日刊鹿島アントラーズニュース

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2017年10月6日金曜日

◇神戸が浦和・MF柏木獲りへ!中盤のパサーに白羽の矢(サンスポ)


神戸が浦和・MF柏木獲りへ!中盤のパサーに白羽の矢

 J1神戸が浦和の元日本代表MF柏木陽介(29)の獲得に動いていることが5日、分かった。初タイトルを掲げながら低迷した今季からの巻き返しを目指し、早々と動き出す。

 今季は開幕前の大型補強に加え、元ドイツ代表FWルーカス・ポドルスキ(32)を獲得するなどして初タイトルに向けて体制を整えたが、28節を終えて10位とリーグ初制覇の可能性は消滅。ルヴァン杯も8強で敗退し、残すタイトルは8強に残っている天皇杯のみとなった。

 8月にネルシーニョ監督を解任し、吉田孝行監督(40)に託した中で、ポドルスキを“司令塔化”する戦術が功を奏し、ここ5戦は4勝1分けと立て直しつつある。それでもクラブは世界的スターにストライカーの働きを期待しており、関係者は「中盤のパサーが必要」と補強の必要性を感じていた。柏木は広島ユースで育ったが、神戸市出身という縁もあり、白羽の矢を立てた。

 さらに神戸は前浦和監督のミハイロ・ペトロビッチ氏(59)を来季の監督候補に挙げており、実現すれば再び師弟関係となる可能性もある。悲願の初タイトルを目指し、万策を尽くす。

柏木 陽介(かしわぎ・ようすけ)
 1987(昭和62)年12月15日生まれ、29歳。神戸市出身。広島ユースから2006年にトップチーム昇格。同年7月22日の千葉戦でリーグ初出場、同年8月23日のG大阪戦で同初得点。10年に浦和に加入。J1今季21試合5得点、同通算330試合55得点。J2通算31試合4得点。代表通算11試合0得点。昨年3月に元TBSの佐藤渚アナウンサー(29)と結婚した。1メートル76、73キロ。

神戸が浦和・MF柏木獲りへ!中盤のパサーに白羽の矢

◇ハリル監督、体脂肪率12%以上は“排除”も「準備していない者は…」(サンスポ)


ハリル監督、体脂肪率12%以上は“排除”も「準備していない者は…」(1)

 サッカー・日本代表公式練習(5日、豊田スタジアム)ハリルホジッチ監督は、3日のミーティングでW杯へ臨む心得を選手に説いたと説明。「美しい大会だが、準備をしないとフラストレーションがたまる。屈辱を感じるだろう」と危機感をあおった。また、注意している体脂肪率12%のラインをオーバーした選手がいたようで、「準備していない者はリストに入ることはない」と最後通告を突き付けた。

ハリル監督、体脂肪率12%以上は“排除”も「準備していない者は…」

◆【YOUNG GUNS TALK -LEGENDARY EDITION-/第1回】鈴木隆行氏が“若手時代”や“現代の若手”を語る(GOAL)




Jリーグのレジェンドが“若手時代”や“現代の若手”を語るひととき「YOUNG GUNS TALK -legendary edition-」。第1回は現役時代に鹿島アントラーズなどで活躍した鈴木隆行氏。

■プロに入ってから6年近く、ほとんど試合に出られなかった

――鈴木さんがJリーグでデビューしたのは何歳の時でしたか?

「高校を卒業して、すぐに鹿島アントラーズに入って、2年目の時だから、20歳の時でしたね。相手は柏レイソルで、途中出場でした。緊張して、まったく身体が動かなかったのを覚えています」

――若手の頃はどういった選手だったのでしょうか?

「僕は若い頃、ずっと試合に出られていなかったので、自分がどういう特徴を持ってサッカーをやれるのかっていうのが、あまりよく分かっていなかったですね。ただ実力的には、あまり自信がなかったんですが、気持ちだけは負けないという自信だけは、なんとなく持っていました」

――試合に出られていないなかで、試合に出ている先輩たちのことはどういう風に見ていました?

「僕が18歳で入った時に、当時の鹿島のスタメンは、ほとんどがブラジル代表か日本代表の選手だったんですよ。なので、すごくレベルが高かったですね。だから、当然自分が競い合っていかなくてはいけないんだけど、尊敬というか、本当にこの人たちはすごいなっていう目で見ていましたね」

――引きずり下ろしてやろうという野心はありました?

「そこはもちろんありました。実力的にはまだまだと分かっていましたけど、こういう選手たちを越えていきたいという強い気持ちはずっと持っていました」

――その後、日本代表に選ばれ、ワールドカップでも活躍されましたが、どういった努力をされてきたのでしょうか?

「僕はプロに入ってから6年近く、ほとんど試合に出られなかったです。でも常にクビになるかもしれないという厳しい状況に置かれながらも、腐らずに頑張って、試合に出て活躍できるような準備をずっとしてたんですね。

どんなに自分が追い込まれても、苦しい状況になっても、絶望的な状況になっても、とにかく準備だけはしっかりしようと。その準備があったから、ちょっとしてきっかけでチャンスを与えられて、そのチャンスをものにできたんだと思います」

――どういうきっかけがあったんでしょうか?

「本当にたまたまだったんですよ。鹿島で試合に出られなかったので、川崎フロンターレにレンタル移籍したんです。でも、最初は少し出られたんですけど、そこでも試合に出られなくなってしまって。そしたら鹿島がFWが足りないってことで、半年で呼び戻してくれたんです。

その当時、リーグ戦で鹿島が1位でフロンターレが最下位だったんですよ。常識的に考えて、最下位のチームで試合に出ていない選手が、1位のチームに帰って試合に出られるわけがないじゃないですか。

でもなぜか、戻った週の試合で僕はスタメンだったんですよ。その試合でゴールを決められて、次の試合でもゴールを決めた。そこをきっかけに、急に試合に出られるようになったんです」

――準備してきたことが、ようやく実を結んだということですね。

「そうですね。今振り返れば、常にそういうチャンスが来るかもしれないと、取り組んできたことが良かったと思います。でも、そういうチャンスはそうないんですよ。諦めて、手を抜いてしまいかねないような状況にずっと置かれていたんですが、そこで我慢して、トレーニングをずっと続けていたので、チャンスをつかめたのかなと思いますね」

――試合に出られていない期間は辞めようとか考えたりは?

「辞めようとは思わなかったです。好きでやってきたことなので。でも辞めなきゃいけない状況に追い込まれることが怖かったですね。自分が大好きで続けてきて、それが職業になって、でも実力がないからそれを辞めなければいけなくなる。プロに入ってからは、ずっとその恐怖心はありましたね」

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■周りを気にする人は上に上がっていけないと思う

――選手生活を振り返って一番プレッシャーを感じたことはなんですか?

「いろいろありますけど、やっぱりワールドカップですかね。2002年の自国開催のワールドカップの時は、日本中から期待され、注目されていたので、絶対に結果を出さなきゃいけない状況に追い込まれていました。あの時は、一番プレッシャーを感じていたと思います」

――そのプレッシャーを、どのようにはねのけたのでしょう?

「どんなに苦しい状況になったとしても、自分は頑張れるってことを知っていたので、それが唯一の支えだったと思います」

――自分が頑張れると知っていたのは、なぜでしょう?

「苦しい状況に追い込まれても、頑張って結果を出していくことができる。そうやってプロとして続けてこれていたので、これだけ大きい大会だけど、でも、絶対に結果を出せると、強く思っていましたね。まあ、根拠はなかったですけど(笑)」

――若手時代にお世話になったり、お手本とした先輩はいますか?

「いっぱいいますけど、僕が鹿島に入団した当時は、本田(泰人)さんだったり、秋田(豊)さん、相馬(直樹)さん、奥野(僚右)さんもいて、とにかく一人ひとりが強かったですね。当然気持ちも強いし、練習も手を抜かずにしっかり取り組む。そういう人たちに凄く影響を受けました」

――鈴木さんが試合に出られない時、先輩たちは励ましたりしてくれるものですか?

「そんなの一切ないですよ。やっぱりプロななので、自分がどうのし上がっていくことしか考えていない。人を気にする余裕なんてほとんどないと思いますよ。逆に、周りを気にする人は上に上がっていけないと僕は思います。みんなライバルですから。本当に、鹿島の時はほんの少しの優しさもない人ばかりでした(笑)」

――プロはそうあるべきだと?

「そうですね。プロとして当然ですし、そういう気持ちじゃないと上に行けないと思います」

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■(若手は)強い気持ちと自己主張を持って

――すでに引退されていますが、今の若い選手にどういう印象を持っていますか?

「もう引退しているので接点はないですけど、昔と比べたら相当上手くなっていますよね。特に技術的な面は、レベルアップしていると思います」

――こういうところが理解できない、というような部分はありますか?

「理解できないことはないですけど、少しおとなしいなと。なんとなく、選手としてまとまっている感じはありますね」

――今の若手にアドバイスを送るとすれば?

「やっぱり、どうのし上がっていくか、という気持ちを強く持つことじゃないですか。自分のチームで試合に出ることだけじゃなく、海外に出ていったり、ヨーロッパのトップリーグで活躍することを目標にしている選手は多いと思いますが、おとなしかったら、まず勝ちぬくことはできない。すごい選手の集まりの中で、生き抜いていかないといけないわけですから、強い気持ちと自己主張を持って、臨む必要があると思います」

――技術は練習すれば身に付きますが、気持ちの部分も鍛えられるものですか?

「僕は逆だと思うんですよ。技術って、長い時間かけないと変えられない。でも気持ちは1秒で変えられますから。それほど難しいことではないんですよ。変わろうと思えば、変えていけるものだと、僕は思います」

――今、注目している若手はいますか?

「井手口(陽介)選手は、この前の代表戦でいいプレーしてましたね。守備もできて攻撃もできるような選手はなかなか出てこなかったじゃないですか。日本代表にとって、ああいう選手はこれから必要なんじゃないかなと思いましたね」

――今年から、始まった若手の活躍を讃えるTAG Heuer YOUNG GUNS AWARDについては、どう思いますか?

「僕はいい取り組みだと思います。当然、選手としては結果を出さなければいけないのが前提としてありますけど、どういうことでもきっかけがあったほうが、選手としてはいいですし、この賞をきっかけに上に行けるのであれば、それはすごく良いことだと思います」

――現役の時に、この賞があったらどうでしたか?

「当然、取りたかったですね。若手の枠の中で自分が一番になりたいと思うわけですから、もしあれば取りに行っていたと思います」

――この賞には「革新は、いつだって若い世代から生まれる」というキャッチコピーがあります。これに関しては、どう思われますか?

「基本的に、若手が作り出すことのほうが多いですよね。エネルギーもあるし、そういうものを作るパワーはどうしても若い子になる。もちろん、ベテランが生み出してもいいとは思いますけどね」

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【TAG Heuer YOUNG GUNS AWARD】 

Jリーグの次世代を担う若い選手層の育成・Jリーグの発展を目的に、各メディア・著名人など、本企画に賛同するアワード サポーターが、J1、J2、J3のクラブに登録されているU-23選手の中から候補者30名を選出。その後、一般投票を含む最終選考にて11名を選抜、2017年12月に表彰する。




【YOUNG GUNS TALK -LEGENDARY EDITION-/第1回】鈴木隆行氏が“若手時代”や“現代の若手”を語る

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