遺伝子~鹿島アントラーズ 絶対勝利の哲学~(41)
植田直通 後編
「何度も何度も第4審判が、もうアップをやめろと言ってきた。確かにもう3人の交代枠は使っていたけれど、延長になれば、4人目の交代が認められる。その4人目の準備を続けなくちゃいけない。そういう気持ちで選手たちにアップを命じていました。でも、第4審判には僕らの気持ちが伝わらなかった。だから、数名だけ残して、あとはベンチに引き上げるよう選手たちに伝えました。非常に悔しかったですね」
そう語る羽田憲司コーチからは勝負を諦めない想いが伝わってくる。
2018年12月19日。クラブW杯準決勝の対レアルマドリー戦で、鹿島アントラーズは1-3で敗れた。前半終了間際に失点し、後半開始から10分間で2失点を喫した。土居聖真のゴールで1点を返したものの、それ以上挽回する時間も力も鹿島には残ってはいなかった。
1-3というスコア以上にピッチに立った選手たちが味わった屈辱は大きい。
試合開始直後に2度の得点機はあったが、決め切れなかった。その後レアルはギアをあげることもなく、ゆっくりとパスを回し続けるだけだった。ボールを獲りに行けばかわされるかもしれない。かといって、距離を保てば、好きにやられ続けるだけだ。ゆったりとゲームを進めようとする相手をねじ伏せるべきだったのかもしれない。仕掛けてはこない相手にどうするべきかという迷いがチーム内に漂っていた。相手に合わせるつもりはなくとも、合わせざるを得ない、そんな時間が続いた。そして後半、ミスからの2失点目が大きく響き、続けざまに追加点を許すことになった。
「勝ちに行く」
その想いを結果に繋げられなかった。対応力も組織力もそして選手個人の力、プレースピードや技術精度、戦略、あらゆることが足りなかった。
「チームとしてももう少しいろんなバリエーションというか、懐というか、幅というか、どういう言葉が適切なのか今はわからないけれど。いろんなものに対応できる大きさ、チーム力の大きさ、幅の大きさ。レベルが上がれば(それらが)もっともっと必要になってくる。これは選手だけじゃなくて、スタッフも含めてね。だからこそ無駄にしたくない。この悔しさだとかは、僕にとってはエネルギーになる。今後の監督人生もそうだし、このチームを率いている上では絶対に忘れてはいけない試合のひとつになった」
12月20日の練習後、大岩剛監督はレアル戦をそう振り返った。見せつけられた力の差は選手個人だけでなく、監督やコーチ、そしてフロントなど、鹿島アントラーズに関わる様々な人間たちにとっても同様なのかもしれない。
「どんな試合でも100点満点なんてない。悔しさはサッカー選手にとって必要なことだけど、僕は勝って成長したい」
レアル戦後、泣き崩れるようにして感情を発露させた安部裕葵はそう言って前を向いた。
負けることを許さず、たとえ相手が欧州王者であってもその姿勢は変わらない。鹿島アントラーズもまた、勝つことで、成長し続けたクラブだ。しかし、勝利の美酒だけで成長してきたわけじゃない。
白い巨人と言われる名門中の名門チームと対戦した。選手個々の力の差、歴史の差、クラブの格の違い。それは試合前から自覚していたはずだ。日本のクラブが負けるのは、世界的に見れば当然の結果だろう。それでも、これほどまでに悔しいと感じられることが選手やチームの可能性を示しているのかもしれない。
中2日で今季60試合目となる南米王者リバープレートとの3位決定戦が待っている。多分この試合でもまた、悔しさを味わうに違いない。勝利したとしても多くのことを気づかされる一戦になるだろう。その気づきがまた鹿島を強くすると願う。
ベルギーリーグ1部のセルクル・ブルージュでプレーする植田直通。U-17W杯に出場するなど各年代の日本代表として活躍を続けてきた植田にとって、2018年夏、念願の海外移籍が実現した。リーグ戦第3節にはスタメンデビューも飾り、現在では先発に定着したと言ってもいいだろう。
中学生時代にはテコンドーで日本一に輝いたという異色のCBは、高校時代から”超高校級”と注目を集めた。熊本県大津高校卒業時には、数多くのJクラブから獲得のオファーがあった。そして、植田は「一番、試合に出るのが難しそうだったから」という理由で、鹿島アントラーズ入りを決めた。
――鹿島アントラーズからのオファーをどう受け止めましたか?
「実は、高校時代は、自分がプレーすることに夢中で、(他チームの)サッカーを見ていなかったので、鹿島がたくさんタイトルを獲っている強豪だっていうこともあまり知らなかったんです。でも、先生やチームメイトがいろいろ教えてくれたんですよ」
――いくつものクラブからオファーがあるなかで、鹿島に決めた理由は?
「5チームくらい、練習に参加させてもらったんですが、そのなかで、鹿島が一番試合に出るのが難しいだろうなと感じたんです。CBの選手を見ても、(岩政)大樹さん、青木(剛)さん、ヤマ(山村和也)さん、(昌子)源くんがいて、それに(中田)浩二さんもいましたからね」
中学生時代にはテコンドーで日本一に輝いたという異色のCBは、高校時代から”超高校級”と注目を集めた。熊本県大津高校卒業時には、数多くのJクラブから獲得のオファーがあった。そして、植田は「一番、試合に出るのが難しそうだったから」という理由で、鹿島アントラーズ入りを決めた。
――鹿島アントラーズからのオファーをどう受け止めましたか?
「実は、高校時代は、自分がプレーすることに夢中で、(他チームの)サッカーを見ていなかったので、鹿島がたくさんタイトルを獲っている強豪だっていうこともあまり知らなかったんです。でも、先生やチームメイトがいろいろ教えてくれたんですよ」
――いくつものクラブからオファーがあるなかで、鹿島に決めた理由は?
「5チームくらい、練習に参加させてもらったんですが、そのなかで、鹿島が一番試合に出るのが難しいだろうなと感じたんです。CBの選手を見ても、(岩政)大樹さん、青木(剛)さん、ヤマ(山村和也)さん、(昌子)源くんがいて、それに(中田)浩二さんもいましたからね」
――自身は6番手くらいですか?
「ほかのチームの中には、試合に出られそうだなというチームもありましたけど。今までの僕の人生はいつも、難しいほうを選ぶという選択をしてきたので、迷わず鹿島に決めました」
――加入早々のナビスコカップ(現ルヴァンカップ)でデビューしたものの、そのシーズンはカップ戦3試合に出場しただけで、リーグ戦には1試合も出場していないですよね。
「そうなんです。ゼロです(笑)」
――そこは覚悟していたとは思うんですが、それでも……悔しさもあったんじゃないんですか?
「悔しさは多少ありましたけど、腐ったりすることはなかったです。紅白戦には出させてもらっていたし、そこで学ぶことがたくさんあったので。当時は紅白戦にも出られない選手がいたし、1年目なんてそれが当たり前というような環境でしたから」
――Jリーグでそういう下積み時代を過ごしたことは、海外でプレーするうえで重要な忍耐力を培ってくれたのではないでしょうか?
「それは間違いなくそうですね。僕もそう思います」
――ポジションを獲っていくという意味では今も鹿島時代と同じような立場を経ていると思うのですが。
「僕は1年目だけじゃなくて、ベンチのシーズンがたびたびあったので、そういうときの経験が活きていると思います。当時の気持ちは今も覚えています。普段の練習から、相当必死でした。そして今、気づくことは、そういうときこそ、あまり自分の考えを変えないほうがいいのかなって。自分がやっていること、やってきたことを継続してやり続ければ、必ず結果に結びついている。だから、試合に出られないから、なにかを大きく変えるとかじゃなく、今までやってきたことをずっと続ける。そのうえで必要なことはプラスしていくという方法でいいんだと考えています。必ず結果が出るという想いを信じて、結果を出してきた。もちろん、そういうときのつらい経験もいい経験だったなって思います」
――試合に出たり、出なかったりというのは、メンタルを保つのも難しいでしょうね。
「鹿島時代には前日練習ではスタメン組だったのに、試合当日ベンチ外というのもありました。監督から何かを説明されることもなかった。当時はまだ、僕が幼かったのもありますけど、かなりイラついたこともありました。時にはそれが態度に出てしまったこともあった。そういう経験があって、自分のメンタルも強化されました」
――2015年のナビスコカップ優勝のときは、決勝でまさかのベンチ外でしたね。
「ガンバ大阪相手に3-0で勝ちましたけど、僕はスタンドで観戦していました。遠征メンバーにも選ばれて、突然のベンチ外でしたから、優勝しても嬉しくなかったです。逆にセレモニーのときにはちょっと気持ちが荒れました。ピッチに出てみんなで喜ばなくちゃいけないのに、喜べなくて。そしたら当時コーチだったヤナ(柳沢敦)さんに『今は我慢して、こういう場所に相応しくふるまえ。次タイトルを獲るときは、必ずピッチに立っていろ』と言われたんですが、その言葉が僕のなかに刺さったというか、すごい思い出として残っています。最初は厳しい口調で、『お前が悔しいのはわかるけど』みたいな感じでしたね。そんなヤナさんの言葉を、選手としてだけでなく、ひとりの人間として大切なことだと受け止めました。だから、それ以降、自分がベンチだとしても、チームが勝てば自分が出たかのように喜ぶようになりました。そういうのは、『こいつはチームのために戦っている。チームとともに戦っている』とチームメイトにも伝わるし、監督にも伝わると思うんです。それが信頼に繋がる。だから、ヤナさんに言ってもらえて本当によかったですね」
――先輩たちに声をかけてもらったことは?
「それはまったくなかったですね。鹿島はそんなに先輩が声をかけるタイプのチームじゃないから。それは自分で乗り越えろ、みたいな感じがあるので。でも僕は、それは最大のやさしさだと思っています。そっと見守るじゃないけれど、そういう感じで接してくれるというのは。何かを質問すれば、答えてくれる。でもそのときも、すべてを教えるわけじゃない。やっぱり、自分で気づくというのが一番大事なことだから。そういうことを教えてくれたり、気づかせてくれたりしたのが鹿島の先輩たちです。本当にすごい人たちがたくさんいて、いろいろ学ぶことも多かった。気づかせてくれる人の存在が僕にとっては重要だったと思います」
――鹿島はなぜこんなに多くのタイトルを獲れるのでしょうか?
「僕も何個かタイトルを獲りましたけど、そこはよくわからないところですね。やっている僕ら自身は、ただ必死に戦っているだけだから。とにかく無失点で試合を終えたいと。1-0の勝利というのは、燃えますね。そこにこだわりを持っているDFは鹿島には多いと思うし。ゼロというところにはかなり執着しているというか。後ろが必ずゼロで終われば、あとは前の選手が得点をすれば勝てる。無失点であれば、負けないから」
――鹿島のCBが持つ、独特な雰囲気の源ってなんでしょう?
「鹿島の歴代のCBの選手というのは、誰が見ても本当にすごい方たちばかり。そういう方たちと比べられる機会がたくさんあります。そういうのもあって、今までの選手を越えたいという気持ちはずっと持っていました。もちろん、鹿島アントラーズのCBということに誇りを持っていたし、鹿島のエンブレムを背負うというのは日本を背負うことでもあるというのは、鹿島に入ったときからずっと言われてきましたから。そういう想いで僕はずっとやってきました」
――鹿島のCBのほとんどが日本代表ですからね。鹿島で培ったもののなかで、今後も大事にしていきたいものとは?
「試合に出られないときの悔しさというのが、今の僕を作っていると思うし、そういうときの悔しさを忘れないということが、今の僕の教訓です。これから先、試合に出られないとか、そういう立場、壁にぶち当たったとしても、鹿島での経験があるから、これからもやっていけると思うので、それはすごく大事にしていきたいです」
――試合に出られないところから始まるというのは、レベルアップの必須条件?
「そうですね。欧州にはいろんな選手がいますからね、そして、いろんな監督もいる」
――いい出会いが最高な状況を生み出すこともあれば、逆もある。巡り合わせでうまく行くこともあれば、巡り合わせが悪くて、最悪な状況になることもある。欧州では「絶対」がないし、とにかく猛スピードでいろんなことが起き、変わります。
「でも、それが面白いと思います。いろんなことが起きるけれど、それを面白がれないと、こっちではダメだと思っています。とにかく、僕は今までどおり、這い上がっていくだけです」
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