29年目を迎えたJリーグでは、これまでにさまざまな選手がピッチに立ってきた。今回は、鹿島アントラーズに所属した選手で最も多くJリーグの試合に出場した選手を紹介する。※成績はJリーグ通算
鹿島アントラーズの歴代最多出場選手ランキングのトップ10は、1998年に入団した「黄金世代」が多く登場する。
そのうちの一人、中田浩二はヨーロッパでのプレーした時期が長かったものの、10位にランクインした。本田泰人は6位に入った。
10位
中田浩二
生年月日:1979年7月9日
Jリーグ通算出場数:266試合
在籍時期:1998-04, 08-14
9位
野沢拓也
生年月日:1981年8月12日
Jリーグ通算出場数:285試合
在籍時期:1999-2011
8位
岩政大樹
生年月日:1982年1月30日
Jリーグ通算出場数:290試合
在籍時期:2004-13
7位
遠藤康
生年月日:1988年4月7日
Jリーグ通算出場数:301試合
在籍時期:2007-
6位
本田泰人
生年月日:1969年6月25日
Jリーグ通算出場数:328試合
在籍時期:1992-2006
5位:ヘディングといえばこの男
秋田豊
生年月日:1970年8月6日
Jリーグ通算出場数:334試合
在籍時期:1993-2003
秋田豊が鹿島アントラーズの歴代最多出場選手ランキングの5位だ。334試合に出場した。
1993年に鹿島アントラーズに入団した秋田は、1年目から35試合に出場。圧倒的なフィジカルを武器に活躍した。その強烈なフィジカルを武器としたヘディングは攻撃でも光り、DFでありながら20ゴールを挙げている。
日本代表としても活躍した秋田は、2003年まで鹿島アントラーズでプレー。その後、名古屋グランパスと京都サンガでプレーし、2007年に現役を引退した。
4位:天才ドリブラー
本山雅志
生年月日:1979年6月20日
Jリーグ通算出場数:365試合
在籍時期:1998-2015
鹿島アントラーズの歴代最多出場選手ランキング4位は本山雅志だ。365試合に出場している。
東福岡高校のスター選手の一人だった本山は、1998年に鹿島アントラーズに入団。1年目はリーグ戦で1試合出場にとどまったが、2年目に出番を増やし、3年目で6ゴールを決めた。以降はコンスタントに出場し、鹿島アントラーズの違いをつくる存在となった。
2002年には、ビスマルク退団に伴って、10番を引き継ぎ、2015年まで鹿島アントラーズでプレーした。
3位:J1通算400試合出場
青木剛
生年月日:1982年9月28日
Jリーグ通算出場数:376試合
在籍時期:2001-16
青木剛が鹿島アントラーズの歴代最多出場選手ランキングの3位だ。376試合に出場している。
前橋育英高校を卒業して2001年に入団した青木は、1年目で8試合に出場。次第に存在感を高めて定位置をつかんだ。2008年には日本代表にも選出されている。
青木は2016年に出場機会を求めてサガン鳥栖へ移籍。鳥栖でのキャリアを加えると、J1・400試合出場を達成している。
2位:鹿島の中盤といえば…
小笠原満男
生年月日:1979年4月5日
Jリーグ通算出場数:525試合
在籍時期:1998-2006, 07-18
小笠原満男が鹿島アントラーズの歴代最多出場ランキングの2位だ。ほぼ鹿島アントラーズ一筋のキャリアで525試合に出場した。
1998年に入団した小笠原は、MFに必要なものを高いレベルで持ちあわせ、順調に定位置を確保。守備センスも光り、長く鹿島の中盤を支えた。
小笠原は2006年から期限付きでイタリアのメッシーナへ移籍。小笠原がプロキャリアで唯一鹿島アントラーズを離れたのがこの時期だった。
1位:鹿島アントラーズの大守護神
曽ヶ端準
生年月日:1979年8月2日
Jリーグ通算出場数:533試合
在籍時期:1998-2020
鹿島アントラーズの歴代最多出場選手は、曽ヶ端準だ。小笠原満男と8試合差でトップとなっている。
1998年にユースからトップに上がった曽ヶ端は、2001年に正守護神に昇格。その後は鹿島アントラーズのゴールマウスで最後の砦となり続けた。J1優勝7回など、輝かしいキャリアを過ごしている。
2017年以降は出場機会が減り、2020年に現役を引退。23年間にわたって鹿島アントラーズ一筋だった。
【了】