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2018年12月24日月曜日

◆レアルとの対戦を振り返る植田直通。 善戦との評価は「本当に嫌だった」(Sportiva)


遺伝子~鹿島アントラーズ 絶対勝利の哲学~(40)
植田直通 前編

植田直通 Naomichi.Ueda


 UAEアルアイン。日中は暑いくらい日差しが強いが、陽が落ちると内陸に位置するアルアインは急激に気温が下がる。12月13日、クラブW杯を準々決勝から戦う鹿島アントラーズはキックオフの時間に合わせた夕刻、市内でトレーニングを行った。

「昨日、初めてこっちで練習したときは、『空気が乾いているな』とか、日本とは違う感覚があった。こういうのは久しぶりだね」

 今季ACLでのアウェー戦での帯同がなかった内田篤人は久しぶりの国外ゲームを前にその違いについて語っている。シャルケ時代には毎シーズンのようにチャンピオンズリーグや欧州リーグなどクラブでの国際試合を経験している男は、初戦の重要性を認めながらも、今大会の特長を踏まえて話す。

「どんな大会でも初戦は重要。W杯(ロシア大会)でも(初戦の)コロンビア戦に勝ったことで勢いに乗れた部分はあったはずだから。でもそれは、グループリーグでの話。今回はトーナメントだからね。すべての試合を決勝戦のつもりで戦わなくちゃいけない」

 現地時間12月15日、鹿島は初戦でメキシコの名門クラブ・グアダラハラと対戦する。

「メキシコのチームと戦ったことはないけれど、上手い選手は多いはず。今大会には、力的に考えて、俺らよりも下のチームはいないから」と言う。「いつも通りにやるだけ」と平常心の重要性を口にしながら、警戒心、危機感は失ってはいない。それでも若手の活躍を促したあと「うちらは挑戦者だから」とも話した。

「あとは怪我をしないことだよね」

 鹿島復帰後最初のシーズンとなった今季。負傷やコンディション不良を繰り返し、連戦に耐えたのは2か月にも満たなかった。

「これじゃあ、帰ってきた意味がないよ」

 内田が吐き捨てるようにこぼしたのは、ホームでのACL決勝戦前日だった。悲願のアジア王者に繋がる道程で、水原三星戦では貴重なゴールも決めている。それでも、「4つのタイトルを獲るために」とドイツから帰還した男にとって、この結果だけでは満足とはほど遠い。結局、国内タイトルはいずれも手にできなかった。

 短期決戦を走り切り、クラブW杯決勝戦を目指す。今季最後の戦いで内田篤人は自身の存在価値を証明する。そんな意欲が彼の奥底に隠されているはずだ。

「こういう賞をいただけて、本当に嬉しいですし、光栄です。でも自分は満足していない。もっと得点という『数字』を残したい」

 この日、Jリーグのベストヤングプレーヤー賞を受賞した安部裕葵。目に見える結果、ゴールへの意欲は消えない。

 タイトル、そしてゴール。

 飢えた男たちの意地に期待したい。




 中世の街並みが残る中心地は、世界遺産に指定されている。欧州有数の観光地でもある、ベルギー・ブルージュ。その町をホームタウンとするクラブが今季ベルギー1部リーグにふたつ存在することになった。ひとつは欧州チャンピオンズリーグ常連クラブでもある強豪クラブ・ブルージュ。そして、もうひとつは、2014-2015シーズン以来の1部復帰となったセルクル・ブルージュ。両クラブは同じスタジアムを使っているだけでなく、普段からスタジアム内のロッカールームを使用し、隣接したグラウンドでトレーニングしている。





「僕は見たことがないんですが、聞いたところによると、クラブ・ブルージュとセルクルとでは、ロッカー内の施設などがまったく違うらしいんですよ」

 この夏、セルクルの一員となった植田直通が教えてくれた。

 2018年夏、W杯ロシア大会終了直後、鹿島アントラーズから植田は移籍している。

 12月2日。そんな植田に会うためにブルージュへ足を運んだ。日曜日ということもあって、多くの観光客が訪れる中心地のはずれのカフェに現れた植田は、肩の力が抜け、はつらつとした明るいオーラを身にまとっている。リラックスした表情が柔らかい。

――欧州生活はいかがですか?

「本当に居心地がいいです。周りを気にしなくてもいいし、確かに観光地だから人は多いですけど、あんまり気にならない。食事する店もあるし、ちょうどいいですね。こっちへ来てから、できるだけ外出するようにしているんです。せっかくの海外ですから。やっぱりよりアクティブに暮らしたいなと思って。知り合いも結構増えましたから」

――社交的なんですね。

「でも、気がつくと、豊川(雄太/オイペン)とばっかり会っていますね。豊川のところへは列車で3時間くらいかかるんです。でも、ここから列車1本で行ける。だから、あいつは2回もブルージュへ来たし、ふたりでデュッセルドルフに出かけて日本食を食べたりもしました」

――豊川選手は鹿島でも同期でしたが、なにより大津高校時代の同級生ですよね。

「まさか、ですよね。ベルギーで対戦しているんですから」

――高校時代とかにふたりで「いつか、欧州で」なんて話は?

「まったくしていないですよ。あいつが海外へ行くなんて思ってもみなかったから」

――植田選手が海外でプレーしたいというふうに考えたのはいつ頃だったんですか?

「高校を卒業する頃には、将来海外へ行きたいと考えてはいましたね。その前に鹿島へ入って、成長して、それから海外へ行こうという気持ちでした」

――U-17W杯やリオ五輪と世界大会を経験されてきたからこその想いもあったのでしょうか?

「そうですね。誰かに憧れてということはなくて、自分自身がいろんな選手と戦って、こういう選手たちに負けないように成長するには、同じ環境でやりたいなと感じるようになったんです。その想いはクラブにも伝えていました。だんだん時間が経ち、そろそろ行かなくちゃいけないなという気持ちが高まってきました」





――2016年のクラブW杯でファイナリストになり、レアル・マドリーと対戦した経験で自信を得たこともあったのではありませんか?

「あの決勝戦は4失点もしているので、ポジティブな気持ちにはならないです。相手がどこであっても4失点もしていたら、DFとしては話にならない」

――善戦したという評価もありましたが……。

「それは本当に嫌でしたね。相手に関係なく、僕らは負けているわけだから。実際に対戦した実感としては、個人としてもチームとしても、結構差があったと感じています」

――じゃあ、危機感しかなかったと。

「クラブW杯だけじゃなくて、ロシア(W杯)も含めて、いろんなものを経験して、やっぱり常に世界の強い人たちと戦える環境にいなければいけないと思ったし、そういう環境に身を置けば、自分がもっともっとレベルアップできると思ったんです」

――そして、W杯ロシア大会終了後の7月に移籍。5年半過ごした鹿島アントラーズを離れるというのは……。

「海外移籍できるという嬉しい気持ちと同時に鹿嶋を離れる寂しさが大きかったです。鹿嶋、大好きだったんで、僕は。町もそうだし、チームもそうだし。あんなに居心地のいいところはなかったので。町の人は温かいし、仲のいい人もたくさんいたので。でも、そういう寂しさも含めて、海外移籍なんだなと思っています」

――セルクルでも試合出場時間が増えていますが、監督の信頼を勝ち取ったという手ごたえはありますか?

「うーん。どうですかね。まだまだだと僕は思っています。自分のプレーにもまだ納得していないところがあるので。もっとやらなきゃいけないという想いが強いですね。対戦相手のデータが何もない状態で、どんな選手かなぁというのを確かめながらプレーしなくちゃいけないので。そのうえで、今チームとしてやっていること、やろうとしていることを自分のなかに落とし込んでいる状態で、それを最近やっと自分で表現することができるようになったと思うので、本当にこれからだと考えています」

――欧州のディフェンダーは、まずは1対1勝負が求められ、身体能力の高いFWとの勝負はJリーグとも違うと思うのですが。

「今まで自分がやってきたサッカーとは、全然違うと感じています。今までやってきたセオリーみたいなものを、全部ぶっ壊されたというか。僕が日本でやってきたサッカーを考えると、滅茶苦茶だなというようなこともいっぱいあります。だから、自分のなかで、困惑というか、悩むところもあります。でも、それをやっていかなくちゃいけない。日本と同じじゃなくても、まずはやってみようという気持ちですね。じゃないとここに来た意味がないから」

――自己主張の強い人間が多いでしょうから、文句を言われることも多いんじゃないですか? 言葉ができないと言い返せないから、言われっぱなしになるのでは?

「そうですね。でも、僕は言わせないようにしています。態度で示して。そこが大事だと思います。だから楽しくやっています。キレるし、めっちゃ怒りますから、僕。言葉ができなくても伝わりますよ。それにピッチの上で多少険悪になっても、こっちではそれを引きずることがないので。とにかく、言葉ができなくても主張しないとダメなんです。こっちへ来て、より深く考えないようになりましたね。全部を楽しめるようにしました」

――考えてもどうしようもないことが多いから?

「そうですね。すごい、理不尽なこともいっぱいあるし。なんで?と思うことがこっちではたくさんあるけど。それにひとつひとつ対処して、落胆したり、怒ったりとか、いろいろ気持ちに変化が生まれたら、それは僕にとってのストレスだし。日本では当たり前だったことが、こっちでは当たり前じゃないので。深く考えないで、笑うくらいにします」

――ベルギーリーグというのは、欧州リーグの中では中級レベルというイメージなんですが、ここからのスタートをどんなふうに捉えていますか?

「僕らしいと思います。下から這い上がっていくというこのやり方が気に入っているから。というか、僕の人生はずっとそうだったので」

――エリート選手というイメージが強いですけど。

「まったく、全然ですよ。僕が鹿島を選んだのも、一番試合に出るのが難しそうなチームだったからなんです」


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