日刊鹿島アントラーズニュース

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2020年9月29日火曜日

◆内田篤人を鹿島恩師&ブラジル勢も敬愛 マルキーニョス「アツは特別なアミーゴ、兄弟だ」(Number)






 2006年に清水東高校を卒業して17歳で鹿島アントラーズへ入団した内田篤人は、シーズン前の宮崎キャンプでブラジル人のパウロ・アウトゥオリ監督に高く評価され、3月5日のJリーグ開幕戦(対サンフレッチェ広島)に先発フル出場。以後も、シーズンを通して試合に出続けた。

 高卒新人が強豪クラブでレギュラーを張るのは、日本のフットボール史上、極めて稀である。抜擢したアウトゥオリ(現ボタフォゴ監督)は、こう述懐する。







「宮崎キャンプで彼を見て、目を見張った。敏捷でテクニックがあり、クロスの精度が高い。気持ちが強く、どんどん前へ飛び出していく。守備も悪くない。

 当時、日本人のサイドバックは守備を気にするあまり、攻撃参加に消極的なタイプが多かった。でも、アツトは違った。まるでブラジル人のようにアグレッシブで、失敗を恐れず、伸び伸びプレーする。

 先輩からのアドバイスを素直に聞く一方で、萎縮している様子はない。若さに似合わず人間としてバランスが取れており、誰からも好かれていた。これほどの逸材を起用しない理由はどこにもなかった。驚いた人もいたようだが、私は自分の判断に自信があった」


アウトゥオリからオズへの“引継ぎ”


 アウトゥオリは、2006年限りで鹿島を退団。2007年から指揮を執ったのは、やはりブラジル人のオズワルド・デ・オリヴェイラだった。




「就任前、パウロからクラブやチームの状況について説明を受けた。内田については『若いが、能力的にも人間的にも非常に頼りになる。いずれチームの屋台骨を背負う存在になれる男だから、大切に育ててほしい』と言われた。

 実際に彼を見て、アウトゥオリが言ったことの意味がよくわかった」


マルキーニョスが称える最大の特徴とは


 この年、鹿島に新加入したブラジル人選手が3人いた。

 そのうちの1人が、2001年以降、東京ヴェルディ、横浜F・マリノス、ジェフ市原、清水エスパルスを渡り歩き、常に点を取り続けていたマルキーニョスである。





「アツは、スピード、技術があるのはもちろんだけど、最大の特徴はインテリジェンスだと思う。

 守備では、チームにとって最も危険な事態を予知し、それを防ぐためのポジショニングを常に考えていた。プレーに関しては、複数のオプションを用意し、その中から試合の状況に応じてべストの選択をしていた。

 このような姿勢は選手として成長していくうえで非常に重要だと思うんだけど、そのことをまだプロ2年目の若手が理解し、実践していることに驚いた。この賢さがあれば将来、素晴らしい選手になると確信したよ」


祝賀会で「外国へ行くのかい?」と聞くと


 2人は、2010年7月に内田がシャルケ(ドイツ)へ移籍するまでの3年半、一緒にプレーした。そして、年齢、キャリア、国籍、ポジションの違いと言葉の壁を越えて、特別な関係を築いた。

「アツとは、片言の日本語とポルトガル語でよく話をした。僕は、幼い頃からプロ選手になるのが夢だった。若くして親元を離れ、19歳で念願のプロになり、ブラジル国内でステップアップしてから日本へやってきた。最初は言葉、気候、食事、プレースタイルなどの違いに戸惑ったけれど、障害を一つひとつ克服し、継続して結果を出すことができた。そのことに、アツはとても大きな敬意を払ってくれた。

 僕の方も、謙虚でありながら自分の考えをしっかり持っているアツのことが大好きになった。やがて、彼とはアミーゴ(真の友人)になり、いつしか兄弟のような間柄になった。

 2009年末、Jリーグ3連覇の祝賀会で彼に『外国へ行くのかい?』と尋ねた。『どうしたらいいと思う?』と逆に聞き返されたので、『行った方がいいよ』と答えた。

 アツが抜けたら、チームにとって大きな痛手となるのはわかっていた。でも、僕自身がそうだったように、外国で生活し、プレーすることで選手として人間としても大きく成長できる――そう思って『弟』にアドバイスしたんだ」


ダニーロやファボンも懐かしそうに語る


 MFダニーロとCBファボンは、共に2004年から2006年まで名門サンパウロで活躍し、2005年、アウトゥオリ監督が率いるチームで南米クラブ王者、世界クラブ王者となっていた。アウトゥオリ監督の推薦で、同時期に鹿島へ移籍した。

 ダニーロは、2009年まで3シーズン、内田と一緒にプレーした。

「とてもスピードがあり、攻撃参加するタイミングが素晴らしかった。日本最高のサイドバックの1人で、それだけに年齢別日本代表やA代表と掛け持ちで試合に出ていて、いつも大忙し。見ていて可哀そうになるくらいのハードスケジュールだったけど、一生懸命頑張っていた」

 CBファボンも、1シーズン限りだったが一緒にディフェンスラインを組んだ。

「彼の無尽蔵のスタミナには驚いた(笑)。岩政(大樹)、小笠原(満男)ら先輩からのアドバイスを、いつも真剣に聞いていた姿が印象に残る。とても真面目で、誠実。真正面からフットボールに取り組んでいて、向上心の塊だった」


対戦相手として内田を見たクルピの視点


 当時、内田と対戦したブラジル人監督がいる。2007年からセレッソ大阪を率いて香川真司(現サラゴサ)、山口蛍(現ヴィッセル神戸)らを育てたレヴィー・クルピである。

「敵ながら、素晴らしい選手。彼のサイドからの崩しは脅威だったし、守備も急速に上達していった。パウロ(アウトゥオリ)とオズワルド(デ・オリヴェイラ)が彼を重用したのは当然だろう。もし彼が自分のチームにいたら、やはり17歳だろうが18歳だろうが起用したはずだ。

 でも、1つだけ理解できなかったことがある。どうして、あんなに女性ファンが多かったんだい?(笑)」


「いずれ“彼のチーム”と対戦できたら」


 なお前述したマルキーニョスは2015年末、ヴィッセル神戸を最後に現役を引退。現在は、ブラジル南西部に住み、広大な牧場で3000頭もの牛を飼育するかたわら、44歳だがフットバレー(ビーチバレーのコートで、脚、頭、胸などを使ってプレーする)の選手として活動している。

「アツが現役を引退したと聞いて、驚いたよ。だって、まだ32歳だろ? 僕は39歳までプレーしたし、彼もまだまだプレーするものだと思っていた。でも、近年はずっと怪我に苦しんでいたから、仕方がないのかな。

 20年間の選手生活を通じて多くの友人ができたけど、その中でもアツは僕にとって非常に特別な存在。新型コロナウイルスの問題が片付いたら、日本へ行ってぜひ会いたいね」

 ダニーロは昨年5月、40歳で現役を退いた。

「選手の頃から、将来は監督になりたいと考えていた。これからブラジルサッカー連盟の監督コースを受講して、ライセンスを取得するつもりでいる。

 アツトも指導者を目指しているらしいね。2人が監督になって、いずれ僕のチームが彼のチームと対戦できたら素晴らしいね」

 今回、内田篤人にまつわる話を聞かせてくれた6人は皆、選手・内田はもちろんのこと、人間・内田を高く評価し、懐かしがっていた。

 日本とドイツで多くのファンから愛された男は、百戦錬磨のブラジル人にも強烈な印象を与え、なおかつ敬愛されていた。


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