日刊鹿島アントラーズニュース

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2020年3月5日木曜日

◆Pre-match Words ~鹿島アントラーズ・曽ヶ端準編~(2015年9月18日掲載)(JSPORTS)



曽ヶ端準 Hitoshi.Sogahata




【Pre-match Words 鹿島アントラーズ・曽ヶ端準編】

(2015年9月18日掲載)


Q:ご自身としては開幕戦で連続出場記録が途絶えてしまって、先ほどおっしゃったようにファーストステージの途中からはベンチスタートが続く時期もありましたが、自分のパフォーマンスに昨年との違いは感じてらっしゃいましたか?

A:コンディションはずっと良かったですし、それでもなかなかチームが勝てなかったり、自分のミスで失点したりというのがあったので、今までも何回もありましたけど、身体と心と良い状態でいても、グラウンドの中でなかなか良いパフォーマンスができなかったりということもありましたし、多少痛みを抱えていて気にしながらやっていても良いパフォーマンスができる時もありますし、そのへんは改めて難しさというのも感じました。そういうのをなくせるようにしないとやっぱり出続けるのは難しいですし、チームを勝たせることもできないですし、自分自身の不甲斐なさも感じながらやっていました。

Q:そんな中で石井(正忠)監督が就任してから劇的に結果の部分が変わり始めましたが、曽ヶ端選手は石井監督の就任でどういう部分が一番変わったと思いますか?

A:練習で調子の良い選手を試合で使ったり、ここまで同じスタメンの11人というのはなかったですし、そういう所で練習の出来というのを凄く見ているので、ピリッとした緊張感のある練習ができています。もちろん激しさも戻ってきたので、そのへんはしっかりゲームで出ていると思いますし、途中で出た選手が結果を変えたりという試合もありましたし、そのあたりの雰囲気は変わったかなという風に思います。

Q:GKというのは練習が違う時間もあったりして、チームを客観的に見ることもできるのではないかなと思いますが、やはりチームは明らかに変わりましたか?

A:先ほど言いましたけど練習の雰囲気は変わりましたし、(トニーニョ・)セレーゾの時はスライディングは「ケガ人が出ると思うようなメンバーが組めなくなるのでなるべくしないように」とか、ある程度制限を付けられてやっていましたけど、石井さんになってからはもちろんゲームではスライディングはあることですし、正当なタックルはやっぱり行かなくてはいけないしという所で、練習の中での球際の激しさは出てきたと思いますし、それはやっぱりゲームでも出てくることなので、そういう所が出てくるとピリッとした雰囲気や空気にもなりますし、それが良い状態でゲームに出ていると思います。

Q:個人的には鈴木優磨選手が前節のガンバ戦で試合に出て、しかも点を取ったというのは今の競争力の高い練習の象徴のような気がしたんですけど、それに関してはいかがですか?

A:そうですね。優磨はもちろん練習で良いパフォーマンスを見せていましたし、その前から何回かベンチにも入っていて、その前の天皇杯でも途中出場していたので、石井さんの中の選択肢の中に入っているという所はあったと思います。そういう中で出て、基点になったりディフェンスで頑張ったり、もちろんあそこのポジションに入ったら点を取るということを求められて入ったと思いますし、それでしっかり結果を出した訳ですからね。もちろんチームとして引き分けや勝ちという所に持って行ければ良かったですけど、途中で出た選手がそういう活躍をできている訳ですから、石井さんが最初に選んだ18人の時は入ったり入らなかったりしていた選手がそういう活躍をしたり、やっぱり調子の良い選手を入れ替えて使ったりという所がチームの良い雰囲気になっているんだと思います。

Q:曽ヶ端選手はご家族も住金時代からファンクラブに入るぐらいのアントラーズファンだという風に伺っているので、石井さんの現役時代もご覧になっていると思いますが、そういう人が監督になるというのは率直にいかがですか?

A:最初の時は親がファンクラブに入っていたのはアントラーズに変わった時だったので、92年とかですかね。その時はこの辺の盛り上がり自体も、最初開幕する前はそれほどでもなかったんですよね。なので、やっぱり開幕してみてから、地元のそこからの盛り上がりというのは尋常ではなかったですし、それを本当にいちファンとして見てきた自分がそのピッチに立ってプレーしているというのは当時は想像もできなかったですし、違和感があると言えばあるんですけど(笑)、そういう地元で生まれて育った所でプロとなって、ここまでゲームに出ることができているというのは凄く幸せなことですし、長くそれを続けられればなと思います。

入った当初とかその前に見ていた、石井さんだけじゃなくて古川(昌明GKコーチ)さんもそうですし、ヤナギさん(柳沢敦コーチ)ももちろんそうですし、そういう見てきた選手と一緒にやったり、それが歳を重ねて教わるという感じになったり、そのへんはもちろんそれだけ自分が長くできているということもあると思いますし、そういう風に続けて行ければいいのかなと思います。

Q:石井さんってどういう人ですか?

A:うーん、どういう人... 基本的には優しいですし、普段クラブハウスでもピッチでもあまり怒っている所を見ないので、「石井さん、怒ったことあるのかな?」というぐらいで。ミーティングでも石井さんは「思考を変えていこう」という風に言っていて、例えばミスしたりとか、自分の思うようにいかない判定が出たりという時もそういうことを言っているので、やっぱり石井さん自体もそういう風に言っているから実行しているのかなと思いますけど、それにしても出て来ないんですよね。怒っているとか、そういう感情の所が。 だから、ちょっと前にウチの奥さんと「今度石井さんに『怒ることあるんですか?』とか聞いてみようかな?」という話はしていたんですけど(笑)、それくらい冷静にというか、戦況を見守りながら色々考えているんじゃないかなという風に思います。

Q:印象的だったのは石井監督の就任初戦となったFC東京戦で、ゴールが入った時に画面に映し出されたベンチの一体感が物凄くて、「このゲームは絶対に石井さんを勝たせたい」というチーム全体の意識を強く感じましたが、あのゲームというのは特別な一戦でしたか?

A:そうですね。そのへんはもう準備期間も含めてそうですし、スタジアムに入った時のサポーターの雰囲気もそうですし、横断幕にも「石井さんを男にしよう」とか色々書いてあって、そういう雰囲気がスタジアムも含めてできていたと思うので、そのへんはやっぱり点数が入って、ベンチも含めてそういう雰囲気にはなったと思いますし、勝ってその後でロッカーに帰った時もそうでしたし、改めて勝つことの難しさも感じましたし、喜びももちろん感じました。

Q:曽ヶ端選手には個人的にファインセーブよりも正面でキャッチすることがかなり多いという印象があって、それは安定しているGKの大事な条件ではないかと思いますが、そのあたりはいかがですか?

A:イメージはありますけど、前は「できれば自分がファインセーブした方が良いんじゃないか」とか色々考えることはありました。でも、今となってはもう自分が出ているゲームでチームが勝てば、例えば3-2であろうと、4-3であろうと、何点取られてもしっかり勝ち点3が取れればいいんじゃないかなと。例えばそれでミスして1点決められても勝てば、「コイツが出ていればチームは負けない」という選手になれば、やっぱり監督は替えづらいでしょうし、もちろんミスしないで点数も決められないで勝つのがベストですけど、やっぱりチームが勝つことが大事なので、そこから考えていくと「この選手が出ていればなんか勝つよね」という選手で良いと思いますし、チームが勝つことに貢献できるようにということを考えてやっているので、それはやっぱりそう考えていくと、ミスがなく失点しなくてというのが勝ちに繋がるのはもちろんですけど、まずは勝ち点3にどうチームが辿り着くかということを考えてという感じですね。

Q:なんか曽ヶ端選手って"事も無げに取る"というか、例えばファインセーブで乗っていくタイプの選手もいる中で、難しいセーブを難なく取るというような印象もあるんですけど、そういうことって考えていたりしますか?

A:まあ多少というか、取れるボールはしっかり取ろうとか、セーフティーにやる所はやらないといけないと思いますし、あまり大袈裟にというか、そういうタイプではないのは確かですけどね。その自分の乗せて行き方はそれぞれだと思いますし、どっちかというと僕は淡々とやる方なので。でも、アピールする所はもちろんしますし、言う所は言います。それは味方に対しても敵に対してもそうですし、それは色々な要素がありつつ、これまでの積み重ねもありながらという所ではあります。

Q:ここからはキャリアの話を聞かせて下さい。小学生の頃は波野サッカー少年団に所属されていたと思いますが、強いチームでしたか?

A:当時はまだ鹿島町だったんですけど、その中では強かったですね。小学校のスポーツ少年団だったんですけど、監督が熱心な監督で。学校の先生ではなくて消防署で働いていた方で、その方が定期的に来てという感じでした。厳しい監督でしたけどね。仲の良い友達もそうですし、2つ上の兄も先に入っていたので、必然的にというか、何の迷いもなく入りました。いつも町の何個かあるチーム同士のリーグ戦ではほとんど優勝していましたし、鹿島の中ではそこそこ強いチームでしたね。

Q:ご自身は小学校の頃から県選抜に入るような感じだったんですか?

A:小学校の時って県選抜なんてあったんですかね?このあたりの鹿島の選抜には入っていて、そのチームで県の大会とかは出ていましたけど、中学に行ってからは県選抜に入ったりしていました。

Q:中学は鹿島中のサッカー部だと思いますけど、鹿島中も強かったですよね?

A:そうですね。1年と2年の時は県で準優勝とか。3年の時はベスト8でしたけど、僕の学年は結構強くて、メンバーも鹿島町の何校かの小学校から生徒が集まった中学だったので、良いメンバーが集まっていました。ちょうど中学1年の時にアントラーズができて、ジュニアユースもあったんですけど、他のそんなに強くない中学で上手い選手はジュニアユースに行く中で、僕は鹿島中に良いメンバーが集まっていて、良い所まで行けるんじゃないかなと思ったので、ジュニアユースではなくて中学の部活を選びました。

Q:当時もジュニアユースという選択肢はあるにはあったんですね?

A:当時はありましたね。ありましたけど、特別誘われたりすることもなかったですし、それよりも部活の方が仲の良いメンバーもいましたし、メンツ的にも良い所まで行けると思っていましたね。

Q:中学の時には県選抜もそうですし、年代別の代表にも呼ばれていたんですよね?

A:代表は中学2年か3年の時に初めて入った感じですね。それまでは県のトレセンとか関東選抜とかは入っていましたけど、同じ中学校にも関東選抜に選ばれた選手もいたので、そこそこ強いチームではありましたし、県の選抜に入る選手も他にいましたし、まずまずだったと思います。

Q:当時はやっぱり高校選手権に対する憧れがかなりあったんじゃないかなと思いますが、そのあたりはいかがでしたか?

A:かなりありましたね(笑) 少年団で正月の選手権の準決勝2試合を国立に見に行くのが恒例だったので、そこに対する憧れというのはやっぱりありましたよ。小学校の頃はJリーグがあった訳ではなかったので、まずは高校選手権みたいな感じでしたし、そういうイメージは常に膨らんでいましたけどね。中学の時は県選抜や関東選抜や代表にも入っていたので、何校か高校の推薦の話もありましたけど、中学3年の夏に全部の大会が終わって、その後にアントラーズの方から同じ中学のもう1人の関東選抜に選ばれたヤツと、そのもう1人のヤツのお兄さんもアントラーズユースだったんですけど、「練習に来ないか?」と言われて、8月末か9月ぐらいから行くようになったんです。「じゃあとりあえず週1くらいで」から「じゃあ週2くらいで」という感じで行っていたら、結局月曜が休みだったんですけど、それ以外の日も全部練習に行くようになっていて(笑) どんどん参加する日を増やされて、普通に練習に行くようになって、いつの間にかという感じでした。でも、卒業する前に進路の話とかになりますし、実際にユースに行くとなると高校受験しなくてはいけなくなるので。

Q:確かに!高校だったら推薦ですけど、ユースだったら受験が必要ですよね。

A:そうなんです。担任の先生と「さて、どうしましょうか?」みたいな話になって(笑) でも、まずはサッカーということを考えた時に、自分のポジションがGKということもあって、GKコーチだったりとか、芝生のグラウンドで練習ができるという環境面であったり、ケガをした場合にもアントラーズのドクターに診てもらえたり、トレーナーの方に診てもらえたりという環境があったので、自分がGKじゃなかったらひょっとすると高校に行っていたかもしれないですけど、GKだったのでアントラーズユースに決めました。そうなったら受験を頑張らないといけなくなって(笑)、担任の先生と色々相談しましたね。

Q:じゃあメッチャ勉強しましたか?(笑)

A:結局、勉強推薦の方で合格はしたんですけどね(笑) でも、進学した鹿島高校で兄が3年の時に選手権に出て、そこも「兄と一緒に選手権に出たい」というのもありましたけど、自分がユースに行ったのでその夢は叶わなかったですし、今でも仲が良い2人の同級生も1年生でレギュラーで選手権に出ていて。

Q:植田と石津ですね(笑)

A:そうです。そうです(笑)その2人ですね。彼らに対するうらやましさももちろんありましたけど、自分が選んだ道でしたから。何か不思議な気持ちで見ていましたね。選手権の県予選の決勝はPK戦だったと思うんですけど、それもスタジアムで見ていましたし、複雑な気持ちではありましたけどね。

Q:しかも茨城県予選は日本テレビでやりますからね(笑)

A:そうですね。夜中に放送していた試合をビデオに撮って、兄と見ていた想い出はありますね(笑)

Q:実際に入ったアントラーズユースはいかがでしたか?

A:ちょうど僕が入った年の7月に新しいGKコーチとして、今は千葉にいる藤原(寿徳)さんが来て、僕はちょうどその時にケガしていたんですけど、初めて見た時に「怖え~」と思って(笑)

Q:怖い人なんですか?(笑)

A:いやいや、第一印象ですよ(笑) ちょうどその時にケガしていて、メディカルルームから治療しながら見ていて「大丈夫かよ?」と思っていましたけど(笑)、もちろん練習は凄く厳しかったですし、高校1年と2年ぐらいは一番練習もしましたし、僕自身も練習をやっていく積み重ねで「ああ、上手くなっているな」と自分が実感しながらやっていた時だったので、凄く充実感もありました。単純にグラウンドの部分だけじゃなくて色々な話もしましたし、そのあたりは凄く助けられた高校時代でした。もちろんプロになってからも、トップの練習にアシスタントみたいな形でずっと来ていたので色々話もしましたし、今でもたまに連絡して話したりもしますし、本当に僕自身の成長に凄く影響を与えてくれた人ですね。「そこで藤原さんが来ていなかったらどうなっていたんだろう」というのはあります。

Q:高校3年の時はほとんどトップチームに帯同されていたんですよね?

A:そうですね。練習は学校が終わってから、夕方だったら30分とか遅れながらでも合流して、トップの練習が終わったら時間的にずれているのでユースの練習に出てという感じでした。トップの練習だけで終わったりすることもありましたけど、ほぼ毎日トップでやっていましたね。

Q:当時のメンバーがこれまた凄いメンバーでしたよね。

A:高校2年の時はレオナルドもいましたし、高校3年の時はジョルジーニョ、マジーニョ、ビスマルクがいて、もちろん日本人選手の豪華さも凄かったですよね。僕が高校3年の時に練習に行って、小さいコートのミニゲームとかでもジョルジって容赦しないんですよ。結構遠くからでも「こんな若造に」みたいな感じで、バンバンシュートを打ってくるんですけど、それがバンバン入るんですよ(笑) そういう厳しさというか、グラウンドに立ったら年齢は関係ないですし、それは凄く印象に残っていますね。持ったらすぐシュートぐらいの勢いで打たれて、それを全然止められなかったという感じで。距離とか関係なしに「オマエ取れんのか?」ぐらいの勢いで打たれて決められて。「いやあ、まだこのレベルでは厳しいな」というのは改めて思い知らされました。

Q:高校生でワールドカップに出たブラジル代表選手にシュートを打たれるなんて凄いことですよね。

A:本当ですよね。96年の時とかは、試合前日のジョルジーニョやレオナルドのFKやPKの練習に自分が入ったりとかしましたし、それは凄く覚えています。それがやっぱりユースの良さだと思うんですよね。今でもシーズン前の合宿にユースの選手が何人か参加したりというのも、鹿島だけじゃなくて他のチームもありますけど、そのあたりがJリーグのユースチームの良さだと思いますし、当時僕たちの年代でもイナ(稲本潤一)がJリーグの試合に出たりというのがあったので、そういうことが可能な世界ですからね。でも、まあ選手権という憧れもやっぱりありましたよ。

Q:もうプロになって今年で18年目だと思います。昔は憧れていた選手たちと一緒にプレーできる喜びを感じていた中で、今は鹿島の下部組織で特にGKをやっている子たちは曽ヶ端さんを目標にするようになっていると思いますが、そういう存在に自分がなっていることに関してはいかがですか?

A:どうなんですかね。どこまでそういうイメージで彼らが僕のことを見ているかはわからないですけど(笑)、育成の責任者の人とかと話しているとジュニアユースやユースに「"コソガ"がいるよ」とか言ってくれたり(笑) でも、そういう風に言ってくれることも僕自身嬉しいですし、そういう選手になれればいいなとは思いますし、僕自身も中学のサッカー部の時に古川さんの蹴り方を真似したりとか、今はオリンピック代表のGKコーチをされている(佐藤)洋平さんの動きを真似したりとか、もちろんそういうことをしていましたから、自分もそういう存在になれればいいなと思いますね。

Q:まだまだそうやって自分に憧れている後輩たちがいる間は辞められないですね。

A:そうですね。本当にプロになった当初の18歳の頃はこんなに長くできるとは思わなかったですし、当時で言えば「30歳ぐらいまでできればいいのかな」というイメージでしたけど、幸いにもここまではピッチに立つ時間も長くできてきていますし、大きなケガもなくずっとできているので、それは本当に幸せなことですし、ここからもっと1日でも1年でも長くできればいいなと思いますけどね。

Q:これを最後の質問にしたいんですけど、"夢"ってありますか?

A:夢ですか?(笑) 夢... 何ですかね。やっぱりプロとしてタイトルはもっと獲りたいと思いますし、夢というか目標という感じですかね。1年1年タイトルを獲るために苦しい練習をやってきているので、去年は獲れなかったですし、久しくタイトルが獲れていないですしね。やっぱり今までを振り返ってみると優勝した時の喜びは大きいですし、1回味わったら絶対に「もう一度、もう一度」となるものなので、何とかまたタイトルを獲り続けていきたいなと思います。それがやっぱり鹿島というチームだと思いますし、そういうチームに長く居続けることができればいいなと思います。

【プロフィール】

鹿島ユースから1998年にトップチーム昇格。2000年代前半に守護神の座を勝ち獲ると、リーグ戦3連覇やナビスコカップ連覇など、数々のタイトル獲得に貢献。また、244試合というリーグ戦連続フルタイム出場記録はJリーグ記録となっている。

※所属チームを含めた情報は、当時のものをそのまま掲載しています。

ご了承ください。

取材、文:土屋雅史




◆Pre-match Words ~鹿島アントラーズ・曽ヶ端準編~(2015年9月18日掲載)(JSPORTS)





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