日刊鹿島アントラーズニュース

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2020年8月24日月曜日

◆【鹿島】最後までウッチーらしく「また会いましょう」現役ラストプレーで同点弾演出…美学貫き14年半駆け抜けた(報知)






ヤクザと極妻から聞いた話がおもしろすぎるんでマンガにしてみた


◆明治安田生命J1リーグ第12節 鹿島1―1G大阪(23日・カシマスタジアム)

 引退を表明した元日本代表DF内田篤人(32)が、現役最後のG大阪戦に臨んだ。味方の負傷で前半16分に途中交代でピッチに立ち、74分間、魂のこもったプレーを披露。引退の原因となった右膝の痛みをこらえ、必死にプレーする姿には、14年半、内田が大事にしてきた思いが込められていた。

 最後まで信念を貫き通した。1点を追う後半ロスタイム。ハーフラインを越えたところから、内田がゴール前にクロスを送った。GKが届かず、相手DFの高さが及ばない位置へ。味方がこぼれ球をつないだ先に、DF犬飼の同点弾が待っていた。現役最後のボールタッチは敗色濃厚のチームを救う起点になった。数十秒後に終了のホイッスル。ユニホームに顔をうずめた。

 予想しなかった形で出番がやってきた。同じ右サイドバックのDF広瀬が負傷すると、ザーゴ監督に呼ばれた。ピッチ脇に立つ。前半16分、一礼してピッチに入ると、MF三竿から譲り受けた主将マークを左腕に巻き、最後のプレーが始まった。

 20日に現役引退を表明し、G大阪戦を最後の試合とすると発表した。15年に手術を受けた右膝。そこから派生するけがに苦しみ、最後は自分が思う内田篤人に戻れないと判断した。14年半の現役生活。こだわり抜いたプレーがある。GKが抜かれて、決まったと思ったシュートをゴールライン上でかき出すこと。そして、誰より先に体を投げ出す守備だ。

 聞けば「だって、かっこいいじゃん」とこだわりの理由を言う。攻撃を持ち味とする反面、守備が軽いと批判を受け、悩み、飛び降りようと屋上まで上がった過去もある。サッカーをする上で最も大事にし、最も欲したのがチームメートからの信頼。DFなら失点を防ぐプレーと考え、14年間磨いてきた。

 ミドルシュートに対して、いち早くスライディングで体を投げ出し、自陣ゴール前では相手の前に体を入れて、ポジションを譲らない。イエローカードももらった。右膝は万全ではなく、踏ん張りが利かない状態でも、こだわりを貫いた。前線につけるパスは正確で、長い距離を走る攻撃参加には、勝利へ向かう魂すら感じた。

右膝痛み耐え 74分間に及んだ内田のラストプレー。味方のことを思い、勝利を目指すプレーの数々。日本を代表する右サイドバック、内田の最後にふさわしいものだった。(内田 知宏)

 ◆内田 篤人(うちだ・あつと)1988年3月27日、静岡・函南(かんなみ)町生まれ。32歳。2006年に清水東高から鹿島入りし、右サイドバックとして07~09年のリーグ3連覇に貢献。10年夏にドイツ1部シャルケへ移籍し、17年夏から同2部ウニオン・ベルリンでプレーした後、18年に鹿島復帰。08年北京五輪、10年南アフリカW杯、14年ブラジルW杯日本代表。国際Aマッチ通算74試合2得点。176センチ、67キロ。右利き。既婚。


◆【鹿島】最後までウッチーらしく「また会いましょう」現役ラストプレーで同点弾演出…美学貫き14年半駆け抜けた(報知)





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