日刊鹿島アントラーズニュース

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2017年9月2日土曜日

◆DF昌子鉄壁「運命の日」に躍動 W杯6大会連続出場(神戸新聞)


日本代表DF昌子選手の父力さん=三木総合防災公園陸上競技場

 列島が歓喜に揺れた。31日夜、埼玉スタジアム(さいたま市)であったサッカー・ワールドカップ(W杯)アジア最終予選で、日本代表がオーストラリアを退け、6大会連続の本大会出場を決めた。兵庫県ゆかりの選手らも躍動。岡崎慎司選手(31)=レスター、宝塚市出身=や、香川真司選手(28)=ドルトムント、神戸市垂水区出身=が喜びを爆発させ、新鋭の昌子(しょうじ)源(げん)選手(24)=鹿島アントラーズ、神戸市北区出身=も重圧から解き放たれ、充実の表情を浮かべた。

 ディフェンス陣の一角として、体を張った守備でサポーターの大声援に応えた昌子源選手。その原点は「キーパーごっこ」にある。父で姫路独協大サッカー部監督の力(ちから)さん(53)と自宅の畳部屋に布団を敷き、小学校低学年の小さな足でスポンジ製のボールを蹴り、防ぎ合った。「浮き球や強い球、蹴り方を覚えては楽しそうだった」と力さんは振り返る。

 サッカースクールに通い始めたのは小学4年生から。当時、ヴィッセル神戸の育成組織で指導していた力さんは、息子が試合から帰ってくるたびに食卓で感想を聞いた。「試合展開をよく覚えていた。それだけ考えてプレーしていた」と力さん。今に通じる戦況を読む力が芽生えていた。

 中学からガンバ大阪の育成組織に入ったが、急速にサッカー熱が冷めたという。有望と判断された同期と比べ、明らかにスタッフの態度が違った。我慢して続けたが、中学3年の春、サッカーから離れた。

 時間を持て余し、コンビニにたむろする日々。受験が迫っても昌子選手は「高校には行かへん」とふてくされた。その態度に対し、かつてないほど怒鳴りつけた力さんは年明け、鳥取・米子北高で監督を務めていた知人から誘いを受け、息子に練習参加を仕向けた。帰宅した顔には「やりたい」と書いていた。

 同校に進学後、前線の選手から最後方で守るセンターバックに転向。1対1の強さやロングキックの正確さで評価を高め、2011年に鹿島アントラーズに入団した。順調に主力に成長し、昨年3月から日本代表にも定期的に呼ばれるようになった。

 「勝った、負けたで人生は百八十度変わる。運命の日やぞ」。オーストラリア戦前、力さんの言葉に「重たくするなよ」と苦笑いだった昌子選手も、覚悟を決めたような表情で埼玉のピッチに入った。

 特大の「日本」コールを背中で受けながら、身長182センチの体格で大柄な相手を封じ、鋭い出足でボールを奪った。「まだ信じられない気持ち」と振り返った昌子選手。「国を背負って次も勝ちにいく」と言い切った。(有島弘記)


DF昌子鉄壁「運命の日」に躍動 W杯6大会連続出場

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