日刊鹿島アントラーズニュース

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2018年11月4日日曜日

◆鹿島の選手のJデビュー時。椎本 邦一は「親みたいな気持ちになる」(Sportiva)





遺伝子~鹿島アントラーズ 絶対勝利の哲学~(35)
椎本邦一 後編

◆土居聖真「ボールを持つのが 怖くなるほど、鹿島はミスに厳しかった」(Sportiva)
◆中田浩二「アントラーズの紅白戦は きつかった。試合がラクに感じた」(Sportiva)
◆中田浩二は考えた。「元選手が 経営サイドに身を置くことは重要だ」(Sportiva)
◆スタジアム近所の子供が守護神に。 曽ヶ端準とアントラーズの幸せな歩み(Sportiva)
◆曽ヶ端準「ヘタでも、チームを 勝たせられる選手なら使うでしょ?」(Sportiva)
◆移籍組の名良橋晃は「相手PKに ガックリしただけで雷を落とされた」(Sportiva)
◆名良橋晃がジョルジーニョから継ぎ、 内田篤人に渡した「2」への思い(Sportiva)
◆レオシルバは知っていた。「鹿島? ジーコがプレーしたクラブだろ」(Sportiva)
◆「鹿島アントラーズは、まさにブラジル」 と言い切るレオシルバの真意(Sportiva)
◆「ジーコの負けず嫌いはハンパなかった」。 本田泰人はその魂を継いだ(Sportiva)
◆「アントラーズの嫌われ役になる」 本田泰人はキャプテン就任で決めた(Sportiva)
◆ユースで裸の王様だった鈴木優磨が 「鼻をへし折られた宮崎キャンプ」(Sportiva)
◆鹿島・鈴木優磨のプロ意識。 いいプレーのため、私生活で幸運を集める(Sportiva)
◆岩政大樹の移籍先は「アントラーズと 対戦しないこと」を条件に考えた(Sportiva)
◆三竿健斗は感じている。勝たせるプレーとは 「臨機応変に対応すること」(Sportiva)
◆三竿健斗は足りないものを求めて 「ギラギラした姿勢で練習した」(Sportiva)
◆森岡隆三が鹿島で過ごした日々は 「ジレンマとの闘いだった」(Sportiva)
◆清水への移籍を迷った森岡隆三。 鹿島と対等での戦いに違和感があった(Sportiva)
◆安部裕葵は中学でプロになると決意。 その挑戦期限は18歳までだった(Sportiva)
◆安部裕葵は断言。「環境や先輩が 僕をサッカーに夢中にさせてくれる」(Sportiva)
◆ジーコが鹿島を称賛。「引き継ぎ、 やり続けたことが成果になっている」(Sportiva)
◆ジーコは意気込む。鹿島のために 「現場に立ち、構築、修正していく」(Sportiva)
◆山本脩斗の鹿島加入時の逸話。 「強化部も僕をよく知らなかったと思う」(Sportiva)
◆鹿島で優勝する術を学んだ山本脩斗。 「満男さんがそれを示してくれた」(Sportiva)
◆鹿島のスカウト担当部長は、 「安部裕葵に柴崎岳と似たものを感じた」(Sportiva)


「楽しかったですね。サッカーを楽しめました」

 プロ4年目にして、Jリーグ初先発出場となった久保田和音が充実感に満ちた表情を浮かべ語る。

 公式戦では10月3日のACL水原三星戦以来の勝利を1-0というスコアで飾った10月31日Jリーグの対セレッソ大阪戦。先発メンバーに並んだのは、リーグ戦初出場となる久保田、初先発の山口一真や田中稔也たちだった。若い選手たちを支えるのは、GKクォン・スンテ、CB昌子源、犬飼智也、ボランチの永木亮太と小笠原満男。それでも1週間前のACL対水原三星戦の先発メンバーから9人も選手を入れ替えた。

 ルヴァンカップを準決勝で敗退してしまったが、それにより得たのが1週間のインターバルだ。「今年に関して言えば、(試合間が)1週間空くのは、『本当に時間がある』という感覚です(笑)」と犬飼。この時間が重要だった。

 10月24日の韓国でのACL準決勝を終えたチームは2日間のオフを経て、27日に練習を再開。今季はなかなか実施できなかった紅白戦も行い、試合を迎えられた。

 ACL決勝を前に、Bチームとも言えるようなメンバーでリーグ戦に挑むのは、ある種、当然のことなのかもしれない。しかし、来季のACL出場権獲得のための争いも佳境を迎え、勝ち点を落とすことはできない。「総力戦」と常々語っている大岩剛監督にとっても大きな決断だっただろう。指揮官の勇気、そして、厚い信頼に応えるかのように「選ばれた」者たちは、使命感に燃え、結果を手繰り寄せた。昌子が振り返る。

「いい試合だった。若い選手が特に頑張ってくれた。選手全員の名前を言いたいくらい、全員が良かった。プレーの精度という部分での課題もあるけれど。たとえば(山口)一真が最後までシュートにこだわって、強引に打ったシーンというのは、点を決めたい、勝ちたいという気持ちが表れていた。僕らも若い選手をサポートしながらなんだけど、若い選手も僕らをサポートしてくれる。非常にいい関係だったんじゃないかと思います」

 勝ってACL決勝戦へ繋げる。

 試合出場機会に飢えた選手たちは、それを満たすためだけにプレーしたわけではなかった。個人の感情以上にチームの一員としてやるべきタスクに忠実だった。だからこそ、小田逸稀が値千金とも言える初ゴールを奪い獲ると再三のピンチも粘り強く耐え、逃げ切った。ボールを奪われたら奪い返す。切れない集中力が身体を動かしているように見えた。

「(経験のある選手たちが)僕たち若手に対して、試合前に『思い切りやれよ』と言ってくれました。そんな気づかいや試合中にもたくさん声かけをしてくれたので、やりやすい部分があった。もちろん開始直後は緊張感もありましたけど、ボールを触るにつれ、なくなっていった。強気で戦うことができました」と久保田は、過去、カップ戦に出場したときとは「自分のメンタルが違う」と話した。

 練習を重ねて磨いた力を試合で発揮させる。

 若い選手が躍動できる空気を経験ある選手たちが作った。先発陣、ベンチ入りした選手だけでなく、あらゆる立場の人間がチームメイトをサポートした。

 この日の勝ち点3は、鹿島の選手層の厚さを示すにとどまらない。チームが文字通り一丸となって発揮した総合力の高さがつかんだ結果だった。

「全員が割り切った考えをして戦ってくれた。ここで滅茶苦茶活躍して、ACLに出てやるという考えじゃなくて、俺らがここで、滅茶苦茶いいプレーをして勝って、ACLへ勢いをつけるという考えを持ってやってくれていたのが、今日の結果を生んだんじゃないかなと。これは本当にデカいと思いますよ。気持ちを全面に出したプレーをすれば、相手よりも先に(ボールに)触れる。今日戦った選手たちの姿勢というのは、(主力組に)刺激を与えまくった」と昌子は力をこめた。

 繋がれた「信頼の絆」を強く感じる夜は、大一番への架け橋となるのか。



 鹿島アントラーズの前身である住友金属でプレーしていた椎本邦一氏は、30歳で現役を引退後、ユースチームでの指導を経て、1994年にスカウト担当となった。今もなお高校、大学の大会に足を運び続ける。そして時間が許せば、ピッチに置かれたベンチに座りトップチームの練習を見ている。自身がその扉を開いたプロという環境で、選手たちがどう戦っているのかを見守る椎本スカウト担当部長の姿こそが、「選手を育てるクラブ」という鹿島を象徴し、信頼を築いてきたことが伝わってくる。





――選手をスカウトするうえで、鹿島アントラーズのブランド力というのはどのようなものなのでしょうか?

「たとえば強豪だとか、いろいろな情報はインターネットなどを通じて親御さんや学校も得てくれているようで、わざわざクラブについて説明することはほとんどないですね。そのうえで、『鹿島は選手を育てるクラブ』というふうに考えてもらえているなと感じます」

――選手を育てるのは、指導者や先輩選手の存在ということなのでしょうか?

「それらすべてを含めた環境ですね。鹿嶋は大都会ではないけれど、だからこそサッカーに集中できる場所なんだと思う。チームがひとつの大きなグループになっていて、選手同士が近い関係を作っていると感じますね。同時に、クラブが大事にしている『スピリット・オブ・ジーコ』という芯があるから。チームのために戦うこと。そのうえで結果も残している。そういう想いというか、姿勢を選手同士で共有し、若い選手にも伝えている。受け継がれる文化みたいなものが鹿島にはあります。当然それを僕自身も大切にしてきました。だから、高校や大学関係者からも『鹿島はブレない、真面目なチーム』というふうに言ってもらえる。監督が代わったり、多少調子の悪い時期があったりしても、『鹿島には戻る場所、ベースがある』とも。また、ありがたいことに、『この選手は鹿島に合わないと思うから、推薦できないな』と先生に言ってもらえることもあるんです」

――チーム作りという面でのベースもはっきりしていますよね。

「だから、ある意味スカウトの仕事もやりやすいのかもしれません。このポジションにはこういう選手が必要だという基本的なものがあるから。イメージしやすいですね」




――プレースタイルだけでなく、鹿島という環境に適した選手が集まるのは、椎本さんの眼に加えて、ブレない鹿島アントラーズの姿を周りの眼が理解しているからなのかもしれませんね。

「本当にありがたいことですね」

――柴崎岳選手が高校2年時に鹿島と仮契約を結んだり、契約時期が早まっています。

「岳のときは、周囲からも驚きの声が出ましたが、選手自身の意向を優先させているだけなんですよ」

――早く進路を決めれば、落ち着いた状態でサッカーに取り組めるという利点が選手にあるわけですね。鹿島では新卒選手との契約について、年齢とポジションのバランスを考えていると聞いたことがありますが、どれくらい先を見据えているのでしょうか?

「現有戦力のバランスも含めて、2年後、3年後のことはイメージしています。加入後、想像以上のペースで成長する選手もいれば、その逆もいます。鹿島で結果が残せず、移籍せざるを得ない選手もいれば、海外移籍など、想定外のことも起こりうる。だからといって、高卒即戦力というわけにもいかない。もちろんそういう選手もいますが、そこを期待するのは選手には酷だなとも」

――やっぱり、高卒なら2、3年の時間は必要だと。

「身体も出来てないですしね。本人の気持ちが大前提ですが、最低3年は様子を見ようと考えています。僕の仕事は、契約を結んで終わりじゃない。だから、試合や練習が見られるときは、それを見て、必要な声をかけるようにしています。ときどき嫌味を言うことさえあります(笑)。いきなりプロという環境に立ち、舞い上がる選手もいます。僕らは親御さんから、息子さんを預かったわけですから、プロサッカー選手としてだけでなく、社会人としても育てる義務があると思っているので」

――スカウトをしていて、一番うれしいことはなんですか?

「鹿島を選んで、来てくれた選手が、試合に出ることですね。代表に選ばれる以上にJでデビューしたときがうれしいですね。本当にドキドキしますよ。『つまらないプレーをしたらどうしよう』とか、『大したことないなと思われたら……』とか(笑)。まるで『はじめてのおつかい』の親みたいな気持ちになりますね。なかには数年かかる選手もいるから。もちろんワールドカップ出場もうれしいけれど、デビュー戦は格別ですね」

――24年間のスカウト人生ですが、「嘘をつかない」という以外に、大切にされていることはなんでしょうか?

「『足を運ぶ』ということですね。顔を覚えてもらうことがまず一番。今は少なくなったけれど、昔の高校の先生たちは本当に個性派ばかり。2、3度名刺を渡しても、なかなか覚えてもらえない。しばらくして出向くと、やっぱり忘れられている(笑)。そういう先生や監督さんには、厳しいことを言われることもありましたが、本当に鍛えてもらえたなと感じています。そして、『鹿島に声をかけてもらった選手は確かだ』と言ってもらえたときもうれしかったですね」

――還暦を迎えられたわけですが、今後のことについては。

「実際、夏のインターハイを1日3試合も見るというのは結構大変です(笑)。でも、この仕事をやめるというのは想像できない。今更違うクラブの名刺を持って、出向くなんておかしいでしょう?(笑)。僕は鹿島しか知らないし。練習に参加したり、移籍加入した選手が『やっぱり鹿島はほかとは違う』と言ってくれたりしても、ピンとこない。これが当たり前の光景で空気なんだけどなぁって」

――鹿島アントラーズを選んでもらうための秘訣とは?

「偉そうなことは言えないけれど、僕が大切にしているのは、やっぱり嘘をつかないということ。正直に話すことが、選手や親御さん、学校の先生にとっては、耳障りのいいことばかりじゃないかもしれない。けど、耳に痛いことであっても話すだけです」

――その言葉の厳しさをも受け入れられるかどうかが、鹿島で、プロでやっていけるかどうかの鍵になるのかもしれませんね。

「すぐに試合に出られるチームへ行くという考えもありだとは思う。でも、そのままでも試合に出られるということは、現在の自分と同レベルか、それよりも低いレベルという見方もあるから。8割ぐらいの力しか発揮しなくてもやれる環境にいれば、絶対に伸びなくなる。現状の自分より高いレベルへ行けば、最初は苦労するかもしれないけど、そこでもがくことで、成長できるんだから。今試合に出て満足するか、それよりも先、代表やヨーロッパを目指すなら、レベルの高い場所へ挑戦してほしいなと僕は思います」

――そういう意味では、鹿島を選ぶ選手というのは、貪欲で向上心の高い選手ということなのかもしれませんね。

「そうであってほしいと思います。とにかく、いつも、どんな状況でも、満足しない、満足できない選手であってほしいですね」




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