
日刊鹿島アントラーズニュース
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2021年10月17日日曜日
◆鹿島アントラーズ、最高の選手は誰だ!? 歴代最多出場選手ランキング1~5位。500試合超えのレジェンドが2人。本山雅志は何位?(フットボールチャンネル)
29年目を迎えたJリーグでは、これまでにさまざまな選手がピッチに立ってきた。今回は、鹿島アントラーズに所属した選手で最も多くJリーグの試合に出場した選手を紹介する。※成績はJリーグ通算
鹿島アントラーズの歴代最多出場選手ランキングのトップ10は、1998年に入団した「黄金世代」が多く登場する。
そのうちの一人、中田浩二はヨーロッパでのプレーした時期が長かったものの、10位にランクインした。本田泰人は6位に入った。
10位
中田浩二
生年月日:1979年7月9日
Jリーグ通算出場数:266試合
在籍時期:1998-04, 08-14
9位
野沢拓也
生年月日:1981年8月12日
Jリーグ通算出場数:285試合
在籍時期:1999-2011
8位
岩政大樹
生年月日:1982年1月30日
Jリーグ通算出場数:290試合
在籍時期:2004-13
7位
遠藤康
生年月日:1988年4月7日
Jリーグ通算出場数:301試合
在籍時期:2007-
6位
本田泰人
生年月日:1969年6月25日
Jリーグ通算出場数:328試合
在籍時期:1992-2006
5位:ヘディングといえばこの男
秋田豊
生年月日:1970年8月6日
Jリーグ通算出場数:334試合
在籍時期:1993-2003
秋田豊が鹿島アントラーズの歴代最多出場選手ランキングの5位だ。334試合に出場した。
1993年に鹿島アントラーズに入団した秋田は、1年目から35試合に出場。圧倒的なフィジカルを武器に活躍した。その強烈なフィジカルを武器としたヘディングは攻撃でも光り、DFでありながら20ゴールを挙げている。
日本代表としても活躍した秋田は、2003年まで鹿島アントラーズでプレー。その後、名古屋グランパスと京都サンガでプレーし、2007年に現役を引退した。
4位:天才ドリブラー
本山雅志
生年月日:1979年6月20日
Jリーグ通算出場数:365試合
在籍時期:1998-2015
鹿島アントラーズの歴代最多出場選手ランキング4位は本山雅志だ。365試合に出場している。
東福岡高校のスター選手の一人だった本山は、1998年に鹿島アントラーズに入団。1年目はリーグ戦で1試合出場にとどまったが、2年目に出番を増やし、3年目で6ゴールを決めた。以降はコンスタントに出場し、鹿島アントラーズの違いをつくる存在となった。
2002年には、ビスマルク退団に伴って、10番を引き継ぎ、2015年まで鹿島アントラーズでプレーした。
3位:J1通算400試合出場
青木剛
生年月日:1982年9月28日
Jリーグ通算出場数:376試合
在籍時期:2001-16
青木剛が鹿島アントラーズの歴代最多出場選手ランキングの3位だ。376試合に出場している。
前橋育英高校を卒業して2001年に入団した青木は、1年目で8試合に出場。次第に存在感を高めて定位置をつかんだ。2008年には日本代表にも選出されている。
青木は2016年に出場機会を求めてサガン鳥栖へ移籍。鳥栖でのキャリアを加えると、J1・400試合出場を達成している。
2位:鹿島の中盤といえば…
小笠原満男
生年月日:1979年4月5日
Jリーグ通算出場数:525試合
在籍時期:1998-2006, 07-18
小笠原満男が鹿島アントラーズの歴代最多出場ランキングの2位だ。ほぼ鹿島アントラーズ一筋のキャリアで525試合に出場した。
1998年に入団した小笠原は、MFに必要なものを高いレベルで持ちあわせ、順調に定位置を確保。守備センスも光り、長く鹿島の中盤を支えた。
小笠原は2006年から期限付きでイタリアのメッシーナへ移籍。小笠原がプロキャリアで唯一鹿島アントラーズを離れたのがこの時期だった。
1位:鹿島アントラーズの大守護神
曽ヶ端準
生年月日:1979年8月2日
Jリーグ通算出場数:533試合
在籍時期:1998-2020
鹿島アントラーズの歴代最多出場選手は、曽ヶ端準だ。小笠原満男と8試合差でトップとなっている。
1998年にユースからトップに上がった曽ヶ端は、2001年に正守護神に昇格。その後は鹿島アントラーズのゴールマウスで最後の砦となり続けた。J1優勝7回など、輝かしいキャリアを過ごしている。
2017年以降は出場機会が減り、2020年に現役を引退。23年間にわたって鹿島アントラーズ一筋だった。
【了】
◆Jリーグ 来季ホームタウン制撤廃へ 創設時の理念「地域密着」から新様式に 今月中にも正式決定(スポニチ)
Jリーグが来季から事実上のホームタウン制度撤廃を検討していることが16日、明らかになった。既に議論を重ねており、早ければ今月の理事会で正式決定する。創設当初からの理念撤廃となれば、地方クラブが首都圏の巨大スタジアムでホーム試合を開催し、都市部に下部組織をつくることもできるようになる。また、クラブ名にネーミングライツを認めることも検討中。開幕から30年を前に、Jは大きな変革期を迎えている。
1993年の開幕時から、地域密着やチーム名からの企業名排除などを基本理念としてきたJリーグが、大きく方向転換することになりそうだ。理事会では賛否両論の激しい議論が行われてきたが、早ければ今月にも地域密着の基本理念撤廃が決まる見通しとなった。
従来のホームタウン制度が撤廃されれば、各クラブは全国どこでも下部組織をつくり、有望選手を確保できるようになる。また、全国各地でより自由に主催試合を開催することができるため、例えばイニエスタ擁する神戸の主催試合が、全国の巨大スタジアムでより多く観戦できる可能性も出てくる。収容人員を考えれば、興行規模は飛躍的に高まる。
従来からの地域密着は地域の活性化につながり、初期のリーグ繁栄の要因とされてきた。Jリーグに倣うようにバスケットや卓球、さらに来年1月始動のラグビー新リーグも、地域密着が基本理念。だが本家のJはクラブ数が全国57に増え、最近はIT関連企業など新業種も経営に参画。全国展開を積極的に求めるクラブも出て、ホームタウンに対する考え方も変わってきた。
さらに、最近になって「1クラブがホームタウン内で他クラブの活動を制限することは、独占禁止法に抵触する」という判断が出されたことも変革を後押しした。当初は従来のホームタウン制度にこだわってきたリーグ側も「ホームタウン」という表現を残しながら、旧来の概念を撤廃する方向に変わっていった。
さらに数年後にはクラブ名にネーミングライツを認めることも検討を開始した。Jリーグ開幕直後、クラブに企業名をつけることの是非で読売新聞の渡辺恒雄社長と川淵三郎チェアマン(ともに当時)による論争が起きたのは有名。こちらも「チーム名から企業名を外す」という基本理念を捨てることになる。Jリーグは来季、開幕30周年。旧来の理念を変えながら、リーグ発展の未来へ、大きく舵(かじ)を切ることになる。
▽Jリーグにおけるホームタウン制 各クラブの本拠地を「ホームタウン」と呼び、リーグ規約で「Jクラブはそれぞれのホームタウンにおいて、地域社会と一体となったクラブづくり(社会貢献活動を含む)を行い、サッカーをはじめとするスポーツの普及および振興に努めなければならない」と定めている。またチーム呼称を「地域名+愛称」とすることで「ホームタウン住民・行政・企業の理解と協力を得やすくなり、経済的に自立することができる」(Jリーグ公式サイト)としている。
◆Jリーグ 来季ホームタウン制撤廃へ 創設時の理念「地域密着」から新様式に 今月中にも正式決定(スポニチ)
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