日刊鹿島アントラーズニュース

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2016年8月2日火曜日

◆「後半勝負」が鍵に…スタメン出場の興梠、完封負けも本番へ手応え(サッカーキング)


http://www.soccer-king.jp/news/japan/national/20160731/474369.html?cx_cat=page2



 リオ五輪日本代表は30日、国際親善試合でリオ五輪ブラジル代表と対戦し、0ー2で敗北を喫した。

 後半途中までプレーしたFW興梠慎三(浦和レッズ)興梠は試合展開について「前半は向こうの勢いがすごかったんで。多分ナイジェリアとかもああいう形にはなると思うけど、そこで0で抑えれば、後半チャンスは多く作れるのかなっていう感じです。収穫はすごくあったと思います」と、本大会へ活かせる内容だったと振り返った。その上で「取りきるところで取らないと、ダメ。何より今日は前線で全く(ボールを)キープできなかった」と改善点を明らかにしている。

 攻撃の形をどのように作っていくのか尋ねられると、「中盤でショートパスをつないでね。(浅野)拓磨が後半から出るってことは、やっぱ後半勝負だと思う。そこまで0で抑えて、裏をドンドンつけていけたらいいかなっていう感じはします」とコメント。我慢強く闘うことの必要性を感じているようだ。

 リオデジャネイロ・オリンピックは8月4日に開幕。リオ五輪日本代表は大会初日、同ナイジェリア代表と対戦する。

◆“灼熱”マナウスも問題なし GK櫛引「日本も暑い」(ゲキサカ)


http://web.gekisaka.jp/news/detail/?195470-195470-fl

 8月4日に五輪初戦ナイジェリア戦が行われるマナウスでトレーニングを開始したリオデジャネイロ五輪日本代表。日中には37度を記録したマナウスでは、午後7時からの練習も気温30度以上、湿度約70%と暑さが残る状況だったが、GK櫛引政敏(鹿島)は「日本も暑いし、別に気になるほどじゃない。全然大丈夫」と涼しい顔を見せた。

 7月30日に行われたブラジル戦後にゴイアニアからマナウスに移動したチームは、31日にはフリーの時間もあって「のんびり過ごせた」とリラックスできたという。暑熱順化のため、睡眠時にはエアコンの使用が禁止されたものの、「植田(直通)と同じ部屋ですが、海外で(エアコンを)つけたことはない。植田は絶対につけないし、自分も寝れればいいので」と意に介さない。

 30度を超す中の練習も、「日本の夏場に昼間に練習した方がきついくらい。太陽が出ていない分、問題ない」と話した。

 マナウスでは初戦ナイジェリア戦と第2戦コロンビア戦が行われる。ナイジェリア戦は3日後に控えていることもあり、「そろそろという気持ちがある」と語りつつも、「いつもどおり準備してやるだけ」と平常心でナイジェリア戦に向けて調整を続ける。

(取材・文 折戸岳彦)

◆元日本代表監督ジーコ氏とベルリン五輪代表チームが日本サッカー殿堂に選出(サッカーキング)


http://www.soccer-king.jp/news/japan/japan_other/20160801/475060.html?cx_cat=page1



 JFA(日本サッカー協会)は8月1日、第13回日本サッカー殿堂に、元日本代表監督のジーコ氏(特別選考)を掲額することを決定した。また、今回より新設した「チーム」には、「第11回オリンピック競技大会(1936年/ベルリン)日本代表チーム」を掲額することが決まった。

 これにより、日本サッカー殿堂(日本サッカーミュージアム内地下1階)に掲額される総数は、今回を加え
73名と1チームとなる。掲額式典は9月10日14時(予定)よりJFAハウス日本サッカーミュージアム内ヴァーチャルスタジアムにて開催予定。

・ジーコ/1953年3月3日生まれ

 1980年代にブラジル代表の背番号10を背負い、3大会連続でワールドカップ出場を果たした世界的プレーヤー。1991年に住友金属(後の鹿島アントラーズ)に加入し、38歳で現役復帰を果たすと、1993年のJリーグ開幕戦でハットトリックの活躍を見せるなど、卓越したプレーで国内のサッカーファンを魅了。Jリーグ開幕当初の爆発的人気に貢献した。また、選手引退後も鹿島アントラーズの強化に努め、Jリーグ最多優勝を誇るクラブの礎を築いた。

 2002年に日本代表監督に就任すると、2004年AFCアジアカップ中国で優勝。翌2005年には、FIFAワールドカップ ドイツのアジア地区予選を突破し、本大会出場をもたらした。日本代表監督として指揮した国際Aマッチ通算71試合38勝は、ともに歴代最多である。

・第11回オリンピック競技大会(1936年/ベルリン)日本代表チーム

 1936年に開催されたベルリン・オリンピックで、初参加ながら強豪スウェーデン代表に逆転勝利を収めた日本代表チーム。鈴木重義監督のもと、当時、関東大学リーグで強さを誇った早稲田大学の選手を中心にチームを編成。ドイツに入り、大会前に現地チームと練習試合を行う中で、それまで採用していた2バックから、当時の欧州で主流になりつつあった3バックへ大きくシステムを変更し、スウェーデン代表に挑んだ。前半に2失点とリードされるものの、後半は運動量とパスワークで上回り、同点に追いつくと、85分に松永行のゴールで逆転し、見事勝利を収めた。日本代表が世界の強豪と戦い、オリンピックで初めてあげたこの勝利は、「ベルリンの奇跡」として今なお語り継がれている。

監督:鈴木重義
コーチ:工藤孝一、竹腰重丸
主務:小野卓爾
選手:右近徳太郎、種田孝一、加茂健、加茂正五、川本泰三、金容植、佐野理平、笹野積次、鈴木(高島)保男、高橋豊二、竹内悌三、立原元夫、西邑昌一、不破整、堀江忠男、松永行

◆鹿島撃破の鳥栖指揮官が鹿島優勝を予言? 「対戦してみて、もう一度確認できた」(the WORLD)


http://www.theworldmagazine.jp/20160731/03domestic/78773



2ndステージ4勝2分と好調の鳥栖

J1リーグ2ndステージ第6節が30日に開催され、2ndステージ5試合で3勝2分と好調のサガン鳥栖が1stステージ王者の鹿島アントラーズと対戦。試合は1-0で鳥栖が勝利を収めたが、試合後、鳥栖の指揮を執るマッシモ・フィッカデンティ監督が対戦相手を称賛した。

ベストアメニティスタジアムで行われた鳥栖と鹿島の一戦で序盤から鹿島がボールを保持してチャンスを作り出すが、先制点を奪ったのは鳥栖。20分にFW豊田陽平がシーズン10点目となるゴールを決める。ホームでリードを奪った鳥栖はその後も安定した守備を披露し、鹿島の攻撃陣をシャットアウト。試合終盤には鹿島に決定機を作られるも、GK林彰洋のファインセーブもあって1-0のままタイムアップの笛を迎えた。

試合後、鳥栖のフィッカデンティは「見ての通り、厳しく、本当に厳しい試合でした」とコメント。「鹿島の歴史だったり、鹿島がどういうチームでなければいけないという流れを考えても、2ndステージの始まり方は鹿島にとってふさわしくない流れだと思いますので、今日でしっかりと取り返さないといけない、本当に厳しい戦い方をしてくるというのは待ち構えていた通りでした」と試合を振り返った。Jリーグ公式サイトが伝えている。

その強豪を下した鳥栖だが、同氏は対戦相手の鹿島について、「今日対戦してみても1stステージを優勝したその価値に値するチームだと、もう一度確認できた」と称賛。「鹿島はこういうチームだったら、ファイナル(明治安田チャンピオンシップ)もこのまま勝つかもしれないなというぐらい強さを感じました。そう思ったのが試合を終えてからの感想です」と語った。

1stステージを制して既にチャンピオンシップへの出場が決まっている鹿島だが、その鹿島を下した鳥栖も2ndステージは4勝2分で3位まで浮上した。“ダークホース”鳥栖は2ndステージを制し、鹿島が待つチャンピオンシップへと駒を進めることができるだろうか。

◆前鹿島のカイオ、UAE移籍に「幸せ」と語る(Qoly)


http://qoly.jp/2016/08/01/caio-talked-about-al-ain



『Gulf News』は「アル・アインに加入したFWカイオは、ドイツと中国からのオファーを断ったことを明かした」と報じた。

先月鹿島アントラーズを退団し、UAEの名門クラブであるアル・アインと契約を結んだカイオ。

現在はオーストリアでのトレーニングキャンプに参加しており、土曜日にはボローニャ(イタリア)との親善試合を行い、2-0で敗れている。

試合後カイオは以下のように話し、ビッグクラブに加入できたことを幸せに思うと語った。

カイオ

「僕は他のクラブからもオファーを受けていた。中国超級リーグからいくつか、ドイツ・ブンデスリーガから一つだ。

しかし、僕はこのようなビッグクラブの野望を持っているクラブに加入できたことを幸せに思う。

世界にもこんなクラブは存在しないよ。自前に3枚の国際標準ピッチを備えている。世界でも最高レベルのスタジアムを含めてね」

◆熊本地震復興支援活動 in 大津(鹿島アントラーズ)を開催(J's GOAL)


http://www.jsgoal.jp/photo/n-00007751/



2016年7月31日(日)、熊本県の大津町運動公園球技場で、熊本地震復興支援活動 in 大津(鹿島アントラーズ)を開催しました。この活動には、鹿島アントラーズから9名の選手が参加しました。

この活動は、日本プロサッカー選手会J100年基金を原資として開催しました。また、今回の開催するにあたりご協力頂いた皆さま、誠にありがとうございました。

【参加選手】
曽ケ端 準
西 大伍
昌子 源
山本 脩斗
柴崎 岳
永木 亮太
土居 聖真
赤崎 秀平
金崎 夢生

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