日刊鹿島アントラーズニュース

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2015年2月9日月曜日

◇鹿島学園・広瀬監督、韓国デジタル大監督に(報知)


http://www.hochi.co.jp/soccer/national/20150208-OHT1T50152.html

 茨城・鹿島学園サッカー部総監督の広瀬龍氏(58)が、韓国大学リーグ(Uリーグ)に今春から初参戦するソウル・デジタル大のサッカー部監督に就任することが9日、分かった。同リーグ初となる外国人監督として、3月から始まる同リーグで指揮を執る。同時に、下部組織の強豪ユースクラブチームの総監督にも就任する。

 広瀬氏は、帝京高3年時の1974年度全国高校選手権で初優勝した時の主将で、FWとして活躍。その後、中大でも主将を務めリーグ優勝に貢献。フジタ工業(現・湘南)ではリーグ戦、天皇杯で日本一を経験するなど日本代表選手候補だった。

 現役引退後、88年に山梨・帝京三の監督に就任し、創部3年目で全国高校選手権に導き、その後は帝京大、母校・帝京の監督、13年4月から鹿島学園の総監督を務めた。また、日本サッカー協会のS級ライセンスも取得済みだ。

 ソウル・デジタル大は、01年に設立。学期毎に科目を受講して単位を取得でき、取得単位により大学編入も可能な遠隔教育機関。Uリーグに新規参戦する同大学が、広瀬監督の現役時代の経歴に加え、高校と大学の指導者として多くの選手を育成した点などから、新たな歴史をつくるのに適任者と判断し契約を結んだ。

 広瀬氏は「監督のオファーを聞いた瞬間、肯定的に考えていた。韓国にも良い指導者が多いが、私の経験を活かして選手たちと一緒に良いチームを作りたい」と、新たな挑戦を心待ちにしている。

◆C大阪、百戦錬磨の知将・アウトゥオリ新監督に求められるものとは?(サンスポ)


http://www.sanspo.com/soccer/news/20150207/jle15020717030003-n1.html



 2月2日から行っていた和歌山での第1次キャンプを6日に打ち上げたセレッソ大阪。山口蛍と扇原貴宏が正式に契約を延長してチーム残留が確定し、合流が遅れていたディエゴ・フォルランもチームに加わるなど、3月8日のJ2開幕・東京ヴェルディ戦に向けての強化が着々と進んでいるようだ。

 1年でのJ1復帰を託されたのは、母国・ブラジルを筆頭に、ポルトガル、ペルー、日本、カタールで指揮を執ったことのある百戦錬磨の知将、パウロ・アウトゥオリ監督。同指揮官はご存じの通り、2006年に鹿島アントラーズを1年間指揮している。その際には、清水東高校から加入したばかりの新人・内田篤人(シャルケ)をいきなり開幕スタメンに抜擢する大胆采配を披露。彼が19歳で日本代表デビューするベースを作った。加えて、まだ成長途上にあった興梠慎三(浦和)や田代有三(前神戸)らにも積極的にチャンスを与え、前任のトニーニョ・セレーゾ監督(現鹿島)が作った底上げを図ろうとも試みた。シーズン途中にチームの大黒柱である小笠原満男がイタリア・セリエAのメッシーナへ移籍したこともあって、リーグ戦の成績自体は6位に沈んだが、次のオズワルド・オリヴェイラ監督(現パルメイラス)がリーグ3連覇を果たす礎を築いた側面もあったと言える。

 今のセレッソにもアカデミー出身の山口蛍、扇原貴宏、丸橋祐介といった20代半ばの選手、ユース上がりの阪本将基、沖野将基ら若手と大きく伸びてもらわなければならない選手たちがいるだけに、大胆な抜擢は大いに歓迎だ。若い力の台頭は日本サッカー界全体の課題。それを指揮官が率先してやってくれれば、セレッソから日の丸を背負う選手がさらに育っていくだろう。アウトゥオリ監督への期待はそういう意味でも高いのだ。

 このブラジル人指揮官がどれだけ安定したチーム作りを進められるかで、今季のセレッソの成否が決まると言っても過言ではない。実際、振り返ってみると、昨季はセルビア出身のランコ・ポポヴィッチ監督(現レアル・サラゴサ監督)に始まり、ドイツ出身のマルコ・ペッツァイオリ監督(現広州恒大U-17監督兼ユースディレクター)、セレッソU-18を長年指揮した大熊裕司監督と3人もの指揮官が率いることになり、チームが激しく揺れ動いた。シーズン中に2度も監督交代という大ナタが振るわれるのは異常事態。戦術やフォーメーション、選手起用が一定せず、チーム全体が混乱したままだった。

 この状況は昨季3冠を獲得したガンバ大阪が長谷川健太監督体制で2年間しっかりと土台を作って成功を収めたのとまさに対照的だった。セレッソもJ1・4位に入った2013年は長年チームを率いたレヴィー・クルピ監督のスタイルが浸透し、柿谷曜一朗(現バーゼル)や山口蛍らが劇的な飛躍を遂げている。そういう安定感を取り戻すべく、アウトゥオリ監督にはブレないチーム作りを進めてもらう必要がある。

 和歌山キャンプはフィジカル強化中心で、戦術的な部分はこれからが本番だと見られるが、とにかくJ2はインテンシティー(強度)の高いリーグ。昨季2位に入ってJ1初昇格をつかんだ松本山雅の反町康治監督も「J1とJ2は全く別のリーグだと考えた方がいい」と口癖のように強調していた。昨季昇格を果たした湘南ベルマーレ、松本山雅、モンテディオ山形はいずれも豊富な運動量とスピーディーな攻守の切り替え、タテへの速さを武器とするチーム。彼らの成功を目の当たりにした多くのJ2クラブが似たような方向性で戦ってくることは十分考えられる。

 そういう中、際立ったタレント集団のセレッソがこれまで通りのJ1基準を前面に押し出そうとするのはやや危険かもしれない。実際にジェフユナイテッド千葉や京都サンガ、昨季プレーオフで敗れたジュビロ磐田など、J1同等以上の戦力を誇りながらJ1復帰できていないチームもいくつかある。アウトゥオリ監督は昨季磐田を率いたペリクレス・シャムスカ監督が犯した過ちを繰り返してはいけない。対戦相手の出方をしっかりと分析しながら、戦い方を変化させられるような柔軟性を持つべきだ。

 選手たちも、いかにしてJ2基準に頭を切り替えるかが肝要だろう。チームの軸を担うと見られる山口蛍や扇原、長谷川アーリアジャスール、玉田圭司らはJ1経験は豊富だがJ2には慣れていないし、フォルランやカカウ、パブロ・フェリペといった外国人選手たちも独特の環境に戸惑うかもしれない。そこでアウトゥオリ監督が的確なビジョンを示し、選手たちを正しい方向へと導くことができれば、セレッソは必ず1年でJ1に復帰できるはずだ。

 J2屈指の選手層を誇る彼らはその大目標を果たす責務がある。熱心に応援してくれるサポーターを2年連続で失望させることだけは許されない。(Goal.com)

文/元川悦子

 1967年長野県松本市生まれ。94年からサッカー取材に携わる。Jリーグ、日本代表、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は練習にせっせと通い、ア ウェー戦も全て現地取材している。近著に「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由」(カンゼン刊)がある。

◆ジーコ氏、アギーレ氏解任騒動で批判「過去を調べていなかった協会のミス」(報知)


http://www.hochi.co.jp/soccer/japan/20150209-OHT1T50046.html



 元ブラジル代表で2002~06年に日本代表監督を務めたジーコ氏(61)が、8日放送のTBS系「S☆1」(深夜0時)に出演。アギーレ氏の解任騒動について「アギーレの過去を調べていなかった協会のミス」と日本サッカー協会を批判した。

 番組ではジーコ氏の独占インタビューを放送した。日本をよく知るジーコ氏は「日本人は契約を守る人々。疑惑のニュースが出るだけで日本文化には良くない」とコメント。次期監督については「日本のことをよく知っていることが大事。日本での経験を積んだ人が次の監督になるべき」と提言した。

 また、J1鹿島でプレーし、インテル(イタリア)などで監督を務めたレオナルド氏(45)についても言及。「レオナルドは愛着のある日本代表監督をやりたいようだ」と愛弟子の気持ちを代弁し、「彼は世界でも厳しいリーグを経験している。セリエAのACミラン、インテルの監督を務めた経験が役に立つ」と推した。

 さらにジーコ氏は人選について「サポーターの声を聞くべきではない。次の監督は代表チームにとって何か良いかを考えて選ぶべき」と世論に惑わされよう釘を刺した。

◆大迫&長沢 後半途中出場も不発 大迫「枠に飛ばしきれず悔しい」(スポニチ)


http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2015/02/09/kiji/K20150209009776500.html

ブンデスリーガ第20節 ケルン0―0バーダーボルン (2月7日)

 ケルンFW大迫とMF長沢は後半に途中出場したが、ホームで引き分けに終わった。後半12分に1トップに入った大迫は積極的な動きで活性化したが、唯一放ったシュートは相手DFにクリアされ「枠に飛ばしきることができず悔しい」と話した。

 再三ホームの歓声を浴びた長沢も相手3人に囲まれながら鮮やかなシュートを放つなど奮闘したものの無得点。「持ち味を出そうと心掛けたが得点に結び付けられなかった」と振り返った。

◆内田、悪夢の右太もも負傷から1年「めっちゃ怖かった」(報知)


http://www.hochi.co.jp/soccer/world/20150207-OHT1T50231.html



 ◆ドイツ・ブンデスリーガ シャルケ04 1-0ボルシアMG(6日、ヴェルティンス・アレーナ)

 【ゲルゼンキルヘン(ドイツ)6日=鷲見由起子】1月のアジア杯を故障で辞退したDF内田篤人(26)のシャルケ04は、ホームでボルシアMGを1―0で下し、暫定3位に浮上した。右MFでフル出場した内田は、先月31日の後半戦開幕から7日間で3戦すべて90分間プレーし、2勝1分けと好発進に貢献した。昨年のブラジルW杯直前まで苦しんだ右太ももの負傷から約1年。「めっちゃ怖かった」と話したが、好守を披露した。

 ハードなスケジュールも、内田には関係なかった。本拠で3位のボルシアMGに完封勝ち。「きれいじゃないけど、点を取って守る。最後はスタジアム(の雰囲気)に乗せられて頑張る。勝ち点3は3」。大黒柱のオランダ代表FWフンテラールを出場停止で欠いたものの、速攻が得意な相手にほとんどチャンスを与えず、前半10分の先制点を守り切った。暫定ながら、欧州CLにダイレクトで出場権を得られる3位に浮上した。

 1―0で勝った先月31日の後半戦初戦(ハノーバー96)から、3日に王者バイエルンと1―1のドローを挟み、連続で中2日だった。「まあ、普通っす。もう5年もやってるからね」。7日間で3試合。報道陣から「勝てたのは大きい?」と聞かれた内田は言った。「本当にそう。明日(7日)から2連休です。ホントは休みは1日だけだったけど」。冬季中断期間が明けて3戦で勝ち点7で、監督から“ごほうび”でオフが1日増えたようだ。「(2日間は)何もしない。疲れてるわけじゃないよ」と笑った。

 何度も故障に見舞われた26歳にとって、冬の寒さは敵だ。昨年2月9日(対ハノーバー96)に右太もも裏を負傷。何とかブラジルW杯に間に合わせたが、厳しいリハビリも経験した。この日の試合でほぼ1年が経過し、「きょうはめっちゃ怖かった」という。右膝の状態もあってアジア杯は無念の辞退。今でも右脚を丁寧にケアしており、試合前日には痛み止めを飲む。「調子のいい時なんてないから。ベストでやれるなんて思ってない」。悲壮な覚悟で世界トップクラスのリーグを乗り切っていく。

◆【千葉】元代表・鈴木が正式加入「結果で返したい」(報知)


http://www.hochi.co.jp/soccer/national/20150208-OHT1T50079.html

 J2千葉は8日、昨季限りでJ2水戸を退団した元日本代表FWの鈴木隆行(38)を獲得したと発表した。鈴木は練習生として1月19日の千葉の始動からチームに合流。今月3日までの沖縄キャンプにも帯同していた。この日クラブを通じ、「引退するかどうか迷っていた部分もありましたが、また拾っていただき、プレーすることになりました。こんなにチームに感謝することはなかったし、結果で返したい」とコメントした。

 今回の加入は鹿島のコーチ時代に指導した関塚隆監督との縁も大きかった。練習初日には、「今週いっぱいか、キャンプも見るかもしれない。(FWは)手薄なポジションでもあるので」と同監督は期待を寄せていた。

 鈴木は1995年に茨城・日立工高から鹿島に入団。2002年の日韓W杯では1次リーグ初戦のベルギー戦では同点ゴールを爪先で決めて日本のW杯初の勝ち点獲得に貢献した。02年7月から06年まではベルギー、セルビアなど海外でプレーしていた。

◆元日本代表FW鈴木隆行が千葉に加入「引退するかどうか迷ったけど…」(ゲキサカ)


http://web.gekisaka.jp/news/detail/?156848-156848-fl



 ジェフユナイテッド千葉は8日、昨季まで水戸ホーリーホックに所属していた元日本代表FW鈴木隆行が完全移籍で加入することが決まったと発表した。

 日本代表としても55試合の出場歴を持つ38歳の鈴木は2011年に水戸に加入。本人の意向により、入団当初は無報酬のアマチュア契約でプレーした。水戸での過去4シーズンはJ2で126試合に出場し、24得点を記録。昨季は33試合に出場して3得点を挙げていたが、昨年11月に契約満了により退団が発表されていた。

 鈴木はクラブを通じて「引退するかどうか迷っていた部分もありましたが、また拾っていただき、プレーすることとなりました」とコメント。「今まで、こんなにチームに感謝したことはなかったし、結果で返したいと強く思っています。優勝するために、自分の持っているものをすべて出し、命がけで戦いたいと思います。ぜひその姿を見に来てください!」と決意を述べている。

以下、プロフィール

●FW鈴木隆行
(すずき・たかゆき)
■生年月日
1976年6月5日(38歳)
■身長/体重
182cm/75kg
■出身地
茨城県
■経歴
92-95年:日立工高
95-05年:鹿島
・97年3-9月:CFZ・ド・リオ(ブラジル)
・98年8月-99年1月:市原
・99年2-9月:CFZ・ド・リオ(ブラジル)
・00年2-8月:川崎F
・02年7月-03年6月:ゲンク(ベルギー)
・03年8月-04年6月:ヒュースデン・ゾルダー(ベルギー)
06年:レッドスター(セルビア)
07年:横浜FM
08-10年:ポートランド・ティンバーズ(アメリカ)
11年6月-14年:水戸ホーリーホック
■代表歴
01-05年:日本代表(国際Aマッチ55試合11得点)
■今季出場記録
J2:33試合3得点
天皇杯:2試合0得点
■通算出場記録
J1:108試合17得点
J2:126試合24得点
カップ戦:18試合4得点
天皇杯:23試合7得点

◆元日本代表FW鈴木隆行が17年ぶりの千葉復帰「引退するか迷っていた」(サッカーキング)


http://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20150208/278558.html


千葉への復帰が決まった鈴木隆行 [写真]=Getty Images


 ジェフユナイテッド千葉は8日、元日本代表FW鈴木隆行が加入することを発表した。

 移籍に際して鈴木はクラブを通じて以下のようにコメントしている。

「このたびジェフと契約することになりました。引退するかどうか迷っていた部分もありましたが、また拾っていただき、プレーすることとなりました。今まで、こんなにチームに感謝したことは無かったし、結果で返したいと強く思っています。優勝するために、自分の持っているものを全て出し、命がけで戦いたいと思います。ぜひその姿を見に来てください!」

 現在38歳の鈴木は、1995年に日立工業高から鹿島アントラーズに入団。加入後は期限付き移籍を繰り返し、ブラジルのCFZ・ド・リオやジェフユナイテッド市原(当時)、川崎フロンターレでプレー。2000年途中に川崎から鹿島に復帰すると、同年の国内三冠獲得に大きく貢献した。

 翌2001年には日本代表にも初選出。コンフェデレーションズカップのカメルーン代表戦で2得点を挙げた。翌2002年の日韓ワールドカップのメンバーにも名を連ね、グループステージ第1節のベルギー代表戦では同点弾を記録。大会終了後にベルギーのゲンクへ移籍した。

 ゲンクではチャンピオンズリーグにも出場。2003年にベルギーのゾルダーへ移籍した後、2004年に鹿島へ復帰した。2006年にはセルビアのレッドスターへ移籍し、2007年には横浜F・マリノスへ。同年末までプレーした後、2008年からはアメリカのポートランド・ティンバーズへ移籍した。2010年にティンバーズを退団すると同時に1度引退を決意。しかし東日本大震災によって被災した地元、茨城県の復興に貢献したいという思いから、2011年6月に水戸ホーリーホックに加入していた。水戸に所属したまま迎えた2014シーズンはJ2で33試合出場3得点、天皇杯2試合出場を記録した。

 キャリア通算では、J1で108試合出場17得点、J2で126試合出場24得点、ヤマザキナビスコカップで18試合出場4得点、天皇杯で23試合出場7得点を記録している。

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