日刊鹿島アントラーズニュース

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2019年8月31日土曜日

◆鹿島とメルカリを結びつけた男は柴崎岳だった(ニッカン)



柴崎岳 Gaku.Shibasaki


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鹿島アントラーズは30日、臨時株主総会と取締役会を開き、新たに親会社となったメルカリの小泉文明社長(38)が、鹿島の代表取締役社長に就任することが決議されたと発表した。この日付で“メルカリ体制”に切り替わる。

小泉氏と鹿島を結びつけたキューピッドは、元鹿島の日本代表MF柴崎岳(デポルティボ)だった。

◆アントラーズとの“なれそめ”

小泉氏は父の実家が茨城県麻生町(現行方市、鹿島のホームタウンのひとつ)にあり、鹿嶋市を含む「鹿行(ろっこう)地域」には幼少期からよく訪れていた。その頃、鹿行地域での遊び場といえば“湖”。それくらい、他に何もない田舎だった。

そんな地域に誕生したのが鹿島アントラーズだった。93年5月4日、カシマスタジアムオープニングゲームとなった鹿島対フルミネンセを観戦して以来、すっかりアントラーズのファンになった。「サッカーで何もなかった土地が発展する姿を目の当たりにした」。その様子は、幼い小泉少年の記憶にしっかりと焼き付いた。

◆柴崎岳との出会い-アントラーズの再会

早稲田大学商学部を卒業後、大和証券、ミクシィで活躍、スタートアップ企業数社の社外監査役などを経て、13年12月メルカリに入社。14年3月には取締役に就任した。17年4月に現職に就くが、鹿島との再会はその少し前だった。

16年ごろ、知人の紹介で当時鹿島に所属していた日本代表MF柴崎岳(デポルティボ)と食事の席を共にする機会を得た。柴崎に誘われて久しぶりにカシマスタジアムへと足を運び、そこで出会ったのが鈴木秀樹取締役事業部長。分野は違えど、同じ“世界”を目指す者として、互いの夢や課題を語り合った。

同年末、鹿島はクラブW杯で世界の舞台に立ち、Rマドリードと白熱の勝負を繰り広げた。可能性を感じた小泉氏は「世界に出て勝っていく、という部分で一緒にやりたいと思った」と、翌17年から鹿島のスポンサーになることを決意。鹿島以外のクラブからも話はもらっていたというが、メルカリが大切にしている「世界に出ること」において、鹿島に勝る者はいなかった。

◆テクノロジーとの融合

約1年半、スポンサー企業の社長として鹿島と意見交換をしてきた中で、小泉氏はある可能性を感じ取っていた。「スマホの登場が見える前後でミクシィを辞めて、メルカリを創業者と2人で作ってきた。『ここは社会が大きく変わるタイミングだな』というのが、自分の中で嗅覚としてある」。4Gから5Gへと通信システムが切り替わるタイミングで、スポーツとテクノロジーを融合させて生まれる“何か”に、ただならぬ予感を感じていたのだ。

鹿島はテクノロジーにおいてJの先端を行くクラブ。スマホ1台で全てが完結する「スマートスタジアム」を掲げ、今季からNTTドコモとスポンサー契約を締結していた。

テクノロジーを駆使した先に目指すのは「ファンの感動を最大化すること」だという。人気、実力ともに世界で戦えるクラブへ、鹿島は進化を遂げていく。【杉山理紗】


◆鹿島とメルカリを結びつけた男は柴崎岳だった(ニッカン)





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