日刊鹿島アントラーズニュース

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2018年12月30日日曜日

◆本山東福岡と雪の決勝 中田「晴れてたら帝京勝ち」(ニッカン)



中田浩二 Koji.Nakata


<HEY!SAY!サッカー選手権(3)>

「積もってるなあ!」。ピッチに入場した帝京・中田浩二主将(現鹿島職員)は、一面の銀世界に目を見張った。

全国高校サッカー選手権(30日開幕)の平成時代を振り返る連載「HEY!SAY!サッカー選手権」。第3回は「雪の決勝」として語り継がれる平成9年度(97年度)の第76回大会だ。「黄金世代」が高3で迎えた同大会決勝は、帝京と東福岡が顔を合わせた。

キックオフ1時間前から降り始めた雪でピッチはまっ白。蹴るサッカーを選んだ帝京に対し、本山雅志擁する東福岡は巧みにパスをつなぎ対抗、帝京は逆転負けを喫した。鹿島に同期入団した本山氏からは試合後「一緒に鹿島で頑張ろう」と声をかけられた。

もしあの日、雪が降っていなければ-。そう考えることもあるという。

中田氏 勝ってただろうなと思いますね。なぜって? そう思うしかないじゃないですか(笑い)。モト(本山)と飲んだ時はよく雪の決勝の話になるけど、モトも人がいいから「晴れてたら帝京勝ってたよね~」と言ってくれます。

近年では13年の決勝が大雪に見舞われたが、延期の措置がとられた。

中田氏 僕らの時もやらなくてよかったんじゃないかと思うこともあったけど、それがあったから13年が延期になったのかもしれないし、僕らのしたことは1つの基準になったのかな。

「雪の決勝」はさまざまな側面で日本サッカー史に色濃く残っている。【杉山理紗】







◆本山東福岡と雪の決勝 中田「晴れてたら帝京勝ち」(ニッカン)





◆小笠原を読み解くキーワード 本気 生肉 東北人魂(ニッカン)



小笠原満男 Mitsuo.Ogasawara


今季限りでの現役引退を発表した鹿島アントラーズの元日本代表MF小笠原満男(39)が28日、ホームのカシマスタジアムで会見を行った。記録にも、記憶にも残る名選手。日刊スポーツの歴代担当記者がその人物像を描いた。

  ◇   ◇

小学生に向かって、小笠原は言った。「一生懸命、勝ちに来てください。本気で勝ちに来てください」。

昨年末、高校時代を過ごした岩手・大船渡で、自らが方々に掛け合って完成した人工芝グラウンドのお披露目イベントが行われた。東日本大震災からの復興を支援する「東北人魂」の活動の一環で、鹿島同期入団の本山雅志(北九州)、中田浩二氏(鹿島CRO)らとともに子どもらと試合を行う。言葉は、その直前に投げかけた。声も表情も、悪く言えばぶっきらぼう。親しみはまるでない。プロとの交流を楽しみにしていた少年の表情も一変。緊張感が生まれた。

「遊び」や「楽しもう」といった心ではダメだったのだろうか。後日尋ねた。

「そういう人もいていいとは思うんですけど、やっぱり上に行くヤツっていうのは、ああいうところでも遠慮しないでやれる選手だと思う。意識で変わるんで。『楽しかった』で終わらせるか、勝ちに行ってうまくなりたいと思うか…」。

鹿島で、常に体現してきた「ジーコ・スピリット」。いつ何時も勝利を求める姿は、子どもたちに対しても変わることはなかった。それは「原点」とも言える大船渡の子どもたちが相手だったから、なおのことだったのかもしれない。

◇ ◇ ◇

39歳まで、第一線で戦い続けてきた。その体の秘密を、誰もが不思議がる。筋力トレーニングや体幹トレーニングは、やらされるだけで、自らはほとんどしない。今、菓子類もガツガツ食べる。被災地を回っている最中には、移動のバスの中でカップラーメンを平然と腹の中に入れた。

生肉も平気で口にする。しゃぶしゃぶなのに、しゃぶしゃぶせずに食べることも。「良い肉は、このまま食えるんだよ」が口癖。たまに嘔吐(おうと)することがあると、チームメートは「拾ったもんを食うからだよ」とからかう。鹿島で長年見てきた青木剛(南葛SC=東京都1部)は、その体のつくりを「特殊だ」と驚き、畏敬の念を抱いた。

その秘密を、本人は「全部、高校時代に鍛えられたから。高校時代が全て」と言ってきた。大船渡高校時代は、ポテトチップスなどの菓子類も、カップラーメンなども全く食べなかった。筋トレのたぐいも、高校時代に突き詰め、鍛えてきた。その“貯金”があったからだと、本気で言う。何が本当で、どこからが冗談か…。いずれにしろ「東北」「岩手」「大船渡」という地域が、鹿島を常勝軍団に導く「小笠原満男」という人間を形成したことは間違いない。

◇ ◇ ◇

小笠原には願いがある。東北人魂の活動に、夢を込める。「せっかくこういうことをやっているんだから、あの中からオレらに続く東北出身のJリーガーが出て欲しいじゃないですか」。だから、冒頭の言葉が生まれた。

「『楽しかった』で終わるんじゃなくて『ああいう風になりたい』とか『ああいう選手に勝ちたい』っていう気持ちになって欲しいなって。頑張って練習して、コツコツ努力できるようになって欲しいなって」。

小笠原は厳しい。誰に対しても厳しい。そう見える。

でも、恐らく彼は、厳しいことを言っているとは思っていないはず。なぜなら、自分自身が、それが当たり前のことだとやってきたから。そして、乗り越えてきたから。

譲れない思いがある。変わらない信念がある。だから、39歳まで第一線で走り続けてきた。引退はする。だけど、小笠原満男という人間は、これからも変わることはないだろう。1人でも多くのサッカー少年が、その背中を追うことを願いたい。【18年鹿島担当=今村健人】




◆小笠原を読み解くキーワード 本気 生肉 東北人魂(ニッカン)





◆大迫から“同じ顔”をした昌子へ「チャレンジすれば道は開ける」(ゲキサカ)



大迫勇也 Yuya.Osako


 かつてともにプレーした後輩が海を渡る決断を下した。日本代表FW大迫勇也は「懐かしい」と、約4年半前の自身の姿にDF昌子源の姿を重ねていた――。

 前日の28日に日本代表に合流した大迫だが、直近のリーグ戦で右臀部を打撲した影響で宿舎で別調整。翌29日はグラウンドに姿を見せたものの、別メニューでの調整を続けた。アジアカップに臨む日本代表において、前線の核となるだけにコンディションは気がかりだが、本人は「大事を取っているという感じ」と問題ないことを強調。1月9日のトルクメニスタン戦に「合わせることが一番」と、初戦に良い形で臨めるように調整を進めていこうとしている。

 そして、大会に向けて「まずはチャレンジすること。チャレンジしないと始まらないので、しっかりと自分たちの存在をアジアの中で示せればと思う。メンバーが変わったばかりなので、その中でうまくいかないときもしっかりとまとまり、逆に力に変えられるチームになっていきたい」と意気込みを示した。

 27日には鹿島の先輩であるMF小笠原満男が現役引退を発表。28日には「ご飯を一緒に食べて、いろいろと話をできた」と語り、その内容については「男同士の話なので、あまり言いたくないですね」と続けた。そして、その席には今日フランス1部トゥールーズへの移籍が発表された昌子も同席していたようだ。

 移籍を決断した後輩の顔を見た大迫は、「チャレンジする前というか、いい顔をしていた。懐かしい。俺が行ったとき、こんな顔をしてたんだろうなという感じの顔をしていた」と4年半前に鹿島からドイツへと飛び立った自身の姿が重なったようだ。

「楽しみだし、チャレンジしてほしい。誰もが成功するか、失敗するか分からない中で、しっかりとチャレンジすれば道は開けると思うので、頑張ってほしい」。先輩は“同じ顔”をした後輩へとエールを贈った。
(取材・文 折戸岳彦)




◆大迫から“同じ顔”をした昌子へ「チャレンジすれば道は開ける」(ゲキサカ)





◆幻の米国移籍計画 引退・小笠原が貫いた鹿島愛(東スポWeb)






 J1鹿島への“愛”を貫いた。元日本代表MF小笠原満男(39)が27日、現役引退を発表した。現役生活の大半を過ごした鹿島で17度のタイトル奪取に貢献。日本代表でも2度のW杯に出場するなど活躍したが、最後まで鹿島を最優先に行動した。また日本サッカーをけん引してきたレジェンドの引退にアジアカップ(来年1月5日開幕、UAE)に向け、合宿中の森保ジャパンにも衝撃が走った。

 1998年に岩手・大船渡高から鹿島入りした小笠原が引退を決断した。

 2006年にイタリア1部メッシーナに移籍した1シーズンを除き、鹿島一筋。チーム20冠のうち17冠に貢献し、J1通算525試合で69得点を挙げ、09年にはMVPに選出された。日本代表では02年日韓、06年ドイツW杯に出場した。

 小笠原はクラブを通じて「これまで自分を支えてくれた方々、一緒に頑張ってきた選手達、応援してくれたサポーター、鹿島アントラーズに関わるすべての方々に感謝しています」「鹿島アントラーズでサッカー選手として引退できることを、とても嬉しく、そして誇りに思います」などとコメントした。

 普段は寡黙ながらも自分の哲学を貫き、黙々とプレーする姿は多くの選手からも支持された。特に鹿島というクラブに愛着を持ち、脈々と受け継がれる“ジーコイズム”の伝道者としてもチームに貢献してきた。そんな小笠原は、鹿島のために“幻の移籍計画”を立てていたという。

 それが米メジャーリーグサッカーへの移籍だった。ある代理人は数年前の話として「小笠原はベテランの域に入って『このまま鹿島にいても負担になるかもしれない』と言いだして海外移籍を検討していた。米国に行きたいということで、受け入れ先を探していた時期があった。別にクラブから言われたわけではなく、自分から鹿島のためにと…」。

 世代交代を進めていたクラブの現状を考えての行動。鹿島以外の国内クラブでプレーする気はなかったため、米国進出を検討していたという。結果として移籍は実現しなかったが、その後は小笠原は考えを改め、鹿島のさらなる躍進と後進の育成というテーマを持ち、今季は悲願だったクラブ初のアジア制覇に力を注いだ。99年の世界ユース選手権(現U―20W杯)で準優勝。MF小野伸二(39)らとともに「黄金世代」と呼ばれた。唯一の“スキャンダル”は04年の日本代表合宿中に同僚7人と飲酒し「キャバクラセブン」とやゆされたこと。今後は鹿島と日本サッカーのために再スタートする。




◆幻の米国移籍計画 引退・小笠原が貫いた鹿島愛(東スポWeb)





◆植田直通と豊川雄太の対峙、これぞ「運命」。高校&鹿島で同期、欧州で親友は最高のライバルに(フットボールチャンネル)





これほどドラマチックな関係はあるだろうか。かつて大津高校や鹿島アントラーズで同期だった植田直通と豊川雄太が、ベルギーリーグの舞台で対戦相手になって再会する。今季2度目の両者の対戦は、2人への運命的なクリスマスプレゼントとなった。(取材・文:舩木渉【ベルギー】)





鹿島に同期入団。そしてベルギーで再会

 今、欧州主要リーグで最も多くの日本人選手がプレーしているのはベルギーになった。かつてはドイツ・ブンデスリーガで数多くのサムライたちの奮闘を見られたが、今季のベルギー1部リーグには8人もの日本人選手が籍を置いている。

 そして街中からクリスマスムードが抜けきらない12月26日、その8人のうち2人が同時にピッチに立ち、しのぎを削った。セルクル・ブルージュのDF植田直通とオイペンのFW豊川雄太。かつて大津高校や鹿島アントラーズで共に戦った、同い年の盟友が欧州の地で2度目の再会を果たした。

 植田は21日に行われたベルギー1部第20節のヘント戦を終えた後、次節に控えた豊川との対戦に向けて「次は年内最終節でしっかり勝って今年を終わりたいというのもあるし、あまりそこは意識せず」とは言いつつも、「今回出た反省材料を、しっかりと自分自身練習で改善できなければいけないと思う。でも、前回オイペンに負けているので、そこは借りを返したい」と静かに闘志を燃やしていた。

 10月末、オイペンのホームに乗り込んだセルクル・ブルージュは0-2で敗れていた。しかも、その試合で植田は後半アディショナルタイムにオウンゴールを献上している。最近は18節でアンデルレヒトに2-1で勝利したものの、19節はヘントに1-4と完敗を喫しており、セルクル・ブルージュとしては絶対に勝っておきたい試合だった。

 植田と豊川、少年時代から多くの時間を共に過ごしてきた戦友にして親友の2人。前者は熊本県宇土市出身で、宇土市立住吉小学校から熊本県立大津高校に進学した、後者は中学時代をFCKマリーゴールド ジュニアユース熊本で過ごし、大津高校へ。ともに1994年生まれで、高校を卒業すると、共に鹿島アントラーズに入団した。

 植田が鹿島で揉まれて日本代表まで順調に階段を上り詰めた一方、豊川は2016年から2017年にかけてJ2のファジアーノ岡山に武者修行へ出るなど山あり谷ありのキャリアを歩んできている。2016年にはリオデジャネイロ五輪代表に選ばれた植田に対し、豊川はギリギリで最終メンバーから落選するなど、多少のすれ違いもあった。それでも2018年、2人はチームメイトとしてではなく、対戦相手として再会することになる。しかも日本ではなく、ヨーロッパのトップリーグで。

「たぶんもう運命でしょうね」(豊川)

 2度目の対戦を終えた豊川は「たぶんもう運命でしょうね」と、笑顔を見せる。そして「中学校のトレセンから一緒ですし、俺がプロに行けたのもあいつがいて、いろいろなスカウトがあいつを見に来ていたところで…というのがあるので」と続けた。

 植田がいなければ、鹿島に入れていないし、今ヨーロッパでプレーしている自分はいなかったかもしれない。豊川はそう感じている。「植田は吊りさがっているボールをずっとヘディングしていた思い出しかない」と冗談を言って笑うが、心の底から信頼しあえる無二の親友に変わりはない。

 一方、10年来の戦友とのマッチアップで2連敗となってしまった植田は「あいつには決められませんでしたけど、負けたというのは本当に悔しい」と充実感漂う表情で語った。序盤のゴールが響き、セルクル・ブルージュはあまりいいところを見せられないまま0-1で敗れた。

「本当に嫌な相手ですよ。本当に。前やった時もそうでしたけど、ああいう一瞬でも隙を見せたらそこを狙ってくるようなプレースタイルだから、常にあいつのいるところを確認しながら見ていました」

 豊川はオイペンの1トップに入って、積極的に仕掛け続けた。Jリーグ時代は2列目のアタッカーのイメージが強かったが、今は全く違う。自分よりも大柄なDFに対しても果敢に勝負を挑み、必死にボールに食らいつく。最終ラインと駆け引きし続け、チャンスを虎視眈々と狙ってていた。

 これまではチームメイトとして見ていたところから、対戦相手になってみて、植田は豊川の明らかな変化を実感していた。

「(豊川とプロで)一緒にやっていたのは鹿島の時だけだったので、そこから岡山に行って、オイペンに行って、かなり成長したなと思う。それが今こうやって結果に出ていて、オイペンのエースとして出ているし、やっぱり試合を一緒にやってみても、すごく怖い選手になったなと僕は思っています」

互いの存在を刺激に飛躍できるか

 後半が始まってそれほど経たない頃、豊川は右サイドからのクロスに飛び込んで、シュートモーションに入ったところで相手選手との接触で声をあげて倒れた。ゴール前の相手の嫌がるところに入り込んでくるオイペンの背番号20が痛がる姿を、植田はポジションを上げながら一瞥して少し気遣ったように見えた。直接マッチアップする機会はそれほど多くなかったが、2人は常にお互いのことを意識してプレーしていた。

 植田は語る。

「(豊川と)競り合ったりはしたんですけど、前の試合とかは簡単に勝てていても、あいつはやっぱり映像を見て勉強しているんでしょうね、今日とかはかなり。僕も嫌がるような競り合い方をしてきたし、あいつは常に成長しているなと感じました」

 一方、豊川は植田の見立て通り、競り合いに無類の強さを発揮する元チームメイトとの戦いをあえて避けるように巧みに駆け引きをしていた。「あいつ(植田)、高かったです。だからあいつのところには行かず、5番のところに行きました」。相方のイサアク・コネが本職のセンターバックでないことを見抜いていたのである。

「あいつは代表にも入って、いろいろな活躍をして、ワールドカップに出たりもしていますけど、俺も負けないように、こっちでしっかりと頑張って…という思いはずっと持っていますので」

 植田よりも一足先にヨーロッパで挑戦を始めていた豊川だが、親友が自分と同じリーグにやってきたことで運命的なものを感じ取り、さらなる成長を目指すうえでの刺激にしている。今季はリーグ戦21試合中18試合に出場し、ベンチスタートだった3試合も全て途中投入でピッチに立っている。クロード・マケレレ監督から1トップの大役を任されて4得点、「来年はもっと得点という結果にこだわる」と自信を深めているところだ。

 一方、センターバック陣に負傷者が相次いでいることもあるが、植田も欧州初挑戦ながら17試合に出場し、うち13試合で先発起用された。「なかなか自分のやりたいようにやれないもどかしさもあるけれども、そういうのも僕はすごく楽しいし、それを乗り越えて僕ももう一段階レベルアップすると思う。自分がもっと指示を出して、自分がチームを動かしていかなきゃいけない」と最終ラインを引っ張るディフェンスリーダーとしての自覚も芽生えてきている。

 余談にはなるが、実は26日のセルクル・ブルージュ対オイペンには2人の大津高校時代の同級生が観戦に訪れていたという。観客席には鹿島のユニフォームを着たファンの姿もあった。それを見た豊川は「植田のユニフォームを着ていたんですよね…俺がいること忘れちゃったのかな?」と冗談めかして笑っていた。

 いやいや、そんなはずはない。我々メディアも、大津高校時代の同級生も、植田のユニフォームをまとった鹿島ファンも…皆2人の「運命」に引き寄せられてこの試合に集まったのだ。植田と豊川、1994年生まれで来年25歳になるこの2人の運命的な筋書きのないドラマは、今後どのような物語を描いていくか。続きを見届けるのが楽しみで仕方ない。

(取材・文:舩木渉【ベルギー】)

【了】


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◆【英国人の視点】鹿島・安部裕葵に感じる“本物”の予感。大舞台に立つだけでは満足しない、その資質(フットボールチャンネル)



安部裕葵 Hiroki.Abe


鹿島アントラーズは、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)王者としてクラブワールドカップに挑んだが、3位決定戦でリーベル・プレートに敗れた。しかし、この大会で19歳の安部裕葵が大器の片鱗をのぞかせた。(文:ショーン・キャロル)



宇佐美や武藤に通じる存在感

 Jリーグからは時折、本物ではないかと思えるような選手が現れてくる。

 もちろん、好調な時期を過ごしてポテンシャルを垣間見せ、所属クラブのファンの期待を高めたかと思えば、その最初の輝きに上積みを加えるのに苦戦し始め、次のレベルへと進むために必要なものを手に入れられないような選手も毎年のようにいる。

 だが時々は、最初から全てを備えた若手が出てくることがある。もちろん洗練と改善は必要だとしても、材料は揃っている。安部裕葵はそういう選手たちの一人だ。

 10年前に私が日本にやってきた頃には、ガンバ大阪で17歳の宇佐美貴史が旋風を巻き起こしていた。2014年には大卒1年目の武藤嘉紀がFC東京で圧倒的な存在感を見せ、欧州のビッグクラブからの関心を引きつけていた。今季は鹿島アントラーズで安部が彼らと同じような力を見せた。

 19歳の安部は宇佐美や武藤ほど得点力の面で脅威になるわけではないが、ピッチ上での振る舞いを見れば、アジア最高のチームですでに全く問題なくプレーすることができている。試合を決められる選手になれる力は十分にある。

 U-19日本代表が来年のU-20ワールドカップの出場権を獲得する戦いを助けてインドネシアから帰国したあと、すぐにACL決勝1stレグのペルセポリス戦に先発起用されたことは、彼が鹿島ですでに高い評価を得ていることを示した。安部は指揮官からの期待を裏切ることなく、チームが2-0の大きな勝利を挙げる上で重要な役割を演じた。

 大舞台にも怖気づく様子は全く見せず、あらゆる形で相手に問題を引き起こしていた。チャンスがあればボールを前へ運び、何かを起こそうと試みていた。


10万人以上のアウェイで「楽しみ」

 宇佐美や武藤がブレイクしようとしていた頃と同じく、安部がボールを持つとスタジアム内に期待の高まりが感じられた。積極的にプレーする意欲を見せた彼は69分間のプレーで5回のファウルを受けつつ、相手陣内でのパス成功率も88.2%(チーム全体では87%)と高い数字を記録した。

「簡単な試合じゃないのはみんな分かっていましたし、押し込まれていようがどんな試合になろうが僕たちは集中して我慢して試合を運ぶという自信があるので。そういうところが見られたかなと思います」と安部は試合後にthe-AFC.comに語った。

「点が入ってからはメンタルのゲームになったけど、自分たちは乱れずにプレーできました。その点で相手を上回れたことも勝利の要因になったと思います」

 ピッチ外でもピッチ内と同様に大人びて落ち着いた様子の安部は、2ndレグに向けて全く緊張するどころか、テヘランの10万人以上の観客の前でプレーできるチャンスを楽しみにしているとも付け加えた。

「僕たちスポーツ選手は、人が入るということで自分の力が出せないようではダメだと思うので。スポーツ選手である限り、そういう環境であるほど自分の力が出せるくらいじゃないとダメだと思っているので、楽しみです」

 アザディでの仕事をやり遂げ、安部と鹿島は今月行われたクラブワールドカップにアジア代表として出場する権利を手に入れた。その舞台でも彼はすぐに強烈な印象を残した。

 今年のJリーグベストヤングプレーヤー賞も受賞した安部が特に脚光を浴びたのはグアダラハラとの準々決勝で決めたファインゴールだったが、彼のゲーム感覚が本物であることをそれ以上に印象づけたのはその1分前に見せたプレーだった。


北中米、欧州、南米の強豪相手に堂々

 スコアが2-1で試合の行方がまだ確定していなかった83分、鹿島の攻撃がストップされ、グアダラハラのMFオルベリン・ピネダがボールを持って大きく前進。危険なカウンターアタックを繰り出そうとしていた。

 この状況で多くの若手選手は、正直にボールを奪い返そうと試みることだろう。だが危険に敏い安部は分が悪いことを理解し、チームのために犠牲になることを厭わず、明らかなファウルを犯してイエローカードを受けた。

 これで鹿島は自分たちの命運を握り続けることができ、60秒後には安部自らがGKラウール・グディーニョの必死のダイブも届かない完璧なシュートを叩き込んで勝利を決定づけた。

 グアダラハラ戦では交代出場だった安部だが、この試合で鹿島に勝利を引き寄せる重要な役割を果たしたことで、準決勝のレアル・マドリー戦では先発に復帰。チーム全体としてはガレス・ベイルとその仲間たちに対抗しきれず、ハーフタイムの前後に守備が緩んだ代償として3点のリードを奪われたが、安部は機会があるたびにダニ・カルバハルに対してチェイスし、最後の笛が鳴るまで前線からボールを追い続けた。

 次のリーベル・プレート戦でも鹿島は敗者の側に回ることになったが、4-0というスコアはリーベルにとって出来過ぎたものだった。鹿島がクロスバーを叩く場面も3回あったし、3点目と4点目は89分と93分に記録されたものだ。安部はこの試合でもボールを持てば常に脅威となり、大舞台に立つだけでなくそこでインパクトを残すことが彼の狙いであることを改めて印象づけた。

 今季のような成長を続けていくことができれば、そういう日が来るのはそう遠いことではないはずだ。

(文:ショーン・キャロル)




◆【英国人の視点】鹿島・安部裕葵に感じる“本物”の予感。大舞台に立つだけでは満足しない、その資質(フットボールチャンネル)





◆【清水】MF白崎の鹿島への完全移籍を発表「日本平でプレーできたことは本当に幸せ」(報知)



白崎凌兵 Ryohei.Shirasaki


 J1清水エスパルスは29日、MF白崎凌兵(25)が鹿島へ完全移籍すると発表した。12年に入団し17年から10番を背負い、今季は27試合2得点。契約満了となるため、延長オファーを提示していたが、鹿島を含む複数クラブが獲得に興味を示していた。

 白崎はクラブを通じ「高校卒業から清水でプレーをさせてもらい、日本平のあの最高の雰囲気でプレーできたことは本当に幸せでした。感謝の気持ちは伝えるのがすごく難しいですが、これからも1日1日を大切に努力していきたいと思います」などとコメントを発表した。清水で10番の移籍は藤本淳吾、小林大悟、大前元紀に続き4人目となる。




◆【清水】MF白崎の鹿島への完全移籍を発表「日本平でプレーできたことは本当に幸せ」(報知)





◆ACL連覇目指す鹿島、清水の10番白崎凌兵を完全移籍で獲得!「早くチームに貢献したい」(GOAL)



白崎凌兵 Ryohei.Shirasaki

鹿島アントラーズは29日、清水エスパルスよりMF白崎凌兵を完全移籍で獲得したと発表した。

現在25歳の白崎は12年に山梨学院高校から清水に加入。開幕節でプロデビューを果たした。13年8月から14年シーズン終了までは出場機会を求めてカターレ富山へ期限付き移籍。J2で50試合に出場した。

そして15年に清水へ復帰。17年からは大宮へ移籍した大前元紀に代わって背番号10を着用している。今季の明治安田生命J1リーグでは、27試合に出場し、2得点を記録した。

鹿島への完全移籍にあたり同選手は「鹿島アントラーズというクラブでプレーする機会をいただいたことに感謝しています。自分の力を最大限に活かして一日でも早くチームに貢献したいと思います!応援よろしくお願いします」とコメント。

また、清水を通じては感謝の言葉を述べている。

「鹿島アントラーズに移籍することを決断しました。高校卒業から清水でプレーをさせてもらい、日本平のあの最高の雰囲気でプレーできたことは本当に幸せでしたし、熱いファン・サポーターの方々の声援は、常に僕の力になっていました。感謝の気持ちは伝えるのがすごく難しいですが、これからも一日一日を大切に努力していきたいと思います。大変お世話になりました」

鹿島は27日にクラブ在籍21年の小笠原満男が現役引退を発表した。守備の要である昌子源もフランス1部のトゥールーズへの移籍が合意。一方で伊藤翔を横浜F・マリノスから完全移籍で獲得している。




◆ACL連覇目指す鹿島、清水の10番白崎凌兵を完全移籍で獲得!「早くチームに貢献したい」(GOAL)


◆鹿島の21歳MF田中稔也がJ3群馬に完全移籍…今季リーグ4試合に出場「ザスパで暴れたい」(GOAL)



田中稔也 Toshiya.Tanaka

鹿島アントラーズは29日、MF田中稔也がザスパクサツ群馬に完全移籍することを発表した。

鹿島ユース出身の田中は97年生まれの21歳。16年にトップチームに昇格したが、リーグ戦では2シーズン出場機会を得られず。しかし、今季は明治安田生命J1リーグで4試合に出場した。

群馬への完全移籍にあたり田中は、鹿島の公式サイトで感謝の言葉を記している。

「鹿島アントラーズに関わるすべての皆さん、ユースから合わせて6年間ありがとうございました!この鹿島というチームでサッカーが出来たことを誇りに思います。

2016年のJリーグ優勝、天皇杯優勝、2018年のACL優勝など、様々なタイトルを取ることができました。 2019年もこのチームで皆さんと全てのタイトルを取りたかったのですが、ザスパに移籍することを決めました。ファン、サポーターの方々には、試合に出られない時は練習場に足を運んで声をかけてくれたり、試合に出た時には稔也コールをたくさんしてくれたり、とても感謝しています。

僕は鹿島の熱いファン、サポーターが本当に大好きでした。稔也コールを忘れることはないでしょう。これからは大好きな鹿島のファン、サポーターに僕の名前が届くよう、ザスパで暴れたいと思います。そして、サッカーを楽しんで向上心を持ち、鹿島で学んだことを活かして頑張りたいと思います。このクラブが大好きです。これからもずっと応援しています。短い間でしたがありがとうございました!」

また、加入する群馬を通じては「チームから必要としてもらったからには結果を残せるように頑張りたいと思います!そして地元の群馬を盛り上げてファン・サポーターの皆さんと共に、必ずJ2昇格を果たしましょう!応援よろしくお願いします!」とコメントしている。




◆鹿島の21歳MF田中稔也がJ3群馬に完全移籍…今季リーグ4試合に出場「ザスパで暴れたい」(GOAL)


◆酒井宏樹らと対戦心待ち、昌子「強い覚悟」一問一答(ニッカン)






フランス1部トゥールーズに完全移籍することが発表された、鹿島アントラーズDF昌子源(26)が29日、鹿嶋市内のクラブハウスで報道陣の取材に応じた。

一問一答は以下の通り。

-海外への思いは昔から

昌子 20歳、21歳くらいは強かったけど、徐々に薄くはなった。W杯を経験したのが自分の中では大きかった。

-覚悟は

昌子 決める時は強い覚悟を持って決めた。海外に行きたいと20歳くらいで思っていた時に、鹿島に億単位で残すオファーがないと行かないと、かっこつけて決めていた。

-環境への不安は

昌子 サッカーに関してはない。トゥールーズはいい街と聞いたけど、妻と子供がいるので治安はすごく気にした。今回は僕1人で行って、妻子は少しの間日本に残って、その後呼びたいと考えている。不安があるとしたら妻子に会えないこと。

-対戦したい選手、チーム

昌子 もちろんパリSGだったり、エムバペ選手、ネイマール選手はいますけど、個人的には川島永嗣選手と酒井宏樹選手がいるストラスブール、マルセイユとは対戦したい。

-植田の移籍、小笠原の引退に続き、鹿島にとって寂しくなる

昌子 チームを支えるやつは鹿島には必ず出てくると思う。満男さんも昔はキャプテンなんてやるタイプじゃなかった。僕もそう。それが鹿島の良さ。全然心配していない。

-植田の移籍は刺激になったか

昌子 ナオ(植田)に関してはずっと一緒にやってきて、彼の能力は僕が一番知っているつもり。でも彼がいなくなったからACL優勝できた(笑い)。というのを本人に言ったら「ちょっとー」って言ってました。

-鹿島で一番印象に残ったことは

昌子 17年のホーム甲府戦。3-0で勝った試合なんですけど。僕がキャプテンマークを巻かせてもらっているとき、僕のパフォーマンスがよくなくて、全員の前でロッカールームで大岩監督にすごく怒られた。「鹿島のキャプテンはそういうことか」「鹿島の3番はそういうことなのか」とみんなの前で怒られて、それが一番覚えています。

-リーグアンでプレーしている川島選手、酒井選手と話はしたか

昌子 リーグのことは話していない。どういう物を持っていけばいいか、向こうで困ったことは、と聞いたら、川島選手から「気持ち」しか来なかったので、「分かりました。強い気持ちを持って行きます」と。本当は歯ブラシとかそういうのが欲しかったんですけど。私生活で、と僕はちゃんと言ったので。

-フランス語は

昌子 ある程度はもちろん勉強していますけど、ヨーロッパの言葉では一番難しいと聞いた。(中田)浩二さんから、伝えたい気持ちがあれば言葉が分からなくても「ああ、あいつ怒っているな」とか「ほめているんだな」とか伝わるので、問題ないと言ってもらえた。とりあえず「メルシー」オンリーでいこうかなと思います。

-フランスに持って行くのは

昌子 「炊飯器は絶対に持って行け」と篤人くんに言われた。荷物が多すぎて持って行けないので送るかな。

-お米はマスト?

昌子 日本人だから食いたくなると聞くし、デュッセルドルフに行けばなんでもあると聞いたけど、そんなに頻繁に行ける距離でもない。だから(酒井)宏樹くん家なんですよ。槙野くんの結婚式のときに同じテーブルで「宏樹君、絶対に行くんで」と言ったら、マジで嫌な顔をされました。




◆酒井宏樹らと対戦心待ち、昌子「強い覚悟」一問一答(ニッカン)






◆【鹿島】昌子の仏移籍に小笠原「試合見に行く」ジーコ氏「鹿島の魂忘れるな」移籍金は約4億(報知)



昌子源 Gen.Shoji


 鹿島は29日、DF昌子源(26)がフランス1部・トゥールーズに移籍することで基本合意に達したと発表した。年明けに出発し、メディカルチェックを経て3年半の正式契約を結ぶ見通し。移籍金は推定約300万ユーロ(約3億8千万円)。茨城・鹿嶋市内で取材に応じた昌子は「鹿島で習ったことを全てぶつけたい」と意気込んだ。

 移籍の背景には、ロシアW杯で経験した悔しさがある。決勝トーナメント1回戦ベルギー戦。CKのチャンスから一転、高速カウンターで決勝点を許した。わずか12秒で自陣ゴール前に戻った昌子だが、スライディングは50センチ届かなかった。「ちょっとしたことでは絶対埋まらない。色んなことを経験しないと埋まらない」。レベルアップを目指し、海を渡ることを決断した。

 今季限りで引退するMF小笠原満男(39)から「おまえのところの試合、見に行くよ」、ジーコ・テクニカルディレクターからは「鹿島の魂を忘れるな」と激励を受けた。早ければ1月12日の第20節ストラスバーグ戦がデビュー戦。「自信と強い気持ちを持っていく」と力を込めた。(岡島 智哉)




◆【鹿島】昌子の仏移籍に小笠原「試合見に行く」ジーコ氏「鹿島の魂忘れるな」移籍金は約4億(報知)





◆仏移籍の昌子示す日本人CBの可能性「自信がある」(ニッカン)



昌子源 Gen.Shoji


仏1部トゥールーズに完全移籍することが発表された、鹿島アントラーズDF昌子源(26)が29日、鹿島市内のクラブハウスで報道陣の取材に応じた。

今夏にも同クラブからオファーを受けていたが、鈴木満強化部長の「今の鹿島にはお前が必要だ」との言葉に胸を打たれ残留。クラブに悲願のACLのタイトルをもたらし、満を持して欧州に挑戦する。

新たな戦いの舞台となるフランスリーグのイメージを聞かれると、「ヨーロッパのリーグではあるけど、アフリカ系の選手が多いイメージ。ドイツや他のヨーロッパのリーグとは違う、センターバックには厳しいリーグなんじゃないかな」。「(W杯で)セネガルのFWニヤン選手とやったときに、この選手はやばいと思った。毎週そういう選手とできる」と、屈強な相手との対戦を心待ちにした。

移籍先のトゥールーズは、ワールドカップ(W杯)ロシア大会で昌子が堂々としたパフォーマンスを見せていたことを受け、オファーをしたという。「『ヨーロッパでもやっていない選手が、あれだけ堂々と自分を出せるのは素晴らしかった』と言ってもらいましたし、『能力はもちろん申し分ない』と言ってもらったのがうれしかったですね」と話した。

移籍の決め手となったのは、引退を発表したMF小笠原の言葉。ACLのタイトルをもたらし、移籍金としてお金も残すなど、クラブから受けた恩をきっちり返してから出て行く姿勢を褒められたという。「小笠原キャプテンの『自分で勝ち取ったオファーだろ』というのが自分の中ですごく響いた。挑戦して、サッカー選手だけでなく人としても成長したい」と息巻いた。

また「自信があって、強い気持ちを持って行く。日本人のセンターバックはなかなか海外で成功しないと言われるけど、182センチと世界では小柄な選手でもできるっていうのは、日本人だけでなくアジア人、東洋人としても誇らしいこと。そうなれるように、鹿島で習ったことをすべてぶつけたい」と話し、胸を張った。


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◆仏移籍の昌子示す日本人CBの可能性「自信がある」(ニッカン)


◆昌子、仏1部トゥールーズ移籍「世界を止められる選手に」(サンスポ)



昌子源 Gen.Shoji


 J1鹿島は29日、元日本代表DF昌子源(26)がフランス1部、トゥールーズに移籍することで両クラブが合意したと発表した。年明けに出発し、身体検査などを経て3年半の正式契約を結ぶ見通し。昌子は茨城・鹿嶋市のクラブハウスで決意を語った。

 初のW杯で味わった悔しさを胸に海を渡る。フランスへの移籍を発表した鹿島DF昌子は、晴れやかな笑みをたたえた。

 「自信と強い気持ちを持っていく。鹿島で習ったことを全てぶつけたい」

 今年のW杯ロシア大会は、国内組最多の3試合にフル出場。トゥールーズ側は「W杯で堂々とプレーできる精神力は並大抵ではない」と、夏場に続いて冬に再オファーを出した。300万ユーロ(約3億8000万円)前後の移籍金を出し、現地では通訳も付ける手厚い待遇だ。

 決断の決め手は、あと一歩で8強入りを逃したベルギー戦だ。2-2の後半ロスタイムに日本のCKから高速カウンターを浴び、12秒で失点。「世界を止められる選手になりたい」と決意した。今季で引退した小笠原満男(39)にも「迷わずいけよ」と背中を押された。大きく成長し、再びW杯の舞台に立つ。

昌子 源(しょうじ・げん)

 1992(平成4)年12月11日生まれ、26歳。神戸市出身。G大阪ジュニアユースから2008年に鳥取・米子北高へ。3年時に全国選手権出場。11年に鹿島入り。14年に日本代表に初選出され、15年3月のウズベキスタン戦でA代表デビュー。父はS級コーチの資格を持つ力氏。姉はモデル・女優のカエデ。J1今季16試合1得点。同通算157試合8得点。代表通算15試合1得点。1メートル82、74キロ。

トゥールーズ

 フランス南西部トゥールーズに本拠地を置く同国1部のクラブ。1970年に創立。クラブカラーは紫と白。1部での最高位は1986-87シーズンの3位。国内タイトルはない。ホームスタジアムは3万3150人収容のスタッド・ムニシパル。98年W杯フランス大会優勝メンバーのDFバンサン・カンデラがクラブOB。




◆昌子、仏1部トゥールーズ移籍「世界を止められる選手に」(サンスポ)





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