日刊鹿島アントラーズニュース

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2015年11月3日火曜日

◆韓国、アジア2次予選の23名を発表…Jリーグから2名、香川同僚も(サッカーキング)


http://www.soccer-king.jp/news/world/world_other/20151102/365869.html


9月3日のラオス代表戦に臨んだ韓国代表 [写真]=Getty Images


 KFA(大韓サッカー協会)は2日、ロシア・ワールドカップのアジア2次予選に向けた韓国代表メンバー23名を発表した。

 Jリーグからは柏レイソルのDFキム・チャンスとヴィッセル神戸のMFチョン・ウヨンの2名が選出。また、ドルトムントで日本代表MF香川真司と同僚のDFパク・チュホや、トッテナムに所属するFWソン・フンミンもメンバーに名を連ねた。

 ここまで予選全勝でグループGの首位に立つ韓国代表は、12日にホームでミャンマー代表と、17日に敵地でラオス代表と対戦する。

 発表されたメンバーは以下のとおり。

■韓国代表メンバー23名(ポジションはKFA発表のもの)

▼GK
キム・スンギュ(蔚山現代)
クォン・スンテ(全北現代)
チョン・ソンリョン(水原三星)
チョ・ヒュンウ(大邱FC)

▼DF
キム・ジンス(ホッフェンハイム/ドイツ)
パク・チュホ(ドルトムント/ドイツ)
キム・ヨングォン(広州恒大/中国)
カク・テヒ(アル・ヒラル/サウジアラビア)
キム・ギヒ(全北現代)
ユン・ヨンソン(城南FC)
チャン・ヒョンス(広州富力/中国)
キム・チャンス(柏レイソル/日本)

▼MF
ハン・グギョン(カタールSC/カタール)
キ・ソンヨン(スウォンジー/イングランド)
チョン・ウヨン(ヴィッセル神戸/日本)
ソン・フンミン(トッテナム/イングランド)
ク・ジャチョル(アウクスブルク/ドイツ)
ナム・テヒ(レフウィヤ/カタール)
イ・チョンヨン(クリスタル・パレス/イングランド)
イ・ジェソン(全北現代)
チ・ドンウォン(アウクスブルク/ドイツ)

▼FW
ファン・ウィジョ(城南FC)
ソク・ヒョンジュン(ヴィトリア・セトゥーバル/ポルトガル)

◆今季初先発の長澤とフル出場の大迫、ともに地元紙からは厳しい評価(サッカーキング)


http://www.soccer-king.jp/news/world/ger/20151102/365857.html


ケルンに所属するFW大迫(左)とMF長澤(右) [写真]=Getty Images


 10月31日に行われたブンデスリーガ第11節で日本代表FW大迫勇也とMF長澤和輝が所属するケルンはホームにホッフェンハイムを迎えたが、スコアレスドローに終わった。

 大迫は右サイドハーフで2試合ぶりに先発で出場し、試合終了までプレー。一方の長澤は、左サイドハーフで先発し、今シーズン初出場を果たしたが、前半終了と同時にベンチに下がった。

 地元紙の採点では、両選手ともに厳しい評価。大迫については「何週間も期待し続けているが、待ちぼうけのままだ」と、開幕戦を最後にゴールが出ていない現状に不満を訴えた。

 また、今シーズン初出場の長澤に対しては「すっかり蚊帳の外だった」と、チームとの連携が取れていないことを指摘している。

 両選手の採点と寸評は以下の通り。(ドイツメディアの採点は最高1点、最低6点)

■大迫勇也
対ホッフェンハイム(0-0△)フル出場
『Koelner Stadt-Anzeiger』
採点:4.5
寸評:右サイドのアタッカーは不慣れなポジションながら、強力なプレーが1度あった。
そして、開始4分にはダイブ(シミュレーション)。その後は77分のシュートまで沈黙が続いた。

『EXPRESS』
採点:4
寸評:開始早々に安っぽいダイブを見せた。
この何週間、手応えある結果を期待して続けているが、待ちぼうけのままだ。

■長澤和輝
対ホッフェンハイム(0-0△)先発出場、46分交代
『Koelner Stadt-Anzeiger』
採点:4.5
寸評:非常に熱心な動きで試合の入りは良かったが、その後は弱々しいプレーが多く、フィジカルでも負けていた。ハーフタイムにベンチに下がった。

『EXPRESS』
採点:5
寸評:GKバウマンの前でシュートの場面があったが、ボールを長く持ちすぎて決められず。その後はすっかり蚊帳の外だった。

◆内田、チーム練習合流に意欲「4週間後に復帰できること願う」(スポニチ)


http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2015/11/03/kiji/K20151103011439050.html

 右膝手術から復帰を目指すDF内田が4週間後のチーム練習合流に意欲を示した。2日にクラブ公式ツイッターの動画上で、ドイツ語で「4週間後に復帰できることを願っています」と語った。

 10月22日にはボールを使用した軽めの練習を再開。ドリブルなども軽快にこなしている。内田は6月上旬に手術を受けて全治4~6カ月と診断され、年内の実戦復帰を視野に入れている。


◆鹿島ナビスコVにシャルケ内田からお祝いの花届く(ニッカン)


http://www.nikkansports.com/soccer/news/1560676.html

鹿島ナビスコVにシャルケ内田からお祝いの花届く

 鹿島石井正忠監督(48)が1日、ナビスコ杯制覇の裏側を明かした。

 同杯6度目Vから一夜明け、鹿嶋市内で練習。クラブハウスにはシャルケDF内田篤人(27)からもお祝いの花が届いた。就任後初タイトルの同監督は「実は3-0になって3人交代した後、トイレに行ってまして」とポツリ。試合後の長いセレモニーも見越し終了間際に動いていた。J最多17冠、常勝軍団の余裕を感じさせる裏話だった。

◆イングランド遠征に向けてU-18日本代表メンバー発表! U-18リバプールらと練習試合(ゲキサカ)


http://web.gekisaka.jp/news/detail/?175446-175446-fl



 日本サッカー協会(JFA)は2日、9日から17日に行われるイングランド遠征に向けてU-18日本代表メンバーを発表した。同代表は12日にU-18バーミンガム・シティ、13日にU-18リバプール、15日にU-18イングランド代表と練習試合を行う。

 メンバーにはガンバ大阪ユースのMF堂安律や名古屋グランパスU18のFW杉森考起らが選出され、現地でのトレーニングパートナーとしてDF松坂暖とMFサイ・ゴダードも合流する。

 以下、選手&スタッフ

【スタッフ】
監督:内山篤
コーチ:木村康彦
コーチ:齊藤俊秀
GKコーチ:佐藤洋平
総務:本間一憲

【選手】
▽GK
1 小島亨介(早稲田大)

▽DF
6 浦田樹(千葉)
4 町田浩樹(鹿島)
2 藤谷壮(神戸U-18)
3 岡野洵(千葉U-18)
19 舩木翔(C大阪U-18)
12 長谷川巧(新潟U-18)

▽MF
8 久保田和音(鹿島)
14 長沼洋一(広島ユース)
10 佐々木匠(仙台ユース)
7 堂安律(G大阪ユース)
16 渡辺皓太(東京Vユース)
15 伊藤洋輝(磐田U-18)

▽FW
11 杉森考起(名古屋U18)
13 岸本武流(C大阪U-18)
9 小川航基(桐光学園高)

【トレーニングパートナー】
DF松坂暖(サウスエンド・U)
MFサイ・ゴダード(トッテナム)

◆【THE REAL】鹿嶋アントラーズのナビスコカップ制覇と小笠原満男の大会最年長MVPの価値(CYCLE)


http://cyclestyle.net/article/2015/11/02/29366.html


勝者と敗者が交錯した埼玉スタジアムのメインスタンド。金メダルと優勝トロフィーが授与されるロイヤルボックスへ向かって、キャプテンのMF小笠原満男に率いられた鹿島アントラーズの選手たちが階段を上りはじめた直後だった。

先に銀メダルを授与されていたガンバ大阪の選手たちが降りてくる。激闘を終えたばかりの相手一人ひとりと握手をかわしていた小笠原は、最後尾にいたガンバのキャプテンMF遠藤保仁とすれ違う前におもむろに歩を止めた。


笑顔を浮かべながら抱擁を交わす。時間にして数秒。言葉はなくとも、1979年度生まれの同学年同士でしか共有できない思いは確実に伝わった。

表彰式が終わった後の取材エリア。遠藤と自身とを比較しながら「トランプだったら勝てるかな」とジョークでメディアを笑わせた小笠原は、晴れやかな表情でエールを送った。

「ヤット(遠藤)とは十代のころからずっと戦ってきて、いまだにサッカーではひとつも勝ったことはないと思っているし、キャリアも数字も本当に素晴らしい。今日試合を一緒にやれてすごく嬉しかったし、今後も僕らの年代がJリーグを引っ張っていける存在であるように、僕らの世代はまだまだ頑張っている、という姿を一緒に見せていけたらと思う」



5万人を超える大観衆が見つめるなかで、10月31日に行われたナビスコカップ決勝。アントラーズは大会連覇を狙ったガンバを3対0で一蹴して3シーズンぶり、大会最多となる6度目の頂点に立った。

ガンバには昨シーズンから公式戦で4連敗を喫していた。今シーズンのリーグ戦も2戦2敗。ホームのカシマスタジアムで9月12日に行われた一戦では、エース宇佐美貴史に2ゴールを奪われ、石井正忠新監督のもとでマークされていた連勝を6で止められてもいた。

しかし、タイトルがかかった大一番でアントラーズの選手たちは泥臭く、雄々しく、そしてたくましく変貌を遂げていた。

出足の鋭さ。球際の激しさと無類の強さ。チャンスを逃さない集中力の高さ。何よりも、絶対に負けてなるものかという執念。すべてをピッチの上で体現していたのが小笠原だった。

両チームともに無得点で迎えた後半15分。機が熟したと判断したのか。前半は柴崎岳と遠藤康の両MFが担ってきたコーナーキックを小笠原が蹴る。

ニアサイドにポジションを取ったDF山本脩斗に、相手のマークが集中する。数秒後に訪れるシーンを見越したかのように、左から蹴られたボールはカーブの軌道を描きながら山本とガンバの選手の頭上を超えて、ノーマークで走り込んできたDFファン・ソッコの頭と鮮やかに一致する。

待望の先制点を奪うと、小笠原のもうひとつの武器、ゲームコントール術がさえわたる。

「2点目を狙いすぎて前がかりになっちゃいけないし、やっぱり回すところは回さないといけない。それでも追加点がほしい状況で、いい時間帯にいいリズムでゴールすることができた。そうじゃないときは上手くボールを保持できたし、やるべきことをみんなが理解してできた試合だった」


サッカーにおける「強者の方程式」というものを、J1で通算500試合出場を達成したばかりの元日本代表DF中澤佑二(横浜F・マリノス)から聞いたことがある。

「しっかりと守って、セットプレーからゴールを奪って勝つ。それが強いと言われるチームなんです」

中村俊輔という稀代の司令塔を擁しているからこそ、守備陣も体を張って守れる。お互いを信頼し合う好循環が、必ず訪れるセットプレーのチャンスで極限の集中力を生み出す、というわけだ。

そして、ナビスコカップ決勝におけるアントラーズも、小笠原を中心として「強者の方程式」を実践していた。

ガンバの反撃をいなしながら、後半39分に再び小笠原が蹴った左コーナーキックからFW金崎夢生が追加点をゲット。その2分後には柴崎のパスを受けたMFカイオが、電光石火のカウンターからダメ押し点を奪う。自陣から柴崎へ縦パスを通したのも小笠原だった。

「僕が一番冷静じゃないと。36歳の選手がテンパっていたらダメでしょう」

メディアから「落ち着いていましたね」と問いかけられた小笠原が、苦笑いを浮かべながら続ける。


「アントラーズというチームにいれたおかげで、こういう試合を何回も経験してきた。日本代表のワールドカップ予選もそうだし、ワールドカップ本大会もそうだし、本当に緊張なんかしている暇がなかった。90分間でいろいろな流れや展開があるなかで、いま何をすべきなのかを判断するのは自分の仕事。若いころにはなかったというか、この年齢になってすごく冷静に試合を見られるようになった。36歳という年齢はマイナスなものばかりじゃなくて、新たに見えてきたものもある」

ゴールマウスには曽ヶ端準が仁王立ちして、最後尾からアントラーズに安心感を与えた。ベンチからは本山雅志が、大観衆のなかでも確実に、しっかりと届く声を発し続けて仲間を鼓舞した。

いずれも1979年度生まれで、1998年にそろって入団した。1999年に開催されたワールドユース選手権(現U‐20ワールドカップ)で準優勝を果たし、必然的に「黄金世代」と呼ばれるようになった。

アントラーズの歴史をひも解けば、他のJクラブの追随を許さない17個もの国内主要タイトルのうち、小笠原たちの世代は実に14個をチームの一員として目の当たりにしてきた。

「でも、僕たちは決していい思いばかりをしてきたわけじゃない。アントラーズでも代表でも、悔しい思いをたくさんしてきた。ユースや五輪代表、そして日本代表を含めていろいろな経験をして、今日のような試合を何度も戦ってきたことが、僕たちの世代の強みだと思う」

小笠原が振り返るように、ジーコ監督に率いられた日本代表では中田英寿や中村俊輔をはじめとするヨーロッパ組が合流すると、決まって中盤における小笠原の序列が下がった。


曽ヶ端はワールドユース選手権が開催されたナイジェリアまで帯同しながら、第3キーパーという立場もあってベンチ入りを果たせなかった。楢崎正剛(名古屋グランパス)がオーバーエイジで招集された2000年のシドニー五輪では、守護神を務めたアジア予選から一転してベンチを温めている。

小笠原は2002年大会と2006年大会、曽ヶ端も2002年大会のワールドカップ日本代表に名前を連ねたが、28の代表キャップをもつ本山は4年に一度のヒノキ舞台と無縁のままいま現在に至っている。

アントラーズにおいても、彼らがレギュラーとして活躍しはじめたのは入団3年目の2000年シーズン以降。宿敵ジュビロ磐田と繰り広げられた壮絶なチャンピオンシップを制し、年間王者に輝いた1998年シーズンはほとんど試合に絡むことなく終えている。

「トロフィーを掲げながら大の男たちが抱き合っている姿を見て、自分もあの舞台に立ちたいと思った。それだけ優勝って素晴らしいものだし、またああいう経験をしたいという思いが選手を成長させる。自分も上の年齢の人たちに引っ張ってもらいながら、タイトルを取ることで成長させてもらってここまで来ることができた。タイトルを取った者にしか見えない景色があるとも思うし、今日をきっかけに再びタイトルを重ねられるように。もちろん、ひとつ取ったくらいで満足しちゃダメだけど、このタイトルは今後のアントラーズを見る上で非常に大きな意味をもつと思う」


ポジションは与えられるものではなく奪うもの――。弱肉強食のプロの世界の掟に則って小笠原はビスマルクから司令塔の座を勝ち取り、セリエA・メッシーナへの期限付き移籍から復帰した2007年夏からはボランチにポジションを下げて、攻守両面でにらみをきかせる鬼軍曹の役割を本田泰人から引き継いだ。

アントラーズの創成期を彩ったレジェンドたちから託されたバトン。本来ならば前人未踏のリーグ3連覇を達成した2009年シーズンをもって、次を担う世代に受け継がれるはずだった。

しかし、順調に成長していた筆頭候補のDF内田篤人は2010年夏にブンデスリーガのシャルケへ移籍。ルーキーイヤーからコンスタントにピッチに立ち続け、2年目の2010年シーズンから背番号9を託されたFW大迫勇也も、2014年1月にドイツへ新天地を求めた。

3連覇時代の遺産もあり、2010年シーズンに天皇杯、2011年シーズンからはナビスコカップ連覇も成し遂げた。もっとも、フロント側が抱いていた世代交代失敗への危機感は、2013年シーズンから2年連続で無冠に終わった結果とともに現実のものとなる。

2013年シーズンからは、トニーニョ・セレーゾ監督を8年ぶりに招聘。居残りを含めた徹底した猛練習で選手個々を鍛え、小笠原たちの世代を一本立ちさせた厳しさに再建を託した。

同時に柴崎やDF昌子源、MF土居聖真をはじめとする1992年生まれの「プラチナ世代」へのシフトチェンジを、半ばフロント主導で進めた。10年以上も最終ラインの中心を担ってきた岩政大樹(現ファジアーノ岡山)との契約更新を、2013年いっぱいで見送ったのはその象徴と言っていい。


フロントの思いをくんだ岩政は、こんな言葉を残してアントラーズを去っている。

「残りのサッカー人生で個人の幅をさらにひろげたいという思いと、新しい時代へ進もうとするチームでの自分の最後の仕事として、鹿島アントラーズを去ることを決断しました」

もっとも、選手個々は鍛えられたが、チームとして戦う姿勢、神様ジーコの時代から受け継がれてきた勝者のアイデンティティーが薄まっていく。不慮のケガを避けたいという狙いから、日々の練習におけるスライディングタックルをセレーゾ監督が厳禁としたことも、肝心の実戦において戦う姿勢を忘れさせる一因と化していた。

迎えた今シーズン。ファーストステージで8位に甘んじ、セカンドステージでも出遅れた直後の7月21日に、セレーゾ監督は解任される。アントラーズの歴史において、シーズン途中の監督解任は2度目。一夜明けた22日。鹿嶋市内のブラジル料理店で、選手だけの決起集会が催された。

選手一人ひとりが思いの丈を声にしていくなかで、小笠原はこう訴えた。
「いまのこの成績を、監督だけの責任にしたら男じゃない」

非常事態を受けて選手たちのなかに芽生えた危機感と自立心が、目の前の試合に必ず勝つという、常勝軍団に課された使命をも思い出させた。石井新監督のもとで解禁されたスライデンングタックルが、激しさが高じて一触即発の空気を招くことも少なくない日々の練習における激しさを蘇らせた。


セカンドステージで優勝争いに絡み、決勝トーナメントから登場したナビスコカップで頂点に経って、約3年間におよんだ無冠の期間に終止符を打った。

「選手やスタッフ、サポーターを含めた全員が、本当はMVPだと思っている。点を取ってもいないのに評価してもらったことは嬉しいけど…そんなに嬉しくもないかな。半分くらいかな。勝てれば何でもいい」

2002年大会に続くMVPを、大会史上最高齢で獲得した小笠原がはにかんだのも一瞬だけだった。未来へつながる道は開けた。それでも、世代交代を完成させる最後のピースだけは、自分たちよりも年下の選手たちが実力で埋め込まなければまったく意味がない。

自らがたどってきた軌跡を思い起こすように、小笠原が笑いながら挑戦状を叩きつける。

「まあ、やれるものならやってみろ、というのはありますけどね。でも、まだまだ僕らも負けていられないので、頑張りたいと思います」

あえて「僕ら」と複数形にしたのは、もちろん深い意味が込められている。

チームメイトの曽ヶ端と本山。これからも名勝負を繰り広げていく遠藤。J2のコンサドーレ札幌で共演している小野伸二と稲本潤一。そして、J3のSC相模原でプレーする高原直泰。いまもピッチに立ち続ける「黄金世代」を代表して決意を表し、ともに戦っていこうと盟友たちへエールを送ったのだ。

鬼気迫る小笠原のプレーを後方から見ていた昌子は、あらためて脱帽の思いを禁じ得なかったという。


「今日の(小笠原)満男さんのプレーを見てもらればわかりますけど、球際で果敢に攻めまくって、本当にMVPに値するプレーだったと思う。ソガさん(曽ヶ端)ももちろんですし、モトさん(本山)も本当は試合に出たいはずなのに、ベンチからずっと声を出して僕たちに経験を伝えてくれた。本当に偉大な1979年組だと思いましたし、先輩たちの背中を見て僕たちも学んでいるところがまだまだ多い」

背中を見るだけではなく、踏み台にして前へ進んでいけ。もっとも、そう簡単には道は譲らない――。小笠原の言葉には、こんな真意が込められていたはずだ。

勝利を告げるホイッスルを合言葉に、ベテランと中堅および若手のガチンコ勝負がさらに火花を散らし、その際に発生する情熱がチームを成長させるエネルギーとなる。10月31日に勝ち取ったナビスコカップの本当に価値はここにある。

◆何度でも甦る鹿島、ナビスコ杯優勝。 2年間の世代交代が実り、黄金期へ。(Number Web)


http://number.bunshun.jp/articles/-/824457



 キャプテンの小笠原満男が貴賓席の前で優勝カップを掲げ、ゴール裏を真紅に染めたサポーターが咆哮する――。まるでデジャヴのような、すっかり見慣れた光景だった。

 それもそのはず、2006年のナビスコカップ決勝でジェフ千葉に敗れて以降、昨年までの8年間で鹿島アントラーズはカップ戦(ナビスコカップと天皇杯)決勝の舞台に4度立っているが、そのすべてで戴冠し、今年のナビスコカップのタイトルも掴んでみせた。

 ファイナルの戦い方を熟知しているチーム――。わずか2シーズン、タイトルを掴めなかっただけで大問題となる、常勝チームたるゆえんだろう。

 浦和レッズを下した'11年のナビスコカップ決勝でも、清水エスパルスを振り切った'12年の同決勝でも、際立ったのは、相手の出方を見定め臨機応変に戦って勝負を決める老獪さだった。

 だが、この日の鹿島は、ひと味違った。

 序盤からガンバ大阪に息つく暇を与えぬ怒涛のラッシュを仕掛ける姿は、チャレンジャーの挑戦を受けて立つ王者ではなく、チャンピオンに戦いを挑む挑戦者のようだった。

宇佐美までも守備に対応せざるを得ない状況に。

 その点で、相手が昨シーズンの三冠王者であるG大阪だったことも、鹿島にとってプラスに働いたのかもしれない。「予想以上に攻め込まれ、多少なりともビビってしまって、本来のガンバらしいサッカーができなかった」とは歴戦の雄、G大阪の元日本代表MF今野泰幸の弁。鹿島の攻撃には王者をひるませるほどの迫力があった。

 G大阪のカウンター封じも完璧だった。

 右サイドバックの西大伍が強気の姿勢でポジショニングを高く取り、右サイドハーフの遠藤康とともにサイドで主導権を握る。そこにFWの金崎夢生も流れていくから、G大阪は左サイドバックの藤春廣輝だけでなく、左サイドハーフの宇佐美貴史までもが守備に対応せざるを得なかった。右サイドからの崩しのキーマンとなった遠藤康が振り返る。

「試合前から意識していたわけではないですけど、あれだけ守備に戻れば、宇佐美は攻撃にパワーを使えなくなるので、これは有効だなと思ってプレーしていました」

 こうしてG大阪の1トップ、パトリックを前線で孤立させると、センターバックの昌子源とファン・ソッコが激しくマークし、ボールを収めさせなかった。

13年ぶり2度目のMVPに輝いた小笠原。

 もちろん、独特のリズムでG大阪DFを撹乱した中村充孝、巧みにボールを引き出し、G大阪DF陣の脅威となった金崎、赤崎秀平の2トップの働きも見逃せないが、ひと際輝いていたのがこの日、13年ぶり2度目のMVPに輝いた小笠原だった。

 セカンドボールを何度も拾えば、狙いすまして遠藤保仁やパトリックからボールを奪い取り、ゴール前まで飛び出していく。

 ピッチ上の誰よりもタイトルを手にしてきたはずの男が、ピッチ上の誰よりもタイトルを渇望しているように見えた。

 前半のシュート数は12対2。決定機の数は5対0。これだけ押し込みながら得点を奪えなければ、サッカーの神様にそっぽを向かれてしまうものだ。

 実際、後半の立ち上がりは、パトリックと宇佐美にフィニッシュまで持ち込まれ、試合の流れがG大阪に傾きつつあるかに思われた。

 だが、鹿島はやはり老獪だった。そして、流れを引き戻したのも、小笠原だった。

 小笠原の右足から放たれた2本のCK。1本目はゴール正面に飛び込んだファン・ソッコが頭で合わせ、2点目はファーサイドで鈴木優磨が折り返し、金崎が頭で押し込んだ。 

 その後、途中出場のカイオが右足で豪快に蹴り込み、最終スコアは3-0。鹿島が隙を見せることは、最後までなかった。「本当に叩きのめされた。まったくと言っていいほど何もできなかった」と、今野も脱帽するしかなかった。

第1ステージと打って変わっての快勝。

 それにしても、第1ステージを一度も連勝することなく中位で終え、シーズン途中でトニーニョ・セレーゾ前監督の解任に踏み切ったのは、わずか3カ月ほど前のことだ。その頃、チームは間違いなく危機的状況を迎えていたはずだった。

 ところが、どうだろう。第2ステージでは優勝争いを繰り広げ、3年ぶりとなるタイトルまで勝ち取ってしまった。

 この復活劇を考えたとき、“戦う姿勢”と“自主性”を選手に取り戻させた石井正忠新監督の指導力も見逃せないが、浮かび上がるのは計画的なチーム作りとリカバリー力だ。

タイトル狙いと育成の割合。

「'13、'14年は若手を徹底的に鍛えてくれ、ってセレーゾにはリクエストしていたんだ」

 そう明かすのは、'96年から鹿島の強化における最高責任者を務める鈴木満氏である。

「うちのように若い選手を育てていこうとすると、どうしても波が出てくる。だから、『今勝つ』というのが大前提だけど、その上で3年後も意識しながらチーム編成を考える必要がある。例えば、100%タイトルを狙いにいくシーズンと、タイトル30、育成70の割合で臨むシーズンと、チーム状況によって重きを置くものの割合を変化させている」

 育成を重視すれば、我慢しなければならない部分も出てくる。それでも、あえてそうした時期を設けなければ、チームは未来に向かって回っていかない。

 まさに'13、'14年は世代交代が重要事項だった。そのため、若手の指導に定評のあるトニーニョ・セレーゾを招聘した。その結果、この2年間は無冠に終わったものの、世代交代が推し進められ、'14年は最終節で勝っていればリーグ優勝の可能性もあった3位でシーズンを終えた。

「タイトルを獲ってくれ、お前にとってもチャンスだよ」

 そこで'15年はいよいよタイトルを狙うシーズンとなる、はずだった。ところが、指揮官が若手の成長を信じ切れていなかったという。

「まだまだ教え足りないという感じで教えすぎて、選手の自主性が薄れている感じがした。あと、固定観念にとらわれすぎて、起用も硬直化していた。このままでは同じことが続くだろうから、決断するしかないなと」

 ここで次の一手をすぐに打てるのが、鹿島の真骨頂だろう。後任としてヘッドコーチ(当時)の石井を指名したのは、あくまでもタイトル獲得にこだわったからである。

「チームを知り尽くしていたし、ミーティングでも『主体性が大事』という発言をしていた。それに、外から監督を招いて意見交換をしていたら、第2ステージが終わってしまう。だから、石井に託したのは立て直しではなく、タイトル。『タイトルを獲ってくれ、お前にとってもチャンスだよ』と」

 実は、石井はシーズン終了後、コーチから監督に転身する予定だったという。

「うちになるか、外になるか分からないけど、そろそろ監督になるタイミングだと思っていた。だから、石井にもシーズン前『コーチは今年が最後だよ』って話していたんだ」

 予定より半年早い監督デビューとなったが、満を持しての登用でもあったのだ。

「満男が戻って、鹿島は変わった」

 オズワルド・オリヴェイラ体制の1年目の'07年。夏に小笠原がイタリアのメッシーナから復帰すると、鹿島はシーズン終盤に破竹の9連勝を飾り、J1逆転優勝を成し遂げた。

 その数日後、鹿島の元キャプテン、本田泰人からこんな話を聞いたことがある。

「『本田さんたちがよく『チームのために』って言っていたことの意味がようやく理解できるようになりました』って、満男が言うんだ。イタリアで試合に出られなくて、いろいろ思うところがあったんだろうね。帰ってきてからの満男はチームのために走り、周りを鼓舞し、戦っていた。満男が戻って、鹿島は変わったと思う」

 自身のプレーだけに集中しがちだった小笠原の意識が変わり、鹿島は'02年以来、5年ぶりとなるタイトルを手に入れた。タイトル獲得に足りなかった“何か”を埋めたのは、小笠原が放った強烈なリーダーシップだったと本田に説かれ、納得したものだった。

 小笠原にとってのきっかけがイタリアでの不遇ならば、鹿島の若い選手たちにとってのきっかけは、2年間の無冠とシーズン途中での監督交代を乗り越えて掴んだ今回のタイトルかもしれない。

世代交代を乗り越えて、黄金期が始まる。

「今日も満男さんは本当に球際で強く、MVPをもらうのも当然のレベルだったと思いますし、ソガさん(曽ヶ端準)ももちろん、モトさん(本山雅志)もベンチから声を掛けてくれて、ああいう先輩の背中を見て学ぶことが多いので、まだまだ現役を続けてほしいと思います。本当に'79年組は偉大だなと思います」

 22歳の昌子の言葉には尊敬の念が込められていたが、その'79年組も栄光とタイトルだけに彩られてきたわけではない。小笠原がひと言、ひと言、噛みしめるように言う。

「俺らだって、いい思いばかりしてきたわけじゃない。チームでも代表でも悔しい思いをしてきた。そういうのを経験して、若い頃にはなかったもの、この年齢になって見えてきたものがある」

 また、キャプテンはこうも言った。

「ひとつ取っただけで満足してもらっては困る。僕はまた優勝したいっていう気持ちなので、みんなもそういう気持ちであってほしい」

 まだまだタイトルへの渇望に陰りのないベテランと、主力として堂々と戦い、タイトルの味を知った若者たち――。

 これまで鹿島は世代交代を乗り越えたあと、黄金期を築いてきた。

 今回のタイトル獲得が、もう何度目にもなる鹿島の黄金期の始まりになるということを、歴史は教えてくれている。

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