日刊鹿島アントラーズニュース

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2016年12月2日金曜日

◆鹿島の決壊を防いだ門番・昌子源。 世代交代とタイトル、二兎を追う。(Number)


http://number.bunshun.jp/articles/-/826996

鹿島伝統の「3番」は肉体的にも、精神的にもタフでなければならない。昌子にもその風格が備わってきた。

「鹿島はタイトルを獲らないといけないチーム。今年は獲らなきゃいけない年だと思っている。そのために自分は全力を尽くさないといけないし、その先に日本代表やW杯があると思っている」

 鹿島アントラーズのセンターバック、昌子源の覚悟は相当なものだった。この言葉は今年2月に彼が口にしていた言葉だ。

 彼が心の底から強く思い続けていること。それは“常勝・鹿島”の復権にある。

 鹿島と言えばJリーグ最多のタイトル獲得数を誇る、まさに名門クラブだが、近年はそのタイトルから遠ざかる時期もあった。その最大の要因として、クラブが選んだ“世代交代”があった。

 世代交代は口では簡単に言えるが、実現しようとするには相当なエネルギーと時間を要する。だからこそ、どのチームも実行したくても実行出来ないジレンマが生じる。目の前の勝利を優先するのか、将来のクラブの有るべき姿を優先するのか。この“勇気あるチャレンジ”を実行してきたのが鹿島だった。

“黄金世代後”を受けて台頭したのが昌子だった。

 1979年生まれの“黄金世代”。その中心人物だった小笠原満男、曽ヶ端準、中田浩二、本山雅志が1998年に鹿島に入団すると、2000年から2001年に掛けて彼らを中心にしたチームにすべく、世代交代を図ったのが象徴的な出来事だ。

 あの時と同じように、鹿島は2013年から本格的な世代交代に着手する。この中心人物になったのは昌子だった。プロ2年目の2012年からJデビューを飾り、2013年はリーグ4試合出場(先発1試合)に留まったが、2014年にはリーグ全試合スタメン出場を果たした。

 CBという経験と人間的な強さを要するポジションを託されること自体が、大きなプレッシャーであり、期待の大きさであった。しかも、コンビを組んだのが自分より年下の植田直通とあって、彼にはただのCBとしてではなく、守備のリーダーとしての役割も同時に託された。

常勝・鹿島のはずがリーグタイトルから遠ざかった。

 昌子、植田以外にもFWカイオ(現アル・アイン)、MF土居聖真、DF伊東幸敏らを積極起用し、大幅な世代交代を図ったチームがすぐに結果を出せる訳がない。2013、2014年と2年連続で無冠に終わり、2ステージ制となった昨年はファーストステージで8位と低迷。それでもナビスコカップ(現ルヴァン杯)を制し、3年ぶりのタイトルを手にした。そしてセカンドステージも2位と盛り返したが、年間順位は5位とチャンピオンシップ進出はならなかった。

「常勝・鹿島で試合に出させてもらっているのに、この結果は悔しさしかなかった」

 もちろんクラブが掲げる明確な将来のヴィジョンに基づいた故の“産みの苦しみ”であり、昌子に大きな責任があるわけではない。しかし、彼の人間性、そしてクラブへの愛と感謝が、それを是としなかった。

「もう一度強い鹿島になるには、自分がもっと成長しないといけない」

「僕の成長がチームの鍵を握ると常に思っている」

 彼にとってチームを勝たせる選手になることは、明確な義務であった。周りがどんな慰めの言葉や激励の言葉を掛けてくれても、彼の中で生まれたこの想いは不変であり、彼を突き動かす信念だった。

「結果は自分の責任。僕の成長がチームの鍵を握っていると常に思っている。僕がDFラインをまとめていかないと、“常勝・鹿島”は復活しない。それくらいの気持ちでやっている」

 迎えた2016年、リーグ戦でタイトルを獲らなければ、本物の復活はない。「もう何が何でも結果を出す。そのために何をすべきか。どんなときでも考えるようにしている」と、並々ならぬ決意を持った彼は、それをプレーに昇華し、鹿島の最終ラインで鬼気迫る闘争心と高い集中力を示し続けた。

味方が「もうええって」となるほどのコーチングを。

「90分間ずっと声を出し続けられるのは自分しかいないと思っている。鹿島の守備を背負うと言うことは、生半可な気持ちではいけないし、ましてや“自分だけで良い”訳ではない。僕とソガさん(曽ヶ端)で全体をしっかりと見渡して、危険な場所や状況があれば相手に伝わるまで言うし、たとえ味方が『もうええって』と思っていても、しつこいくらい言う。むしろ『もうええって』と思われるまで言わないとダメ。そうしないと情報共有や意思統一を出来ない。チームのために全力を尽くすと言うことは、そういうことをしっかりとやりきってこそ言えることだと思う」

 怪我で離脱する時期もあったが、彼のスピリットは着実にチームの中で広がっていった。ファーストステージではリーグ最少失点(17試合10失点)で優勝し、2009年(1ステージ制)以来、6年半ぶりのリーグタイトルを手にすることが出来た。

 だが、セカンドステージは低迷に陥り、失点を重ねて思うように勝ち点を積み上げられなくなって行く。チームの歯車が狂ってしまった中でも、昌子はどう立て直すべきかを考え続けた。

「ピッチの中でどれだけ本気で勝ちたいと思ったか」

 例えば9月の柏戦で、0-2の敗戦を喫したときのこと。試合後のミックスゾーンは重い空気に包まれたが、彼は気丈に報道陣の前に立ち、自分達の課題や問題点をはっきりと口にした。

「いったい、ピッチの中でどれだけの選手が“本気で勝ちたい”と思っていたか。もちろん勝ちたくない選手は一人もいない。でも、本気で何とかしないといけない、“何が何でも”という気持ちには差があった。これではいけないんです。あっさりやられてしまってはダメなんです」

 CBとして失点を喫してしまった悔しさは当然ある。だが、この試合で昌子がいなかったら、もっと崩れた試合になった可能性は高い。誰よりも声を張り上げ、球際や競り合いで激しくいき、闘争心を出している姿は、低迷していたチームにとってこれ以上崩れないための“生命線”になっていた。

埼スタでのCS第2戦、逆境でこそ闘志と集中力を。

 鹿島のセカンドステージは結果として11位に終わったが、年間順位は3位。ファーストステージ王者として、チャンピオンシップ進出は決めていた。

 タイトル獲得のチャンスを得た昌子は、「このタイトルは絶対に獲る」とより強い覚悟を固めていた。この覚悟は準決勝の川崎戦で表現され、鋭い読みのインターセプトや球際の強さ、クロスの対応の妙をフルに発揮し、相手の強力攻撃陣をシャットアウト。1-0勝利の陰のMVPとなった。

 そして、浦和との決勝戦。ホームでの第1戦は0-1で落としてしまったが、この1点はPKによる1点であり、完璧に崩されたシーンはほぼなかった。この試合でも昌子は抜群の存在感を発揮し、的確なコーチングと読みの鋭さを発揮して、アタッキングサードで自由を与えなかった。

 第2戦は12月3日、敵地・埼玉スタジアム。浦和の優位は変わりないが、目の前にチャンスが、可能性がある限り、決して諦めない。浦和の攻撃を食い止め、味方の攻撃陣を支え続けることで、必ず道は開かれる。

“常勝・鹿島”復活に向けて、より闘志と集中力を研ぎ澄まし、不退転の精神で目の前の一戦に臨む。昌子源とはそういう男だ――。

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