日刊鹿島アントラーズニュース

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2016年5月28日土曜日

◆時代とともにポジションと役割が変わる『トップ下』(朝日新聞デジタル)


http://www.asahi.com/and_M/interest/SDI2016052675071.html



サッカー用語編『トップ下』
 日本で使われるサッカー用語に「翻訳」や「意訳」されたものは少ない。現地読みを、そのまま使用するケースが大半だろうか。

今回取り上げる『トップ下』は、数少ない例外と言ってもいい。トップとはFWを指している。つまり、FWの「下」にいる選手のポジションというわけだ。

本来なら、FWの「下」ではなく「後ろ」とすべきところだろうが……いかにも語呂が悪い。ともかく1990年代の半ばごろから、この呼び方が定着するようになる。

 現在は4-2-3-1システムの「3」の中央に構えるポジションを、主にトップ下と呼ぶが、以前は二つのシステムで用いられるケースが多かった。一つは4-3-1-2、もう一つが3-4-1-2だ。

どちらも、後ろ(DF)から数えて3番目の「1」が、トップ下に相当する。ちなみにイタリアでは、主に『トレクァルティスタ』という用語が使われている。日本語に訳せば「4分の3の人」という意味だ。

トップ下の起源をたどれば、1980年代の南米に突き当たる。当時は3トップ(4-3-3)から2トップへシステムが移行する過渡期にあり、ブラジルやアルゼンチンでは4人のMFをダイヤモンド型(ひし形)に並べた4-3-1-2が主流となっていく。

Jリーグ草創期の日本では、南米の影響が色濃くあった。ヴェルディ川崎(現東京V)や鹿島アントラーズが南米式4-3-1-2を採用している。そこでトップ下を担ったのが、元ブラジル代表の偉才ジーコ(鹿島)であり、ビスマルク(V川崎)であった。

2トップを背後から操り、決定的な仕事をこなす司令塔――。そんなイメージがトップ下と密接にリンクする。そして1990年代の半ばから、続々とトップ下の担い手が現れるようになった。中田英寿、中村俊輔、小野伸二らが、そうだ。

 世界ではフランスの巨星ジネディーヌ・ジダン、アルゼンチンの鬼才フアン・ロマン・リケルメが代表格だった。だが近年、彼らのような司令塔はボランチ(またはインサイドMF)にポジションを下げている。イタリアの天才パサー、アンドレア・ピルロもボランチへの転向組だ。

 現代のトップ下は「第2ストライカー」を兼ねるタレントの指定席と言っていい。ゼロ年代のカカやフランチェスコ・トッティらがそうだ。日本にも得点力に秀でた本田圭佑や香川真司が現れている。

彼らは言わば「トップ下の現代版」だ。しかし、司令塔型のトップ下は時代遅れ、というわけではない。物事がうまく運ぶなら、どんなタイプでも構わないはずだ。時代とともにポジションと役割が思わぬ方向へ転がっていくのが、サッカーの面白さでもある。



北條聡(ほうじょう・さとし)
サッカーライター。栃木県出身。早大卒。1993年より老舗の専門誌『サッカーマガジン』勤務。以来、サッカー業界一筋。2004年より『ワールドサッカー・マガジン』編集長、2009年より『週刊サッカーマガジン』編集長。2013年に退社し、フリーランスに。著書に『サッカー世界遺産』『サカマガイズム』(ベースボール・マガジン社)。敬愛する選手はカルロス・バルデラマ(コロンビア)

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