日刊鹿島アントラーズニュース

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2016年6月27日月曜日

◆【鹿島】植田、完封でV「最高です」鳥栖のオファー断り残留…定位置つかんだ(報知)


http://www.hochi.co.jp/soccer/national/20160626-OHT1T50022.html



 ◆明治安田生命Jリーグ J1第1ステージ最終節 鹿島2―0福岡(25日・カシマスタジアム)

 最初に優勝トロフィーを掲げたのはDF植田だった。主将のMF小笠原から「熊本の人もたくさん見ているだろうから、お前が掲げろ」と指名を受け中央に立つと、飛び上がるようにして夜空に向けた。「最終節を無失点で優勝できた。DFとしてうれしい。今、最高です」。今季9度目の完封。17試合終了時点で失点10はリーグ最少で、クラブ史上最小タイ。DF昌子とのコンビは屈指だった。

 今季開幕前、鳥栖から獲得オファーを受けた。昨季はセンターバックの主力として期待を受けながら、リーグ戦出場は前年の20試合を大きく下回る12試合。1対1の場面では強さを発揮したものの、課題の連係やポジショニングで失点に絡むことが多かった。今年はリオ五輪が控え、さらに出場機会が減れば代表入りも難しくなる。焦りを感じていた。

 しばらく悩んだが、原点に立ち返ることで結論が出た。「自分は鹿島でプレーするために鹿島に入った。だから鹿島で勝負しないといけない」。物心ついた時から、父・太実男さん(53)に「何事においても負けは許さない」と教わった。ご飯の量、食べるスピードでも常に「1番」を目指してきた。家訓を思い出し、腹をくくった。課題だった指示の声、カバーリングは飛躍的に向上した。

 4月14日、地元・熊本が大震災に見舞われた時も同じだった。直後の湘南戦(同16日・BMWス)の試合後、テレビインタビューで故郷を案じて号泣した。ドラえもんの映画ではよく泣くが、ピッチで泣いたのはプロに入ってから初めて。「熊本の方々がたくさん応援してくださっている。トロフィーを掲げるところを見せられて良かった」

 13年に鹿島入りしてから、リーグ戦でのタイトルは初めてだ。次はメンバー入りが確実なリオ五輪に視線を向ける。「もちろん金メダルを目指す」と話す守備職人が、手倉森ジャパンの最終ラインでも主役を張る。(内田 知宏)

 ◆植田 直通(うえだ・なおみち)1994年10月24日、熊本・宇土市生まれ。21歳。子供の頃からテコンドーに励み、大会で優勝するほどの腕前を持つ。サッカーは小学3年で始め、熊本・大津高では1年夏からレギュラー。各年代別代表に選出され13年に鹿島入り。15年アジア杯では日本代表にも招集された。J1通算47試合1得点。186センチ、80キロ。家族は両親と姉、妹。

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