日刊鹿島アントラーズニュース

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2019年1月6日日曜日

◆J1鹿島と川崎、意外な共通点は?…実は強化担当トップが宮城工高OB 強さの秘訣を聞く(河北新報)





 昨年サッカーのアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)を初制覇し、主要タイトル20冠を達成したJ1鹿島と、リーグ2連覇を果たした川崎。日本を代表する二つのサッカークラブの強化担当トップを、宮城工高OBで同級生の2人が務めている。1993年のJリーグ開幕から四半世紀、2人はどうやって日本を代表するクラブをつくり上げたのか。鹿島の鈴木満常務取締役強化部長(61)と、川崎の庄子春男取締役強化本部長(61)に秘訣(ひけつ)を聞いた。(剣持雄治)

◎川崎・庄子春男氏「強さの維持秘訣は我慢」鹿島・鈴木満氏「一度勝つより継続大変」

 -昨季は両クラブの勝負強さが際立った。
 庄子 2017年に初めてタイトルを取って、個人的には肩の荷が下りた。周囲からシルバーコレクターと言われていたので、2連覇で完全に吹っ切れた。
 鈴木 一度勝つと、プライドや自信が湧いてくる。もちろん、一度勝つより継続する方が大変だ。1993年に10チームで始まったJリーグに、日本リーグ2部だった鹿島が加入できた。当時人口4万の地方都市で興行が成り立つのか、お荷物にならないかという危機感しかなかった。それが今につながっている。

 -強さを維持するこつは。
 庄子 我慢が大事。現在の川崎の土台は風間八宏前監督(現名古屋監督)がきっかけをつくった。風間監督時代の13年、開幕から3分け3敗と苦しんだが、サポーターも含めて我慢してくれた。あれがなかったら今はない。チームづくりの上で分岐点になった。
 鈴木 鹿島は元ブラジル代表のジーコを呼んだのが大きかった。体制も設備も整っていなかった91年、ジーコが選手、私が監督という立場だったが、私は怒られまくった記憶しかない。「プロとは何か」。仕事のノウハウを彼から学んだ。近年は選手の海外志向が高まり、22、23歳で移籍してしまう。短いスパンでタイムリーに手を打たないといけない。

 -サッカー以外の勤務経験は。
 庄子 現役引退後、富士通の工場で働いていた。人事で採用面接も受け持ち、社員考課にも携わった。今は選手を評価する立場。今の仕事に通じる部分だ。
 鈴木 住友金属工業で石炭や鉄鉱石の管理に携わった。トラック運転手や船の荷揚げ職人らと接する機会は多かったのは今の仕事の役に立っている。人を管理する立場ではあるが、偉そうにしてはいけない。労をねぎらいながらメンタルコントロールするのが大事。

 -高校の同級生が、国内最高峰の舞台で同じ仕事に就いている。
 庄子 幸せであり、不思議な感覚だ。私よりも満の方がこの仕事を始めるのが早く、今までいろいろ助言を受けた。「もっと試合に出られるチームへ選手を出すのも補強だよ」と言われたのは印象に残っている。
 鈴木 うれしいし、いろいろ相談できる。川崎がJ1に上がった時に鬼木達、鈴木隆行らの川崎への移籍は僕と庄子の関係があったからだと思う。敵ではあるが、同級生だから話しやすい面もある。

 -故郷のJ1仙台をどう見ているか。
 庄子 限られた予算でうまくやりくりしている印象がある。川崎と仙台のサポーター同士も良好な関係で、試合の時は両サポーターを区切る緩衝地帯がないのもいい。仙台とは印象深い試合が多く、3位になった13年は開幕7試合目の仙台戦で初勝利してそこから上がっていけた。11年は東日本大震災後に再開したリーグ戦で逆転負けした。この時ばかりは「負けて悔しい」という感情とは少し違うものを感じた。
 鈴木 ビッグネームを取れない中、移籍で選手をうまく活用している。目の付けどころが良く、交渉上手だ。故郷のチームなので、勝ち負けは常に気にしている。震災復興を冠した仙台での試合では苦戦した記憶が強い。茨城も被災地だが、復興への思いがこもった仙台の人たちがいる中だと、選手の集中力も違うのかと思っていた。




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