ロシア・ワールドカップ初戦でコロンビアを破った西野ジャパン。難しい展開の中、チームの心臓として、ひときわ輝きを放ったのが柴崎岳だった。
■ボールへの執着心、そしてタテへの攻撃のスイッチ
数日前とは打って変わって30度近くまで上昇した気温。ギラギラした太陽が照り付けるピッチ。そして大挙してスタンドに陣取った黄色のコロンビアサポーター。
19日、サランスクのモルドヴィア・スタジアムは異様な熱気に包まれた。そんな中、キックオフ直前に長谷部誠が相手キャプテンのラダメル・ファルカオ(モナコ)と話してエンドの交換が行われたことも含め、何かが起きそうな空気が漂った。
コロンビアに退場者が出たのはそのわずか3分後。大迫勇也がダビンソン・サンチェス(トッテナム)との競り合いに勝ち、抜け出して放ったシュートのはね返りを香川真司がダイレクトで打ちに行き、カルロス・サンチェス(エスパニョール)がハンド。相手ボランチの要がレッドでピッチを去るという追い風が日本に吹いた。このプレーで得たPKを香川が確実に沈め、日本は1点をリードする。大迫の鋭い走りが値千金の先制弾を呼び込んだ。
その後、日本はやや押し込まれる展開を余儀なくされたが、26歳の司令塔・柴崎岳が確実にゲームをコントロールする。さらには同い年のセンターバック昌子源もファルカオを徹底的につぶしに行き、仕事らしい仕事をさせない。
大迫勇也、柴崎岳、昌子源。この日、日本のセンターラインを支えたのは、かつて鹿島アントラーズでともに戦ったフレッシュな3人だった。
とりわけ柴崎の安定感と的確なパス出し、球際の鋭さとボールへの執着心は凄まじいものがあった。
ボランチのパートナーである長谷部が何度か危険なミスやパス出しのブレなどを見せ、ファルカオを倒してFKを与えるシーンも作ってしまったが、そういった先輩のマイナス面を柴崎が的確にフォロー。中盤の形成を立て直した。
後半にはワイドなサイドチェンジやタテパスでたびたび相手を揺さぶり、強固なブロックをこじ開けようと試みるシーンも少なくなかった。リスタートでも惜しいチャンスを演出。最終的に2点目をお膳立てしたのは、途中出場の本田圭佑だったが、柴崎が精度の高いキックを何本か蹴っていたから、相手も球質の異なる本田が出てきて戸惑いを覚えた部分はあっただろう。
■壁を取り払い、スペインの地で見せた変貌
現地で生観戦した青森山田中学・高校時代の恩師・黒田剛監督も「前半はちょっと物足りなかったけど、全体的にミスなくしっかり対応していた。ちょっとラッキーなところもあったけど、落ち着いてやっていたと思います」と教え子の成長に目を細めていた。
そもそも黒田監督は、青森県野辺地町にある野辺地SSSでプレーしていた小学生の柴崎に特別な才能を感じ、青森山田に誘った目利きの指導者だ。「岳は間違いなく将来、日本代表になる選手」と断言し、時に厳しく接しつつ、その成長を促してきた。柴崎はいわゆる東北人気質の強いタイプで、あまり社交的ではなく、自分の外側に壁を作る傾向が強かった。「そこが彼の可能性を狭めている」と恩師も危惧していたが、その壁を取り払う大きなきっかけになったのが、2017年1月のスペイン移籍だったのではないか。
カナリア諸島最大のテネリフェ島に本拠を置くスペイン2部のテネリフェで過ごした半年間には環境の激変による不安障害に苦しんだ時期があった。何事もオープンで解放的な地域性に、もともと内に秘めるタイプの柴崎が戸惑いを覚えるのも決して不思議ではない。そういう異国の文化や習慣を知り、徐々に仲間やチームに適応し、サッカーをする喜びを思い出していく。その日々を彼はスペイン1部・ヘタフェでプレーする今も忘れてはいないだろう。
実際、昨夏のヘタフェ移籍直後まで代表からは約2年間も遠ざかっていた。しかし、久しぶりに日の丸を背負った司令塔はしっかりと人の目を見て自らの意見を口にできる大人のフッとボーラーへと変貌を遂げていた。
昨秋にもヘタフェで大きなケガに見舞われ、ロシア行きが危ぶまれる時期もあったが、ヴァイッド・ハリルホジッチ前監督体制だった今年3月のベルギー遠征、キリンチャレンジカップ・ウクライナ戦で槙野智章の同点弾をお膳立てする精度の高いFKを蹴るなどインパクトを残す。課題であった守備面でも体を寄せ、相手からボールを奪う仕事もいとわなくなった。その一挙手一投足を目の当たりにして、4月に就任した西野監督も柴崎を抜擢。満を持してロシアに連れてきた経緯がある。
その期待に、この日の背番号7はしっかりと応え、クオリティーの高さを示してみせた。
「プレービジョンとしては、相手が10人になったのでより多くの回数、ボールを触ろう、自分が関わろうと思ってやっていましたし、前後半で多少ポジショニングを変えてうまくいった部分があります。守備に関しても相手に対して1対1ではなく、複数でいい状況を作りたいと考えました。インターセプトを狙いながら、こぼれ球もすぐ反応して狙えるようにという意識もありましたし、そこはあんまりやられた記憶もないので、いい守備ができたのではないかと思います」と、柴崎本人も納得のいくパフォーマンスができた様子だ。
■「柴崎岳」という新たな7番像
2014年9月、当時の指揮官ハビエル・アギーレ氏のもと、キリンチャレンジカップ・ベネズエラ戦で初キャップを飾ってから4年。彼にはつねに「背番号7をつけた中田英寿、遠藤保仁の後継者」というレッテルがつきまとった。だが、本人も何度かそのことを聞かれて違和感を吐露していたことがある。
しかしここへきてやっとこうした先人たちの壁を乗り越え、「柴崎岳」という新たな7番像を打ち出しつつある。これまで日本の20代半ばの世代には「司令塔タイプの選手が少ない」と言われてきたが、彼の起用に完全にメドが立ったことで、日本代表の未来に希望が開けてきたことは確かだ。
コロンビア戦で鹿島出身のセンターラインが躍動し、チームが活性化されたことは大きな自信にしていい。彼らのみならず、香川真司と乾貴士、山口蛍のセレッソ大阪出身・所属選手にも言えることだが、かつて「同じ釜の飯を食った」メンバーがより息の合った連係を見せていけば、日本はさらにスムーズな戦いができるに違いない。
いずれにせよ、日本代表がここから大きく変わりそうな予感を柴崎らが示してくれたことを前向きに捉え、24日の次なる決戦、セネガル戦(エカテリンブルク)での快進撃を期待したい。
文=元川悦子
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