
日刊鹿島アントラーズニュース
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2019年1月19日土曜日
◆日本代表戦 サッカー専用スタジアムのみ開催へ!協会検討、20年東京五輪以降に(スポニチ)

日本協会が、20年東京五輪以降は国際Aマッチの試合をサッカー専用スタジアムでのみ開催する意向を持っていることが、17日までに関係者への取材で分かった。これまでは日産スタジアム、長居陸上競技場など陸上トラック付きの競技場で数多く国際試合を開催してきたが、ハード面でも世界基準を目指していく。
日本のサッカー界が、ハード面でも世界基準に近づくかもしれない。関係者によると、日本協会が、20年東京五輪以降の国際Aマッチを、サッカー専用スタジアムのみで開催することを検討していることが判明した。サッカー観戦が日本以上に文化として根付いている欧州などの地域では既に、試合が専用スタジアムで行われるのは当たり前。若いうちから多くの選手が海外移籍を果たし日本代表も本気でW杯上位を目指すようになった今、新たな時代に突入する。
背景にあるのは、各地で構想、建設が進む専用スタジアム化の流れだ。各Jクラブが動いており、例えばJ2長崎では長崎市内に、直接試合を観戦できるホテルなどを併設する大型多機能複合施設の構想が浮上。20年から工事に着手し、23年の完成を目指している。また京都では亀岡市で球技(サッカー、ラグビー、アメフット)専用の京都スタジアム(仮称)の工事が進む。他にも岡山が5年以内にサッカー専用スタジアムを実現したいという意向を表明し、広島でも建設への動きがある。20年東京五輪・パラリンピックのメイン会場となる新国立競技場も、大会後は球技専用に改修されることが決まっている。時代の波が、後押ししている。
現時点でもパナソニックスタジアム吹田をはじめ、カシマスタジアム、埼玉スタジアムなど既に使用されているサッカー専用スタジアムも全国各地にある。17年には福岡県にタッチラインとの距離わずか8メートルという臨場感あふれる球技専用のミクニワールドスタジアム北九州が完成した。02年、W杯日韓大会の決勝ブラジル―ドイツ戦が行われた日産、その1次リーグ最終戦チュニジア戦で森島、中田が決めた長居。数々のドラマが生まれた舞台が使われなくなることになるが、時代の変化に不可欠な改革となるかもしれない。
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◆日本代表戦 サッカー専用スタジアムのみ開催へ!協会検討、20年東京五輪以降に(スポニチ)
◆【高校サッカー 選手権発 東京五輪行】流通経済大柏・DF関川郁万(3年) 「競り合った相手には絶対に負けない」対人に強いプレースタイルが高評価(zakzak)
高校最強のセンターバックは涙ひとつ見せず、勝者の姿を脳裏に焼きつけた。14日の全国高校サッカー選手権決勝で青森山田(青森)に逆転負けを喫し、2大会連続の準優勝に終わった流通経済大柏(千葉)の関川郁万(3年)は悔しさを闘志に変え、内定していた鹿島アントラーズに16日に合流した。
「くそゲームだった」
青森山田に1-3の逆転負けを喫し涙をのんだ直後のロッカールームで、71歳の名将、本田裕一郎監督から意外にも聞こえるはなむけの言葉をもらった。
流通経済大柏の最終ラインに入学直後から君臨してきた関川は、巨大なスタジアムが満員になるほど、相手が強くなるほど、「ワクワクする」と不敵に笑う。
身長180センチ。ディフェンダーとしては決して大きくないが、これまで大切にしてきた信条がある。
「競り合った相手には絶対に負けない、という気持ちは誰よりも強い。そこには自信を持っていますし、自分よりも大きな相手でも、最初にダイナミックなプレーをすれば萎縮すると思うので。大きく跳んでみるとか、大きくクリアすることを、ファーストプレーで心がけています。自分を大きく見せるというか、一発目で強くいく印象を与えれば、相手は次からだいたい来られない」
昨年5月、卒業後の鹿島入りが内定した。ヘディングを駆使した空中戦を含め、対人にめっぽう強いプレースタイルが高く評価された。一方、鹿島からは昨年7月に植田直通、同年末に昌子源と、W杯代表に名前を連ねたセンターバックが海外へ移籍した。ごく近い将来、常勝軍団の屋台骨を背負ってほしいという期待が18歳にかかる。
「相手のFWに何の仕事もさせないのが、センターバックの仕事。それを100%に近づけようとずっとやってきた。2年生のときまでは先輩に難しいFWが大勢いましたけれど、マッチアップしていて楽しかった。今は最上級生ですけど、(鹿島では)また一番年下になるので張り切ってやっていきたい」
本田監督が発した「くそゲーム」には、「同じことを繰り返すな。次は一番になれ」というエールが込められている。プロの世界で初心に帰り、挑戦者の気概を熱くたぎらせる関川が目指す当面の「一番」は、名門・鹿島のレギュラーの座だ。その先に東京五輪を含め、日の丸を背負う姿が見えてくる。J1屈指の常勝軍団で、そして日本代表で、最終ラインに君臨するためのスタートラインに立った。(スポーツジャーナリスト・藤江直人)=終わり
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◆楢崎、中澤、小笠原……レジェンドたちはJリーグに何を遺したか(文春オンライン)
年末年始、サッカーファンに衝撃が走った。
日本サッカー界を支えてきたベテランたちの現役引退が相次いだのだ。12月27日に“常勝軍団”鹿島アントラーズで20冠中17冠を経験したキャプテン小笠原満男が引退を発表。年の明けた1月8日にJ1歴代最多のフィールドプレーヤー連続出場記録(199試合)と連続フル出場記録(178試合)を持つ横浜F・マリノスの中澤佑二、そして2人が「ナラさん」と慕い、J1通算出場歴代最多記録(631試合)を誇る名古屋グランパスの楢﨑正剛がピッチを去ることを表明した。
JリーグMVPを受賞し、クラブの象徴だった3人
川口の場合は「ロシアワールドカップでの日本代表の戦い、各カテゴリーの日本代表の戦いを見て、日本サッカーに違った形で貢献したいという思いが強くなった」と夏ごろには引退の決意を固めていた。だが3人はシーズン後、またはシーズン終盤ごろから進退と向き合ったうえで結論を出したと思われる。
セイゴウ、ボンバー、ミツオ(年齢順)。
3人の共通項に、JリーグMVPがある。時系列に言えば、中澤がリーグ2連覇を達成した2004年に日本人ディフェンダーとして初の受賞。小笠原はリーグ3連覇の2009年に、その翌年にグランパスが初優勝して楢﨑がゴールキーパー初受賞となった。
無論、代表でのキャリアも豊富ながらここで取り上げたいのはあくまでクラブでの彼ら。楢﨑は名古屋に20年間、中澤は横浜に17年間、小笠原は鹿島に21年間在籍し、クラブのレジェンドとなってきたのだから。最高に輝いた1年をクローズアップするとともに、彼らのポリシーをレガシーとする願いをこめて。
中澤佑二、制空権を渡さないボンバーヘッド
岡田武史監督率いる横浜は前年、ファースト、セカンドの両ステージを制して完全優勝を果たしていた。04年のファーストも制し、浦和レッズとのチャンピオンシップでPK戦の末に2連覇を達成した。
アウェーの第2戦のことは今も記憶に焼きついている。後半途中に味方が1人退場。クリアミスでゴールに入りかけたピンチも中澤が救った。PK戦に持ち込まれたというよりも、持ち込んだ。チャンピオンシップMVPも納得だった。1シーズン通して働き、リーグ最少の30失点。制空権を渡すことはなかった。
センターバック出身の岡田はしみじみと語っていた。
「相手にフリーで持たれて中に蹴られても、ユージがいることではね返せる。高さがあるのはもちろんだが、しっかりとした読みがある。ウチにとってユージの働きは、本当に大きい」
高さと読み。ジーコジャパンでもレギュラーを張るようになり、大事な場面でさく裂するボンバーヘッドは全国区になった。
「90分間、一切手を抜かない」
岡田の教えをずっと心に刻んできた。
「岡田さんに言われたんです。まあ大丈夫だろうって思うことをするな。パスが来なくたって守るんだよ。シュートが来なくたって守るんだよって」
90分間、一切手を抜くことがない。常にアラート状態を保って、ニラミを利かせる。中澤はイエローカードをもらう数が圧倒的に少なかった。イエローカードをもらう「無茶」はやらないが、徹底的に「無理」はする。高さよりも読みよりも、それこそが中澤の真骨頂と言えるかもしれない。
「危ないと思って全力でポジションに戻れば、ワンプレー、ツープレー(の時間)を稼げるじゃないですか。その時間を作ったら、味方が戻ってくることができる。瞬時の半歩でいいから(シュート)コースの切れるところを切っておけば、それだけでも違ってきますから」
小笠原満男、“常勝鹿島”のシンボル
イタリア・メッシーナから帰還した07年夏からの“鹿島第2章”。2列目からボランチにポジションを下げて持ち前の攻撃センスに加えてイタリアで磨いてきた守備の迫力を存分に発揮していくことになる。08年からはキャプテンに就任。9月の柏レイソル戦で左ひざ前十字じん帯を損傷して手術を余儀なくされたものの、全治10カ月の大ケガを乗り越えて09年シーズンの開幕に間に合わせている。
序盤から順調に勝ち点を積み上げながらも8月下旬からリーグ5連敗を喫し、3連覇に黄信号が灯ろうとしていた。チームのムードが落ちそうになっていたときに活気ある雰囲気をつくろうと声を出し、チームメイトとコミュニケーションを取っていたのが他ならぬ小笠原であった。5連敗の後に引き分けを挟み5連勝しての優勝劇。誰よりも勝負どころを押さえ、誰よりも駆け引きに長け、誰よりも体を張って鼓舞する彼の姿があった。
「みんなからチームを思う言葉が出てきて嬉しかった」
2016年にチャンピオンシップを制して7年ぶりにリーグ優勝したシーズンも、終盤に4連敗を喫している。チームの雰囲気にアンテナを張りながら、どのように振る舞うか。
彼はこの年のシーズン後のインタビューでこう語っている。
「俺が言っちゃうとね……。でもみんなから(チームのためを思う言葉が)自然と出てきたから、それが凄くうれしくて。先に俺ら(年長者)が言っちゃうと、みんなああそうなんだってなっちゃうから。みんながどう感じているかを聞いて、でも、その言葉を聞いて俺は大丈夫だなと思った。
みんなで頑張った。自然と(まとまった)では片づけられない。そこで崩れないのがやっぱりこのチーム。ずるずるいかないというか、やっぱり立ち返る場所があるから。タイトルを取るんだったら、みんなでやらなきゃだめだろって。そういうのがあって人は成長して、失敗というか考えさせられてみんなも感じるものがあって。連敗したときもそうだけど、みんなでいろんな話をして。今だから言えることだけど、そこから得たものもあったかなとは思う」
最後のシーズンになった18年シーズン。左ひざ痛を抱えながらも、彼が練習を休むことはなかったという。鈴木満常務取締役強化部長はリスペクトの念をこめてこう言った。
「ミツオとソガ(曽ヶ端準)は試合に出られないときでも絶対に休まない。文句ひとつこぼさず、練習からやり切る。言葉は要らないですよ」
楢﨑正剛、目立つことを嫌った守護神
ドラガン・ストイコビッチ体制3年目に悲願の初優勝を達成した。それも2位鹿島を大きく引き離した独走劇。1点差で勝ち切る勝負強さが際立ち、優勝を決めた11月20日のアウェー、湘南ベルマーレ戦がまさにそれを象徴するゲームになった。
楢﨑は17本のシュートを浴びながらもゴールを割らせることはなかった。結果は1-0。このシーズンの被シュート数はワースト2位。それでもリーグ3番目に少ない37失点に抑え、楢﨑がゴール前に立ちはだかった。
派手なプレーよりも、堅実なプレーにこだわった。
大切にしていたのが基本。
「正面でボールをしっかり取る、しっかりと足を運ぶ。そういった基本の大切さを僕はこれまでのキャリアのなかでずっと言われてきましたからね。蓄積されてきたものがあると感じているし、すべては基本だと思う」
奈良育英時代にはシュートを横っ跳びでもして止めようものなら、監督からお叱りの声が飛んできたそうだ。卒業後、横浜フリューゲルスに入団し、2年目に出会ったブラジル人GKコーチのマザロッピもまた基本の大切さを口酸っぱく言う人だったという。
目立つことは好きじゃない。
チームを支え、ゴールを守り続ける。それ以上もそれ以下もない。
「フィールドプレーヤーは自分から気持ちを出して行けるけど……」
優勝を決めたあのシーズン、のちに意外な告白もあった。
「あのシーズンは最後の最後までもつれたわけじゃないし、もっと余裕はあったんですけどね。でも過去のJリーグを見ても何が起きるかわからなかったし、心のなかでは〝怖い、怖い〟って思っていた。だから早く決めなきゃいけないって思っていました」
怖い、怖い。
優勝経験がないだけに勝ち点差が詰まってくれば、何が起こるか分からない。だがそういった感情の一切を内に秘め、淡々と黙々と、己の役割をこなす。それが楢﨑だった。
600試合を達成した後に聞いた彼の言葉が印象的だった。
「フィールドの選手であれば『気持ちを出せ』と言われたら、自分から出していけるじゃないですか。でもGKというポジションはそうじゃない。受け身になるし、いろいろと(気持ちで)コントロールしなきゃならない。経験を重ねてきてようやく慣れてきた感じもあるんです」
以降も楢﨑は楢﨑であり続けている。
631試合のJ1最多出場記録。調子の大きな波を寄せ付けない「コントロールの妙」があった。
3人がJリーグに遺してくれたもの
守るとは何か。能力そのものより瞬時の半歩をあきらめないディフェンスが何より大切なのだと中澤は教えてくれる。
勝利に導くとは何か。弱音を吐くことなく、疑うことなく、チームを思う姿勢を示し続けることが何より大切なのだと小笠原は教えてくれる。
支えるとは何か。状況に左右されず、いつでも最大限にやり抜こうとすることが何より大切なのだと楢﨑は教えてくれる。
彼らはMVPのシーズンだけ輝いたわけではない。
どのシーズンも中澤は中澤であり、小笠原は小笠原であり、楢﨑は楢﨑であった。
彼らのポリシーを、クラブのレガシーに――。
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◆大迫 決勝Tで復帰へ!森保監督「大会期間中には」(スポニチ)
サッカー・アジア杯1次リーグ ( 2019年1月17日 UAE・アルアイン )
頼れるエースFW大迫が21日から始まる決勝トーナメントで復帰する可能性が高まった。
森保監督は「メディカルスタッフから、大会期間中に復帰できると聞いている。焦る気持ちもあると思うが、まずは治してチームに合流してほしい」と明かした。9日のトルクメニスタン戦で圧巻の2発も、その代償として右臀部(でんぶ)の違和感を再発。今もリハビリが続くが、調整のピッチは明らかに上がってきた。
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◆大迫 決勝Tで復帰へ!森保監督「大会期間中には」(スポニチ)
◆ACL、V祝いパレード J1鹿島 19日 選手ら必勝祈願も(茨城新聞)
サッカーJ1鹿島アントラーズのアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)初優勝を祝うパレードなどの記念イベントが19日、同市宮中の鹿島神宮周辺で行われる。主催は鹿島の地元5市などで構成するアントラーズ・ホームタウン協議会(会長・錦織孝一鹿嶋市長)。
パレードは午前10時半から開始。大岩剛監督や選手たちが、同市商工会館前から鹿島神宮拝殿までの約500メートルを歩く。同11時に同神宮で今季の必勝を祈願。同11時半からパレードを再開し、同市商工会館に戻り、正午から同所で優勝報告会が行われる。
同イベントに伴い、同神宮-同市商工会館間と周辺の一部の道路が、午前10時から午後1時まで交通規制される。
同神宮周辺でのパレードは2年ぶりで、前回は約1万5千人のファン、サポーターが訪れた。周辺の道路や駐車場の混雑が予想されるため、同協議会では公共交通機関の利用を呼び掛けている。
問い合わせは、鹿島アントラーズコールセンター(電)0299(82)5555か、同協議会事務局(電)0299(82)2911(内線213)。
【参考】
http://www.so-net.ne.jp/antlers/uploads/4a8fd886a123969ca35ad8f5692b128709db2c16/original.pdf
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◆ACL、V祝いパレード J1鹿島 19日 選手ら必勝祈願も(茨城新聞)
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