日刊鹿島アントラーズニュース

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2020年2月1日土曜日

◆タイ1部監督・石井正忠に聞く、後編。 給食センター勤務と鹿島で得た宝。(Number)



石井正忠 Masatada.Ishii


2015年途中から鹿島アントラーズを率い、翌シーズンにリーグ王者へと導いた石井正忠氏が、2020シーズンからタイ1部リーグのサムットプラーカーン・シティの監督に就任した。タイ代表の西野朗監督を筆頭にアジア各国に日本人指導者が渡る中で、石井監督は何を考え、タイの地で指導しているのか。後編では鹿嶋市での給食センター勤務に加えて、古巣・鹿島への思いなどを聞いた。



――給食センターというのは土日が休みで、夏休みもあって、娘さんと生活のサイクルが合うから、非常に合理的な選択です。とはいえ、Jクラブの監督経験者が簡単にできる選択ではないと思うんですね。ひと目が気になるというか、プライドが邪魔するというか。

「それはあまり気にしなかったですね。私にとって大事なのは何を優先するかで、家族との時間を取りたかったので。解説の仕事も考えましたが、結局、土日に仕事をすることになる。なので、ちょっと思い切ったことをしてもいいなと思って。何かに挑戦するときって、ドキドキするほうがいいじゃないですか(笑)」


組織論を学ばせてもらいました。


――給食センターでどんな仕事をされていたんですか?

「男性社員のひとりとして採用してもらったので、いろんな仕事をさせてもらいました。それこそ調理もしましたし。カレー用のジャガイモを200キロくらい機械に入れて、それをパートさんのところに持って行ったり。衛生面もすごく勉強になりました。これだけしっかりしていれば異物混入など起こらないなと思うくらい徹底していましたよ。

 それに、指導者としても生かせることがありました。例えば、女性のリーダーの方がいて、その人の振る舞いが本当に勉強になって」

――どんな感じなんですか?

「何でもできるんですよ。すべてのことを自らやって見せることもできるし、小さいグループを作って、それぞれにリーダーを置いて、うまくコントロールしたりだとか。給食センターで組織論を学ばせてもらいました」

――この1年は、指導者としてのご自身と改めて向き合う時間にもなったんじゃないかと思います。

「そうですね。トレーニングメニューを見返して『こういうときに、こういうことをしていたんだな』と振り返ったこともありましたし、月に1回程度、土日に講演やサッカー教室もやっていました。サッカー教室で、参加者がたまたま女の子だけになったことがあって、それも貴重な経験でしたね。子どもたちの指導も大切だなと改めて思ったり。

 カシマスタジアムで試合を見ているときには、もう1度あの場に立ちたいなという気持ちもどんどん湧き上がってきた。11月に行ったヨーロッパでも刺激を受けました」


鹿島、欧州の試合を見て再び意欲が。


――どちらに行かれたんですか。

「ミラノへ行きました。佐倉にACミランのサッカースクールがあって、その経営を任されているのが私の高校の後輩で、『一緒に視察に行きませんか』と誘ってもらって。ミラン対ユーベを見て、チャンピオンズリーグのアタランタ対マンC(マンチェスター・シティ)も見て、冨安(健洋)選手のいるボローニャの練習見学もしました」

――現場に戻るというのは、コーチではなく、やはり監督として?

「監督として、もう1度戻りたいという気持ちでしたね」

――鹿島時代は優勝、大宮時代はJ1昇格というプレッシャーがあって、苦しい時期が続いたと思います。それでもやっぱり監督業に戻りたくなるものなんですね。

「鹿島の試合を見ていても、さらにレベルの高いヨーロッパの試合を見ていても、これをもう1回、自分の仕事としてやりたいと思ったんですよね。今回、まったく知らない国に来て、言葉も分からないけど、そこで自分の考えをうまく伝えられるようになったら、日本に戻ったときに、これまでとは違う指導ができるでしょうし、選手との接し方もワンランク上がるような気がして。指導者としての力がすごく付くんじゃないかと。それで、このチャンスを掴んで頑張ろうという気持ちになりました」


日本で指導していた頃と根本は同じ。


――選手との接し方で言うと、石井さんは鹿島のコーチ時代、選手たちのいい兄貴的な存在で、そのスタンスは監督になっても、そこまで変えなかったと思います。大宮時代や休養した昨年を経て、そのスタンスは、変わってきていますか?

「どうですかね。根本的なところは変わってないと思います。なるべく選手と一緒にチームを作っていく、というところは変わらず。でも、言葉の選び方とか、はっきりと、明確にしたほうがいいのかなとは。タイでは、言葉だけじゃ足りないので、事前に準備をして映像やパワーポイントで見せたり、これまでとは違う手法でやっていかなきゃいけないな、と思っています。

 それに、こうしなきゃいけないというときに、はっきりとタイミング良く言う。今までは経験がなかったから、できなかったですが、前回と違って今回はできるようにしたい。それができなければ、また同じようなことになるんじゃないかな、と思いますね」





――鹿島で解任されたり、大宮でJ1昇格を逃したりしたショックや傷というのを、すぐに乗り越えられるタイプですか。

「まあ、そうですね。それは比較的早いのかな。じゃあ、今、何をしなきゃいけないかというところに自分の気持ちを持っていくようにしているので。あまり引きずらないではいますけどね」


鹿島を嫌いになったわけじゃない。


――個人的に凄いと感じたのが、鹿島の監督を離れられてしばらくして、シーズンチケットで鹿島の試合を見に行かれていたことで。なかなかできることではないなと。

「ああ、はい。でも、監督を解任されただけで、私が鹿島を嫌いになったわけじゃないので。好きなチームのサッカーを見に行くことに問題はないじゃん、っていう感じですよ。逆に言うと、鈍感なんじゃないですか(笑)。プライドもないですし。スタジアムグルメも魅力ですしね(笑)」

――これまでパウロ・アウトゥオリやオズワルド・オリヴェイラ、トニーニョ・セレーゾといった監督のもとでコーチを務め、いろいろ学ばれたと思います。さらに石井さん自身も鹿島、大宮を率いて経験を積まれましたが、改めて今、ご自身の監督としての強みや武器は、なんだと思っていますか?

「どうですかね……鹿島の頃、私の気持ちが落ちてしまって1試合、指揮が執れなかったことがあるじゃないですか。あのとき、自分自身が挫けて落ち込んだわけじゃなくて、クラブ自体のことを少し信用できなくなってしまって落ち込んだんですけど、逆に、いくら負けようが、いかに改善して、今何をやらなきゃいけないのか、といった気持ちは他の人よりも強いかもしれない。それは私の強みかもしれないですね。へこたれそうで、意外と、へこたれない(笑)」


見た目は弱そうだけど、意外と。


――意外と(笑)。

「見た目は弱そうだけど、意外とそうでもない(笑)。意外と頑固なところはあると思うので。それと、私は自分がグイグイ引っ張るというより、先頭に立ってはいるけれど、ちゃんと後ろを見ながら、みんなで頑張ろうよ、というタイプなので、私が去ったあとも、チームに良い雰囲気は残していけるんじゃないかな、とも思います」

――たしかに2016年シーズンも復帰されてから、チャンピオンシップを勝ち抜き、クラブ・ワールドカップで決勝に進み、天皇杯を制しました。優しそうに見えて、なにクソというようなリバウンドメンタリティがあると。

「表面には出さないだけで、感情がないわけではないですから。ちゃんと怒りの感情も持っていますから(笑)」





――そうですよね。現役時代には常勝・鹿島の礎を築かれたおひとりですもんね。そりゃ、ありますよね(笑)。

「あるんですけど、あまり表に出さないので、他の人には分からないでしょうね(笑)」


ACLで日本のチームと対戦できたら。


――では最後に、今シーズンの目標と今後の夢を聞かせてください。

「今季の目標としては、上位3チームの中に確実に入りたいと思っています。まずは1年契約ですけど、このチームを託された以上、このチームを何年か率いて優勝させたいし、ACLに出て日本のチームと対戦できたら嬉しい。それが近い将来の目標ですね」

――ご自身が海外のチームを率いるなんて、数カ月前には夢にも思わなかったでしょうけれど、まるで今年からの単身赴任を予期していたかのように、昨年1年間、娘さんと過ごす時間を増やして、しっかりリフレッシュされた感じになりましたね。

「そうなりましたね。うん。家族との時間を多く作れてよかったです。実は昨年、親父と祖母が亡くなったんですよ。それで喪主を務めたんですが、これが現場にいて、遠いところにでもいたら、務められなかったかもしれない。縁とかタイミングってあるんだな、自分にとって大事な1年だったんだなって。だからこそ、与えてもらったチャンスに感謝して、頑張りたいと思います」


◆タイ1部監督・石井正忠に聞く、後編。 給食センター勤務と鹿島で得た宝。(Number)





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