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ロシアW杯に挑む日本代表選手の「ターニングポイント」を紹介する連載。第5回はDF昌子源(25)=鹿島=。挫折と偶然の末に、センターバックという“天職”にたどり着いた。
◆「逆立ちしてもかなわない」
点取り屋としてのプロ入りを目指し、G大阪下部組織に加入した12歳の頃。昌子は同期入団の天才少年を見て、その夢を一度、諦めた。ともにロシアW杯に選出されたFW宇佐美貴史(26)のプレーは衝撃的だった。「全てがスーパー。逆立ちしてもかなわないと思った」
◆下部組織を退団
当時は同じFW。宇佐美が世代別代表の主力として活躍し、ユース(高校年代)の試合に飛び級出場する一方、昌子はけがもあって試合に出られない日が続いた。実力差は広がるばかり。中学3年の途中、下部組織を退団した。
◆たまたま監督の真横に
転機が訪れたのは、両親の説得もあってサッカー継続の決断をするも、心が折れかけていた米子北高(鳥取)1年の夏。J3鳥取(当時JFL)との練習試合で味方DFが負傷した。FW一筋の昌子に声がかかった。たまたま監督の真横に座っていたからだ。
◆「明日からDFな」
コートジボワールの世代別代表経験を持つ5歳上のFWコン・ハメドを相手に堂々とプレーした。試合後、中村真吾コーチに告げられた。「明日からDFな」。迎えた翌日。未練からFWのグループに交ざっていた昌子に、首脳陣から怒声が飛ぶ。「センターバックか、(ずっと)走るか。どっちだ」。事実上の一択。「センターバックやります…」
◆「元FWと聞いてなるほど、と」
運命を変える“たまたま”は続く。そのわずか2か月後の高校総体。慣れないポジションで奮闘していた昌子の姿が、たまたま相手校視察のため来場していた鹿島スカウトの目に留まった。「速くて足元がうまかった。元FWだと聞いてなるほど、と。1対1が強くて身体能力が高かった」と椎本邦一スカウト部長。昌子は「FWだったら間違いなくプロになっていなかった。あの時DFになったから今がある」と振り返る。
◆自身初の大舞台へ
世代別代表の経験がほとんどないため、ロシアW杯が自身初の大舞台となる。「日本のためにどれだけ体を張れるか」。並み居る強国FWの前に立ちふさがる。(岡島 智哉)
◆昌子 源(しょうじ・げん)1992年12月11日、神戸市生まれ。25歳。地元のフレスカ神戸でサッカーを始め、G大阪ジュニアユースを経て米子北高へ進学。2011年に鹿島入りし、12年3月24日の広島戦でJ1デビュー。対人守備、スピード、フィード力を備えたセンターバック。父・力さんは姫路独協大サッカー部監督で日本協会公認最上位の指導者S級ライセンスを持つ。国際Aマッチ11試合1得点。182センチ、74キロ。既婚。
◆スイス戦で先発テスト
DF昌子がスイス戦(8日、スイス・ルガノ)で先発テストされる可能性が出てきた。4日の戦術練習で1、3本目と主力組の左センターバックに入った。ガーナ戦(5月30日)では出場機会がなかったが、ポジションを争うDF槙野が先制点につながる直接FKを献上。序列を変えるチャンスでもある。
「(コロンビアのエース)ハメス(ロドリゲス)はすごいけど、周りの人すべてが無理だろって思っても、自分だけ1人でもいいから、止められると思って強気でいきたい。本人が強い気持ちを持っていなきゃセンターバックはダメ」と強気の守備でポジションを奪う。
昌子の転換点は挫折と偶然の末に…宇佐美の衝撃、G大阪退団、DF負傷、コートジボワール人