日刊鹿島アントラーズニュース

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2020年5月22日金曜日

◆昌子源が絶叫「ミツ!ミツどこ?」欧州挑戦を半年封印 現役最終年の小笠原主将へトロフィー…担当記者が見た鹿島18年ACL初V(報知)






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 「221人対10万人」―。大アウェーのイラン・テヘランで、鹿島は悲願のACLタイトルを獲得した。

 2018年11月、8度目のACL挑戦で決勝第1戦を2―0で先勝し、敵地に乗り込んだ。国内19冠を誇りながらアジアでは8強止まり。「内弁慶」と揶揄(やゆ)されていた鹿島を、10万人のサポーターが待ち受けていた。221人の鹿島サポーターが現地入りしたが、入場者数は公式発表で10万人ジャスト。一部区域を規制した会場は8万人収容だったはずだが…。開始4時間前には既に超満員。密、密、密。現地アーティストが熱唱し、盛大な花火が打ち上げられるお祭り騒ぎだった。

 試合中は、民族楽器・ブブゼラによるけたたましい雑音が鳴り響いた。試合後、DF昌子源はかすれ声で言った。「なんせ声が聞こえない、全く。(左隣のポジションの)脩斗くん(DF山本)を10回呼んだけど、見向きもされなかった」。それでも鹿島は動じなかった。タイトル獲得への執念が、耳をふさぎたくなるほどの歓声と騒音を上回った。

 1997年、リーグ戦と同日にシンガポールでアジアクラブ選手権(ACLの前身)の試合が組まれた。当時は事実上の罰ゲームのような大会。それから長年、鹿島はACLへの支援体制や日程面の配慮を怠るリーグ側に抗議を繰り返した。「鹿島さん、うざいよ」と言われたことは一度ではない。説得が実りサポート体制が整ったかと思えば、浦和(07、17年)とG大阪(08年)に先を越された。リーグ3連覇(07~09年)など国内タイトルを積み重ねながらも、アジアの舞台では無残に散ってきた。

 ACLを2度制したGK権純泰、この日の試合前に「サポーターがピッチに入ってくるわけではない。何も気にするな」とチームを鼓舞したMFレオシルバら、経験ある助っ人を獲得。予定を半年早めた同年夏のジーコ氏のチーム復帰。W杯で名を上げた昌子の欧州挑戦半年封印。全てはACL獲得のためだった。

 10万人を黙らせる試合終了の笛が鳴り、アジアの頂に達した。涙を流すクラブスタッフと握手を交わし、ピッチに目を移すと、負傷退場したFW鈴木優磨、当時65歳のジーコ氏までもが跳びはねて狂喜乱舞。選手、コーチ、監督として何度もアジアの壁にはね返されてきた大岩剛監督は、この年が現役最終年となったMF小笠原満男と抱き合い、肩をふるわせて泣いていた。

 迎えた優勝セレモニー。「ミツ! ミツどこ?」。ゲームキャプテンとして優勝トロフィーを受け取った昌子が叫んだ。逃げ隠れする小笠原を若手らが強引に引っ張り出す。首を横に振りながらも笑顔が隠せない主将が歓喜の中心へ。サポーターの音頭に合わせ、小笠原がトロフィーを掲げた。悲願のタイトルでの通算20冠目。2階席の一角に押し込まれた221人のサポーターから、10万人の声量に勝るとも劣らない大歓声が響き渡った。(岡島 智哉)

 ◆Jと過密4戦11日間で3勝 鹿島はホームで行われた決勝第1戦を2―0で先勝した。この試合はリーグ戦から中2日で行われ、息もつかぬまま、中2日でリーグ戦。そしてイランへの移動を含む中3日で決勝第2戦を戦った。決勝2試合とリーグ終盤の大事な2試合の計4試合を11日間で消化する過密日程に屈せず、4試合中3試合に勝利し、最後のイランでの激闘は0―0。2戦合計2―0で悲願のVを果たし、Jクラブでは前人未到の主要タイトル20冠目を勝ち取った。

 ◆岡島 智哉(おかじま・ともや)福岡県生まれ。28歳。2016年入社。17年横浜M、18~19年鹿島担当。20年は遊軍。




◆昌子源が絶叫「ミツ!ミツどこ?」欧州挑戦を半年封印 現役最終年の小笠原主将へトロフィー…担当記者が見た鹿島18年ACL初V(報知)





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