日刊鹿島アントラーズニュース

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2018年3月17日土曜日

◆中田浩二氏が語るマルチスポーツの可能性。 「失敗を恐れず、どんどんチャレンジしてほしい」(Number)






 もしもあのとき、兄に付いて行っていなければ、日本のプロ野球界には新たな豪腕ピッチャーが生まれていたかもしれない。

 もしもあのとき、母親に熱心に勧められていれば、日本のバレーボール界には新たなアタッカーが生まれていたかもしれない。

 かつて鹿島アントラーズに数々のタイトルをもたらし、日本代表でもボランチやDFとして2度のW杯に出場した中田浩二氏は、30年近く前の自分自身を思い出しながら、懐かしそうに語った。




「父親が元高校球児で、阪神タイガースファンで。本当は僕にも野球をやらせたかったみたいです。小さい頃は、休みの日によく公園に連れられて、兄と3人でキャッチボールをやっていましたね。自分で言うのはアレですけど、僕はスポーツテストのソフトボール投げでも、学年で一番遠くまで投げていたんですよ。

 母親はバレーボール部出身で、ママさんバレーもやっていたので、サッカーを始めてからも一緒にバレーをやっていました。小学生の頃、実際に大会に出たこともあるんです。学校のバレー部に1人だけ、女子に混じって練習している男子部員がいて。そいつをどうしても大会に出場させてあげたいってことで、サッカー部と急造チームをつくって。鳥取県には男子チームが3チームしかなかったんですけど、1勝しましたからね」

競技が違っても体の使い方は似ている。

 小学3年生の頃、兄がサッカーを始めた。同級生の友達にもサッカー部員が多く、自然とサッカーにのめり込むようになった。

「サッカーを始める前に、いろんなスポーツを経験できたのは良かったと思います。競技は違っても、体幹だったり、体の使い方というのは、共通している部分が多い。例えばヘディングも、野球のフライを捕る感覚に近いんです。僕は野球やバレーをやっていたから、自然と落下地点を見つける空間認知力が身についていた。今の子供たちにも、ぜひいろんなスポーツに触れてもらいたいですね。それだけ選択肢が増えるし、そこから自分が夢中になれるものを選べればいい。いろんな競技で体を動かすことに無駄な要素は1つもないですから」

練習メニューを考えることで自主性が。

 中田少年は、クラスのドッジボール大会で負けただけでも泣き出す、超・負けず嫌いボーイだった。サッカーに関しても、それは同じ。毎日、毎日、練習でできなかったことや、試合での悔しさをサッカーノートに書き込んだ。課題を見つけ、新たな練習法が思いつけば、すぐさま学校のグラウンドに駆け戻り、壁に向かってボールを蹴り続けた。

「嬉しかったことって、すぐ忘れてしまいがちですけど、悔しかった思い出はずっと忘れない。何よりも、そうやって練習して、できなかったことができるようになるのが楽しかったんですよね」





 現役の頃も、引退してからも、サッカー教室などで子供たちと接する中田氏の姿勢は一貫している。悪戦苦闘する子供たちに、一方的にアドバイスを送るのではなく、普段と同じ穏やかな表情で見つめ、子供たちと同じ目線で会話をキャッチボールする。

「僕のほうからこうだよって押し付けるんじゃなくて、子供たちに考えてもらう。こちらは考えを引き出してあげた上で、『こういうやり方もあるよね?』って、提案する。自分で考えることって、すごく大事だと思うんです。僕が子供の頃に所属したのは、地方のサッカー少年団や中学の部活で、当時は指導者もサッカーの知識はそれほどなかった。だからこそ自分たちで練習メニューを考えたり、常に工夫していました。この経験は大人になってからも活きましたし、指導者から教えられていない状況に遭遇しても、自分自身で対応する“幅”ができるんですよね」

 子供たちと接するときに、口癖のように語る言葉がある。

「チャレンジすること。プロの選手でも、やっぱり失敗の連続なんですよ。でも、それが悔しくて、もっと上手くなりたいと思って、必死に練習している。そうやって練習の成果が出ると、すごく気持ちいいんです。だから、子供たちにも失敗を恐れずに、どんどんチャレンジしてほしい」

 チャレンジとは、中田浩二というフットボーラーの人生そのものを表す言葉のように思える。鳥取の中学から名門・帝京高校に進み、通訳も付けず単身でマルセイユ(フランス)、バーゼル(スイス)への海外移籍も経験した。現在は、鹿島のクラブ・リレーションズ・オフィサー(C.R.O)としてビジネスの世界に身を置く。今いる環境に安住するのではなく、刺激と成長を求めて、新たな環境に挑戦してきた。

「なんだかんだ、挑戦させてくれた」





「鳥取から帝京に行くとなれば、地元の“ヒーロー”みたいになっちゃいますし、仲間がみんな見送りに来てくれました。もちろん知らない環境でやることに怖さはありましたし、失敗したらどうしようと思うこともあった。でも、それ以上に成功することをイメージしていました。

 海外では、夜ごはんくらい1人で食べたいと思うこともありました。正直、言葉が通じない中でコミュニケーションを取るのは面倒くさいですから。それでも、チームに溶け込むために、自分からチームメイトを食事に誘う。そこで仲良くなれば、ピッチ内での連係も不思議とすごく良くなるんですよね。マルセイユでは、それがなかなかできなかったんですけど、バーゼルでは反省を生かすことができた。サッカーの面でも、生活の面でも、チャレンジして、実際に肌で感じることでたくさん学べました」

 自身の苦労話をするときでも、中田氏の顔は明るくて、柔らかい。

「どっちかっていうと、性格がポジティブなんでしょうね。昔から、なんとかなるだろうと思っちゃう。両親や、出会ってきた指導者の方の影響があるのかもしれません。自分で考えて『こうやりたい』と伝えると、なんだかんだ認めて、挑戦させてくれましたから。本当は野球をやらせたかったとしても、ね(笑)」

 鹿島のクラブハウスで、ふと思った。もしもかつて、誰かが中田氏に教員免許を取ることを強く勧めていたら、日本の教育界には新たに素敵な先生が生まれていたかもしれない。


中田浩二氏が語るマルチスポーツの可能性。「失敗を恐れず、どんどんチャレンジしてほしい」


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