
日刊鹿島アントラーズニュース
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2015年11月3日火曜日
◆【THE REAL】鹿嶋アントラーズのナビスコカップ制覇と小笠原満男の大会最年長MVPの価値(CYCLE)
勝者と敗者が交錯した埼玉スタジアムのメインスタンド。金メダルと優勝トロフィーが授与されるロイヤルボックスへ向かって、キャプテンのMF小笠原満男に率いられた鹿島アントラーズの選手たちが階段を上りはじめた直後だった。
先に銀メダルを授与されていたガンバ大阪の選手たちが降りてくる。激闘を終えたばかりの相手一人ひとりと握手をかわしていた小笠原は、最後尾にいたガンバのキャプテンMF遠藤保仁とすれ違う前におもむろに歩を止めた。
笑顔を浮かべながら抱擁を交わす。時間にして数秒。言葉はなくとも、1979年度生まれの同学年同士でしか共有できない思いは確実に伝わった。
表彰式が終わった後の取材エリア。遠藤と自身とを比較しながら「トランプだったら勝てるかな」とジョークでメディアを笑わせた小笠原は、晴れやかな表情でエールを送った。
「ヤット(遠藤)とは十代のころからずっと戦ってきて、いまだにサッカーではひとつも勝ったことはないと思っているし、キャリアも数字も本当に素晴らしい。今日試合を一緒にやれてすごく嬉しかったし、今後も僕らの年代がJリーグを引っ張っていける存在であるように、僕らの世代はまだまだ頑張っている、という姿を一緒に見せていけたらと思う」
5万人を超える大観衆が見つめるなかで、10月31日に行われたナビスコカップ決勝。アントラーズは大会連覇を狙ったガンバを3対0で一蹴して3シーズンぶり、大会最多となる6度目の頂点に立った。
ガンバには昨シーズンから公式戦で4連敗を喫していた。今シーズンのリーグ戦も2戦2敗。ホームのカシマスタジアムで9月12日に行われた一戦では、エース宇佐美貴史に2ゴールを奪われ、石井正忠新監督のもとでマークされていた連勝を6で止められてもいた。
しかし、タイトルがかかった大一番でアントラーズの選手たちは泥臭く、雄々しく、そしてたくましく変貌を遂げていた。
出足の鋭さ。球際の激しさと無類の強さ。チャンスを逃さない集中力の高さ。何よりも、絶対に負けてなるものかという執念。すべてをピッチの上で体現していたのが小笠原だった。
両チームともに無得点で迎えた後半15分。機が熟したと判断したのか。前半は柴崎岳と遠藤康の両MFが担ってきたコーナーキックを小笠原が蹴る。
ニアサイドにポジションを取ったDF山本脩斗に、相手のマークが集中する。数秒後に訪れるシーンを見越したかのように、左から蹴られたボールはカーブの軌道を描きながら山本とガンバの選手の頭上を超えて、ノーマークで走り込んできたDFファン・ソッコの頭と鮮やかに一致する。
待望の先制点を奪うと、小笠原のもうひとつの武器、ゲームコントール術がさえわたる。
「2点目を狙いすぎて前がかりになっちゃいけないし、やっぱり回すところは回さないといけない。それでも追加点がほしい状況で、いい時間帯にいいリズムでゴールすることができた。そうじゃないときは上手くボールを保持できたし、やるべきことをみんなが理解してできた試合だった」
サッカーにおける「強者の方程式」というものを、J1で通算500試合出場を達成したばかりの元日本代表DF中澤佑二(横浜F・マリノス)から聞いたことがある。
「しっかりと守って、セットプレーからゴールを奪って勝つ。それが強いと言われるチームなんです」
中村俊輔という稀代の司令塔を擁しているからこそ、守備陣も体を張って守れる。お互いを信頼し合う好循環が、必ず訪れるセットプレーのチャンスで極限の集中力を生み出す、というわけだ。
そして、ナビスコカップ決勝におけるアントラーズも、小笠原を中心として「強者の方程式」を実践していた。
ガンバの反撃をいなしながら、後半39分に再び小笠原が蹴った左コーナーキックからFW金崎夢生が追加点をゲット。その2分後には柴崎のパスを受けたMFカイオが、電光石火のカウンターからダメ押し点を奪う。自陣から柴崎へ縦パスを通したのも小笠原だった。
「僕が一番冷静じゃないと。36歳の選手がテンパっていたらダメでしょう」
メディアから「落ち着いていましたね」と問いかけられた小笠原が、苦笑いを浮かべながら続ける。
「アントラーズというチームにいれたおかげで、こういう試合を何回も経験してきた。日本代表のワールドカップ予選もそうだし、ワールドカップ本大会もそうだし、本当に緊張なんかしている暇がなかった。90分間でいろいろな流れや展開があるなかで、いま何をすべきなのかを判断するのは自分の仕事。若いころにはなかったというか、この年齢になってすごく冷静に試合を見られるようになった。36歳という年齢はマイナスなものばかりじゃなくて、新たに見えてきたものもある」
ゴールマウスには曽ヶ端準が仁王立ちして、最後尾からアントラーズに安心感を与えた。ベンチからは本山雅志が、大観衆のなかでも確実に、しっかりと届く声を発し続けて仲間を鼓舞した。
いずれも1979年度生まれで、1998年にそろって入団した。1999年に開催されたワールドユース選手権(現U‐20ワールドカップ)で準優勝を果たし、必然的に「黄金世代」と呼ばれるようになった。
アントラーズの歴史をひも解けば、他のJクラブの追随を許さない17個もの国内主要タイトルのうち、小笠原たちの世代は実に14個をチームの一員として目の当たりにしてきた。
「でも、僕たちは決していい思いばかりをしてきたわけじゃない。アントラーズでも代表でも、悔しい思いをたくさんしてきた。ユースや五輪代表、そして日本代表を含めていろいろな経験をして、今日のような試合を何度も戦ってきたことが、僕たちの世代の強みだと思う」
小笠原が振り返るように、ジーコ監督に率いられた日本代表では中田英寿や中村俊輔をはじめとするヨーロッパ組が合流すると、決まって中盤における小笠原の序列が下がった。
曽ヶ端はワールドユース選手権が開催されたナイジェリアまで帯同しながら、第3キーパーという立場もあってベンチ入りを果たせなかった。楢崎正剛(名古屋グランパス)がオーバーエイジで招集された2000年のシドニー五輪では、守護神を務めたアジア予選から一転してベンチを温めている。
小笠原は2002年大会と2006年大会、曽ヶ端も2002年大会のワールドカップ日本代表に名前を連ねたが、28の代表キャップをもつ本山は4年に一度のヒノキ舞台と無縁のままいま現在に至っている。
アントラーズにおいても、彼らがレギュラーとして活躍しはじめたのは入団3年目の2000年シーズン以降。宿敵ジュビロ磐田と繰り広げられた壮絶なチャンピオンシップを制し、年間王者に輝いた1998年シーズンはほとんど試合に絡むことなく終えている。
ポジションは与えられるものではなく奪うもの――。弱肉強食のプロの世界の掟に則って小笠原はビスマルクから司令塔の座を勝ち取り、セリエA・メッシーナへの期限付き移籍から復帰した2007年夏からはボランチにポジションを下げて、攻守両面でにらみをきかせる鬼軍曹の役割を本田泰人から引き継いだ。
アントラーズの創成期を彩ったレジェンドたちから託されたバトン。本来ならば前人未踏のリーグ3連覇を達成した2009年シーズンをもって、次を担う世代に受け継がれるはずだった。
しかし、順調に成長していた筆頭候補のDF内田篤人は2010年夏にブンデスリーガのシャルケへ移籍。ルーキーイヤーからコンスタントにピッチに立ち続け、2年目の2010年シーズンから背番号9を託されたFW大迫勇也も、2014年1月にドイツへ新天地を求めた。
3連覇時代の遺産もあり、2010年シーズンに天皇杯、2011年シーズンからはナビスコカップ連覇も成し遂げた。もっとも、フロント側が抱いていた世代交代失敗への危機感は、2013年シーズンから2年連続で無冠に終わった結果とともに現実のものとなる。
2013年シーズンからは、トニーニョ・セレーゾ監督を8年ぶりに招聘。居残りを含めた徹底した猛練習で選手個々を鍛え、小笠原たちの世代を一本立ちさせた厳しさに再建を託した。
同時に柴崎やDF昌子源、MF土居聖真をはじめとする1992年生まれの「プラチナ世代」へのシフトチェンジを、半ばフロント主導で進めた。10年以上も最終ラインの中心を担ってきた岩政大樹(現ファジアーノ岡山)との契約更新を、2013年いっぱいで見送ったのはその象徴と言っていい。
フロントの思いをくんだ岩政は、こんな言葉を残してアントラーズを去っている。
「残りのサッカー人生で個人の幅をさらにひろげたいという思いと、新しい時代へ進もうとするチームでの自分の最後の仕事として、鹿島アントラーズを去ることを決断しました」
もっとも、選手個々は鍛えられたが、チームとして戦う姿勢、神様ジーコの時代から受け継がれてきた勝者のアイデンティティーが薄まっていく。不慮のケガを避けたいという狙いから、日々の練習におけるスライディングタックルをセレーゾ監督が厳禁としたことも、肝心の実戦において戦う姿勢を忘れさせる一因と化していた。
迎えた今シーズン。ファーストステージで8位に甘んじ、セカンドステージでも出遅れた直後の7月21日に、セレーゾ監督は解任される。アントラーズの歴史において、シーズン途中の監督解任は2度目。一夜明けた22日。鹿嶋市内のブラジル料理店で、選手だけの決起集会が催された。
選手一人ひとりが思いの丈を声にしていくなかで、小笠原はこう訴えた。
「いまのこの成績を、監督だけの責任にしたら男じゃない」
非常事態を受けて選手たちのなかに芽生えた危機感と自立心が、目の前の試合に必ず勝つという、常勝軍団に課された使命をも思い出させた。石井新監督のもとで解禁されたスライデンングタックルが、激しさが高じて一触即発の空気を招くことも少なくない日々の練習における激しさを蘇らせた。
セカンドステージで優勝争いに絡み、決勝トーナメントから登場したナビスコカップで頂点に経って、約3年間におよんだ無冠の期間に終止符を打った。
「選手やスタッフ、サポーターを含めた全員が、本当はMVPだと思っている。点を取ってもいないのに評価してもらったことは嬉しいけど…そんなに嬉しくもないかな。半分くらいかな。勝てれば何でもいい」
2002年大会に続くMVPを、大会史上最高齢で獲得した小笠原がはにかんだのも一瞬だけだった。未来へつながる道は開けた。それでも、世代交代を完成させる最後のピースだけは、自分たちよりも年下の選手たちが実力で埋め込まなければまったく意味がない。
自らがたどってきた軌跡を思い起こすように、小笠原が笑いながら挑戦状を叩きつける。
「まあ、やれるものならやってみろ、というのはありますけどね。でも、まだまだ僕らも負けていられないので、頑張りたいと思います」
あえて「僕ら」と複数形にしたのは、もちろん深い意味が込められている。
チームメイトの曽ヶ端と本山。これからも名勝負を繰り広げていく遠藤。J2のコンサドーレ札幌で共演している小野伸二と稲本潤一。そして、J3のSC相模原でプレーする高原直泰。いまもピッチに立ち続ける「黄金世代」を代表して決意を表し、ともに戦っていこうと盟友たちへエールを送ったのだ。
鬼気迫る小笠原のプレーを後方から見ていた昌子は、あらためて脱帽の思いを禁じ得なかったという。
「今日の(小笠原)満男さんのプレーを見てもらればわかりますけど、球際で果敢に攻めまくって、本当にMVPに値するプレーだったと思う。ソガさん(曽ヶ端)ももちろんですし、モトさん(本山)も本当は試合に出たいはずなのに、ベンチからずっと声を出して僕たちに経験を伝えてくれた。本当に偉大な1979年組だと思いましたし、先輩たちの背中を見て僕たちも学んでいるところがまだまだ多い」
背中を見るだけではなく、踏み台にして前へ進んでいけ。もっとも、そう簡単には道は譲らない――。小笠原の言葉には、こんな真意が込められていたはずだ。
勝利を告げるホイッスルを合言葉に、ベテランと中堅および若手のガチンコ勝負がさらに火花を散らし、その際に発生する情熱がチームを成長させるエネルギーとなる。10月31日に勝ち取ったナビスコカップの本当に価値はここにある。
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