日刊鹿島アントラーズニュース

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2018年6月21日木曜日

◆昌子「俺だけのW杯じゃない」亡き親友2人に届けた白星 国内組唯一の出場(報知)



昌子源 ロシアW杯


 ◆W杯ロシア大会▽1次リーグH組 日本2―1コロンビア(19日、サランスク)

 初戦のコロンビア戦に臨んだ日本は2―1で競り勝ち、2大会ぶりの勝ち点3を挙げた。

 国内組で唯一出場したDF昌子は「(相手が)10人なのかなって。疲れるゲームだった」と苦笑いで振り返りつつも、初のW杯でファルカオやロドリゲスら世界的な攻撃陣を擁するコロンビアに臆さずプレーした。大会直前には右太ももの張りで別メニュー調整することもあったが、DF吉田と息の合った動きで最少点差を守り抜いた。

 白星を届けたい2人の親友がいる。プロ1年目の11年4月29日、米子北高でサッカー部だった柊(ひいらぎ)拓也さんを交通事故で失った。柊さんはサッカーではトップチームに絡むことはできなかったが、仲間と分け隔てなく付き合う昌子は、部活以外の時間を一緒に過ごすことが多かったという。「この年(当時)で同級生を失うなんて全く想像もしていなかった。ましてはこんな近くの大事な存在。頭が真っ白になった」

 その直後には道下稔晃さんを心臓発作で失った。大阪生まれの道下さんと兵庫生まれの昌子。同じ関西から鳥取に進学し、寮では同部屋だった。ホームシックになりそうな時、互いに励まし合った。熱烈なG大阪サポーターで、鹿島戦前に「今日は(G大阪が)勝つ」とメールが届くのが恒例だった。昌子が主力に定着する前に逝った2人。両親をカシマスタジアムに招待したこともあるという。

 「俺だけのW杯じゃない。自分を育ててくれた人たちにも感謝の思いをこめたい。あいつら2人も活躍を待っていると思う。自分ができる精いっぱいのプレーを届けたい」。その言葉通り、後半ロスタイム5分に終了の笛が鳴るまで走り抜いた。

 日本が1次リーグを突破した過去2大会は中田浩二、宮本恒靖、松田直樹(02年日韓大会)、中沢佑二と闘莉王(10年南ア大会)ら絶対的なディフェンダーがいた。槙野との定位置争いを制して唯一の国内組として出場し、吉田とのコンビを構築。西野ジャパンが勝ち上がるためのピースが完成した。

 ◆昌子 源(しょうじ・げん)1992年12月11日、神戸市生まれ。25歳。地元のフレスカ神戸でサッカーを始め、G大阪ジュニアユースを経て米子北高へ進学。2011年に鹿島入りし、12年3月24日の広島戦でJ1デビュー。対人守備、スピード、フィード力を備えたセンターバック。父・力さんは姫路独協大サッカー部監督で日本協会公認で最上位の指導者S級ライセンスを持つ。国際Aマッチ13試合出場1得点。182センチ、74キロ。既婚。




昌子「俺だけのW杯じゃない」亡き親友2人に届けた白星 国内組唯一の出場


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