本代表MF中田浩二(35)が3日、所属するJ1鹿島を通じ、現役引退を表明した。ボランチ、センターバック、サイドバックをこなす万能選手で、これまで5度のリーグ優勝など鹿島に多くのタイトルをもたらしてきたが、世代交代を図るチームの影響で今季はリーグ戦の出場が3試合にとどまっていた。中田は「このたび、たくさんの思い出と感謝の気持ちを胸に現役を引退することを決断しました。いくつかの選択肢を前に、プロ選手としての葛藤はありましたが、やはりアントラーズで現役を終えることが自分にとって最良であるという結論に至りました。夢のような14年間、本当にありがとうございました」とのコメントを発表。6日の最終節・鳥栖戦(カシマ)後に、引退セレモニーと記者会見を行う。

 中田は東京・帝京高を経て1998年に鹿島に入団。同じ79年生まれの同期にはMF小笠原満男、MF本山雅志、GK曽ヶ端準らがおり、「79年組」としてチームを支えてきた。2005年にはフランスリーグのマルセイユ、06年にはスイスリーグのバーゼルに移籍し、08年から鹿島に復帰。鹿島では今季を含め計14シーズンを過ごした。

 00年には日本代表デビュー。02年日韓W杯ではトルシエ監督が用いた戦術「フラット3」の左センターバックとして全4試合にフル出場し、初の16強進出に貢献した。ジーコ監督が率いた06年ドイツW杯にも出場。代表では57試合2得点を記録している。

 私生活では今年2月に女優の長澤奈央(30)と結婚した。今後はクラブのスタッフとして残留する方向で話し合いが行われるという。

◆中田浩二が引退発表 元サッカー日本代表 「夢のような14年間、ありがとう」(HUFFINGTON POST)


http://www.huffingtonpost.jp/2014/12/03/koji-nakata_n_6259778.html



元日本代表DFの中田浩二(35)が現役引退することを、所属先の鹿島アントラーズが12月3日に発表した。今後はクラブスタッフとして残留する方向で話し合いを行うという。

6日にホームのカシマスタジアムで開催される鳥栖戦の終了後、引退の挨拶を行う予定だ。

中田は滋賀県出身。ORICON STYLEによると、1998年に帝京高校から鹿島に入団。同世代の小笠原満男や本山雅志とともに中心選手として活躍し、チームの黄金時代を築いた。2000年に日本代表に初招集され、02年の日韓W杯ではトルシエ監督から信頼を得て4試合にフル出場、ジーコ監督が率いる06年のドイツW杯にも出場した。

■中田浩二選手のコメント

「このたび、たくさんの思い出と感謝の気持ちを胸に現役を引退することを決断しました。いくつかの選択肢を前に、プロ選手としての葛藤はありましたが、やはりアントラーズで現役を終えることが自分にとって最良であるという結論に至りました。

今後は今までと違った形でチームを支え、クラブの発展に貢献したいと考えています。立場を変えてアントラーズをサポートできるよう、将来についてクラブとしっかり話し合いたいと思います。

最後になりましたが、今までピッチで共に戦ってきたチームメイト、クラブスタッフ、そしてサポーターの皆さん、夢のような14年間、本当にありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします」

◆俊輔 引退の中田ねぎらう「お疲れさま」 自身は…今後も全力で(スポニチ)


http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2014/12/04/kiji/K20141204009396450.html



 横浜の中村主将が“後輩”の引退を機に、あらためて自身のサッカー人生を全力で全うする決意を示した。

 3日に日本代表でともにプレーした鹿島DF中田が引退を発表。その知らせを聞いた中村は「(長くプレーしてきた)鹿島で(現役を)終われるっていうのは選手として幸せなこと。お疲れさまでした」と、06年W杯ドイツ大会をともに戦った元同僚をねぎらった。

 自身については「一日一日をかみしめながら、サッカーを全力で楽しんでいきたい」と、今後もプレーに打ち込んでいくことを強調した。

◆中田の決断に同期も神妙 小笠原「複雑」曽ケ端「実感ない」(スポニチ)


http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2014/12/04/kiji/K20141204009396260.html

鹿島・中田浩二 現役引退



 同期入団の3人は中田の決断に神妙な表情を浮かべた。小笠原は「ドッキリだから」と第一声を発し「もっと一緒にやりたかったし、もっとピッチに立たなきゃいけない選手。そんなヤツが辞めなきゃいけない…複雑です」と胸中を吐露。本山は「まだやるもんだと思っていた」、曽ケ端も「実感がない」と言葉少なだった。

 最高の花道にするためにも、最終戦で勝って送り出すつもりだ。首位・G大阪、2位・浦和とは勝ち点2差だけに、優勝には勝利が絶対条件。その上で浦和、G大阪とも引き分け以下にならなければならない。G大阪とは得失点差だけでなく、総得点での争いになる可能性もある。本山は「優勝できればいいと思っている」と力を込めた。

◆鹿島逆転Vへチケット売り上げ飛躍的増(ニッカン)


http://www.nikkansports.com/soccer/news/p-sc-tp1-20141203-1403941.html

 鹿島は優勝争いの可能性を最終節まで残し、6日鳥栖戦のチケット売り上げが飛躍的に増えている。

 前節29日のC大阪戦の前は前売りが1万6363枚だったが、現在2万83枚と約4000枚も伸びた。クラブ職員は昨季最終戦の2万6897人を上回る可能性も予想した。07年の逆転Vを知るMF本山は「(上位の)G大阪と浦和の結果を見て会場がザワザワする時、自分たちが勝っていれば面白い」と期待を膨らませた。

◆鹿島・中田と同期入団の「79年組」が奇跡Vで花道飾る!(サンスポ)


http://www.sanspo.com/soccer/news/20141204/jle14120405010004-n1.html

 J1鹿島の元日本代表MF中田浩二(35)が3日、現役引退を表明した。MF中田の引退表明を受け、同期入団の「79年(生まれ)組」は複雑な表情を浮かべた。MF小笠原は「ドッキリでしょ」と受け入れられない様子。「まだできるのに、やめなくてはいけないのは複雑」と話し、GK曽ケ端も「実感がわかない」。MF本山は「(現役を)まだやると聞いていた」と驚き、「他力本願だけど優勝して送り出したい」と逆転制覇で盟友の花道を飾る決意を示した。 (鹿嶋市)

◆鹿島中田が引退 11冠貢献 W杯2度出場(ニッカン)


http://www.nikkansports.com/soccer/news/f-sc-tp0-20141203-1404157.html



 鹿島の元日本代表DF中田浩二(35)が3日、今季限りで引退すると発表した。

 クラブを通じて「このたび、たくさんの思い出と感謝の気持ちを胸に現役を引退することを決断しました。いくつかの選択肢を前にプロ選手としての葛藤はありましたが、やはりアントラーズで現役を終えることが自分にとって最良であるという結論にいたりました。今後は今までと違った形でチームを支え、クラブの発展に貢献したいと考えています。立場を変えてアントラーズをサポートできるよう、将来についてクラブとしっかり話し合いたいと思います。最後になりましたが、今までピッチでともに戦ってきたチームメート、クラブスタッフ、そしてサポーターの皆さん、夢のような14年間、本当にありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします」とコメントした。今後はクラブのスタッフとして残留する方向で話し合う。6日の最終節・鳥栖戦の後に会見する。

 東京・帝京高から98年に鹿島入り。同期のMF小笠原満男、MF本山雅志、GK曽ケ端準とともにクラブの黄金期を支え、00年にJリーグ唯一の3冠を遂げるなど、計16冠のうち11冠に貢献した。日本代表としては2度のW杯に出場。02年日韓大会では3バックの通称「フラットスリー」のレギュラーとしてベスト16入りした。06年ドイツ大会も出場した。

 05~06年はフランス1部マルセイユ、06~08年はスイス1部バーゼルで活躍するなど海外挑戦にも成功。08年の鹿島復帰後は、07~09年のリーグ3連覇に力を注いだ。今季はクラブが断行している世代交代の影響で出場機会が激減。3試合で計57分の出番にとどまっていた。

 12年に左膝半月板損傷や左足関節靱帯(じんたい)損傷など大けがを経験した後は痛みと闘いながらプレーを続けていたが、ついにユニホームを脱ぐ決断をした。J1通算266試合33得点。日本代表では国際Aマッチ通算57試合2得点。ボランチ、センターバック、サイドバックとして幅広い能力を見せるとともに、サッカー界屈指のイケメンとしても知られた。

◆雪の決勝、フラットスリー/中田写真特集(ニッカン)


http://www.nikkansports.com/soccer/news/f-sc-tp0-20141203-1404171.html

 鹿島の元日本代表DF中田浩二(35)が3日、今季限りで引退すると発表した。


全国高校サッカー決勝で東福岡・本山(右)にドリブルでかわされる帝京・中田(98年1月)

全国高校サッカー決勝で東福岡に1-2で敗れ、降りしきる雪の中でガックリ肩を落としグラウンドを後にする帝京・中田(98年1月)

ワールドユース準優勝報告会見。左から中田、本山、小笠原、曽ケ端(99年4月)

3-0で横浜を破りJリーグ年間王者に輝きグラウンド上で喜ぶ中田(左から2人目)ら鹿島イレブン(00年12月)

シドニー五輪男子サッカー予選リーグの南アフリカ戦で、ノムベテ(右)のマークを外しドリブルする中田(00年9月)

チャンピオンシップ第2戦の磐田戦で、延長前半10分にVゴールを決めた小笠原に駆け寄る中田(01年12月)

W杯日韓大会の練習でラインコントロールの動作確認を行う(左から)DF松田、DF宮本、DF中田(02年6月)
W杯日韓大会のチュニジア戦前。後列右から3番目が中田(02年6月)
ナビスコ杯で優勝し、抱き合う左から鹿島DFアウグスト、MF中田、本田(02年11月)

マルセイユ入団会見で、背番号27のユニホームを手に笑顔を見せる中田。左はフィリップ・トルシエ監督(撮影・PNP=05年2月)

バーゼルの入団会見で背番号6のユニホームを手に笑顔を見せる中田(06年1月)

スイスリーグ優勝を果たしクリスティアン・グロス監督(左)と肩を組んでVサインをするバーゼルMF中
田浩二(08年5月=AP)

鹿島対福岡 後半、鹿島DF中田浩二(左)はゴールを奪いMF野沢拓也の祝福を受ける(11年8月)

13年4月24日名古屋戦。後列左から2番目が中田

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