
日刊鹿島アントラーズニュース
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2020年4月8日水曜日
◆すべてはジーコから始まった。 衝撃のJリーグ開幕戦ハットトリック(Sportiva)

フラメンゴ公式 ジーコ メッシュキャップ【FLAMENGO】ブラック×レッド
1993年~2019年Jリーグ
『私のMVP』~あの年の彼が一番輝いていた
第1回:1993年のジーコ(鹿島アントラーズ/MF)
Jリーグ27年の歴史のなかで、「最強」と言えるクラブは、間違いなく鹿島アントラーズだろう。
国内タイトル(Jリーグ、Jリーグ杯、天皇杯)獲得19回、アジアチャンピオンズリーグ優勝1回。合計20冠という数字は群を抜いている。その土台を作ったのがジーコだった。
Jリーグが開幕する2年前の1991年。ジーコは当時、日本リーグ2部に所属していた鹿島の前身、住友金属に入団した。その2年前の1989年に一度現役を引退しており、ブラジルでスポーツ担当大臣を務めていた。そんなジーコがなぜ2部でプレーするために日本までやってきたのか。当時、こんなことを言っていた。
「プロ化を目指す日本に何が欠けているのか、何を補ったらいいのか、プロ化のお手伝いをしようと思った」
さらにこう続けた。
「日本は新しいマーケットとして全世界から注目されている。このまま日本のサッカーが成長し、世界から注目されるリーグになった時、みなさんは気づくはずだ。ジーコが日本に来た理由はこれだったのか、と」
ジーコが最初に手をつけたのは、選手にプロ意識を植え付けることだった。トレーニングでは、ボールを止めて、蹴る、また止める、蹴る。それを繰り返し基本練習の大切さを説いた。
ロッカールームに選手のシューズが散乱していれば、「こんな汚いところではくつろげない。明日もこんな状態だったら全部捨てる」と言って自分のシューズの手入れを始め、それを見た選手たちがロッカールーム内の片づけを始めたという。寮生活をする選手がコンビニなどでお菓子を買う姿を見れば、「あれはどういうことだ。プロ選手の体づくりにお菓子は必要ない」と、会社に怒鳴り込んだ。
食事も睡眠も仕事のひとつであり、試合で最高のパフォーマンスを発揮するために必要なことだということを伝えた。
プロ意識はフロントにも求めた。初めて住友金属の練習場を訪れたジーコは、土のグラウンドを見て、「このピッチは選手がサッカーをやる環境か」と呟いた。フィジカルトレーニングが行なえる施設の必要性や、ケガをしてもすぐに治療ができるメディカル面の整備を説き、練習後に選手が風邪をひかないよう、練習場の近くにシャワールームを作らせた。また、選手が100%サッカーに集中するために、ホペイロを雇うことも要求した。
今となってはJリーグの常識になっていることだが、そうやって鹿島は一歩、また一歩とプロのクラブへと成長していった。フロントがハード面を整備し、チームスタッフが練習、試合に向けて準備する。そして選手は試合で結果を出す。それぞれの仕事をお互いが尊重することで、チームに結束力と一体感が生まれる。そんな関係を大事にしていた。
プロサッカー選手としての勝利に対する執着心は、言葉だけではなくプレーで見せつけた。衝撃だったのは1993年5月16日、40歳で迎えた鹿島スタジアムでのJリーグ開幕戦だ。
相手はイングランドの世界的ストライカー、ガリー・リネカー率いる名古屋グランパスエイト。メディアは”ジーコVSリネカー夢の対決”と煽った。しかし、試合は予想外の展開になり、ジーコの独り舞台となった。
前半25分、強烈なミドルシュートで先制点を決めると、前半30分にも芸術的なフリーキックで2点目。後半18分にもアルシンドの右からのクロスをボレーで合わせ、Jリーグ初のハットトリックを達成した。試合は鹿島が5-0で快勝。リネカーを完全にわき役へ追いやってしまった。
この年、ジーコは例年よりも2カ月早い1月中旬に来日。開幕戦に向けてコンディションを整えてきた。日本サッカー界にとって歴史的な日のために準備してきた結果である。
鹿島はその勢いのまま、第1ステージ優勝を飾った。チャンピオンシップではヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)に敗れたものの、人口わずか4万5000人(当時)の小さな街をサッカータウンに変えたのは、間違いなくジーコだった。
ジーコがJリーグでプレーしたのは、この年と翌年の6月までの1シーズン半だけだった。23試合出場、14得点。この記録を上回る外国人選手はたくさんいる。しかし、住友金属時代からクラブに伝え、残してきたものの大きさは計り知れないものがある。
27年経って、鹿島は「常勝軍団」と呼ばれ、選手たちも「鹿島でプレーすることはタイトルを獲ること」と言い切る。今もなおジーコイズムが受け継がれている証拠だろう。
Jリーグが成功した要因のひとつに、小さな街に誕生した鹿島アントラーズというクラブの存在があるのは事実だ。リーグ最強クラブに成長したその歴史は、プロサッカークラブを作るためのモデルにもなるだろう。その土台づくりに貢献したジーコは、今も鹿島のテクニカルディレクターとしてチームを支えている。
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◆鈴木優磨の真剣な一問一答が面白い「鹿島で優しかった選手は?」「目標の選手は?」…イ・スンウは『Kyodai』(サカノワ)

【中古】 二十冠 アジアの頂、世界の壁。鹿島アントラーズ激闘録 /田中滋(著者)...
日本で一番嫌いなディフェンダーは「昌子源」。
ベルギー1部リーグのシント=トロイデンVV(STVV)でプレーする前鹿島アントラーズのFW鈴木優磨が4月6日夜から、SNSのインスタグラム(アカウントは @yuma.suzuki.9 )のストーリーで「なんでもどうぞ」とファンからの気になる様々な質問に真剣に答えている。「ベルギーはどうですか」「なぜスパイクを変えたの?」「対戦したくないDFは?」など、それぞれ意外な一面であり、なるほどと思わせる回答を連発している。24時間で終わるサービスで、日本時間の7日夜まで受け付けている。
2018年にアジアの頂点へと導き鹿島ですべてのタイトルを獲得し、ケガで招集は実現されなかったものの日本代表にも選ばれた。そして満を持して海外挑戦の道を選択した。ベルギーでの生活、鈴木はどのように過ごしているのか? ピッチ上からプライベートに至るまで、次のように回答している。一部を紹介しよう。
Q:「ベルギーはどうですか?」
A:「基本天気が悪いです」
Q:「なんでスパイクをプーマに変えたの?」
A:「履きやすいし、ルカクが履いているから」
Q:「しゃべれるようになりました?」
A:「わかんないから俺が日本語を教えている」
Q:「ゴールを決めることで意識していることはなんですか」
A:「自分のためじゃなくて、チームのために走れば、最後こぼれてくるよ」
Q:「松原選手とはもともと仲良しだったんですか?」
A:「彼と仲良くなる日が来るとは思いませんでした。チームメイトになるとも思いませんでした。自分より数字に弱い人は初めて見ました」
Q:「今まで対戦したなかで、すごいなって思った選手は誰ですか」
A:「ダンさん」=シュミットダニエル
Q:イ・スンウ選手と仲良しですか?
A:「kyodai」
Q:「日本で一番嫌いなディフェンダーは誰ですか?」
A:「昌子源 対戦は避けたい」
Q:「鹿島にいる時、特に優しくしてくれた選手は誰ですか?」
A:「毎年旅行つれていってくれました」=西大伍
Q:「目標としている選手はいますか?(日本人と海外選手)」
A:「海外はベンゼマ 日本は岡崎慎司選手」
[文:サカノワ編集グループ]
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◆【鹿島】ザーゴ監督の母が亡くなる。死因不明、ブラジルメディアが伝える(サカノワ)

NIKE(ナイキ) AQ9124 2019 ジュニア 鹿島アントラーズ ホーム ...
67歳、指揮官は「あなたなしに、今の私はいません」とSNSで悲しみと感謝の意を綴る。
鹿島アントラーズのザーゴ監督の母親であるオデット・トラヴォン・ザーゴさんが現地時間4月6日、ブラジルで亡くなられた。67歳、死因は不明。現地ラジオが訃報を報じ、ザーゴ監督も自身のSNSのインスタグラム(アカウントは @antoniocarloszago )で、幼き頃と最近の母との写真とともに悲しみと感謝の言葉を綴っている。
ブラジルのラジオ局『tupi.fm』は同6日、ザーゴ監督の母オデット・トラヴォン・ザーゴさんが、サンパウロの北西に位置するプレジデンテ・プルデンテで亡くなられ、死因は特定されていないと報じた。救急車により運ばれ緊急の処置が施されたものの、帰らぬ人となってしまったという。同じ日に新型コロナウイルスによって、イングランド・プレミアリーグ、マンチェスター・シティを率いるジョゼップ・グアルディオラ監督の母がスペインのバルセロナにて、82歳で亡くなられたことについても触れている。
また、ザーゴ監督はインスタグラムで貧しかった幼かった頃からを振り返り、「私たちはとても幸せでした。また、あなたの膝のなかにいられたらいいなと思ったこともありました。あなたなしに、今の私はいません」と、悲しみと感謝の気持ちを綴っている。
新型コロナウイルスの感染拡大の影響によるJリーグは中断され、鹿島も活動を休止中である。しかし同ウイルスの影響により、ブラジルは日本などからの入国規制をしているため、ザーゴ監督は帰国することも難しい状況だ。
ザーゴ監督の本名(フルネーム)は、アントニオ・カルロス・ザーゴ(欧文 : ANTONIO CARLOS ZAGO)。1969年5月18日生まれ、ブラジル出身、50歳。
現役時代はサンパウロ、ASローマ、ベジクタシュJK、そして柏レイソルなどでプレー。昨季はレッドブル・ブラジルを初の1部に昇格させ、その手腕が買われて、今季から鹿島を率ることになった。
[文:サカノワ編集グループ]
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