
日刊鹿島アントラーズニュース
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2018年2月2日金曜日
◆山形、DF山田拓巳がキャプテン就任…副主将は本田拓也ら3選手(サッカーキング)

モンテディオ山形は2月1日、2018シーズンのキャプテンと副キャプテンが決定したと発表した。
キャプテンを務めるのはDF山田拓巳。現在28歳の同選手は2008年に市立船橋高校から山形へ加入し、同クラブ一筋でプレーを続けている。昨季は明治安田生命J2リーグで全42試合中32試合に出場して1得点を挙げた。
キャプテン就任にあたって、山田は以下のようにコメントしている。
「今シーズンキャプテンを務めさせていただくことになりました。僕自身キャプテンというのは初めての経験ですが、10年以上このクラブにいてたくさんの尊敬できる先輩たちを見てきましたし、いろいろな経験もしてきました。その中でやっぱり1番大事なのは選手、スタッフ、ファン、サポーター、みんなが同じ方向を向き一丸となって戦うことだと思いました。簡単なことではないですが、今シーズンいい時もそうではない時も、どんな時もぶれることなくチームとして戦っていけるように全力で頑張っていくので、皆さんも共に戦い、後押ししていただければ嬉しいです。よろしくお願いします」
また、副キャプテンには3選手が就任。それぞれ、以下のようにコメントしている。
■DFジャイロ・ロドリゲス
「副キャプテンという役割を任されて、とても嬉しく思います。山田キャプテンのサポートを始め、チームを引っ張れるように毎日精一杯頑張りますので、応援よろしくお願いします」
■FW瀬沼優司
「2018シーズン副キャプテンを務めさせていただくことになりました。今年チームが目標を達成するためには、本当に選手・サポーターが一体になる必要があると思います。良い時も悪い時もあるかと思いますが、常にキャプテンを支えチームの事を考えて行動していきたいと思います。よろしくお願い致します」
■MF本田拓也
「山田キャプテンをしっかりサポートして、J1に昇格できるよう一生懸命頑張ります。モンテディオを支えるみんなで、ひとつになって戦っていきましょう!」
山形、DF山田拓巳がキャプテン就任…副主将は本田拓也ら3選手
◆自分は「谷間の中の谷間」。岩政大樹、独自のキャリアを歩み生まれた自信【谷間の世代と呼ばれて】(フットボールチャンネル)

1979年生まれ組が「黄金世代」と称される一方で、「谷間の世代」と呼ばれていた1981年世代。ワールドユース(現U-20W杯)や五輪ではグループステージ敗退を経験したが、2010年の南アフリカW杯では決勝トーナメントに進出した日本代表チームで軸となる世代となり、今なおJクラブで主力を担う選手たちもいる。鹿島アントラーズ、タイのBECテロ・サーサナ、ファジアーノ岡山を経て現在関東1部の東京ユナイテッドFCでプレーする元日本代表DF岩政大樹は、自身のキャリアについてどのような思いを抱いているのだろうか。(取材・文:元川悦子)
大きな壁だった「黄金世代」
「谷間の世代」と称された81年生まれの世代にとって、79年生まれの「黄金世代」はつねに大きな壁として立ちはだかった。
黄金世代の象徴的存在である小野伸二(札幌)が18歳で98年フランスワールドカップ出場を果たし、彼がキャプテンマークを巻いた99年ワールドユース(ナイジェリア)で日本は準優勝の快挙を達成。
この1つ上のユース世代である宮本恒靖(G大阪U-23監督)、柳沢敦(鹿島コーチ)、中村俊輔(磐田)らと黄金世代が融合した2000年シドニー五輪では8強入りと、少し年長の選手たちが日本サッカーの歴史を次々と塗り替えてきたからだ。
それを目の前で見せつけられた81年組は、どこか劣等感に近いものを抱き続けてきたのではないだろうか……。
そういった構図が常勝軍団・鹿島アントラーズの中にも少なからずあった。小笠原満男、曽ケ端準、中田浩二(鹿島CRO)、本山雅志(北九州)、山口武士(エンフレンテ熊本コーチ)、中村祥朗の「V6」と呼ばれた面々が98年に入団。
山口と中村が去った後の2002年には石川竜也(山形コーチ)、2003年には新井場徹(エージェント)が加入するなど、2000年代の鹿島は彼らに支えられていたと言っても過言ではない。それほど絶大な影響力を誇っていた。
となると、黄金世代より少し年下の世代はどうしても難しい立場に置かれる。ユース上がりの野沢拓也(仙台)や根本裕一(鹿島つくばジュニアユース監督)、大卒の深井正樹(千葉普及部コーチ)、ケガを繰り返した羽田憲司(鹿島コーチ)、金古聖司らはどこかやりづらさを覚えていたはずだ。
2001年入団で15年間鹿島で過ごした青木剛(熊本)でさえも「黄金世代の選手たちはつねに前向きで自信に溢れている」と羨望の眼差しで見ていたほど。その壁はやはり高かった。
「僕が鹿島入りした2004年頃は満男さんたち黄金世代がチームを軸を担っていました。フロントもサポーターも彼らへの信頼と期待が大きかったので、僕らすぐ下の世代は『彼らの陰』という位置づけにならざるを得なかった。
(オズワルド・)オリヴェイラ監督時代の2007~2009年にかけてのJリーグ3連覇の時も、タク(野沢)や自分も頑張ったとは思いますけど、やっぱり看板は黄金世代でしたからね」と話すのは、岩政大樹(東京ユナイテッド)。ご存知の通り、2004~2013年まで常勝軍団に在籍し、全19冠のうち7冠獲得に貢献した元日本代表DFである。
「(代表で)心地よくプレーできたことは一度もない」

82年1月生まれの岩政も「谷間の世代」に属する選手だが、自身が「谷間の中の谷間」と自虐的に言うように、年代別代表経験が一度もない。それも鹿島の黄金世代に対する劣等感につながっていたのかもしれない。
「僕らの世代には(田中マルクス)闘莉王(京都)、那須(大亮=神戸)、阿部(勇樹=浦和)ちゃん、茂庭(照幸=C大阪)、羽田のように優れたDFが沢山いた。
その他のポジションを見ても、駒(野友一=福岡)ちゃんや山瀬(功治=福岡)、松井(大輔=横浜FC)、寿人(佐藤=名古屋)や前田(遼一=FC東京)と面白くていい選手が本当に多かった。
黄金世代ほどじゃないかもしれないけど、所属チームや日本サッカー界への貢献度の高い顔ぶれだったと感じます。
年代別代表で活躍してきた彼らとは対照的に、僕は一度もそういう経験をしないまま、プロになりました。ユース年代の頃は岩国高校という無名チームでやっていて、山口県2回戦止まり。
高校選手権優勝とかワールドユースを経験した同世代とは全くの別世界にいた。東京学芸大の時にはユニバーシアードに出ましたけど、それはまた違った経験ですよね。その後、A代表に呼ばれるようになって、一緒のテーブルで食事をすることも増えたけど、昔話に入れなくて困りました(苦笑)。
同じく年代別代表経験のない憲剛(中村=川崎)君といつもそんな話をしてたかな。2010年南アフリカワールドカップで1ヶ月くらいみんなと過ごして、やっと打ち解けましたけど、それでも心地よくプレーできたことは一度もない。
そんな自分ですから、鹿島で黄金世代に特別なオーラを感じるのも当然かもしれないですよね」と岩政は神妙な面持ちで語っていた。
他の選手と違うキャリアを歩むことで生まれた自信

鹿島が世代交代への動きを本格化させた2013年後半、岩政は控えに甘んじることが多くなった。「鹿島は『出て行ってくれ』とは言わないチーム。自分で自分の去り際を決めないといけない」という思いがあって、そのシーズンを最後に移籍を決意。
2014年1年間はタイ・プレミアリーグのBECテロ・サーサナに新天地を見出した。タイのメッシと言われるチャナティップ・ソンクラシン(札幌)ら若い選手に刺激を受けつつ、トヨタ・リーグカップ優勝の原動力となることに成功する。
異国の環境を体感し、選手として十分やれると自信を深めた彼は2015年からj2のファジアーノ岡山へ移籍。「2年でJ1に昇格させる」というタスクを自らに課す。その言葉通り、岡山は尻上がりに調子を上げ、2016年はJ6・6位でフィニッシュ。
J1昇格プレーオフでは3位だった松本山雅を準決勝で撃破し、決勝へと駒を進めた。が、セレッソ大阪とのラストゲームは本人も「完敗だった」と潔く認めるほどの力の差を見せつけられ、J1昇格の夢はついえた。
岡山のサポーターからは「残ってほしい」と強く慰留されたが、岩政は「1つのタスクが終わった」とキッパリ区切りをつけ、2017年から関東リーグ1部(5部相当)の東京ユナイテッドFCへ移籍。そこで選手と指導者を掛け持ちしながら、メディア露出やイベント参加、講演など多彩な活動も手掛けるようになった。
同年9月には「PITCH LEVEL 例えば攻撃がうまくいかないとき改善する方法」(KKベストセラーズ)という初の自著も出版。「ライターの名刺も作ろうかな」と笑うほど、八面六臂の活躍を見せている。
「鹿島を出て、タイや岡山、東京ユナイテッドに行って、他の選手とは違った道を歩んだことで、ようやく自分に自信が生まれたのかなと思います」と本人も語気を強めるように、独創的なキャリアを構築できるのが、「谷間の世代屈指のインテリ選手」の強み。そこはもっと胸を張るべきだ。
とはいえ、もちろん本業はサッカー選手。東京ユナイテッドのJFL昇格を目指して1シーズンを戦ったが、最終的には3位でフィニッシュ。地域リーグ決勝大会には進めなかった。
異色の元日本代表DFが描く日本サッカーの将来像
関東1部にはVONDS市原、ジョイフル本田つくば、東京23など強豪クラブがひしめいているが、地域決勝には1チームしか出られない。「日本サッカー界で最も狭き門」と言っても過言ではないほどの難易度の高さなのだ。
目標達成のために、東京ユナイテッドは岩政を前線のターゲットマンとして起用するなど、さまざまな策を講じてシーズンを戦った。
台風18号襲来で東京都内が豪雨に見舞われた2017年9月17日に小石川運動場で行われた横浜猛蹴とのゲームでも、前半は岩政が1トップで出場。打点の高いヘッドで再三チャンスを作っていた。
後半からは本来のDFに戻って後方からチームを統率。終了間際に退場者が出ても声を枯らして指示を出し続け、後半アディショナルタイムの決勝点を引き寄せる。決めたのは岩政ではなかったが、彼がもたらす安心感と存在感がなければ、悪天候に悪ピッチ、数的不利という苦境を乗り切れなかっただろう。
「関東リーグ1部で1シーズン戦って、日本サッカーのエリートじゃない環境を目の当たりにしましたけど、このレベルが上がれば日本全体ももっともっとレベルアップすると痛感しましたね。
下のカテゴリーの選手に足りないのは『自分で考えてサッカーをする』ということ。日本人はチームとしての約束事や戦術を愚直にやることには長けていますけど、自ら考えてアクションを起こすのは苦手。
今回の試合も0-0で終盤まで行って退場者が出たことで逆にチームにスイッチが入りましたけど、11対11の状況で誰が何をどう変えていくのか。そこを考えるのがサッカーの本質なんです。
技術や戦術よりも、個々の判断や決断といった部分の方が重要。カテゴリーが下がるとその不足がより顕著になってくる。そこを改善していくことが、日本を強くすることにつながると僕は思います」
「人と違う生き方」に強くこだわる岩政があえて違った目線から見たものは、必ずや日本サッカーの未来に活かされる。
2018年も東京ユナイテッドの一員としてプレーしながら下部リーグからの底上げを図っていくつもりだが、日本代表から関東リーグまで幅広くサッカーを見てきたこの男にできることは少なくないはず。岩政らしい独自性を大事にしつつ、異彩を放ち続けてほしいものだ。
(取材・文:元川悦子)
【了】
◆【鹿島】内田が同じ右サイドバック伊東に指導(報知)

鹿島のDF内田篤人(29)が31日、フォア・ザ・チームの精神を示した。茨城・鹿嶋市内で行われた全体練習後、同じ右サイドバックのDF伊東幸敏(24)に「ユキ、集合」と一声。身ぶり手ぶりを交えたマンツーマン指導を行い「1年間、一緒に戦っていこう」「高め合っていこう」と声をかけた。
伊東は「ライバルを蹴落とせばいいと考える人ではない。気持ちが伝わりました」と感謝を口にした。今季初陣のACL1次リーグ上海申花戦(14日・カシマ)まで残り2週間。内田は「今はコンディションを高める時期。しっかり調整していきたい」と力を込めた。
【鹿島】内田が同じ右サイドバック伊東に指導
◆内田塾開講、鹿島後輩同じ右SB伊東幸敏に継承作業(ニッカン)

鹿島アントラーズのDF内田篤人(29)が「塾」を開いた。1月31日、茨城県鹿嶋市内での練習後、クールダウンに入る際に「ユキ、集合!」と同じ右サイドバックで24歳の伊東幸敏を呼び止めた。グラウンドを一緒に4周する間、身ぶり手ぶりで言葉をかけ続けた。
伊東 篤人さんの気持ちが伝わってきました。ドイツでの話や自分のプレーを見て、こうした方がいいというアドバイス。『1年間、一緒に戦っていこうぜ』『高め合っていこうぜ』ということも言われました。
同じ位置の選手への助言。自分さえ出られれば、という考えは全くない。鹿島の伝統の継承作業だった。
伊東 そういう思いや伝統を本当に無駄にできない。そんな人間になりたいし、鹿島を引っ張っていけるような存在にならなきゃ。
内田塾開講、鹿島後輩同じ右SB伊東幸敏に継承作業

◆鹿島DF内田の“クラブ愛”右SB伊東激励「一緒に戦おう」(スポニチ)

その一コマに、チーム愛が詰まっていた。約2時間の午前練習後のジョギング。「ゆき、集合!」。鹿島のDF内田が、同じ右サイドバックの伊東幸敏に呼びかけた。本来なら蹴落としてもいいライバルのはず。だが、掛けた言葉は真逆だった。「一年間、一緒に戦っていこうぜ。一緒にサイドバックの質を上げていこう」。そしてプレーのアドバイスまで送った。
「篤人くんの気持ちは伝わった。(思いを)無駄にできない。この先、自分もそういう人間になりたい」と伊東。フォア・ザ・チームの精神が、タイトル奪回を目指すこのクラブにはあふれている。
鹿島DF内田の“クラブ愛”右SB伊東激励「一緒に戦おう」

◆鹿島 紅白戦妥協なし、MF小笠原「もっと厳しくやらないと」(スポニチ)

タイトルのため、チームづくりに妥協はしない。鹿島は3日のプレシーズンマッチ・J2水戸戦に向けて紅白戦を行った。28日に宮崎キャンプを終えて以降、戦術の落とし込みが進み、選手間の雰囲気も良好。1本目の主力組に入ったMF小笠原は、それでも「昨年以上のものをつくらないと。もっと厳しくやらないといけないし、もっとお互いに高いものを要求しないと勝っていけない」とさらなる切磋琢磨(せっさたくま)を強く求めた。
昨季、全タイトルを逃した経験がそうさせる。常勝のイズムを知るDF内田も加わり「お互いに感じることがある」と小笠原。甘えも言い訳も口にしない主将の言葉で、凍えるような鹿嶋の空気がさらに引き締まった。
鹿島 紅白戦妥協なし、MF小笠原「もっと厳しくやらないと」
◆鹿島小笠原タイトル奪還へ「お互いに高いモノ要求」(ニッカン)

鹿島アントラーズは1日、茨城県鹿嶋市内で紅白戦を行った。
14日には今季初戦となるACL(対上海申花)が始まる。
1本目で主力のボランチを務めたMF小笠原満男(38)は、3年ぶりの無冠に終わった昨季を反省し「昨年以上のものをつくらないといけないし、もっと厳しくやらないといけない。お互いに高いモノを要求しないと勝っていけないから」と厳しい姿勢を崩すことはなかった。
同じく1本目で主力の右MFを務めた遠藤康(29)も「(仕上がりは)いいとは思うが、始まってみないと分からない。いいと思っているときほど開幕からつまずいたりすることが多い。危機感を持ってやって良い」と言い聞かせた。
鹿島小笠原タイトル奪還へ「お互いに高いモノ要求」

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