日刊鹿島アントラーズニュース

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2022年12月27日火曜日

◆荒木遼太郎と塩越柚歩がこれまでのキャリアを通して語るサッカーの魅力と自身のストーリー(ゲキサカ)






 プロ3年目の今季、鹿島アントラーズで10番を背負ったU-21日本代表MF荒木遼太郎(20)。創設2年目を迎えたWEリーグの三菱重工浦和レッズレディースに所属し、昨夏の東京五輪メンバーでもあるMF塩越柚歩(25)。24年のパリ五輪を目指す荒木と、来年にFIFA女子W杯を控える塩越の2人が出演し、これまでのサッカー人生を振り返る動画が話題となっている。




「さあ、今こそ思いきりサッカーを楽しもう。2人のプロアスリートが語るサッカーストーリー」と題した動画の撮影時に2人が語ったこれまでのキャリアとサッカーの魅力とは――。そのインタビューの一部をここで紹介する。


――サッカーを始めたきっかけはなんですか?
荒木「最初は色々なスポーツをやっていたんですけど、お父さんが近くの小さなクラブチームで教えていたこともあり、通っていくうちに徐々にサッカー1本になっていきましたね」

――サッカーを始めたのは何歳ぐらいだったんですか?
荒木「年中、年少さんくらいでしたね」

――友達からはどういう風に言われていましたか?
荒木「同級生は意外とインドア派が多くて、家の中でゲームとかしている友達が多かったですね。なのでサッカーは年上の人に混ざってやっていました」

――同級生ではなく、クラブチーム以外でも年上のお友達と?
荒木「そうですね。年上に混ざった方が、みんな上手かったですし、そこでやっていました」

――年上に混ざるのはすごい行動だと思いますが、当時はどのような気持ちだったのですか?
荒木「怖いもの知らずで、サッカーを一緒にやってくれる人がいたら混ざってやりたいという気持ちでやっていました」

――当時、サッカーが好きだなと感じるエピソードはありますか?
荒木「テレビとかもあまり見た記憶がなくて、夜までサッカーをしていました。離れたクラブチームに通っていたので、戻って来たら近くのクラブチームにも参加してみたり」

――東福岡高校の3年間を振り返るとどういう日々でしたか?
荒木「今思うと、結果があまり良くなかったので、もっとサッカーに打ち込むべきだったなって思っています」

――足りなかったということですか?
荒木「そうですね。もっともっと自分を追い込めたかなと思います。自分の代だけあまり結果が出なくて、それもあって後悔はしていますね」

――今までのサッカー人生でご自身がぶつかった壁はありますか?
荒木「中学1年生のときに、ケガも多くて、試合も全然出られなくて、コーチからもずっと怒られていたので、そのときはしんどかった思い出があります」

――それをどう克服しましたか?
荒木「そのときこそ、練習が終わって家に帰ってからもずっとサッカーをし続けましたね。コーチに怒られてへこむけど、自然に体がグラウンドに向かっていきましたね。サッカーが好きだったのかな。怒られていたんですけど、ずっとサッカーをしていましたね」

――実際にプロサッカー選手を意識し始めたのはいつぐらいですか?
荒木「中学2年生くらいのときにどうやったらプロになれるかって考えたときに、東福岡高校で10番をつけてキャプテンをやっている人は毎年プロになっているなと思ったんです。それで東福岡で10番をつけてキャプテンになったらプロになれるんじゃないかなって、そこから真剣に目指し始めましたね」

――その通りになった感じですよね。
荒木「そうですね。ずっと中学生から目指していたので本当になれましたね」

――自分でサッカーをやっていこうと決めたきっかけはいつでしたか?
荒木「小学生になるときに、親の送迎などの協力がないと通えないクラブチームに入ったのですが、そこに行くと決めたときにサッカー1本に集中していくというのは決めましたね」

――小学生のときに自分で行くと決めたんですね。それはレベルが高かったからですか?
荒木「そうですね。幼稚園のときに試合をして、そのチームが強かったので、行きたいという気持ちになりました」

――サッカーするモチベーションはどのようなところにありますか? 
荒木「昔から本当に好きで、負けたくない気持ちでやっていました。今もその気持ちは変わらないのですが、高校くらいからは、親に送迎とか協力をしてもらっていたので、少しでも恩返しできたらなという気持ちでやっています」

――高校最後の選手権のときにケガをされていたようですが、そのときはどんなメンタリティだったのでしょうか?
荒木「3年生のときにケガが多くて、そのときはキャプテンをしていたので、自分のことより、みんなを鼓舞する形で励ましていました」

――サッカーは個人で戦う瞬間もありますが、団体競技という意識の方が強いですか?
荒木「高校の指導者の方からもそういうことを教わりました。ケガの治療とか自分の筋トレをやろうかなと思っていたら、高校のコーチからも『お前は立場的にもキャプテンだから、もっとチームのことを考えてチームのためになることをやるのも大事だ』と言われました。ピッチに立てなくてもできることをやるというのを学びました」

――もしサッカー選手になっていなかったら何をしていたと思いますか?
荒木「サッカー選手になってなかったら野球選手ですかね?(笑) いや、でも分からないですね。スポーツ関係のことをやっていたかなと思います。サッカーをやっていて良かったと思うのは、自分の好きなことを仕事にできているということ。ひとまずは夢が叶って、ここから活躍できればと思っています」





↓塩越選手のインタビューはこちらから
◆荒木遼太郎と塩越柚歩がこれまでのキャリアを通して語るサッカーの魅力と自身のストーリー(ゲキサカ)





◆【鹿島】染野唯月が東京Vから復帰「アントラーズでプレーをするという決断は、決して簡単ではありませんでした」(サカノワ)






期限付き移籍を終えて。J2リーグで半年間、16試合・4得点と活躍。


 J1リーグの鹿島アントラーズは12月26日、東京ヴェルディに昨年7月から期限付き移籍していた染野唯月(SOMENO Itsuki)が2023シーズンに復帰すると発表した。

 21歳になった染野は昨年7月、東京Vにレンタル移籍。J2リーグで16試合・4得点を記録した。染野は鹿島を通じて、「期限付き移籍から復帰することになりました。アントラーズでプレーをするという決断は、決して簡単ではありませんでした。試合に出て優勝に貢献できるよう頑張ります。応援、よろしくお願いします」と短い言葉に決意を込めている。

 一方、東京Vのファンとサポーターに向けて、「半年間という短い間でしたが、本当にいろいろなことを学ぶことができました。東京ヴェルディでプレーできたこと、そして選手、監督、ファン・サポーターには感謝してます。こんな僕をあたたかく受け入れてくれてとても嬉しかったです。またどこかでお会いできる事を楽しみにしてます。本当に短い間ありがとうございました」と感謝を伝えている。

 前線には垣田裕暉が復帰、さらに知念慶が川崎フロンターレから加わった。ただ染野のようなタイプはいないだけに、先発とジョーカー……前線の貴重な様々なパートを担いそうだ。




◆【鹿島】染野唯月が東京Vから復帰「アントラーズでプレーをするという決断は、決して簡単ではありませんでした」(サカノワ)





◆鹿島、東京VからFW染野唯月の復帰を発表「試合に出て優勝に貢献できるよう頑張ります」(GOAL)






【国内サッカー ニュース&移籍情報】鹿島アントラーズに染野が復帰。


鹿島アントラーズは26日、東京ヴェルディからFW染野唯月が復帰したことを発表した。

鹿島の下部組織出身の染野は2020年にトップチームデビュー。2022年7月に東京Vへと期限付き移籍すると、J2リーグ戦16試合で4ゴールという結果を残した。

鹿島への復帰に際して染野は「期限付き移籍から復帰することになりました。アントラーズでプレーをするという決断は、決して簡単ではありませんでした。試合に出て優勝に貢献できるよう頑張ります。応援、よろしくお願いします」と語っている。

また、半年間を過ごした東京Vについては「半年間という短い間でしたが、本当にいろいろなことを学ぶことができました。東京ヴェルディでプレーできたこと、そして選手、監督、ファン・サポーターには感謝してます。こんな僕をあたたかく受け入れてくれてとても嬉しかったです。またどこかでお会いできる事を楽しみにしてます。本当に短い間ありがとうございました」とコメントしている。


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