日刊鹿島アントラーズニュース

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2016年8月2日火曜日

◆元日本代表監督ジーコ氏とベルリン五輪代表チームが日本サッカー殿堂に選出(サッカーキング)


http://www.soccer-king.jp/news/japan/japan_other/20160801/475060.html?cx_cat=page1



 JFA(日本サッカー協会)は8月1日、第13回日本サッカー殿堂に、元日本代表監督のジーコ氏(特別選考)を掲額することを決定した。また、今回より新設した「チーム」には、「第11回オリンピック競技大会(1936年/ベルリン)日本代表チーム」を掲額することが決まった。

 これにより、日本サッカー殿堂(日本サッカーミュージアム内地下1階)に掲額される総数は、今回を加え
73名と1チームとなる。掲額式典は9月10日14時(予定)よりJFAハウス日本サッカーミュージアム内ヴァーチャルスタジアムにて開催予定。

・ジーコ/1953年3月3日生まれ

 1980年代にブラジル代表の背番号10を背負い、3大会連続でワールドカップ出場を果たした世界的プレーヤー。1991年に住友金属(後の鹿島アントラーズ)に加入し、38歳で現役復帰を果たすと、1993年のJリーグ開幕戦でハットトリックの活躍を見せるなど、卓越したプレーで国内のサッカーファンを魅了。Jリーグ開幕当初の爆発的人気に貢献した。また、選手引退後も鹿島アントラーズの強化に努め、Jリーグ最多優勝を誇るクラブの礎を築いた。

 2002年に日本代表監督に就任すると、2004年AFCアジアカップ中国で優勝。翌2005年には、FIFAワールドカップ ドイツのアジア地区予選を突破し、本大会出場をもたらした。日本代表監督として指揮した国際Aマッチ通算71試合38勝は、ともに歴代最多である。

・第11回オリンピック競技大会(1936年/ベルリン)日本代表チーム

 1936年に開催されたベルリン・オリンピックで、初参加ながら強豪スウェーデン代表に逆転勝利を収めた日本代表チーム。鈴木重義監督のもと、当時、関東大学リーグで強さを誇った早稲田大学の選手を中心にチームを編成。ドイツに入り、大会前に現地チームと練習試合を行う中で、それまで採用していた2バックから、当時の欧州で主流になりつつあった3バックへ大きくシステムを変更し、スウェーデン代表に挑んだ。前半に2失点とリードされるものの、後半は運動量とパスワークで上回り、同点に追いつくと、85分に松永行のゴールで逆転し、見事勝利を収めた。日本代表が世界の強豪と戦い、オリンピックで初めてあげたこの勝利は、「ベルリンの奇跡」として今なお語り継がれている。

監督:鈴木重義
コーチ:工藤孝一、竹腰重丸
主務:小野卓爾
選手:右近徳太郎、種田孝一、加茂健、加茂正五、川本泰三、金容植、佐野理平、笹野積次、鈴木(高島)保男、高橋豊二、竹内悌三、立原元夫、西邑昌一、不破整、堀江忠男、松永行

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