日刊鹿島アントラーズニュース

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2014年12月4日木曜日

◆【鹿島】元日本代表DF中田浩二、引退「鹿島で現役を終えることが最良」(報知)


http://www.hochi.co.jp/soccer/national/20141203-OHT1T50221.html



 鹿島は3日、元日本代表DF中田浩二(35)が今季限りで引退すると発表した。古傷の右膝の状態が思わしくなく、今季リーグ戦で3試合出場(計57分)にとどまっていた。鹿島で11個のタイトル獲得に貢献し、日本代表でも2002年日韓、06年ドイツとW杯2大会に出場。日本を代表する万能選手だった中田は17年の現役生活に終止符を打ち、今後はクラブスタッフとしてサッカーを学んでいく。6日のホームでの最終節(対鳥栖)後に記者会見する。

 鹿島を長年支えた中田が、選手として最後の決断を下した。11月頃から来季の去就について考え始め、クラブとも会談した結果、現役を退くと決めた。3日に引退することを申し入れ、クラブ側も受け入れた。「いろいろな人に相談に乗ってもらった。本当に悩んだ」という末に、「鹿島アントラーズで現役を終えることが自分にとって、最良であるという結論に至りました」と説明した。

 華々しい現役生活だった。帝京高で主将を務め、1997年度高校サッカー選手権大会決勝では東福岡高と対戦。大雪の中で1―2と敗れたが、高校サッカー史に語り継がれる名勝負を演じた。鹿島加入後は1年目から出場機会を得ると、2年目途中から主力ボランチに定着。左足の展開力と頭脳的なプレーで、国内3大公式戦のタイトル11個獲得の原動力となった。

 日本代表での活躍も目覚ましかった。小野(現札幌)や高原(現相模原)らと、ナイジェリア開催だった99年ワールドユース(現U―20W杯)で準優勝を飾った「黄金世代」(79年度生まれ)。トルシエ・ジャパンが採用したフラット3の左ストッパーとして、2002年日韓W杯16強進出に貢献。06年ドイツW杯メンバーにも連ねた。05年1月に仏1部・マルセイユに移籍。スイス1部・バーゼルを含めて3年半海外でプレーし、08年7月に鹿島に復帰した。

 最近は、08年10月に手術を受けた右膝の状態が思わしくなく、出場機会が激減。J2移籍などの選択肢もあったが、愛する鹿島でユニホームを脱ぐことにこだわった。今後は未定だが、クラブに残る形になる見込み。「立場を変えてアントラーズをサポートできるよう、将来についてクラブとしっかり話し合いたいと思います」。J1最終節・鳥栖戦が最後の試合となる。

 ◆中田 浩二(なかた・こうじ)1979年7月9日、滋賀県生まれ。35歳。帝京高(東京)から98年に鹿島入団。2005年にマルセイユ(フランス)、06年にバーゼル(スイス)でプレーし、08年に鹿島復帰。Jリーグ5度、ナビスコ杯4度、天皇杯2度と鹿島の11冠に貢献した。J1通算266試合出場33得点。日本代表では02年日韓、06年ドイツとW杯2大会連続出場など、国際Aマッチ57試合で2得点。182センチ、74キロ。

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